第15話 街道の作法
賊は、生きているのが七人。死んだのが十三人。
縄をかけた七人は、次の詰所へ引き渡すことになった。
街道沿いには半日程歩くごとに小さな詰所があって、王の道を守る名目で兵が数人詰めている。捕らえた賊はそこまで運んで引き渡すことができる。
死んだほうは埋める、もしくは燃やして埋める程度のことが暗黙のルールとして存在する。そうしなければ街道沿いに魔物が出現しやすくなってしまうからだ。
「一刻で片づけるぞ」
鍬を配りながらセインが言った。商会の荷馬車には、こういう道具が最初から積んである。
「浅くていい。獣が掘り返さん程度で充分だ」
「いいのかよ、それで」
「よくはないが、この調子だと急いだほうが良かろう」
セインは自分のぶんの鍬を担いで。
「なにかありそうだしのう」
ヨルンのほうに一瞬目をやりながら言った。
人足も出てきて、全員で掘った。
人足とて身体強化は使える。使えるが、強度が低い。鍬の一振りで土を浅く削るのがやっとで、根に当たれば止まる。
冒険者の一振りは、根ごと持っていく。
レンは身体強化を使えない。
それでも、強化を乗せている人足より明らかに力が強かった。鍬は根を断って土へ刺さり、途中で止まることがない。
土は乾いていて硬く、根が多かった。それでも一刻あれば足りた。
七人は、掘っているあいだ俯いて一言も喋らなかった。
自分たちの仲間が埋められていくのを、絶望的な表情をしながらただただ待っていた。
その後、詰所の兵士に盗賊たちを引き渡した。
盗賊たちは一時的に牢に入れられ、巡回している王国の兵士によって馬車で最寄りの街に連れていかれ、犯罪奴隷となる。
その日の夜も襲撃は無かった。
***
三日目の朝は、霧から始まった。
街道の左右が乳色に沈んで、十歩先の荷馬車の輪郭が滲む。馬が落ち着かない。人足が幌の縄を締め直す音だけが、やけに近く聞こえた。
「止まったほうが良いですかな」
ヨルンがセインに訊いた。
「止まらんほうが良いだろう」
セインは即答した。
「どうせ霧は昼前に晴れる。ここで半日潰すほうが高くつく、それに、急いだほうが良いだろう?」
ヨルンへの質問なのか、そうじゃないのかはっきりしない訊きかただった。
「では、参りましょう」
ヨルンもあえてはっきりとは回答しなかった。が、態度が全てを物語っていた。
シドが先導し、霧の中へ一度消えて、しばらくして戻ってきてまた消える。それを繰り返しながら道を確かめていた。
イーナは最後尾で、ときどき立ち止まっては風下へ顔を向けていた。
「なあ、レン」
ルカが小声で言った。
「昨日の今日で、また出ると思うか」
「知らねぇよ」
「おれは出ねえと思うぜ。二十人やられたんだ。しばらくは大人しくするだろ」
もっともだ、とレンも思った。
思ったが、前を歩くセインの背中が、昨日より少しだけ張っている気がした。
霧が微かに薄くなりはじめた頃だった。
「止まれ」
シドの声が、前から短く飛んできた。
車輪の音が順に消えていく。
ベンが前へ出て、それからすぐに手を上げた。
「両脇の茂みだ! 近い!」
霧が仇になった。いや、油断もあったのだろう。
いつもならシドが遠くまで見て回ることができる。
しかし今日は十歩先までしか視界がないのだ。
音での索敵にも限界がある。道の脇の低い茂みへ腹這いで伏せられたら、真横まで気づけないこともある。
「何人だ!」
ベンが怒鳴った。
「わからん!」
シドが弓を引きながら答えた。
「四人はいると思うが、わからねえ!」
荷馬車を寄せる暇はなかった。
草が跳ねて、もう手の届く距離に立ち上がっている。
頭の上で枝が鳴った。
街道へ張り出した枝から、二人。霧を抜けて落ちてきて、幌の上へ降りた。
「散らばるな!」
セインが怒鳴った。
「背中を合わせろ! 馬車から離れるな!」
レンは走った。
遊軍というのは、要するに穴の空いたところへ行く役だ。
穴は前にあった。午睡の三枚の盾が前を塞いでいるが、その横をすり抜けた二人が、幌のほうへ手を伸ばしている。
止める者がいない。
***
抜いた。
鞘から出るときに、音がしなかった。
昨日一日ぶら下げて歩いただけの鞘が、もう手に馴染んでいる。
寸法が完璧なのだろう、抜き方を教わってもいないのに、抜く角度が勝手に定まる。
一人目が振り返った。
振り返る、その動作が遅い。
レンには、それがはっきり分かった。
迷宮で相対する魔物は、こちらが踏み込むより先に動いている。
四腕鬼の四本目は、三本目を落としきる前に迫っていた。
あれに比べれば、この男の体さばきは、水の中を進んで足を取られているのかと錯覚する程だった。
山刀が上がりきる前に、レンは内側へ入っていた。
斬らない。
刃を寝かせて、山刀を握っている手首の内側へ当てる。峰打ちだ。
骨と骨のあいだの、力が抜けるところへ一撃。
山刀が落ちた。
男が痛みに気づくより先に、レンは左手でその胸を押した。
押しただけだが。男は後ろへ三歩ほど吹っ飛び、馬車の側面に背中を強打して止まった。
「じっとしてろ」
言うだけ言って、二人目へ向いた。
二人目は、仲間が武器を落としたのを見ていた。
見ていたのに、動きが変わらない。
変えられないのだ、とレンは思った。
見えてはいる。だが、見えてから体が動くまでが遅い。こいつもまた戦闘慣れしていないのだ。
槍が突き出される。
半歩だけ横へ。切っ先が脇腹をかすめて、そのまま前へ抜けていく。
抜けきったところで、レンは剣を返した。
刃を槍の中ほどへ。
乾いた音がして、槍が二つになった。
男が短い柄を握ったまま固まった。
「……あ……ああ」
「それ、もう槍じゃねぇぞ」
男は柄を捨てて、両手を上げた。
そのとき、頭の上で幌が鳴った。
降りてきた二人は、まだ幌の上にいた。
六台が縦に詰まっているので、屋根が繋がって一本の道のようになっている。
二人とも、こちらを見ていない。
列の前のほうを、上から何かを探すように見下ろしていた。
レンも目で追った。
二台目の脇に、ヨルンが立っている。
人足へ何か指図をしていた。
二人の顔が、そこで止まったことに気づいた。
(荷じゃねぇのか!)
考えるより先に走っていた。
二台目のほうへ、馬車の脇を一直線に。
頭の上を影が越えていった。
屋根から屋根へ跳んでいる。速い。
やはり、一直線にヨルンのほうへ向かっている。
しかし、レンのほうが先に着いた。
「伏せろっ!」
振り返ったヨルンの肩を掴んで、後ろへ引いた。
と同時に一人が短剣を投げたが、それをレンが弾いた。
引いた場所へ、もう一人が短剣を手に上から落ちてきた。
短剣を逆手に持ち、構えようとしている。
その隙を見逃さずレンは踏み込み、刃の腹を下から当てて腕ごと跳ね上げた。
短剣が霧の中へ飛んでいく。
男は着地しながら一歩下がり、腰に差したもう一本の剣に手をかけた。
(下がったな、こいつ)
レンは警戒を強めた。
得物を失った直後に、間合いを測って引くほうを選んでいる。
明らかに戦闘慣れしている。
男が舌を二回鳴らした。
失敗したことへのイラつきからではない、合図だ。
その瞬間、二人とも霧に包まれた茂みのほうへ跳んでいた。
「追うな!」
セインの声が飛んだ。
「離れるな! まだ終わっとらん!」
レンはヨルンの前に立ったまま、霧のほうを見ていた。
草を踏む音が二つ、遠ざかっていって、それきり聞こえなくなった。
あの二人は、荷が目的ではなかった、見てすらいなかったのだ。
***
全部で、たぶん三十を数えるほどだった。
襲撃者は十一人、うち二人は霧へ消えた。
残る九人のうち、死んだのは四人。深酒とセインが受け持った側だ。
あとは武器を落とすか、押さえ込まれるかしていた。
こちら側は、また無傷である。おそらく、幌の上の二人以外は戦闘経験が皆無であった。
レンは剣を鞘へ戻した。
血がついていないため、拭く必要もなかった。
そういえば、この前の迷宮でも特に手入れはせず布で巻いただけであったが、この剣には錆も刃こぼれも一切ない。
それに気づいて、少しだけ妙な気分になった。
「ひとつ、伺ってもいいですか」
声がして、振り向いた。
クレアが立っていた。
手当てを待つ者はいない。今回は特に戦闘に参加するまでもなかったようだ。
だから彼女は、ただ見ていたことになる。
「何かありましたか、クレアさん」
レンは無駄に丁寧な態度で接した。
「あなたは、どこで剣を習いましたか」
思ってもいない訊かれ方だった。
「……習っちゃいねぇよ」
態度が崩れた。
「では、誰かの型を真似ましたか」
「型って?」
「ルクアルト流でも、帝国流でも構いません。どこの何を見て覚えたのかを訊いています」
レンは剣を鞘へ収めた。
収めながら考えて、それでも答えが出なかった。
「知らねぇなぁ」
「知らない……とは?」
「流派の存在自体は知ってるんだが。振り方を教わったことがねぇんだよ」
クレアは黙った。
黙ったまま、こちらの手元を見ていた。
「私は医術院に六年いました。治癒師として道場や、ある流派の聖地と呼ばれる場所に逗留した経験もあります。それに、そのあと十年ばかり、方々で冒険者や騎士の戦いを見てきました」
淡々とした言い方だった。
「その中で様々な流派の型を修めた人の動きを何度も見てきたので、見ればだいたい流派は分かります」
「へぇ、そうかい」
「しかし、あなたのはどれにも当てはまりません」
そこで一度、言葉を切った。
「当てはまらないのに、無駄がないです。明らかにどこかの流派の型のような動きなのに。私はそのような動きを一度もみたことがない」
レンは答えなかった。
答えようがなかった。この魔剣を拾った日のことを説明する気にはならなかったし、説明したところで信じる者もいない。
「もうひとつ、よろしいですか」
クレアが言った。
「あなたは、身体強化を使っていませんでしたね?」
背中の産毛が総立った。
「……分かんのか、そんなもんが」
「少し、感じるだけです。それも、濃いか薄いかが分かる程度に」
クレアがこちらを見たまま、自分の手の平を上にしてその上に氷の塊を生成する。
その手の周りでは、うっすらと白い霜がキラキラと輝いていた。
「こういったイメージです。魔力を纏えば、そこだけ空気が違います。あなたには、それが一度もありませんでした。剣を抜いてから納めるまで、一度も」
「使う必要がなかっただけだ」
魔剣の話と同じく、説明する気にならなかったのだ。
「そうですか」
納得していない顔だった。
それでも、それ以上は訊かれなかった。
クレアは縄をかけられた男たちのほうへ歩いていった。
誰も怪我をしていないか、確かめに行ったらしい。賊のほうもだ。
***
「おい」
後片づけの最中に、ガロが来た。
両手剣を担いだまま、道の先と後ろを交互に見ている。
「昨日と今日で、二度の襲撃だ」
「あぁ」
「レン、お前この街道を歩いたことはあるか?」
「ねぇな。南はなんだかんだ迷宮までしか来た事が無かったなぁ」
目線を上にやりながら、過去を思い浮かべながら答えた。
「おれは何度かあるんだがな」
ガロが顎を掻いた。
「言っとくが、この街道はそう何度も出る道じゃねえんだ。王都まで通ってる道だぞ。兵の詰所が半日ごとにあるし巡回もしてる。割に合わねえから、まともな盗賊は他所へ行くだろ」
それはそうだろう。とレンは思った。
「じゃあ、なんで出るんだ」
「出るんじゃねえよ。こりゃ狙われてんだよ」
ガロが言い切った。
「二日続けてこの数だ。明らかに街道に湧いた盗賊じゃねえ。確実にこの商隊が狙われてる。そこまでは、もう分かってる」
「……」
「分からねえ奴は二級を名乗るなって話だ」
ガロが自分で笑いながら言う。
だったら、言っておくことがある。
「ガロ」
「なんだ」
「幌の上に降りてきた二人な」
「逃げた二人か」
「あれは、他の連中とは別だ」
レンは自分の手のひらを見た。跳ね上げたときの感触が、まだ残っている。
「オレに短剣を落とされた直後に、突っ込まずに退がりやがった。間合いを測ってたんだ。それに短剣を正確に投擲してやがった……あんな技量、茂みから出てきた連中には無かった」
「ほう」
「それと、あの二人は荷には目もくれず、ヨルン目掛けて突っ込んできやがった」
そこへセインが来た。
手に、賊から取り上げた短い槍を持っている。二つに折れたほうだ。
「今の話は本当か?」
最初から聞いていたらしい。
「ああ、間違いねぇ」
「そうか」
セインは驚かなかった。
驚かずに、持っていた槍の穂先を指で弾いた。硬い音がした。
「これを見てくれ。新しい。全く使い込んどらん」
「やはり、昨日のと一緒だな」
ガロが言った。
「そうだ。二日続けて、揃いの新品だ。買ったばかりの得物を持たされとるんだろう」
セインは折れた柄を放って、縄で繋がれた男たちのほうを見た。
「それと、あれだ」
「訊いたのか」
「訊いた。だが、昨日のと一緒だ」
セインの言い方は変わらなかった。
「誰も口を割らん。誰に指示された、どこから来た、何を狙えと言われた。……どれを訊いても、知らん、わからんだ。それしか返ってこん。バカの一つ覚えみたいにな」
「ちゃんと痛めつけたのか?」
ガロが物騒なことを言うが、こういう場合、拷問は確かに有効な手だ。
「うちではそう言ったことはやらん、それに知らんのも半分くらい事実だろう。末端にそこまで情報を与えるような奴らのやり方にも思えん」
セインはそれに続けて言った。
「それでも、普通は喋る連中はおる。どんな姿のやつに雇われた~、こういう指示をされた~、程度の話くらいはな。二日で三十一人だぞ。一人くらい口の軽いのが混じっとるもんだが」
「そういう話もしねぇのか」
レンは驚き半分に言った。
「ああ、一人もな」
セインが道の先へ目を戻した。
「それに、金で雇われた連中ならまず値を言うだろうな。そんで、こっちがそれより出せば寝返るのが普通だ」
「じゃあ、誰かに雇われたわけでもないってことか?」
レンには、もはやまったく意味の分からない話だ。
「それが分からんのだ」
セインも考えのようで、はじめて言葉に詰まったような間を置いた。
「ただ……怯えとる。……目の前に転がっとる仲間にじゃない。もっと後ろの、ここにはない何かにな」
セインは賊のほうに視線を向けながら言った。
レンもつられて、縄で繋がれた七人のほうを見た。
昨日の連中と、同じ目をしていた。
「つまり、こやつらは雇われとるんじゃないんじゃろう」
セインが折れた柄を拾い直した。
「そういう顔をしとらん」
それから、レンのほうを見た。
「狙われとることは、一度目の晩に分かっとった。ただ、荷を取りに来とるのか、それとも別に用があるのか、そこが決めきれんかったが……」
「レン、お前の話で決まったわい」
少し離れたところで、人足が幌を直していた。
六台目のほうだ。
商会の男が二人、そこに立っている。荷馬車の陰になって、こちらからは中が見えない。
「雑魚は囮だったというわけじゃな」
セインが言った。
「頭数で場を散らかして、その隙に本命が仕事をする。今回は二人で狙って失敗したようじゃが」
ヨルンのほうへ顔を向けて、続けて言った。
「あの頭を殺しに来とる」
二人は無言で首肯する。
ヨルンは少し離れたところに立っていて、確実に聞こえる距離にいた。
こちらを見もしなかった。聞こえないフリをしたのだ。
「あの人は、何を運んどるのか、もしくは何をやらかしたのか」
セインが言った。独り言のような言い方だった。
「訊かねぇのか?」
「訊いても答えんだろうなあ」
即答だ。
「訊いて答えることができる内容なら、ラドフェンで札を出した日に言うとるだろう。言わんかったということは、言えんということだ」
セインは折れた柄を拾い直して、荷馬車のほうへ歩き出した。
「進むしかないな」
ガロが諦めたように言って会話が終わった。
***
その夜の焚き火は、いつもより静かだった。
夜番は二人ずつの持ち回りで、今夜最初は銀鈴のダグとカイルの組だった。火から離れたところに座って、周囲を警戒している。
レンは火の脇で剣を膝に乗せていた。
抜いて、刃を見る。
やはり傷ひとつない。魔物の甲殻を斬っても、人の骨に当てても、槍の柄を断っても、この刃には傷ひとつつかない。
ドランがなんと言ったか思い出そうとした。均質すぎる。打つ前から完成しとる。
「なんなんだろうな、この剣は」
小さく呟いた。
「なあ、治癒師さんよ」
火の向こうでルカの声がした。
クレアが少し離れて座って、いつものように膝の上で小瓶を並べている。
「あんた、昼間レンに何を訊いてたんだ?」
「剣を、どこで習ったかを」
「……あぁ」
ルカの返事が、少し遅れた。
「そりゃ、おれも訊きてえなあ」
「あなたもご存じないのですか?」
クレアは昼間のやりとりを、どこかで教わったことを隠しているだけと考えていたため、驚いて言った。
「知らねえよ。あいつとは六年前から一緒なんだが、急に変わったんだ」
「急に変わった……とは?」
怪訝な表情で返事をする。
「ここひと月ばかりでな」
ルカが枝を一本折って、火の中へ放った。
「今までの六年間で、あいつの剣なんざ見飽きてた。……見飽きてたはずなんだが、なあ」
「何が……あったんですか?」
「それは、あいつの話だ」
ルカはそれ以上言わなかった。
「あいつの口から聞いてくれ」
軽口ばかり叩く男が、こういうときだけ口が固かった。
クレアは手を止めた。
小瓶を布に戻して、包み直す。
「では、訊き方を変えます」
ルカが顔を上げた。
レンは剣を見たままじっとしていた。聞こえていないふりをするには、火が近すぎた。
「あなたは、なぜあの人と組んでいるんですか」
火が音を立てた。
ルカは、すぐには答えなかった。
枝を一本折って、火の中へ放ってそれから言った。
「そりゃあ、あいつが前衛でおれが後衛だからだよ」
ルカはおどけたように肩を竦めて言った。
「それは、役割の話ですね」
「そうだよ」
「私が訊いたのは、そこではありません」
「わかってるよ」
ルカが笑った。
いつもの笑い方だった。
「おれ、この街の生まれじゃねえんだよ」
「存じています。訛りが少し残っていますから」
「……ほんと性格悪いな、あんた」
言いながら、ルカはもう笑っていなかった。
「十二で来てな。言葉がろくに通じねえんだよ、おれのさ。訛りがひでえって笑われて、依頼票も読めねえ。そんなガキが一人で、どこが入れてくれると思うよ」
「それで」
「三月ばかりで死にかけた。ひとりで迷宮に潜って、ひとりで囲まれてな」
枝の先が火の中で折れた。
ルカの口角が自然と上がる。
「そこにあいつがいたんだよ。おれより一つ上のガキだぜ。身体強化も使えねえ落ちこぼれだってな。……あいつもあいつで、どこにも入れてもらえてなかったんだよ」
「待ってください」
クレアの手が止まった。
「使えない、のですか。使っていなかったのではなく?」
「あっ?」
ルカが顔を上げて、それからしまったという顔をした。
「……ああ、そうか。知らねえで訊いてたのか、あんた」
「使えないのですね」
「使えねえよ。昔からだ。一度もできたことがねえんだとさ」
クレアはすぐには何も言わなかった。
膝の上の布を、一度置き直した。
「では、昼間のあの反応の速さは」
「素だよ」
「……素」
「そう言われてもな。おれだってずっと不思議なんだ」
レンは剣を見たまま黙っていた。
使えないと言われるのは慣れている。速いと言われるのは、慣れていない。
「……話を戻します」
クレアが言った。
「助けに来たのですか」
「助けに来たんだか、偶然通りかかったんだかは知らねえんだけどさ。血まみれで立ってた」
焚き火が弾けて、赤い粉が舞う。
「なんで助かったのか、いまだに分からねえ」
クレアは黙って聞いていた。
「では、それの恩返しということですか?」
「六年だぜ」
ルカがまた笑った。
「恩返しにしちゃ長すぎるだろ。とっくに返し終わってるって、おれは思ってるよ」
「では、なぜ」
「……」
ルカが口を開いて、閉じた。
尻尾の動きが止まっているのを、レンは火の向こうから見ていた。
「腹減ったなあ」
結局、そう言って立ち上がった。
「なあレン、干し肉まだあるか。おれのぶんだけ焼いてもいいか」
ルカが笑顔で言ってきた。
「質問に答えていませんが」
クレアが火に照らされた真面目な表情で問う。
「聞こえてる。聞こえてるって」
いいながらレンのほうへ歩いてくる。
「順序ってもんがあんだろ。あんた、まだ三日目だぜ」
「……失礼しました」
「いいって。二十日あんだ。そのうち気が向いたらな」
クレアはそれ以上訊かなかった。
レンは鞘に剣を戻し、干し肉を背嚢から取り出した。
***
アルゼンの灯が見えたのは、四日目の日が落ちたころだった。
本当なら昼過ぎには着いている行程だった。
二日続けて襲われ、その二度共に後始末が必要であった。それが、そっくり遅れになっていた。
丘をひとつ越えたところで、前のほうから声が上がった。
レンも顔を上げた。
街道の先、大きく開けた平野に、ポツポツと明かりが散らばっている。
数えられるほどの数だった。
「あれがアルゼンかぁ」
「そうだ。あそこは麦と羊毛の町でな。明日から市が三日立つ」
セインが言った。
レンは目を細めた。
ラドフェンの夜を近くの山の上から眺めた時を思い浮かべた。あちらは、街の輪郭が火で縁取られ、いちばん明るいのはギルドと酒場の並びであり、悪く言えばうるさい街だ。迷宮があるため、夜通し人が出入りするから遠くからでもわかるよう、火を絶やさないようにしているのだ。
一方今目の前に広がっているアルゼンは、落ち着いている。
火が点々と灯っているだけで、固まっていない。
「……なんか」
ルカが横で言った。
「静かな街って感じだなあ」
「あぁ」
レンは頷いた。
「迷宮のねぇ街ってのは、こんな感じなのか」
言ってから、少し変な気分になった。
そういえば、レンは迷宮のない大きな街に来るのは初めてだ。
迷宮があるから夜も人が動く。潜る組と上がってくる組が入れ違い、酒場が閉まらない。そういう街しか知らないのだ。
ここは、しっかりと夜に眠る街なのだろう。
商隊が門をくぐったのは、閉まる少し前だった。
門の内側に、商会の使いが立って待っていた。
昼のうちに先ぶれとして走らせた男らしい。ヨルンと二言三言かわして、すぐ先へ歩き出した。
「宿は押さえてある。馬車を入れる庭のあるところだ」
ヨルンが振り返って言った。
通りを二本抜けて、宿はすぐだった。
裏の広い庭に荷馬車を並べ、馬を外し、幌を下ろす。人足が慣れた手つきで動きはじめる。
「市のあいだは、休んでもらって構いませんよ」
荷を数えながらヨルンが言った。
「四日歩きどおしで、二度も戦わせてしまった。三日くらいは町を見て回るといい」
「そうもいかんな」
セインが即答した。
「街道で二度、ヨルンさん。あんたを狙ってきとる。町へ入ったから終わり、という話にはならん」
ヨルンが何か言いかけて、やめた。
「……では、お任せします」
「二本立てにする。ヨルンさんに二人、荷馬車に二人。夜もだ」
セインはそう決めて、その場で頭数を割り振りはじめた。
「もちろん表へ出るときは、必ず二人連れていってもらう。厠でも同じだ」
「……厠もですか」
「厠がいちばん狙いやすいしのう」
ヨルンが何か言いかけて、今度こそやめた。
荷は、次々と降ろされていく。
レンが荷を下ろして振り返ったとき、庭の隅で人が動いた。
六台目だ。
商会の男が二人、その脇に立っている。
立って、動かない。
人足たちが幌を外して荷を降ろしにかかっているのに、その一台だけは幌が下りたままだった。
ヨルンが二人に何か言った。二人が頷いた。
夜のあいだ、そこに立ちつづけるらしかった。冒険者と共に。
***
次の日、アルゼンの市は夜が明けきる前に始まっていた。
宿を出たとき、通りにはもう荷車が並んでいた。麦の袋、羊毛の山、干した果実の籠。売る側も買う側も声を張らない。数と値を短くやりとりして、それで売買成立だ。
レンは、しばらく突っ立って見ていた。
ラドフェンの朝はこうではない。冒険者が支度をして門へ向かい、上がってきた組が飯屋へ雪崩れ込み、ギルドの前で誰かが誰かを怒鳴っている。そういう光景が広がっている。
だが、ここはまったく毛色が違う。
「どいた、どいた!」
荷車が来たので、レンは横へ寄った。
通りの角に、小さな建物があった。
冒険者ギルドだ。
壁に板が打ちつけてあって、依頼の札が何枚か下がっている。
ラドフェンのそれと比べると、飯屋ほどの大きさしかない。
札は数えるほどしか出ていなかった。
畑を荒らす角兎の駆除。羊の囲いを壊した猪の始末。街道沿いの見回り。
どれも五級か四級の札だった。
「まあ、こんなもんだろう」
後ろからガロが言った。
「麦と羊毛の町だぞ。魔物より獣のほうが多い」
「迷宮がねぇとこんなもんなのか?」
「そうだな。農場を荒らす魔物や獣が出るから冒険者は必要だ。だが、その強さも規模も知れてるのがほとんどだ」
ガロは屋台の前で足を止めて、串に刺した肉を二本買った。
一本を放って寄越してくる。
「ここで仕事をする冒険者は、駆け出しか流れ者かがほとんどだ。あとは緊急依頼で呼ばれるか、だな」
肉は塩が濃かった。
屋台の飯にしては上等だった。
「緊急依頼で呼ばれるってあ(な)んだ?」
レンは頬張りながら言った。
「ああ、こういう街でも四腕みたいな化け物がたまに出るんだよ。そういう時は近隣の街の高ランク冒険者に緊急依頼を出すんだ。お前も見たことあるだろ?」
レンは、なるほど、そういえば高ランクの救援依頼として張り出してあるのを見た記憶があるな、と思い出した。
ただ、自分たちには縁のない話なのであまり記憶に残っていなかったのだった。
***
二日目、荷馬車の番が回ってきた。
護衛は二組に分かれている。ヨルンにつく組と、荷馬車を見る組だ。
レンは荷馬車のほうで、宿の庭に座って見ているだけでいい。
組んだのはもちろんルカだった。
ヨルンも今日は庭にいた。荷を一台ずつ検めている。ついているベンとイーナも、同じ庭だ。
「暇だなあ」
あくびを隠そうともせずルカが言う。
「ベンなら喜ぶぜ。護衛は暇なのがいちばんいい仕事なんだとよ」
「おれは退屈で死にそうだぜ」
ルカが石を蹴った。
庭の隅に、机が一つ出ていた。
痩せた男が座って、板に挟んだ紙へ何か書きつけている。四十代の半ばくらいか。目尻に深い皺があって、そこだけ笑っているように見える。
朝からずっとそこにいた。
荷を運んでいったり、運んできたりする度にまた紙へ戻る。それを繰り返している。
「なあ、あんた」
暇を持て余したルカが声をかけた。
「そこ、何書いてんだ」
男は顔を上げなかった。
「入荷帳と、送り状の突き合わせだ」
「……は?」
「終いに仕切帳へ回す」
それきり筆の音しかしなくなった。
噛み砕く気が最初からない。分からないなら分からないままでいい、という返し方だった。
ルカの耳が、ダメだとばかりに倒れた。
「おれ、なんかわるいことしたかなあ」
ルカが戻ってきて、小声で言った。
「知らねぇよ」
レンは荷馬車のほうを見たまま答えた。
「商会の勘定係だろ。朝からずっとあそこにいるぜ」
「仕事の邪魔したお前ぇが悪いだろ」
ルカが石を蹴った。
「ちょっと話したかっただけじゃんかよ」
昼過ぎに、ヨルンが三台目の荷を数え直していた。
二度数えて、それから机のほうへ何か言った。
トバは顔を上げずに、片手を上げただけだった。
帳面のほうが合っていたらしい。
夕方、荷を仕舞い終えたヨルンがわざわざこちらへ来て、頭を下げた。
トバ・ゼルという。親父の代から帳面を預かっていて、この商会では自分より長い。
悪気はないのだと言われた。真面目な男で、真面目が過ぎるので、勘定のあいだは人の顔を見ない。
人足にも同じ調子で、二十年それで通してきた。
だから気を悪くしないでくれ、と。
レンも、ルカが暇だ暇だといってトバの仕事を邪魔しようとしたので、怒られて当然であるため気にしないでくれと言った。
ヨルンも笑っていた。
***
三日目の朝、商隊はアルゼンを出発した。
荷が増えていた。麦の袋がいくつかと、羊毛の箱。買ったぶんは前のほうの馬車へ積んでいく。
六台目には、何も追加で載せることはないようだ。
街道は町を出てすぐに南東へ折れ、そこから登りはじめた。
昼を過ぎるころには、道が細くなっていた。
「ヴェルグ峠だ」
セインが前を向いたまま言った。
「長ぇぞ。今日じゅうには抜けられん」
「泊まんのかよ、この上で」
「途中に広くなっとるところがいくつかある。そこで一晩だ」
左は岩の壁で、右は断崖絶壁だ。
荷馬車一台でいっぱいだった。
「すれ違うときはどうすんだ?」
「ほら、あの辺にちょっと広い場所が見えとるだろう。どちらかがああいうところまで戻る。そういう決まりだ」
セインはその先も見渡しながら言う。
「もっとも、好きこのんでこの道を通る者はおらん。日に一組すれ違えば多いほうだ」
それはそうだろう、とレンも思った。
谷を挟んだ向かいの斜面に、黒く抜けた穴がいくつも並んでいる。
崖翼竜の巣だ。
迷宮しか潜らないレンでも、この峠の名を聞けば一緒についてくる程度には知っている。
こちらから何もしなければ襲ってくることはあまりない。
ただし、血の匂いには集まって来るという。
レンは巣から目を離した。
ルカが横で、何か言いたそうにこちらを見ていた。
「抜けるのは明日の朝くらいになるだろうな」
セインが少し声を落として続けた。
「そのまま下れりゃあ、昼過ぎにミルドナが見える」
「こんなとこでひと晩野営すんのかぁ」
レンは裏に込められた意味をあえて無視するかのように気が抜けた返事をした。
商隊は列を長く伸ばして峠へ入った。
シドが先へ出て安全確保。イーナが後方の警戒を続ける。
「なあ」
ルカが小声で言った。
「出ねえな」
「あぁ」
「三日で二度襲撃があったんだぜ。ここが一番やりやすいだろ、どう見ても」
レンも同じことを考えていた。
前からシドが戻ってきた。
いつもより早い。
「どうだ」
ベンが訊く。
「なんもいねえ」
シドは弓を下ろした。
「鳥も普通に飛んでる。人の気配もねえ……だが、なんか嫌な予感はしやがる」
セインが歩き続けながら、道の先をしばらく見ていた。
「そうか」
今までの奴らは盗賊ではなく、襲撃だということは最早共通認識である。
街では結局何も無かったが、道中の三日で二度襲われた。
(何もねぇってのが、こんなに嫌なもんだったか)
道はまだ登っている。
遠くから何か動物の鳴き声が聞こえた。




