第13話 三つの名前
天井に見覚えがあった。
染みの形まで覚えている。定宿の、自分の部屋の天井だ。
日の位置から察するに、昼を過ぎている。
レンは、しばらくそのまま横になっていた。
起きようとして、起きられなかったからだ。腹に力が入らない。腕を上げようとしたら、肘から先が他人のものみたいに重かった。
左腕を見た。
新しい布が、きっちりと巻かれている。血は滲んでいない。
(……誰が巻いた)
思い出そうとして、途中で諦めた。
覚えているのは、丘の上の松明までだ。そこから先は、切り取られたように何もない。
扉が開いた。
「おお、起きてんじゃねえか」
ルカが盆を持って入ってきた。水の椀と、皿に何か載っている。
「丸一日と半分だ」
「……あぁ?」
「寝てた時間。訊くだろうと思って先に言ったんだよ」
ルカは盆を寝台の脇へ置いて、自分は床に胡座をかいた。
「食え。宿のおかみさんが、血を作るならこれだってさ」
皿には、赤黒い塊が載っていた。焼きの浅い肝だ。塩と香辛料が振ってある。
匂いを嗅いだ瞬間、腹が鳴った。
我ながら現金だと思いながら、レンは手を伸ばした。
「で」
噛みながら訊いた。
「どうなった」
「どこからだよ」
「全部だ」
ルカが、指を折りはじめた。
「まず、死んだのは三人。増えてねえ」
「……そうか」
「トビって小僧の脚は繋がった。今朝はもう自分で歩いてたとよ」
「繋がった?」
「治癒師が来たんだよ」
レンは手を止めた。
「街の四人が、か?」
「違う。見ない顔だった。旅装で、外から歩いてきたんだ」
ルカが、思い出すように片眉を上げた。
「誰も呼んでねえ。街道で迷宮の詰所の連中とすれ違って、話だけ聞いて来やがった」
「そんな治癒師がいるか」
「いたんだよ!」
ルカは水を一口飲んで、続けた。
「なあ、街の治癒師が一日に何人治せるか知ってるか」
「三人か、四人だろ」
「そうだ。それが四人いて、朝には全部埋まっちまう。だからおれたちの順番はいつまでも回ってこねえ」
ルカが、指を一本立てた。
「あの女ひとりで、十人以上治してたぜ」
レンは、噛むのをやめた。
「……一晩でか?」
「そうだよ」
「嘘だろ」
「おれも嘘だと思ったぜ。途中から数えてたんだ。八人目あたりで、数えるのがばからしくなった」
「それを……涼しい顔でやってたのか?」
「まさか。終わりのほうは治るまでが遅かったぜ」
ルカが、自分の掌を見た。
「おれにはわかんだよ。底が見えてくると、ちょっとの魔法でも多少の溜めが必要になるからな」
「……そうかぁ」
「最後の二人は、結構な時間かかってたかな」
ルカが水の椀を置いた。
「それでも止めなかった」
「……無茶だな」
「お前が言うかよ」
呆れた顔をされたので、レンは黙って肝を齧った。
「呼んでも返事をしねえのが一人いたろ。頭を打ったやつ」
「いたなぁ」
「あれも治った。昨日の朝には目が覚めたってよ」
「治せんのか、ああいうのが」
「そう、治ったんだよ!」
ルカが両手を軽く広げた。
「トビの脚も、骨を戻すところからやってた。あの小僧、白目剥いて叫んでたぜ。……そんで、繋いだ」
「繋いだぁ?」
「骨がだぜ、骨が。治癒魔法一発で!」
レンは、思わず自分の左腕を見た。
傷が塞がるのは知っている。腕の傷は何度も塞いでもらったことがある。表面の傷を塞ぐのと折れた骨を繋ぐのでは、まるで別の話だ。
「骨なんていけんのかよ」
「おれもそう思ってた!」
ルカが、誰もいないであろう昼の宿で、わざとらしく周囲を気にする素振りを見せながら少し声を落として言った。
「それが無理じゃなかったんだよ。……おれたちが知ってる治癒師ってのは、たぶん、そこまでのやつだったってだけだぜ」
「……布のかかってた三人んとこにも行った」
少し視線を落としながら言った。
「……あぁ」
「三つとも、順番にめくって、見て、戻してた。それだけだ」
「そうだろうな」
「何もしなかった。できねえんだと」
「知ってる」
「おれも知ってるよ」
ルカが膝を抱えた。
「知ってるけどよ。あんだけ何でも治せる奴が、そこだけ何もしねえのを見ると、なんかこう……どうにかならんのかなと期待しちまうよな」
レンは答えなかった、あまり共感できなかったのである。
そこでレンはふと思い出し、懐に手をやりながら言った。
「そういえば、霜草はどうなったんだ!」
「そこにはねえよ」
ルカが呆れ笑いをした。
「とっくに納めたに決まってんだろ。」
「……お前が?」
「おいおいそりゃそうだろ。お前を宿に放り込んで、その足で行ったんだよ。受注確認書と一緒に出して、判をもらって完了だ」
ルカが懐から折り目のついた紙を出して、寝台の上へ放った。
達成の書き付けだった。乱暴に押された判が、端のほうで少し滲んでいる。
「量は足りてたし、傷んでもいなかった。文句のつけようがねえってさ」
レンは書き付けを見ていた。
自分の名前が書いてある。書いたのは自分だ。あの日、カウンターで。
「そんで、ギルドから直接、か」
「そりゃ急ぎなのは分かりきってるからなあ」
「……そのあとは?」
「知らねえ……」
ルカが正直に言った。
「そこまでだ。煎じてどうなったかは、まだ誰も何も言ってこねえんだ」
レンは天井を見た。
二日か三日、と言われた依頼だ。渡ったのは三日目の夜になる。
間に合ってはいる。
間に合ったことと、助かったかどうかはまるで別の話だ。
「……そうか、そうだな」
独り言のように言った。
「気にするな、っつっても無駄なんだろうけどな。まあ、まだそこから1日と半分だからな。ギルドまで伝えに来れてないだけじゃあねえか?」
そう、思うことにした。
肝を食い終える頃には、ようやく起き上がれるようになっていた。
壁に背を預けて座り直す。それだけで息が上がった。
「あとひとつ、訊いていいか」
「あんだよ」
「オレは、どうやって帰ってきた」
ルカが、目をそらした。
「担いだ」
「お前がか」
「他に誰がいんだよ」
「お前、魔力も空だし自分も傷だらけだったろ」
「うるせえな、それでも多少の身体強化くらい使えんだよ」
ルカが、水の椀を乱暴に置きながら言った。そして少し口角を上げながら。
「……ただ、鉄鎚のギースが途中で代わった。丘の下から街道は、あいつが担いだ」
「ギースが!?」
「あいつ、道中ずっと喋ってたぞ。『おれの斧じゃあの甲殻は割れねえよオイ』とか、『なんでレンはああ動けるんだオイ』とか、ずーっとだ」
ルカが顎を少ししゃくらせて、誇張した声真似をしながら言った。
レンは、少し笑った。
笑ったら胸が痛くなり咳が出たのですぐやめた。
訊きそびれていたことが、もうひとつあった。
「なぁ。ヨナスはどうしてた」
「……なんでそこで、あいつの名前が出るんだよ」
「最後に見たとき、なんか言いかけてやがった覚えがある」
言いかけて、言わずに口を閉じていた。
あの穴の底で見たもののうち、なぜかあれだけははっきり残っている。
ルカが、しばらく黙った。
それから、面白くもなさそうに言った。
「……治癒師に頼んでたぜ。お前を先に診てやってくれ、ってな」
レンは、天井から目を戻した。
「あいつが、か?」
「二回言ってたぜ。断られてたけどな」
「断られた?」
「順番が決まってるから、だとさ」
「で、そのうちお前が座ったまま落ちた」
「……あぁ」
「結局診てもらってねえんだよ、お前」
ルカが、レンの左腕を顎で示した。
「その布は、宿のおかみさんが巻き直してくれたんだよ」
「……そうか」
食事といい世話になりっぱなしなのに礼のひとつも言っていない。
あとで礼をしなきゃなぁとレンは思った。
「その治癒師は、どこの誰なんだ」
「知らねえ、つうかお前あとひとつの質問が多いな」
ルカが、水の椀を傾けて底の一滴まで飲んだ。
「まあ、あの晩のうちに全部やって、そのまま消えた。名前も名乗らねえ」
「そうか」
「……ただ、まだ街にはいるらしいぜ」
レンは、天井から目を戻した。
「いるのか」
「しばらくこの街にいるらしいぜ」
「しばらく?」
「なんか用があるんだと」
「この街に用ってなんだ?」
「知らねえよ。訊くもんじゃねえだろ、そういうのは」
それもそうだ、とレンは思った。
他人がなぜここにいるのかを訊かない。冒険者の行儀だ。
「そのあいだは、仕事しながら逗留するんだとさ。……まあ、たぶんギルドからの依頼で、治癒の順番待ちをさばかされてるだろうけどな!」
レンは、少しだけ笑った。
そりゃそうだろう、と思った。
治癒師が四人しかいなくて、その四人の枠が朝で埋まる街だ。そこへ一晩で十人以上治す奴が転がり込んできて、放してやる人間がどこにいる。
ルカが立ち上がって、盆を持ち上げた。
「他になんか要るか?」
「水、くれ」
「へいへい~」
扉が閉まった。
***
十日かかった。
最初の三日は、階段を降りるだけで壁に手をついた。五日目に宿の前の通りまで出た。七日目に剣を握って、素振りを二十で腕が上がらなくなった。九日目には五十まで振れた。
十日目、いつもと同じ数を振って、いつもと同じところで汗が出た。
身体は休めば回復する。ただ、回復するのに日数が要るというだけだ。
左腕の布は六日目に取れた。古い線の列に、新しいのが一本増えている。数えたことはない。
二日目に、浅層が閉じた。
ルカが夕方に帰ってきて、ギルドに掲示が出たと言っていた。
崩落箇所の調査が終わるまで立ち入りを禁ずる。期限は定めない。調査は準一級以上のパーティに限る。中層と深層も浅層を通らねば行けないので、あわせて停止とのことだ。
レンは天井を見たまま聞いていた。
そもそも起き上がれない人間に、できることは何もなかった。
八日目に、掲示板から死んだ三人の名前が剥がされた。
死亡が確認されてから七日で剥がすのが決まりだからだ。
冒険者は死ぬ。五級が死に、四級が死に、たまに二級も死ぬ。
トビの脚は問題なく、あの小僧はもうギルドで使い走りをしていた。
霜草の子も熱が下がったらしい。と、ルカがどこからか聞いてきた。
助かる者がいれば、死ぬ者もいる。
ただ、それだけだ。
変わったのは街のほうだった。
***
十日ぶりのギルドは、昼から人でいっぱいだった。
普段であれば、この時分にここにいるのは依頼を取り損ねた組か、怪我で潜れない組くらいだ。
それが卓という卓に座って、椀を舐めるみたいに酒を減らしている。杯を空けるのが惜しいらしい。
ルカから話には聞いていた。見るのは初めてだった。
掲示板のいちばん上に、大きな紙が一枚貼ってある。
迷宮 調査中につき全面立入禁止
そして依頼板の右側が、痩せていた。
残っている依頼がほとんどない。
まあ、あったところで街の雑用もしくは、近くの森への採取依頼、魔獣狩りだろう。
迷宮に行けない、迷宮の依頼がないだけでこうなってしまうのは必然だ。
「十日間ほぼこの調子だぜ」
ルカが隣で言った。
「五級はもう半分が街の仕事に流れた。おれたちみたいなのが溝さらいに手を出すから、そっちの取り合いにもなってる」
「質屋の並びがよくなってそうだなぁ」
「よく分かってんな。革鎧が三枚並んでたとよ」
装備を売る。冒険者がそれをやったら、しばらくは戻ってこない。
レンは掲示板の上と右を見比べた。
「レン!」
人の間からガロが手を上げた。深酒の三人が、いちばん奥の卓を占めている。
「ようやく立てるようになったのか、お前!」
「見た通りだ、立ってんだろ」
「顔の色が半分しか戻ってねえぞ!」
ガロは大声で笑いながら椅子を蹴って場所を空けた。イーナが黙って椀をひとつ寄越す。
「なんだ、調査って書いてるがあんたらは潜れねぇのか」
「潜れりゃここにいねえよ」
ガロが親指で掲示板を指した。
「準一級以上だとよ。どうやら二級じゃ力不足らしい」
「あんたが見に行きゃ早ぇだろうが」
「俺らも調査に参加させろって言ったんだがな」
ガロが鼻を鳴らした。
自分が見たものを、自分より強い男が確かめに行けないらしい。
扉が開いた。
入ってきた一組で、ギルドの音が半分になった。
先頭の男が、扉の枠に肩をぶつけて入ってきた。
レンより頭ひとつ半は高い。厚みは倍ある。全身が鋼鉄でできた鎧で覆われており、歩くたびに床板が鳴った。右手には短槍と、左手には小柄な人間ならすっぽりと隠れるほど大きい丸盾。
「一番槍だ」
ルカが息だけで言った。
男の後ろから、弓を背負った女と、外套の裾を泥で汚した女が続いた。三人。それだけで通り道ができた。
準一級。この街に二組しかないパーティの一つ。
大男がカウンターに何かを置いた。
「二日ぶんだ。特に無しだなあ」
声も体格どおり、少し酒やけしているが低く大きく響く。
「浅層の東側、枝道を三十二本だなあ。これで東側は残らず見た。抜けはない。なんなら全力でぶったたいて来たが、床も硬い」
「ご苦労さんだね。詰所に二晩かい」
「寝床はあるからなあ。いちいち歩いて戻るほうが無駄だあ」
マーゴが札を受け取って、判を押した。
「これで九十一本目だね」
「まだ半分も見とらんがなあ」
「次はどこだい?」
「西側を片端からだなあ。二日休憩してからだなあ」
「何日かかりそうだい」
「知らんなあ」
マーゴが判を戻しながら、顎で奥の卓を指した。
「ああ、ちょうどいいや、ホラあんたが訊きたがってた男なら、そこにいるよ」
大男が振り返った。
その大男が、レンの卓の横で足を止めた。
髭に埋もれた顔が、こちらを向いた。
「お前かあ」
「あぁ?」
「壁が動いたと言ったのはあ」
「オレだけじゃねぇと思うが、そのうちの一人だろうなぁ」
大男はしばらくレンを見下ろしていた。
「四つ腕を落としたのは、お前かあ」
「……あぁ」
ギルド内から『あいつがやったってのは本当だったのか』と、ざわめきが広がっていく。
「背丈はあ、どれくらいだったあ」
「熊くれぇだ」
「力は、速さはあ。どんなもんだったあ」
「力も速さも多少の身体強化だと太刀打ちできないレベルだった。一回吹っ飛ばされて死にかけたからなぁ」
「そうかあ」
男は頷いた。それだけで用は済んだらしい。
「なら、深層で出るやつと同じだなあ」
「俺は、トルグだあ」
と言って、離れていった。
名乗る必要があったのか、よく分からなかった。
この街に二組しかいない準一級パーティ、一番槍の全身鉄装備の大男といえばトルグしかいないことなど、周知の事実である。
その三人が奥の卓へ落ち着いたころ、掲示板の前が急に騒がしくなった。
ギルドの受付が新しい札を貼っている。
依頼板の右ではなく、左寄りのいつもは使わない場所だ。それだけ紙が大きかった。
行商護衛 依頼主 カルデン商会
南方二都 往復二十日
複数一党による合同受注 三級以上
報酬 別紙
別紙の数字を見て、隣の男が変な声を出した。
高い。街の雑用を二十日続けても、その三分の一にも届かない。
あまり聞かない名だった。この街の商会ではなかったはずだ。
「二十日も街を空けんのかよ」
「空けるも何も、街に仕事がねえだろ」
「おい、南のあの街に行くのにこの日数ってことは、あの山を越えるんだろ。ってなるとやべえんじゃねえか」
声が飛び交うわりに、誰も手を伸ばさなかった。
二十日は長い。浅層が明日開くかもしれないと思っている者ほど動けない。
「マーゴ」
ガロだった。人の間から進み出て、札の下の受注欄を指した。
「深酒、三人。書いてくれ」
場が静かになった。
二級が受ける仕事ではない。誰もがそういう顔をしていた。
「あんたら、それでいいのかい」
「よかねえよ」
ガロが笑った。
「よかねえが、飲み代稼ぎにはちょうどいい」
笑い声が起きた。今日はじめての、まともな笑い声だった。
それで空気がほどけた。手が二つ、三つと上がりはじめる。銀鈴が六人ぶん。午睡が四人ぶん。名前が下へ下へと足されていく。
レンはその列の後ろに立った。
ルカが隣に並んだ。
「え、マジで行くのか?」
「あぁ」
「二十日だぜ?」
「知ってるぜ」
順番が回ってきた。
マーゴが受注欄をこちらへ向けて筆を渡してきた。
「戻ってきたときに浅層が開いてるとは限らないけどまあ、ちょうどいいだろうね」
「だろうなぁ」
「開いてなかったら、どうすんだい」
レンは筆を受け取った。
今は浅層が閉じている。開く見込みも聞いていない。
街には溝さらいと屋根の葺き替えくらいの依頼しかない。だが、それで食えないことはない。
食えないことはないが。
レンは掲示板のいちばん上を見た。まだあの紙が貼ってある。
「潜れねぇなら、外へ出るのもアリだなぁ、と思っただけだ」
そう言って名前を書いた。
***
翌朝、ドランの店へ寄った。
通りへ折れたとたん、炭の匂いがした。この一角だけは十日前と何ひとつ変わっていない。
迷宮が閉じようが、鉄を叩く音は毎朝同じ刻限に鳴りはじめる。
戸を押すと、熱が正面から押し返してきた。
「明日じゃったな」
顔も上げずにドランが言った。
「なんで知ってんだ」
「マーゴが喋りに来たぞ」
どうやらこの街でこの親父の耳に入らない話はないようだ。
作業台の端に、どこかで見覚えのあるものが載っていた。
丸盾だ。人の胴ほどの幅がある。鉄の縁が一箇所、内側へめくれ上がっていた。
「……これ、この盾どっかでみたな」
「あの図体のじゃ」
ドランが鼻を鳴らした。
「裏の当てが浮いとると三度言って、三度とも聞かんかった。ゆうべ迷宮から帰ってきてようやく置いていきおった」
迷宮から帰ってきたという言葉でようやく思い出した。
「あっ、あの図体って一番槍のかぁ」
「わしの兄弟の孫じゃ」
手は止まらなかった。
「……あんた、あれの身内だったのかよ」
「ドワーフの縁は長い。いちいち驚くない」
あまりに雑な明かし方だったので、聞き返す気も失せた。
レンは盾のめくれを覗き込んだ。
鉄がそこだけ薄くなっているようだ。何度も同じ一点で受けている跡だろうか。
あの図体で、あの立ち方で、退がらずに受けなければならない場面がそれだけあったということになる。
「剣を出せ」
言われたとおり台へ置いた。布を巻いただけの剣だ。巻きは血を吸って黒く固まっている。
ドランは布に触れもせず、柄から切っ先までの長さを目で測った。それから壁のほうへ顎をしゃくった。
棚の上に、細長いものが布をかぶって置いてある。
「あってるじゃろう。持っていけ」
「あぁ?」
「鞘じゃ。とうに出来とる」
レンは手を止めた。
「もう完成してたのか」
「お前が霜草だのなんだのと走り回っとる間にな」
布を取った。
黒い革が、木地の上に隙なく張られている。飾りはひとつもない。口金の際に細い線が一本回してあるだけだ。
布を巻いただけの剣を、はじめて納めてみた。
音がしなかった。
止まるところで止まって、それ以上は落ちない。
「親父、なんで出来たって言わなかったんだよ」
「お前が取りに来んかっただけじゃ」
ドランは手を止めない。
「寝込んでたんだよ」
レンは、そりゃそうか、と思いながら適当に返事をした。
帰り際に腕を掴まれた。
左腕だ。袖をめくられて、上から下まで見られた。
「またやったじゃろうお前」
「まあなぁ」
来る、と思った。
前にこの店で同じことをされたときは、座らされて日が暮れるまで説教をされた。
来なかった。
ドランは袖を戻して、手を離した。
「無茶はやめろ。気をつけていってこい」
それだけ言って、炉のほうへ戻っていった。
叱られるより、そっちのほうが重かった。




