第02話 軋む迷宮
ある程度の話数までは書き溜めてます。
翌朝の空は、よく晴れていた。
まだ夜明けの藍が残る時刻だというのに、ラドフェンの街はもう動きはじめている。パン屋の煙突からは白い煙が上がり、井戸端では女房たちが桶を鳴らし、荷馬車が石畳をがたごとと揺らしていく。その雑踏を抜けて、レンとルカは南門へと向かっていた。
「ふわ……あー、眠ぃ」
ルカが、大あくびをしながら耳を垂らす。犬に似た茶色の獣耳が、寝起きのせいで、いつもより力なく寝ていた。
「ゆうべ、遅くまで飲んでたろ、お前」レンが、横目でにやりとする。「夜中遅くに、宿に帰ってきやがって」
「……起きてやがったのか」ルカは、ばつが悪そうに耳をぱたつかせた。「いいじゃねえか、たまには。おかげで今日は絶好調だぜ。……あくびが」
「絶好調のあくびがあるか」
軽口を叩き合いながら、二人は南門へと向かう。早立ちの理由なんぞ、いまさら口にするまでもない。朝のうちに潜って、日のあるうちに出る。何百回と繰り返してきた、体に染みついた段取りだ。ただ、ルカはいつも、こうしてひと言ぼやかないと目が覚めないだけだった。
「にしても、地味な仕事だよなあ」ルカが、うーんと伸びをする。「浅層の様子見なんて、おれたちにとっちゃ、あくびもんだぜ。パーッと稼げる派手なやつ、なかったのかよ」
「派手なやつは、装備が揃ってからだ。今の得物じゃ、親父に引導渡されてんだよ」
「はいはい、剣の金策ね。……ま、相棒がやるってんなら、付き合うけどさ」
門番に手を挙げてみせると、顔なじみの兵士が「よぉレン、また金策か」と笑って通してくれた。この街では、レンの顔はどこへ行っても割れている。
――と、そこで、レンの足が止まった。
門のすぐ内側。まだ人けのまばらな街道の端に、三人の若い連中が、所在なげに固まっていた。
***
ひとりは、まだ十五かそこらの少年だった。
背丈だけはひょろりと高いが、体つきはまるで子どもで、その細い背に、身の丈ほどもある大剣を負っている。剣の重さに引きずられそうになりながら、それでも懸命に胸を張っているのが、なんとも危なっかしい。名前は、ノルドというらしい。
その隣には、小柄な少女がいた。木の杖を両手で握りしめ、大きな瞳をきょろきょろと落ち着きなく動かしている。何かに怯えているというより、緊張しすぎて体が固まっている、という風だった。ミラ、と少年が呼んでいた。
そして最後のひとり。二人より少し年上に見える、痩せた娘だ。ネル、というその娘だけは妙に落ち着いていて、腰に括りつけた革袋から、こぶし大の石をいくつも取り出しては、掌の上で転がして重さを確かめていた。
三人とも、装備は真新しい。真新しすぎる。傷ひとつない革鎧に、まだ油の匂いが残っていそうな得物。ひと目で、ギルドに登録したてのひよこだと知れた。等級で言えば、五級。冒険者の等級のいちばん下――駆け出しにすら、まだなっていない連中だ。
「よォ、坊主たち。こんな朝早くから、遠足かい」
からかい半分に、ルカが声をかけた。ノルドが、びくりと肩を跳ね上げる。
「ち、違います! おれたち、依頼を受けて……その、ラドフェン迷宮に」
「迷宮?」ルカの耳が、ぴくりと立った。「お前ら、五級だろ。何の依頼だ」
「え、えっと」ノルドが、握りしめた一枚の紙を、おずおずと差し出す。「これ、なんですけど……」
受注確認書だった。依頼を受けた冒険者に、ギルドが手渡す控え。剥がした依頼票の代わりに、簡単な依頼の中身が、そこに書き写されている。その一枚を覗き込んだ瞬間、レンとルカは、思わず顔を見合わせた。
――浅層の採取と調査。
昨日、レンがマーゴから受けたのと、同じ依頼だった。近ごろ魔物の出が変だという、あの、きな臭い仕事だ。もとの依頼票は掲示板に貼り出され、複数の一党が受けられる口だったのだろう。だから、レンたちとこのひよこたち、両方の手に確認書が渡っている。珍しくもない、複数受注可の依頼だ。ダブルブッキングというわけではない。ただ――こんな三羽の手にまで渡っちまったのが、問題だった。
「おいおい、坊主」レンは、こめかみを押さえた。「この依頼、誰が受けろって言った」
「だ、誰も……。掲示板に貼ってあって、割がよさそうだったから、みんなで相談して……」
「割がよさそう、な」
思わず、深いため息が出た。
浅層の採取依頼そのものは、五級から受けられる。ひよこが小遣い稼ぎに手を出す、ありふれた仕事だ。そこまでは、いい。だが、この依頼にはもうひとつ、「調査」の二文字がくっついている。魔物の出が変だという迷宮を、隅々まで見て回ってこい、という話だ。採取のついで、で済む理屈がなかった。奥まで検分するとなれば、行く先々で湧く魔物との戦いは、避けようがない。つまりこれは、名指しこそされていないが、討伐の伴う依頼なのだ。割増しがついているのも、そのぶん危ないからにほかならない。楽して稼げる仕事に、割増しなんぞつくものか。本来なら、五級だけに背負わせていい依頼では、断じてなかった。
(……大方、中身もろくに確かめずに受注させた、新入りでもいたんだろうよ)
マーゴの下には、まだ右も左もわからない若い受付が、幾人もいる。そのうちの、おっちょこちょいな一人が、報酬の額と『採取』の文字だけを見て、深く考えずに通してしまったに違いない。そこへ、右も左もわからない五級の子どもが、割のよさに釣られて飛びついた。断れ、と言うのは簡単だった。だが、様子のおかしい迷宮に、こんなひよこ三羽だけで送り込むなど、寝覚めが悪いにもほどがある。
「レン」ルカが、横から小声で言った。「これ、放っとけないやつだろ」
「……ああ。放っとけねぇやつだ」
わかっていた。わかっていて、それでも一拍、天を仰いだ。金策のはずの割のいい仕事が、いつのまにか、子守り付きの割の悪い仕事に化けていく音がした。
「おい、坊主たち」レンは、腰に手を当てて三人を見下ろした。「その依頼、オレたちも受けてる。同じ迷宮の、同じ層だ。……仕方ねぇ。オレたちと一緒に来い。勝手にちょろちょろされて死なれるより、よっぽどマシだ」
三人の顔が、ぱっと明るくなった。
「い、いいんですかっ!?」ノルドが、大剣を背負ったまま、ぶんぶんと頭を下げる。「ありがとうございます、先輩!」
「先輩じゃねぇ。……レンだ。そっちの犬っころは、ルカ」
「犬っころは余計だぜ」
と、そこでノルドが、はっと何かに気づいたように、慌てて姿勢を正した。
「あっ、す、すみませんっ! おれたち、まだ名乗ってもいませんでした……! お、おれ、ノルドです! ノルド・ブラント!」
弾みで背の大剣がぐらりと傾ぎ、少年は慌ててそれを担ぎ直す。つられるように、小柄な少女も、杖を抱えたままぺこりと頭を下げた。
「ミ、ミラ・レント、です。よろしく、お願いします……っ」
最後に、痩せた娘が、ぼそりと名乗った。
「……ネル。ネル・トレイス」
三人とも、ぎくしゃくと、けれど懸命だった。レンは、その律儀さに、つい口の端をゆるめる。
「おう。ノルドに、ミラに、ネルだな。……覚えた」
こうして、割のいいはずだった浅層調査は、五人の隊列になった。
――どうして、こうなった。
レンは内心で、もう何度目かわからないため息をつきながら、街道の先へと足を向けた。
***
迷宮までは、街道を南へ、二時間ほどの道のりだ。
朝露に濡れた街道は、はじめのうちこそ畑や牧草地のあいだを縫っていたが、やがて人家も途切れ、道の両脇には丈の高い草と、まばらな灌木ばかりが続くようになった。この道の先に、街ひとつ吞み込めるほどの迷宮が口を開けているとは、のどかな朝の景色からは、とても信じられない。
この距離には、意味がある。
もし迷宮の奥で魔物が溢れ出す――氾濫が起きたとき、この二時間ぶんの道のりが、街にとっての命綱になる。入り口の異変に気づいてから、伝令が走り、鐘が鳴らされ、門が閉ざされ、兵が並ぶ。その支度を整える猶予を、この距離が稼いでくれる。だから昔の人間は、迷宮のそばに街を築かなかったのだ。
もっとも、そんな理屈を、はしゃぐ子どもらに説いて聞かせる気は、レンにはなかった。
「うわあ、道、長いですねえ!」ノルドが、大剣を背負い直しながら、少しも疲れた様子を見せずに歩く。「でも、なんかわくわくします。おれ、迷宮に入るの、初めてで」
「初めてかよ」
「はい! でも、いつかはもっといろんな迷宮にも挑戦してみたいんです。噂に聞く、あの海の迷宮とか!」
その、屈託のない声に、レンは少しだけ、目を細めた。海の迷宮、か。この子は、まだ、足元の迷宮の底の暗ささえ、何も知らない。
「あ、あの」と、後ろから、遠慮がちな声がした。ミラだった。「ル、ルカさんも……魔法使い、なんですよね。その、腰の……杖を見て」
「お、よく気づいたな、ミラちゃん」ルカが、腰に差した短い杖を、くるりと指先で回してみせた。派手な意匠の、それでいて造りのいい一本だ。「そうだぜ。おれは雷が得意でな」
「す、すごい……」ミラは、自分の使い込んだ木の杖を、きゅっと握りしめた。「わたしも、いちおう……水の魔法なら、少しだけ。あとは、火も、ほんのちょっとなら」
「へえ、水と火の二つか」ルカが、意外そうに耳を立てた。「五級で二属性使えりゃ、地味に大したもんだぜ。まあ、おれも人のこた言えねえけどな。得意は雷だが、水も、便利だからちょくちょく使うぜ。火を消したり、喉を潤したり、足場を濡らしたり――地味に、役に立つんだ」
「そんな……。水の玉や、火の玉を、なんとか飛ばすのが精いっぱいで。当てても、魔物を怯ませるくらいにしか、ならないんです。ちゃんと仕留められるような、強いのを……どうしても、思い描けなくて」ミラは、しゅんと肩を落とした。「ルカさんの雷みたいに、ばしっと決められるのは、とても……」
「ああ、それな。わかるぜ」ルカが、うんうんと頷いた。「魔法ってのは、頭ん中で思い描いた通りにしか出ねえからな。『敵をぶっ倒す一撃』ってのを、くっきり思い描けるようになりゃ、威力はあとからついてくる。牽制だって、立派な仕事だ。魔物の足さえ止まりゃ、こっちが斬り込める。……おれだって、ガキの頃は火花ひとつ出せなくて、しょっちゅう親父に泣かされてたんだぜ? ちゃんと形にできるだけで、上等上等」
ルカが、けらけらと笑う。ミラの強張った顔が、ほんの少しだけ、ほどけた。この軽薄そうな相棒は、こういうとき、妙に人の緊張をほぐすのが上手い。
と、そのルカが、歩きながら懐をごそごそやって、干し肉の切れ端を取り出し、ひょいと口に放り込んだ。
「おい」レンが、じろりと横目を向ける。「それ、道中の食い扶持だろうが。まだ迷宮にも着いてねぇぞ」
「歩くと腹が減るんだよ。ほら、坊主たちも食うか?」ルカは悪びれもせず、新人たちに切れ端を分けてやる。「腹が減ってちゃ、いい魔力は練れねえからな。これも修行のうちだぜ」
「どの口が言うんだ、どの口が」
呆れ声を出しながらも、レンは止めなかった。緊張で強張っていた三人の顔が、こうして少しでもほどけるなら、干し肉の一切れくらい、安いものだった。ノルドが「うまいです!」と目を輝かせ、ミラやネルまでが黙って頬張るのを見て、レンは小さく苦笑した。
ただひとり――そのネルだけは、口を動かしながらも、あまり喋らなかった。
列のいちばん後ろで、周囲の草むらや、時おり道の脇をかすめる小動物の気配に、じっと目を配っている。愛想がいいとは言えないが、その落ち着きは、五級のひよこにしては、いっそ不気味なくらいだった。レンがちらと「疲れてねぇか」と声をかけても、ネルは石を握ったまま、「……平気」と短く返すだけ。それでいて、その視線は、道の先も、木立の陰も、絶えず油断なく撫でている。
愛想はないが、芯は据わっている。三人三様だな、とレンは思った。まっすぐな坊主に、怖がりだが健気な娘に、口数の少ない、よく見ている娘。悪くない組み合わせだ。――生きてさえいれば、いずれ、まともな冒険者になるだろう。
生きてさえ、いれば。
その但し書きが胸をよぎったとき、行く手の丘の斜面に、それが見えてきた。
***
ラドフェン迷宮の入り口は、街の南門から街道を二時間ほど歩いた先、なだらかな丘の斜面にぽっかりと口を開けていた。
石で縁取られた洞穴、というのが、外から見たときの正直な印象だ。だが一歩足を踏み入れれば、その内側が自然の洞窟でないことは、誰の目にも明らかだった。壁も床も、まるで巨大な何かにくり抜かれたように滑らかで、天井には人の手によるものとは思えない規則正しい継ぎ目が走っている。それでいて、灯りもないのに、通路はほのかに明るい。壁そのものが、鈍く光を帯びているのだ。
そして、いっそう奇妙なのは、そのつるりとした壁のあちこちから、苔や、名も知らぬ小さな草が、ぽつぽつと生えていることだった。土もなければ、割れ目もない。まるで初めからそう誂えられたように、滑らかな石肌から、青い葉が覗いている。もっとも、冒険者たちはそれも「迷宮とはそういうもの」と、気に留めはしない。
冒険者たちは、それを「神々の遺した聖なる胎」と呼んで、深く考えない。魔物が湧き、宝が眠り、金になる。冒険者にとって、迷宮とはそういう場所であって、それ以上でも以下でもなかった。
「うわぁ……ここが、本物の迷宮……!」
レンの半歩後ろで、ノルドの声が上ずった。
背に不釣り合いな大剣を負ったまま、目を、これ以上ないほど輝かせている。その隣で、ミラが杖をぎゅっと握りしめ、いちばん後ろでは、ネルが、入り口の石組みを、じっと見上げていた。三人にとっては、生まれて初めて踏み込む、憧れの世界だ。
「はしゃぐのはいいけどな、ノルド」レンは振り返らずに言った。「迷宮は、退屈なくらいがちょうどいい。派手なことが起きるってのは、たいてい、誰かが死ぬってことだ」
「は、はいっ」
「よぉレン、新人相手に、ずいぶんいい格好するじゃねえか」
横合いから、からかうような声が割り込んだ。ルカだ。犬に似た耳をぴくぴくと動かし、尻尾を軽く揺らしながら、慣れた足取りで隣に並ぶ。
「お前が言うな。さっき、干し肉を配って回ってたの、どこのどいつだよ」
「あれは先輩としての、ふるまいってやつだよ。ふ・る・ま・い」
ルカは胸を張ってみせたが、その耳がちょっと得意げに立っているのを、レンは見逃さなかった。口では軽口ばかり叩くが、この相棒も、結局は放っておけない質なのだ。似た者同士だ、と思う。
通路を進みながら、ルカが新人たちに向かって、実戦の心得を垂れはじめた。
「いいか、ここからは本番だ。今日はとにかく、おれとレンの後ろにいろ。前には出るな。おれが魔物を見つけたら、こう、遠くから撃つ。お前らは、それに巻き込まれねえようにだけ気をつけろ。――たとえば、こんな感じでな」
ルカが、左手の杖を軽く掲げる。短く「《雷槍》」と紡ぐと、その杖の先に、細く鋭い雷の穂先が生まれた。ぱちぱちと火花を散らすそれに、ノルドが「おおっ」と歓声を上げ、ミラが息を呑む。道中で聞いてはいたが、実際に間近で見る雷の魔法は、迫力がまるで違った。
「ただし、本気の一発は、ちょいと溜めがいる。その溜めのあいだ、おれは棒立ちも同然でな。剣も強化も、そっちに気を回す余裕がねえ」ルカは、雷を掌の中へふっと掻き消し、隣のレンへ顎をしゃくった。「だからその時間は、こいつが前で稼いでくれる。おれとレンは、そういう組み方なんだ」
「すごい……」ミラが、消えた雷の残光を目で追って、ほうと息をつく。それから、ふと、隣を歩くレンを見上げた。「あの……じゃあ、レンさんは? レンさんは、何を――」
言いかけて、ミラは、はっと口をつぐんだ。
レンには魔法が使えない。それどころか、身体強化すら。魔力を持たない落ちこぼれ。ここへ来る道中の噂話で、彼女もそれを聞き知っていたのだろう。気まずそうにうつむく少女に、しかしレンは、なんでもないふうに笑ってみせた。
「オレは、力ずくだよ。魔力がないぶんな」
嘘ではない。だが、本当でもなかった。
腕の古傷が、ちりりと疼く。血を流し、熱く念じれば湧いてくる、あの熱。熱血の異能。人前でそれを使うたび、周りは決まって、気味の悪いものを見る目になる。だからレンは、よほどのことがない限り、それを使わない。今日のような、退屈で済むはずの浅層なら、なおさらだった。
「身体強化ができなくても冒険者やってる人、おれ、初めて見ました」ノルドが、心底感心したように言う。「かっこいいです、レンさん」
「馬鹿。かっこよくなんかねぇよ。楽して勝てるなら、そのほうがずっといい」
――退屈で、済むはずだった。
***
異変に最初に気づいたのは、レンだった。
魔物が、多い。
浅層は本来、弱い魔物がまばらに湧く程度の、穏やかな層のはずだ。それが、進めば進むほど、遭遇の間隔が縮まっていく。角を曲がるたびに、群れ。行き止まりだと思った先にも、群れ。数だけなら、深層と見紛うほどだった。
最初の一群は、大したことはなかった。
通路の奥から、犬に似た四つ足の魔物が、数体、群れをなして駆けてきたのだ。洞窟狼。この迷宮の浅層では、ありふれた魔物だった。灰色の毛皮に、ぎらつく黄色い目。牙は鋭いが、群れさえ崩せば、三級のレンには物の数ではない。
「下がってろ。すぐ終わる」
レンが一歩前に出た。剣を抜き、腰を落とす。先頭の一体が飛びかかってきたところを、半身でかわし、すれ違いざまに首を刎ねた。返す刃で、二体目の脚を薙ぐ。血の熱は使わない。ただの筋力と、頑丈さと、数え切れない実戦で磨いた勘だけで、十分だった。
「《雷槍》!」
ルカの掌から放たれた雷の穂先が、残った三体目を貫いて、壁に縫い止める。ぱち、と焦げた匂いがして、それきり、静かになった。
あっけないほど、一瞬の出来事だった。
「す、すごい……」ノルドが、剣を抜くことすら忘れて、ぽかんと口を開けている。「一瞬で……」
「これくらい、できて当たり前だ。慣れりゃ、お前らもできる」レンは剣の血を払った。「問題は、これが一群で済まねぇってことだ」
「お、おれも、戦います!」ノルドが、背の大剣に手をかけた。「足手まといには、なりたくないんで」
「気持ちはありがてぇ。だが、いまはまだ下がってろ」レンは、その手をやんわりと制した。「新人がいちばんやっちゃいけねぇのは、功を焦ることだ。……出番が要るときは、こっちから言う。そのときは、遠慮すんな」
「……はいっ」
ノルドが、素直に手を下ろす。言われたことを、まっすぐ呑み込む気質は、悪くない。
だが、その「出番」は、思ったより早く来た。
進めど進めど、洞窟狼の群れは、次から次へと湧いて出た。一群を片づければ、次の角にまた一群。
「なあ、レン」ルカの軽口が、いつのまにか消えていた。「これ……多くねえか? 浅層で、こんなに湧くもんだっけ」
「湧かねぇよ、普通は」
レンは剣を構え直した。額に、うっすらと汗がにじむ。まだ、疲れというほどではない。この湧き方が普通でないことは、腹の底で警鐘が鳴っている。
(……妙だ。多すぎる)
だが、と、レンは思い直した。洞窟狼の一匹一匹は、たかが知れている。数こそ多いが、弱い。ならば――いつまでも後ろに隠しておくより、この機に、ひよこどもへ実戦の味を教えてやったほうがいい。
次の群れの気配が、角の向こうに揺れる。レンは後ろを振り返り、にやりと笑ってみせた。
「よし。――次は、お前らもやってみろ」
「え」新人たちが、揃って目を丸くする。
「いつまでもオレたちの背中に隠れてちゃ、腕は上がらねぇ。安心しろ、危なくなりゃ、すぐ助ける。ノルド、前に抜けてきた一体を、その大剣で受けとめろ。倒せなくていい、足を止めりゃ上等だ。ミラとネルは、援護。お前らの得意なやつで、隙を作れ。……ネル、道を覚えるのも忘れんなよ。真ん中にいろ」
「は、はいっ!」三人の声が、揃って上ずった。
次の群れが、来た。
先頭へルカが《雷槍》を投げて足を止め、その隙にレンが躍り込んで二体を斬り伏せる。だが、横合いから回り込んだ一体が、隊列の後ろへ牙を剥いた。
「ノルド!」
「う、うおおおっ!」
ノルドが、目をつぶらんばかりにして、大剣を振り下ろした。狙いも何もない、力任せの一撃だ。それでも、身の丈ほどの刃は洞窟狼の胴へまともに叩きつけられ、ごっ、と鈍い音とともに、その巨体を横ざまに弾き飛ばした。
「や、やった……!」
「喜ぶな、まだ生きてる!」
のけぞった一体へ、すかさずネルの手から石が飛ぶ。ひゅっ、と鋭く風を巻いて――ただの投石ではない。石の周りに、薄い風がまとわりついていた。ネルの、ささやかな風の魔法だ。石は唸りを上げて洞窟狼の眉間を打ち、獣が短く鳴いてよろめく。
「ミラ、仕留めなくていい、目をふさげ!」
「は、はいっ……《水弾》!」
ミラの杖から、拳ほどの水の玉が飛んだ。威力は、まるでない。だが、まともに顔面へ食らった洞窟狼は、たまらず足を止め、視界を奪われて棒立ちになった。
その一瞬で、十分だった。
できた隙間へレンが踏み込み、一閃。獣が、どうと崩れ落ちる。
完璧な連携、とは、お世辞にも言えなかった。それでも――五人が、たしかに一つの流れになって、群れを捌いていた。
「《雷網》!」
最後に、ルカの網状の雷が、残りをまとめて焼き払う。ぱちぱちと焦げた匂いが、通路に満ちた。
「……やるじゃねえか、坊主たち」ルカが、にっと笑って耳を立てた。「初陣にしちゃ、上出来だ」
新人たちの顔に、恐怖と、それを上回る昂揚が、ないまぜになって浮かんでいた。自分の手で、魔物を退けた。その震える手を、小さな誇りが、たしかに支えている。
だが、レンだけは、笑っていなかった。
(数が異常なだけじゃねぇ。……それに)
彼はふと、通路の壁に目をやった。滑らかな石の壁。継ぎ目の走る天井。いつもの迷宮の風景だ。けれど、この奥へ進むにつれて、壁の滑らかさが、妙に度を増している気がした。まるで、磨き上げたばかりのように。人の手でも、これほど均一にはできまい。
冒険者は、迷宮の壁を「そういうもの」として、いちいち気に留めない。レンも、これまではそうだった。
だが、今日はなぜか、その滑らかさが、うっすらと不気味だった。
「レンさん……」ミラが、杖を握る手を震わせて、小さく言った。「わたし、なんだか……空気が、重い気がします。息が、しづらいっていうか」
「気のせいじゃねぇかもな」レンは短く答えた。「引き返すことも、頭に入れとけ。宝より、依頼の達成より、まず生きて還ることが先だ。……いいな」
新人たちが、こくこくと頷く。さっきまでの、はしゃいだ顔は、もう誰にもなかった。
***
その部屋は、唐突に現れた。
狭い通路を抜けた先が、ふいに開けたのだ。天井の高い、がらんとした円い広間。壁も床も、これまで以上に磨き抜かれて、つるりと光を弾いている。魔物の気配は、ない。ただ、静かすぎるほど静かだった。
「へえ、ずいぶん立派な部屋だなあ」ルカが、きょろきょろ見回しながら、奥へ足を進める。「隠し部屋ってやつか? 宝でも――」
「待て」レンの声が、鋭くなった。「……こんな部屋、あったか? オレは、聞いたこともねぇ」
浅層に、こんな広間があるなど、誰の口からも聞いた覚えがない。だが、確かめようと足を踏み入れた――五人が、部屋の中央に揃った、そのときだった。
足元が、光った。
床一面に、幾何学の紋様が、青白く浮かび上がる。複雑に入り組んだ線が脈打ち、みるみる光を強めていく。
「うわっ……!?」ノルドが、飛び退こうとして、たたらを踏む。だが、紋様は部屋いっぱいに広がって、逃げ場などどこにもなかった。
「これ……っ、やばいやつじゃねえか!?」
ルカの叫びと同時に、レンの全身の毛が逆立った。理屈じゃない。長く命を張ってきた者の勘が、けたたましく警鐘を鳴らす。
「戻れッ! 全員、この部屋から出ろ!」
レンが吼えた、その刹那。
紋様が――目を灼くほどの光で、弾けた。




