嫉妬の代償 結
広間を出る時、俺はまともに歩けていなかった。
レンナが肩を貸してくれた。彼女は足取りもしっかりしていて、俺の体重を支えるくらいには元気だった。部屋に走った電撃は、床を抜けていく寸前に避けられたらしい。それでも、俺たちが通路へ出たところで医療用アンドロイドが来た。
「負傷者を確認。医療区画へ搬送します」
俺とレンナは、それぞれ担架に乗せられた。機械の車輪が床の継ぎ目を越えるたび、肩や脇腹に痛みが響いた。レンナは隣の担架から、何か言いたげにこちらを見ていたが、俺は返事をする余裕もなかった。
医療区画で検査を受けた結果、俺は全身を打撲し、傷も多く、しばらく入院することになった。血が足りないのか、頭を起こすと視界がふらつく。医療用アンドロイドは安静にしろと繰り返した。
翌朝、食事を済ませた頃、レンナが病室にやってきた。
顔色はよく、歩き方にもおかしなところはない。電撃はぎりぎりで避けられたらしく、検査にも異常はなかったそうだ。
俺はぼんやりする頭をなんとか動かし、声をかけた。
「元気そうで何より」
「あなたよりはね」
軽い調子で返され、俺は少しだけ笑った。
俺たちはリリアのことには触れなかった。しばらく一緒に過ごしたが、俺の検査の時間が近づくと、レンナは椅子から立ち上がった。
「またね」
「ああ、また」
彼女はそれだけ言って帰っていった。
午後四時か五時頃、今度はイリヤと飛行隊の仲間たちが見舞いに来た。イリヤは手に持ったタブレットを、俺の枕元へ差し出した。
画面には、昨日のパレードの記事が出ていた。
『愛の大脱出劇!』
『愛憎入り混じる大波乱!』
『愛する人を救うための悲劇!』
『愛の奇跡は起きたのか――』
見出しを追ううちに、俺はタブレットを押し戻したくなった。よくもまあ、そこまで言葉を並べられるものだ。
「よく書けてるだろ」
イリヤが言った。
「どこがだ」
「愛の奇跡だってよ」
小隊の仲間たちも、好き勝手にからかってきた。誰かは「レンナさんのために命を賭けた隊長」と言い、誰かは「これで二人は結ばれるんですか」と聞いた。
「レンナはうちの大事な整備士だからな! そんな愛だのじゃない!」
俺は、つい声を大きくしていた。
その時、病室の入口にレンナが立っていた。
彼女は何も言わずに近づき、怪我人の俺の腹を殴った。
息が詰まり、傷に響く。
「……腑に落ちないな」
「そう?」
レンナは平然と答え、空いた椅子を引いた。仲間たちは、さっきより楽しそうに笑っていた。
イリヤたちはしばらくして病室を出ていった。仲間たちの声が廊下の向こうへ遠ざかり、部屋に二人きりになる。
レンナは椅子に座ったまま、格納庫で起きた小さなトラブルや、食堂の合成肉がいつもよりひどかったことを話した。俺はベッドに横になったまま、静かに相槌を打った。
レンナはその後も、毎日見舞いに来てくれた。
特別な話をするわけではない。格納庫で誰が工具をなくしたとか、食堂で誰が配給の酒を取り合ったとか、そんな話だった。俺は寝台の上で聞き、時々相槌を打った。
話の途中で、彼女が黙ることもあった。俺も無理に言葉を探さなかった。
そういう時間を守れたのなら、あの時、頑張った甲斐はあったのかもしれない。
リリアについては、その後も姿が見えないままらしい。
放送されたパレードの映像では、リリアが運営に救出された場面が完全に隠されていた。生放送でも、レンナを救出した後のリリアの生還は映されなかった。俺が迷路を走り、猟犬を破壊し、レンナを抱き寄せる場面ばかりがダイジェストとして繰り返し流されていたらしい。リリアの件には、まったく触れられていなかった。
おかげで、レンナは男に言い寄られることが減ったという。
「私に手を出したらレンに殺される、って空気になったらしいわ」
「誰がそんなことを言ったんだ」
「知らない。でも、みんなそう思ってるみたい」
彼女はそう言いながら、整備記録を確認していた。俺は、その横顔を見ていた。
俺は二週間で退院した。
退院手続きを終えたところで、運営側の人間が迎えに来た。行き先は告げられず、俺はそのまま連れていかれた。エースパイロットラウンジを通り抜け、その奥にある運営エリアへ入る。
案内された部長室には、すでにレンナがいた。ソファに座り、膝の上で両手を組んでいる。
部屋の奥には大きな机があり、その手前に黒い革張りのソファが向かい合わせに置かれていた。机のそばに立っていたのは、興行運営部長のセヴェリン・クロイツだった。六十代後半。白髪をきっちりオールバックにし、年齢を感じさせない壮健な体つきをしている。隙のないスーツを着込み、片手にはブランデーグラス、もう片方には火のついた葉巻を持っていた。
俺が入ると、クロイツはグラスを置き、葉巻を指に挟んだまま両腕を大きく広げた。歓迎するような笑顔だった。
「よく来てくれた、レン君。体調はどうかね? レンナ君の横に座ってくれたまえ」
俺はレンナの隣に腰を下ろした。クロイツはブランデーグラスを手にしたまま、向かい側の黒い革張りのソファへ移り、ゆっくりと腰を下ろす。葉巻を指に挟み、俺たちを眺めた。
「さて。今回のパレードについてだが、まずは謝罪させてもらおう」
クロイツは葉巻をくゆらせてから、ブランデーをひと口飲んだ。
「命は等しく尊い。同じ命を賭ける以上、参加者が背負う危険も等しくなければならない。今回の企画は、その平等性を欠いていた」
俺たちの命を賭けにしたことではなく、賭けの条件が公平でなかったことを謝っている。
俺たちは会社の所有物だ。その男が「命は等しく尊い」と語るのを、俺は黙って聞いていた。
部屋の隅に立つアンドロイドが端末を操作した。壁面モニターに、企画部の課長の顔写真と処分内容が表示される。
「企画を立てたのは、企画部の課長だ。現地へ武装したチームを連れて現れ、リリア君を救出した男だな」
クロイツはモニターを見上げ、葉巻の煙を吐いた。
「彼はリリア君に惚れ込んでいた。リリア君が嫌っていたレンナ君を消し、リリア君には自分が救い出したと思わせる。そして、彼女に良く思われる。それが裏の狙いだった。あわよくば、レン君。君も殺したかったようだ」
「それを知っていて、開催したんですか」
レンナが聞いた。
「企画の全体像を把握していた者は限られていた。運営としての監督が足りなかった。その点は認めよう」
クロイツはグラスを傾け、ブランデーを舌の上で転がすように間を置いた。
「課長は、レン君がリリア君ではなくレンナ君を選ぶと見込んでいた。リリア君を救いたい男たちは、君がレンナ君のもとへ向かうのを止める。つまり、君一人がほかの参加者全員と敵対する構図だ」
「俺がリリアを選んでいたら?」
「男たちの目的と重なり、争いの形は変わっていただろう。でもリリア君に好かれている君を公然と殺す機会を逃す程、他の者達も殊勝でもあるまい」
クロイツは俺に視線を戻した。
「そして課長は、君がレンナ君を選ぶ可能性を高く見積もっていた。だからこそ、あの構図を作ったのだろう。リリア君に好かれるためというだけで、レン君とレンナ君を排除しようとした」
「ゲーム性として問題があった。賭けとしても成立していない。勝敗の見込みが偏りすぎていた。公平性を欠いたことについては、申し訳なく思っている」
「俺たちが殺し合わされたことについては?」
俺が聞くと、クロイツはわずかに眉を動かした。
「それは興行の前提だ」
「そうか」
レンナの組んだ手に力がこもった。
クロイツは葉巻を灰皿に置き、再びブランデーを飲んだ。それから姿勢を少し正し、俺を見た。
「ただ、レン君の今後には期待している。前回のバトルロワイヤル、そして今回のパレードを経て、レン君の人気は右肩上がりだ。視聴者の反応も、賭けの数字も明らかに伸びている」
「人気が出たから、死なせないんですか」
「それも含めて、今後の扱いを検討する材料になる」
クロイツはグラスを置き、葉巻を取り上げた。
「レン君にはエースとして、これからも興行を支えてもらいたい。何か要望があれば言ってみたまえ。居住区や食事、訓練環境、機体のことでもいい。可能な範囲で考えよう」
「レンナの安全を保証できますか」
レンナが俺を見た。クロイツはすぐには答えなかった。
「今回のような形で、レンナ君をパレードの対象にすることはしない」
「それは保証とは言わない」
「運営として、レンナ君を不当に危険にさらすことは避ける」
「運営が危険を決めているのに?」
クロイツは返事をせず、葉巻をくゆらせた。
俺は、それ以上求めなかった。ここで口にした要望が、いつか別の興行の材料になるかもしれない。
クロイツは話を戻した。
「もっとも、レン君が勝ったことで大穴が発生した。運営は大きく儲かったよ。実に見事な戦いだった」
クロイツは片手で拍手をした。
謝罪の言葉と称賛の拍手が、同じ口から出てくる。俺たちの命は不平等な形で賭けられ、レンナは電流を受けかけた。その不平等を覆すような予想外の結果が出たことで、運営は利益を得たらしい。
「課長は始末書を書き、異動、減給、降格処分を受けた。今後、君たちに直接手を出すことはない。安心してほしい」
「それで終わりですか」
レンナが静かに尋ねた。
クロイツは返事をせず、端末を操作した。
壁面モニターに、比較的豪勢な部屋が映った。広い寝台、柔らかな椅子、酒の瓶。これまで俺たちが住んでいた部屋とは違う。だが、その中央にいるリリアは一人きりだった。
壁には、記号の並んだシフト表が掲げられていた。
運営側の男たちが、その時間に部屋を訪れ、リリアと過ごす。そういう仕組みだとクロイツは説明した。福利厚生の一環として、運営側の男性に提供されるのだという。
俺はすぐには言葉を返せなかった。
俺たちの命を賭けにした課長は、降格と減給で済む。リリアの人権は、福利厚生の項目として処理される。
何か言うべきだと思った。怒るべきだと思った。けれど、その場で言葉にすれば、何かが変わるのか。俺たちがここで何を言っても、運営の仕組みそのものは残る。
レンナも黙って画面を見ていた。握った手に力が入っていた。
報告が終わると、クロイツは俺たちを部屋から退出させた。
部長室を出てから、俺たちは一緒にレンナの部屋へ戻った。
扉が閉まると、レンナはしばらく黙っていた。やがて、握りしめていた手を開き、吐き出すように言った。
「こんなの、間違ってる」
俺は答えを探した。
部長の言葉を否定することはできる。リリアの扱いに怒ることもできる。けれど、俺が何を言ったところで、運営のやり方は変わらない。会社の所有物として俺たちの命を扱いながら、平等や尊さを口にする連中が、明日から急に変わるはずもなかった。
レンナの隣に座ったまま、俺は何も答えられなかった。




