教官どの様 序
施設から新人たちが第三要塞に到着して、まだそれほど日が経っていない。
訓練施設にいた頃、俺は良かれと思って本気で指導した。教官と呼ばれても、特に違和感なく接していた。
まさか、ここで「教官呼び」の恐ろしさを思い知らされるとは思わなかった。
格納庫へ向かう廊下で、背後から声をかけられた。
振り返ると、訓練施設で指導した新人たちが立っていた。今は別の飛行隊に配属されている。
「レン教官、おはようございます!」
「ここでは隊長だ。……それで、朝からどうした?」
「格納庫へ向かうところです。教官にお会いしたので、ご挨拶を」
「そうか。新しい隊には慣れたか?」
「はい。まだ覚えることは多いですが、少しずつ」
「ならよかった。困ったことがあれば、今の隊長にまず相談しろ。俺に聞きたいことがあるなら、その後だ」
「はい、レン教官!」
「……隊長だ」
新人たちは顔を見合わせ、苦笑しながら敬礼した。
別の飛行隊に配属された元教え子たちは、俺たちを見かけるたびに声をかけてくる。
「イリヤ教官、おはようございます!」
「リン教官、昨日の訓練のことで質問があります!」
「ネッサ教官、僚機との距離について相談してもいいですか?」
どこを歩いても、教官、教官、教官。
俺の飛行隊に配属されたセリーナたちは、俺を「レン隊長」と呼ぶ。だが、別の飛行隊に配属された新人たちは、訓練施設にいた頃の呼び方を変えられないらしい。
それを聞いた他の要塞の連中まで面白がり、「レン教官様」「レン教官どの」とからかうようになった。
「レン教官様、お通りだ」
廊下ですれ違った第八要塞の隊員が、芝居がかった調子で頭を下げた。
「レン教官どの、今日もご指導ですか?」
別の隊員まで乗ってくる。
俺は足を止めずに通り過ぎた。背後から笑い声が聞こえる。
「おい、レン。人気者だな」
隣を歩くイリヤが言った。
「笑うな」
「いや、すまない。訓練施設の時から呼ばれていたんだ。今さら変えるのも難しいだろう」
「お前はどうなんだ。イリヤ教官と呼ばれて平気なのか?」
「俺は聞き流している」
「それができれば苦労してない」
リンも、別の飛行隊に配属された元訓練生を連れて格納庫へ入ってきた。
「リン教官、昨日の格闘訓練で教わった動きなんですけど――」
「ここでは小隊長だよ。リンでいい」
「でも、訓練施設で教わった時の呼び方が、どうしても抜けなくて」
リンは一瞬だけ口元を緩めた。
「……まあ、無理に直さなくてもいいけどね。それで、質問は?」
訓練生は質問を済ませると、礼を言って格納庫を出ていった。
リンはその背中を見送り、俺に目を向けた。
「教官って呼ばれるの、そんなに悪くないかもね」
「さっきは『リンでいい』って言ってただろ」
「呼び方くらい、好きにさせておけばいいじゃない」
「お前、まさか変な癖に目覚めてないだろうな」
「何の話?」
「いや、こっちの話だ」
ネッサも似たようなものだった。
「ネッサ教官、連携訓練の時に僚機が遅れたら、どう対処すればいいですか?」
「まずは遅れた理由を確認する。機体の問題か、判断の遅れか、それとも通信の聞き違いか。置いていくのは最後の手段よ」
「ありがとうございます、ネッサ教官!」
「……ネッサでいいわ」
彼女は穏やかに答えたが、訓練生が去った後に小さく息をついた。
「何度も呼ばれると、ちょっと落ち着かないね」
「リンみたいに喜んでいるよりはいいだろ」
「誰が喜んでるって?」
リンがすぐに振り返った。
「お前だ」
「聞き捨てならないね」
「さっき、悪くないと自分で言っていただろう」
小隊のメンバーやマルクは「先輩」呼びなので、被害は少ないらしい。俺や他の小隊長たち――マルクを除く――にとっては、悩みの種の一つになっていた。
ただし、ルイスだけは一度、俺を「レン教官」と呼んだ。
「レン教官、今日の訓練記録なんですが」
俺は笑顔で振り返った。
「ルイス。今、何と呼んだ?」
彼はすぐに、しまったという顔をした。
「レン隊長です」
「いや、聞こえたぞ」
「訓練施設の時の癖で……」
「そうか。癖なら仕方ないな」
俺は笑顔のまま、彼の肩に手を置いた。
「少し付き合え」
「どこへですか?」
「近接格闘技の訓練場だ」
「えっ、記録の確認は?」
「その後だ」
ルイスは助けを求めるように周囲を見たが、誰も目を合わせなかった。
イリヤは端末を見つめ、リンは口笛を吹き、ネッサは何も見ていないふりをしている。
「ちょっと待ってください、隊長!」
「大丈夫だ。訓練施設で教えたことを、忘れていないか確認するだけだ」
「それ、絶対に大丈夫じゃないですよね!」
その日、ルイスは近接格闘技の基本をみっちりやり直した。
それ以来、俺の飛行隊の隊員が俺を「教官」と呼ぶことはなくなった。
*
そんなことをぼやきながら、格納庫で水を飲んでいた時だった。
「レンナさん、工具の貸し出し記録を確認していただけますか?」
「はい。今確認するわね」
「ありがとうございます、レンナさん」
訓練施設から来た新人の一人が、レンナに丁寧に頭を下げていた。
別の新人も、彼女を見つけると自然に声をかける。
「レンナさん、昨日教えていただいた機体の振動の話、もう一度聞いてもいいですか?」
「もちろん。乗った後に気づいたことを、忘れないうちに記録しておくのよ」
「はい、レンナさん」
俺たちは教官呼びなのに、レンナだけが「さん」付けで呼ばれていた。
今回配属されたのは、十五、十六歳の戦闘員たちだ。レンナが中心になって教えていた整備士科の訓練生ではない。彼らにとって、レンナは整備のお姉さんで、俺のお手伝いさんという認識らしい。
俺は水のボトルを持ったまま、その光景を眺めていた。
「何をそんなに見ているの?」
レンナが俺に気づき、近づいてくる。
「いや、別に」
「そう? さっきから、ずいぶん不満そうな顔をしていたけれど」
「俺たちは教官呼びで、レンナだけさん付けなんだなと思ってな」
「それがどうかしたの?」
「別にどうもしない」
「ふうん?」
レンナは俺の顔を覗き込むようにして、にこにこと笑った。
「レン教官どの様よ、なにかね?」
俺は飲んでいた水を吹き出した。
「ゴホッ、ゴホッ!」
「大丈夫?」
レンナは笑いながら、俺の背中を叩く。
「お前、どこでそんな呼び方を覚えたんだ」
「さっき、廊下で聞いたの。レン教官様とか、レン教官どのとか」
「それを混ぜるな」
「でも、似合っているわよ。レン教官どの様」
「来年からの新米整備士の配属が楽しみだな」
俺がそう言うと、レンナは笑顔を止めた。
「……どういう意味?」
「今の俺たちを見て、自分が整備士の新人からどう呼ばれるか考えてみろ」
彼女は少し考え、格納庫で工具を片づけている整備士たちを見た。
それから、訓練施設で整備士科の訓練生たちに囲まれていた自分の姿を思い出したらしい。
「やめて。今から考えたくない」
レンナは頭を抱えた。
俺はようやく水を飲み直した。
*
俺の小隊も、他の小隊も連携訓練を重ねていた。
三か月間、俺たちが直接指導してきた訓練生たちだ。俺たちの運用にも最初から慣れていて、飛行連隊の一員として自然に動けるようになっていた。
訓練の合間、俺はセリーナを呼び止めた。
「セリーナ。今回、俺の教室の訓練生ばかりが配属されたのは、お前のおかげか?」
「そうですよ?」
彼女は何でもないことのように答えた。
「せっかくならと思って、お土産です」
「土産って、訓練生を連れてくることか?」
「はい。レン教官の教え子たちですから」
「お前な……」
セリーナは悪びれず、にこりと笑った。
「皆さん、レン教官たちの指導を受けたがっていましたよ」
「お前は、俺を隊長と呼んでるだろ」
「そうでした。レン隊長」
セリーナは、わざとらしく言い直した。
その話を聞いたイリヤが、すぐに彼女の肩を軽く叩いた。
「イリヤ、お前は強くなるな」
「ありがとうございます、イリヤ教官」
「俺も教官なのか」
「訓練施設で指導していただきましたから」
イリヤはますますセリーナを気に入ったようだった。
俺も舌を巻かずにはいられなかった。運営に交渉して自分の異動を通したうえに、教え子たちまで連れてきたのだ。これからどんな隊員になるのか、楽しみでもあり、少し不安でもある。
*
興行は再開されていた。
第三要塞の他の飛行連隊は次々と出撃し、元訓練生たちも初陣を重ねていく。
もちろん、元訓練生の中には未帰還となる者もいた。
出撃前には緊張した笑顔を見せていた新人が、帰投の名簿に載らない。そんなことが繰り返された。
格納庫で、レン小隊の新人二人が帰還した機体を見つめていた。
一人は、ヘルメットを外したまま固まっている。もう一人は、手袋を握りしめていた。
「……あの人、朝まで元気でした」
「そうだな」
「次は自分たちかもしれないんですよね」
俺はすぐに答えなかった。
彼らの見ている先では、整備士たちが機体の損傷を確認している。帰ってこない元訓練生の機体もあった。帰還者の名前だけが点呼されていた。
「だから今を大切にしておけよ」
俺は二人に言った。
「仲間と話せる時間も、飯を食う時間も、次の訓練もだ。戦場に出たら、いつものことがいつまでも続くとは限らない」
二人は黙って頷いた。
「怖いです」
「怖くていい。怖くないふりをして、周りが見えなくなる方が危ない。怖いなら通信をしろ。自分の状態も、仲間の位置も、声に出して確かめろ」
「はい、レン隊長」
「それでいい」
*
俺たちは他の飛行隊に配属された元訓練生から、ちょこちょこ相談を受けていた。
「レン教官、食堂の飯がまずいんです」
「それは俺に言われても困る」
「でも、前の食堂より味が薄くて」
「塩を足せ」
「レン教官、上司が怖いです」
「何をされた?」
「朝、挨拶したら返事がありませんでした」
「それは、怖いというより忙しかったんじゃないか」
「そうでしょうか」
「次に会った時、もう一度挨拶してみろ」
しょうもない相談も多かった。
寂しい。好きな子がいる。手紙を出したい。食堂の席がいつも埋まっている。
そんな話でも、ひとまず聞いてやる。
だが、飛行隊の中で自分の戦い方がうまくいかないという相談は別だった。
ある日、訓練施設で教えていた少年が、食堂の隅で俺を待っていた。
「レン教官、相談があります」
「ここでは隊長だ。どうした?」
少年は、少し言いにくそうに口を開いた。
「今の小隊だと、自分の動きがうまくいかなくて……前に出るなと言われるんです。でも、敵が近づいてくるのを見つけると、先に進路を塞ぎたくなります」
「お前は接近に気づくのが早い。前に出るのが問題なんじゃない。小隊長へ報告する前に動いてしまうのが問題だ」
「でも、報告していたら間に合わないこともあります」
「だから、報告しながら動く訓練をすればいい。今の小隊長に話しておく。お前の得意な動きを使える形にしてもらおう」
翌日、俺はその飛行隊の隊長を訪ねた。
「こいつは敵の接近を早く見つける。進路を塞ぐのも得意だ。ただ、判断を一人で抱え込む癖がある。報告を続けながら動く訓練を組んでやってくれ」
「なるほど。本人からは、ただ前に出すぎると聞いていた」
「強みまで止めるな、もったいないだろ。動きの理由を聞いて、活かし方を考えてやってくれ」
隊長は訓練記録を見ながら頷いた。
その様子を見ていた別の要塞の隊員が、感心したように言った。
「レン、お前、外の就職担当の先生みたいだな」
「誰が先生だ」
「訓練生の適性を説明して、配属先に話をつけて回っている。どう見ても就職担当だろ」
「そんなつもりはない。せっかく教えたんだから、本人の得意なことを活かしてほしいだけだ」
「それを先生って言うんじゃないのか?」
返す言葉が見つからなかった。
*
そんなふうに日々を過ごしていると、俺たちにも唐突に興行への出撃命令が来た。
初陣を迎える訓練生が多いからか、運営にしては珍しく数日前に連絡をよこしていた。
【五日後、護衛任務。輸送船団を所定の宙域から所定の宙域まで護衛】
【交戦相手、第九要塞】
今回は俺の飛行隊だけではない。四つの飛行隊が合同で、大隊二つ分の戦力を出す中規模作戦になるらしい。
俺はブリーフィングルームに飛行連隊の全員を集めた。
新人たちは、いつもより静かだった。前の席ではセリーナが背筋を伸ばし、その隣でルイスが端末のメモ欄を開いている。エリサは壁際に立ち、全員の様子を見ていた。マーカスは腕を組み、黙って地図を待っている。
「今回の任務は、輸送船団の護衛だ。五日後に出撃する。相手は第九要塞。俺たちだけじゃなく、四つの飛行隊が合同で動く」
ざわめきが広がった。
「輸送船団の規模は?」
エリサが尋ねる。
「詳細はこれからだ。イリヤ、説明を頼む」
イリヤが宙域マップを表示した。
「護衛経路はここからここまで。途中に小惑星帯がある。船団の速度に合わせる必要があるから、俺たちが先行しすぎると護衛範囲に穴が開く」
彼は航路上の数か所を示した。
「第九要塞側が狙うなら、進路が狭くなるこの宙域が有力だ。視界が遮られ、船団の隊列も乱れやすい。複数方向から接近された時、どの小隊がどこを受け持つか、事前に決めておく」
「正面から敵が来たら?」
ルイスが尋ねる。
「まずは距離と数を報告する。自分だけで追わない。護衛対象を見失ったら、撃墜数を稼いでも任務失敗だ」
イリヤの言葉に、ルイスは小さく頷き、端末へ書き込んだ。
「質問はあるか?」
俺が尋ねると、訓練生たちは互いの顔を見た。すぐに手を挙げた者はいなかった。
「初めての任務だから、分からないことがあって当然だ。遠慮せず聞け」
一人の新人が手を挙げた。
「護衛中に、僚機が撃墜されたらどうすればいいですか」
「まず報告。次に、自分の持ち場を維持できるか判断する。助けに行くかどうかは、隊長の指示を待て。勝手に隊形を崩せば、ほかの仲間まで危険にする」
その新人は緊張した顔で頷いた。
隣にいたもう一人が、声を絞り出すように尋ねる。
「もし、自分が撃たれたら?」
「通信を切るな。機体の状態と位置を伝えろ。最後まで仲間が判断できる情報を出すんだ」
俺は一人ずつ顔を見た。
モニターで撃墜を見てきた彼らにとって、初陣は訓練の続きではない。目の前で撃たれた人間は、本当に帰ってこない。彼らもそれを分かり始めていた。
「怖いか?」
「……はい」
セリーナが正直に答えた。
「怖くないと言ったら嘘になります」
「それでいい。怖さを忘れるな。怖いから確認する。怖いから報告する。怖いから仲間の位置を見る。恐怖で固まるんじゃなく、動くために使え」
俺は机に手を置いた。
「あまり緊張するな、とは言わない。緊張して当然だ。いつも通りに飛べ。通信を忘れるな。仲間のために、生き残るために飛べ」
新人たちは真剣な表情で頷いた。
ブリーフィングが終わると、彼らは小隊ごとに集まり、地図を見ながら話し始めた。エリサはレン小隊の新人二人へ、護衛時に僚機を守る位置取りを説明している。ルイスは速度変化への対応を確認し、分からない点を自分だけで抱えず、先にエリサへ尋ねていた。
「分からなければ、すぐ聞いていい。出撃してから遠慮される方が困る」
エリサの言葉に、二人は何度も頷いた。
ノア・ベネットは、細身で淡い金髪を短く整えた十六歳の少年だ。口数は少ないが、指示をよく聞き、訓練記録も丁寧につける。
イーサン・リベラは、日に焼けた肌に癖のある濃い茶髪の十六歳。人懐っこく、反応が速い。訓練施設での反復を通じて、敵機を見つけても単独で追わず、まず報告して味方の配置を確認する動きを身につけていた。
「イーサン、敵を見つけたら、最初に何をする?」
エリサが尋ねる。
「位置、数、進路を報告します。その後、隊長の指示を確認します」
「よし。ノアは?」
「エリサ先輩の援護位置を保ちます。射線ができたら、敵の逃げ道を塞ぎます」
「それでいい」
この二人には、エリサが僚機を守りながら射線を作る動きと、ルイスが得意とする速度変化の読みを組み合わせた訓練をさせていた。
イーサンの反応の速さで敵の接近を早く捉え、ルイスが敵機の速度や進路を報告する。ノアはエリサの援護位置を保ちながら、敵の逃げ道を塞ぐ。四人が連携できれば、敵を追い回さずに誘導し、エリサの射線へ押し込む戦い方ができる。
そのための訓練を、俺たちは繰り返していた。個々の腕だけに頼らず、報告と位置取りで互いの動きをつなぐ。二人の反応の速さや慎重さが、小隊の連携に活きるようにするためだ。
その様子を見て、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
五日後、俺は新人たちと死線をくぐりに行く。彼らは俺を隊長と呼ぶ。別の飛行隊に配属された元教え子たちは、まだ教官と呼ぶ。
どちらに呼ばれても、戦場で俺が返す言葉は変わらない。
全員で帰ってくる。




