勇姿
先ほどとは打って変わり、館の中は静寂そのものだった。
「外の取っ組み合いの音も聞こえない。また変な場所に来たのね……」
少し不安そうなラファエラ。
「この屋敷のどこかに、魔女がいるはず、なのよ、多分……」
珍しくベルも神妙な面持ちをしている。
玄関ホールは広く、正面には二股に左右へ伸びる大階段が見える。
二階は吹き抜けの回廊になっている。
その他には扉もなく、階段を登るしかなさそうだった。
二階に上がると、今度は長い廊下が続く。
すこし赤みがかった乳白色の壁には、何枚もの絵画が飾られ、
頭上には大きなシャンデリアが、等間隔に吊り下がる。
そんな廊下をリュカたちは恐る恐る進んでいった。
やがて突き当たりに辿り着くと、一つしかない扉をくぐる。
「何かしら、ここ? ダイニング?随分と立派な部屋ね」
「美味しそうな匂いとかしてきそうね。お腹空いちゃった」
そんなラファエラとベルをよそに、リュカは既視感を覚えている。
「ここ、前に来たことある……?」
樫でできた長く大きなテーブルには、赤染のクロスが敷かれている。
そこには金の薔薇模様の刺繍もあしらわれていた。
すぐ横の暖炉脇に吊り下がるタペストリーにも、その薔薇はあった。
クロスの下のテーブル脚部には、鷲のような鳥の彫刻も見える。
金の燭台には火が灯され、天井のシャンデリアや暖炉の炎とともに、
部屋を明るく照らしている。
壁の窓には、分厚く重たいカーテンが垂れ下がる。
しかしまるで壁に絵の具が塗りたくられているかの様で、
その窓からは外らしき景色は全く見えない。
「随分と豪華な部屋ね。まるでどこかのお城みたい」
「あたしの国のお城とは、ぜんぜん違うけどね」
ラファエラもベルも、まだその部屋の豪華な意匠に見惚れている。
しかしリュカはその部屋にいる間、どこか懐かしい気持ちと、
そして不安な気持ちとが織り交ざる、
なんとも言い表せない奇妙な感情に襲われていた。
そんな豪華な晩餐室をゆっくりと、慎重に奥へと歩む。
そして入ってきた扉の対面にある、両開きの扉を開いた。
扉の先はすっかりと真っ暗で、そこは屋外である様に感じられた。
石組みのバルコニーのような回廊が、奥の闇へと続いている。
右の壁には一つだけ、燭台の松明が煌々と明かりを落とし、
左の手すりの先、下階の中庭のような空間をうっすらと照らす。
遠くには森らしきシルエットも見える。
しかしそれはまるで絵画のようで、殆んど立体感は感じられない。
空には月もなく、全くの暗闇の世界だった。
リュカたちはゆっくりと、その暗闇の回廊を歩き出した。
数歩進むと、少し先の燭台に火が灯る。そして足元が照らされた。
それが何度が繰り返され、目の前の燭台が灯ったその時、
明かりの届かない暗闇の中から、”何かの音”が聞こえ始める。
立ち止まるリュカたち。静寂がその音を際立たせる。
それらは明らかに足音だった。
固唾をのんで闇を凝視するリュカたち。
やがて明かりの届く場所に、足先のようなものが見えた。
そしてそれがもう一歩前へ出た時、その全容が露わになる。
それはオークだった。豚頭のずんぐりしたあの姿。
リュカにとっては忘れられないあの夜。
父セフィアンが戦い、退けたあの魔物。
その記憶がリュカの中でよみがえる。
しかし不思議と、恐怖よりも勇気が勝っていた。
自身に父の姿が重なる。木材を握る彼の右腕に力が宿る。
「ぼくが、やらなきゃ。ちちうえみたいに……!」
リュカは一歩、前に歩み出た。
「ちょっと、危ないでしょ!」
ラファエラはその場で動けず、リュカの制止に失敗する。
しかしリュカは落ち着いた声で答えた。
「だいじょうぶ、エリーナちゃん。下がってて」
獣が如き唸り声をオークがあげる。
しかしリュカはそれにも怯まず、セフィアンの動きを思い出す。
しっかり鍋の蓋を正面に、強く木材を握り右脇中段に構えた。
その刹那、オークがリュカに飛びかかり、棍棒を振り下ろす。
リュカはそれを下から蓋で受け、空いたその胴を左に薙いだ。
そして、オークは霧のように消えた。
「やったよ! エリーナちゃん! 見た!」
背後のラファエラに振り向き喜ぶリュカ。
「あ、あぶない!!」
ベルが叫ぶ。
もう一体のオークが、リュカを背後から襲おうとしていた。
“Globus ignis!”
ラファエラが掲げる布団たたきの先から眩い火球が生じ、
それは鋭い音とともに闇を切り裂く。
そしてリュカの背後のオークを消し飛ばした。
「油断しちゃダメよ、リュカ!」
少し涙目で、ラファエラはリュカを叱る。
「ごめんね。でも、ありがとう!」
そう言うと、リュカは再び前方を睨む。
まだ遠いが、足音が聞こえている。
一歩ずつ、しっかりと態勢を整えながら進む。
そして次の燭台の明かりが、新手の姿を暴き出す。
リュカは、再び鍋蓋で防御を固めつつ、今度は上段に構えた。
オークが槍を突き出す。
リュカは素早く右足を踏み込み左足を引いて、それを半身に躱した。
更に鍋蓋でオークの頭側面を鋭くはたく。
堪らずよろめくその背後から、右肩に渾身の一太刀を振り下ろした。
再びオークは霧となって消える。
そしてまたもや、新手が右背後から襲いかかる。
しかし今度はすかさず、それをリュカは下段から右へと薙上げた。
まるでセフィアンが憑依したかのよう、とは言い過ぎだろう。
しかしリュカは父の勇姿を自身に重ね、
剣に見立てたその木材を、迷いなく堂々と振るった。
これを最後にオークは現れなかった。
静かになった回廊を一行は進む。
ついに出口の扉がうっすら闇の先に見えてくる。
そして最後の燭台に火が灯った。しかしその時、
リオラが低い唸り声を上げて、扉の方を威嚇し始める。
三人は足を止める。
その直後、巨大なオークが突如として姿を現した。
それは他のオークとは倍ほどの大きさの異形さだった。
あの日の夜、セフィアンが倒した巨体オークが立ちはだかる。
「オークタイラント、じゃないの! なんでこんな所にいるのよ! む、無理無理! あんなの流石に無理よお!」
「そうね、に、にげましょ!」
そういって振り返るベルとラファエラ。
しかし引き返す先は、無数のオークたちに塞がれていた。
「か、囲まれちゃった! どうしよう、どうしよう!!」
「まずいわ……。どうすれば……」
狼狽える二人。
しかしリュカは静かに前に出る。
「エリーナちゃんとベルは、魔法で助けて。
ぼくが、たおすから!」
そういって木材を中段正面に構える。
「んもう! 仕方がないわね!」
「わかった! でも気をつけてね!!」
ベルは半泣きながらも、二人とも覚悟を決めた。
リオラも姿勢を低くし、いつでも飛びかかれる態勢になった。
「これが使えるかもしれないわ」
そういってラファエラはリュカの背中に手を当て、呪文を詠唱する。
“Virtus tua duplo crescat paulisper.”
木材を握るリュカの腕、踏ん張る脚、双方に大きな力がみなぎった。
「付け焼き刃かもしれないけど、ないよりはまし、のはずよ!」
「『ドゥプロウィルタ』、やるわね。あたしでも出来ないのに。
じゃあこっちは……」
“Gwath erui, hen goth dagra, nivol le!”
ベルが詠唱し終わると、巨大オークの視点が定まらなくなり、
周囲をきょろきょろとし始めた。
「やったわっ! 効いた、幻惑魔法!! これでしばらくの間、あいつはちゃんと見えてないわ! 今のうちよ!」
ベルとリオラは背後のオーク達を威嚇する。
グルルルル…!
「後ろは任せて! あたしも火炎魔法、多分使えるから! さあ、それ以上近づいたら、焼き払うわよ!!」
ラファエラはその場で立ち止まって、リュカはゆっくりと前へ。
そしてオークタイラントは大きな斧を振り上げる。
そして勢いよく振り下ろした。
しかしそれは空を切る。何もない地面に斧が突き刺さった。
「今よ!」
ラファエラの火球がその大きな膝に直撃した。
オークタイラントはたまらず膝をつく。
リュカは力みなぎる脚で踏み込み、力の限りで飛び上がる。
そして腕の力一杯に、その頭上から一撃をいれた。
オークタイラントは一刀両断に。そして霧となって消え去った。
その刹那、回廊を照らす全ての松明が消える。
全ては暗闇に包まれた。そして――
彼らが次に気がついた時、あの乳白色の廊下に立っていた。
背後に迫るオークの群れも消えている。
「え? 外にいたのに!」
「ここ、最初の廊下じゃないの?」
ベルもラファエラも驚きを隠せない。
しかしリュカだけは、不思議な高揚感に包まれていた。
「いこう! みんな!」
ワン!
尻尾をパタパタさせるリオラを引き連れ、
胸を張って先頭を歩みだすリュカ。
「まっ、考えても仕方ないわね。行きましょ」
「でも、ほんと、怖かったわぁ……」
そしてラファエラとベルも、その後に続いたのだった。
第一部完結まで、毎週金曜・日曜20時20分、週2話更新予定




