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『記憶質店「忘却堂」の冷徹なる査定人』  作者: beck2026


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18/25

第18話:百二十手先の王手と、崩壊する人工知能の罠

永世名人・御神楽玄斎が記憶質店『忘却堂』を訪れてから六日後の日曜日。


東京・水道橋にある東京ドームホテルの地下大宴会場は、防衛省の幹部やIT業界の重鎮、そして国内外の報道陣の熱気に包まれていた。


『人類代表・獅子王院凱(ししおういん・がい)竜王 対 次世代量子将棋AI「ゼウス」――世紀の電王決戦』。


この公開対局は、国内最大手の量子AI企業『レギオン・テクノロジーズ』が開発した思考予測AI「ゼウス」の性能実証と、それを凌駕する獅子王院凱の天才頭脳を世界にアピールするための巨大なショーケースであった。


このイベントが無事に成功すれば、防衛省が推進する【三百億円】の次世代防衛AIネットワーク構築プロジェクトが、レギオン社へ独占発注されることが内定している。


ステージ中央に設けられた純和風の特設対局席で、ブランド物の特注羽織袴に身を包んだ二十八歳の若きCEO兼タイトルホルダー・獅子王院凱は、不敵な笑みを浮かべてカメラのフラッシュを浴びていた。


「皆様、本日は歴史的対局にお集まりいただき感謝します。我が社が開発した量子AI『ゼウス』は、一秒間に百兆手の局面を演算します。しかし、それをさらに上回る人間の直観と大局観が私の脳には宿っている。……今日、私はAIを完全にねじ伏せ、我がレギオン社こそが日本の頭脳の頂点であることを証明してみせましょう!」


割れんばかりの拍手が会場を揺らす。


獅子王院は扇子をパチンと閉じ、内心で冷酷な嘲笑を漏らした。


(ハッ、チョロい連中だ。俺の脳に移植されているのは、御神楽玄斎の老いぼれから五億円のはした金で買い叩いた『六十年分の将棋記憶と二千勝の大局観』だ。しかも対局相手のAI『ゼウス』の思考ルーチンには、玄斎の過去の棋譜データと完全に噛み合って俺が百十四手目で華麗に勝てるよう、最初から接待プログラム(八百長コード)が組んである。三百億円の防衛予算は、戦う前から俺のポケットの中だよ!)


そして獅子王院の視線は、会場最前列のVIP席のさらに奥――防弾ガラスで仕切られた特別観覧室へと向けられた。


そこには、白銀の仮面で顔の半分を覆い、白いスーツを纏った一人の男――国家機関『記憶統制局』の最高幹部(セヴン・オーバーロード)の一角、『第五統制官:コードネーム・ビショップ』が静かに腰掛けていた。


(ビショップ様も満足しておられるようだ。この三百億円の防衛AI網さえ完成すれば、日本国民全員のネット履歴と記憶波長を二十四時間監視し、統制局に逆らう人間の脳を遠隔でフォーマットできるようになる。俺はその功績で、日本のAI産業の絶対的な独裁者になるんだ!)


だが――勝利に酔いしれる獅子王院は気づいていなかった。


ステージの袖に設けられた『特別解説席』に、凛とした紺色の和服に身を包んだ本来の永世名人・御神楽玄斎と、その傍らで漆黒のスーツに白い手袋をはめた『忘却堂』の店主・黒瀬零(くろせ・れい)が、氷のように静かな佇まいで座っていることに。


「……黒瀬殿。いよいよ始まるのう。あの小僧、わしの六十年分の記憶を使って、AIと八百長将棋を指すつもりじゃな」


玄斎老人が扇子の陰で低く呟くと、黒瀬は感情の温度がない灰色の瞳でステージを見据えたまま、懐の銀色の懐中時計をそっと開いた。


「ええ。ですが御神楽様……昨夜、私はレギオン社のメインサーバー室へ潜入し、あなたの六十年分の『原本結晶』を回収すると同時に、量子AI『ゼウス』の演算コアへ、ある【特別な棋譜データ】を上書きしておきました」


「特別な棋譜データ、とな?」


「はい。あなたが五十年前の初陣で指し、ご自身でもミスだと思い込んでいたあの『4四角』――百二十手先の完全な詰みへと至る、神域の必勝手順です」


『――それでは時間となりました! 先手・量子AI「ゼウス」、後手・獅子王院凱竜王。対局を開始してください!』


立会人の号令と共に、会場の巨大スクリーンに将棋盤のホログラムが表示され、対局の幕が切って落とされた。


パチリ、パチリ、と代指しのロボットアームと獅子王院の手によって、猛烈なスピードで駒が進められていく。


序盤から中盤にかけて、盤面は獅子王院が事前に仕込んでおいた「予定調和の棋譜」通りに進行していた。


「フン、すべて俺の読み通りだ。ここから飛車を切って攻め込めば、AIは受けに回るしかなくなる――」


獅子王院が余裕の笑みを浮かべ、六十五手目を指した、まさにその直後だった。


――ピピッ。


対局相手の量子AI『ゼウス』のモニターが突如として不気味な琥珀色に発光し、ロボットアームが予定されていた受けの手を無視して、自陣の角行(かくぎょう)をつまみ上げた。


そして、盤上の中央――【4四・角】の位置へと、乾いた音を立てて叩きつけたのである。


「……あ?」


獅子王院の笑顔が、ピタリと凍りついた。


4四角。


周囲の歩兵の守りも何もない、一見するとただの暴発(タダ捨て)にしか見えない異常な一手。


会場の記者や棋士たちから、「なんだあの手は!?」「AIがバグを起こしたのか!?」とどよめきが上がる。


しかし――ただ一人、解説席の御神楽玄斎だけは、カッと目を見開いて扇子で膝を叩いた。


「来おった……! 五十年前の冬、わしが先代名人との初陣で指した、あの一手じゃ……!!」


一方、盤の前でその『4四角』を見た獅子王院の脳内では、地獄のような異常事態が発生していた。


(な、なんだこの4四角は!? 事前の八百長プログラムにこんな手は入っていないぞ!? いや、それどころか……なぜだ、俺の脳の中にある御神楽玄斎の記憶が、この盤面を見た瞬間に『絶対に触れてはならない禁忌の陣形だ』と警報を鳴らしている……っ!?)


黒瀬が読み切った通りだった。


玄斎が六十年間で築き上げた二千勝の戦術記憶は、五十年前の『4四角』のトラウマを避ける形で構築されていた。


そのため、その唯一の死角(バックドア)を真正面から突きつけられた瞬間、獅子王院の脳内に移植されたコピー記憶は、激しい矛盾とパニックを引き起こしたのだ。


「く、くそっ、ただのタダ捨ての角じゃないか! 同歩(どうふ)で取ればいいだけだ……! な、なぜ手が動かない!? 頭の中で、何億通りもの変化が勝手にループして止まらねえぞ……っ!!」


キィィィィィィン……ッ!!


獅子王院が額を押さえて呻き声を上げる。


『4四角』を取った瞬間に広がる、百二十手先までの神域の超複雑変化。


二十歳の玄斎の本来の脳すら処理しきれなかったその膨大な演算データが、量子AI『ゼウス』から放たれる高周波の演算パルスと共鳴し、獅子王院の凡庸な前頭葉を内側から猛烈な勢いで焼き焦がし始めたのである。


「ぐ、うああああああっ!? 頭が、頭が沸騰する!! 角が、角が何百枚にも分裂して見えるぞ!! やめろ、俺の脳内で勝手に将棋を指すなあああああっ!!」


獅子王院は両手で頭を抱え、鼻と口から鮮血を噴き出しながら盤の上に突っ伏した。


駒が四方八方に飛び散り、会場は騒然となった。


そのパニックの中、解説席から立ち上がった黒瀬零と御神楽玄斎が、静かな足取りでステージの中央へと歩み出た。


「おや、獅子王院竜王。ご自身が開発されたAIを前に、一指しも動かせずに投了ですか?」


黒瀬の冷徹な声が、会場のスピーカーを通じて響き渡る。


「き、貴様……誰だ……!? なぜ、玄斎の老いぼれがここに……!?」


「誰かと問われれば、新宿で小さな質屋を営む査定人ですよ。……獅子王院様。あなたが今、脳内で処理しきれずに血を吐いておられるその『4四角』からの変化。それこそが、あなたが五億円で御神楽様の六十年分の記憶を強奪した際、『ただの負け犬のゴミ記憶』として置き去りにした【百二十手先の完全必勝手順】です」


黒瀬が白い手袋の指先でタブレットを操作すると、会場の巨大スクリーンが切り替わり、レギオン社の極秘サーバーから抜き出された決定的な証拠映像が映し出された。


『――ククク、御神楽の孫娘の食事にクロノス社製の神経毒を混ぜて倒れさせ、治療費五億円と引き換えに六十年分の将棋記憶を丸ごと奪い取ってやったぜ!』


『――防衛省の三百億円プロジェクトさえ手に入れば、八百長対局なんて安いもんだ。そのAI網に「記憶統制局」の思考監視ウイルスを組み込んで、日本中の人間を家畜にしてやる!』


獅子王院自身の傲慢極まりない肉声と、お孫さんへの毒物混入指示書、さらにはAI『ゼウス』に組み込まれていた八百長コードと国家監視プログラムのソースコードが、防衛省の幹部や報道陣の目の前にすべて晒け出されたのである。


「「「な、なんだってえええええええっ!!?」」」


「ふ、ふざけるな獅子王院!! 永世名人の孫に毒を盛って記憶を強奪したばかりか、我が防衛省のシステムに違法な思考監視ウイルスを仕込む気だったのか!! 三百億円の契約は即時破棄だ! 国家反逆および殺人未遂で徹底的に捜査させるぞ!!」


防衛省の次官が激昂して立ち上がり、会場は怒号の渦と化した。


「あ、ああ……俺の頭の中から、将棋の記憶が……焼き切れて消えていく……! 歩の動かし方すら、分からない……っ!」


前頭葉の演算ループによって、移植されていたコピー記憶が完全にショートして消滅し、虚ろな目で涎を垂らす獅子王院。


その目の前に立った御神楽玄斎は、すでに黒瀬からすべての記憶を返還された力強い手で、床に落ちていた『王将』の駒を拾い上げた。


「……獅子王院よ。将棋というものはな、相手と自分が盤上で魂を削り合って初めて成立する芸道じゃ。他人の記憶を盗み、八百長で飾り立てた貴様の盤上には、最初から『王将』などおらんかったのだよ」


玄斎老人が扇子でピシリと盤を叩くと同時に、会場へ突入してきた警視庁捜査一課の刑事たちが、廃人同然となった獅子王院の両腕を掴んで引きずり出していった。


     ◇


だが――黒瀬零の『本当の王手』は、その裏で静かに進行していた。


会場が獅子王院の逮捕劇で大混乱に陥る中、黒瀬は誰にも気づかれることなくステージ裏の専用通路を抜け、最奥の特別観覧室――『記憶統制局』の第五統制官・ビショップがいた部屋へと足を踏み入れた。


室内にはすでに、階段で特殊な合成アロマを吸わされたビショップの護衛たちが眠りこけており、中央の椅子では、白銀の仮面をつけた第五統制官・ビショップ自身が、量子AI『ゼウス』から逆流した【黒瀬の特注ハッキングパルス】を浴びて全身を硬直させていた。


「く、黒瀬、零……ッ!! 貴様、獅子王院のAIの回線を通じて、それを監視していた私の脳内インプラントへ直接ロックをかけたのか……!?」


「ええ、初めまして第五統制官(ビショップ)様。……いいえ、元・内閣情報通信政策局長の『京極(きょうごく)』様、とお呼びした方がよろしいですか?」


黒瀬は白い手袋の指先で、動けないビショップの顔から白銀の仮面を静かに剥ぎ取り、卓上の携帯用記憶抽出機の端子をそのこめかみへと装着した。


「や、やめろ零!私はお前の兄である第一統制官・黒瀬一(はじめ)の盟友だぞ! 私に手を出せば、統制局の全戦力が新宿の店を――」


「私の兄に伝えておきなさい。『スペアボディの弟が、お預かりしていた神の記憶結晶(アカシック・コア)の最初の鍵を回収しに来た』とね」


――キィィィン……。


黒瀬が容赦なくレバーを引き下ろすと、ビショップの脳から、眩い紫色の幾何学模様が刻まれた『第五統制官の生体暗号キー結晶』がコトリと抽出された。


「一、二、三……これで七つの鍵のうち、最初の一つが手に入りましたね」


黒瀬は気絶したビショップの懐から、口封じおよび「違法監視システムの違約金」として、統制局の秘密工作口座から【三十億円】を即時送金させると、何事もなかったかのように観覧室を後にした。


     ◇


その夜、新宿・歌舞伎町の裏路地。


記憶質店『忘却堂』の地下室では、黒瀬零が、コレクションルームの台座に置かれた『完全な球体の透明な結晶』の隣へ、今夜回収したばかりの『紫色の生体暗号キー結晶』を並べていた。


「……御神楽玄斎様には、獅子王院から回収した損害賠償金十億円をお渡しし、お孫様も鳴海先生の執刀で完全に快復された、と。そして当店の純利益は三十億円ですか」


黒瀬は淹れたての紅茶を一口ふくみ、感情の温度がない灰色の瞳を静かに細めた。


「七人の特級統制官(セヴン・オーバーロード)のうち、五番目のビショップが脱落し、残る鍵はあと六つ。……兄さん、盤上の駒が一つずつ剥がされていく気分はいかがですか?」


チリン――。


その時、再び地下室の扉のベルが静かに鳴り響いた。


一人の統制官を葬り去り、国家の深淵へと着実に王手をかけ始めた冷徹なる査定人は、白い手袋の指先を整え、新たな迷える客へと穏やかな笑みを向けた。


読んでいただき、本当にありがとうございます!


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次回更新も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。


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