明日への渇望
早朝、人通りが少ない内に、リュカたちはリオ・クラーロを発った。
西へと向かうと、すぐに草原が途切れて砂丘が広がっている。
砂に足を取られて少し苦労しながらも、一行は先を急いだ。
そして夕方前には、前方に海岸線が見えてくる。
これまで伝いに歩いてきた川も、ここで海へと合流した。
そしてその日は、海を見渡す川の岸辺で野営を作り、夜を明かした。
翌日、河口付近まで来ると、今度は海岸沿いに北へ。
リオ・クラーロで購入した地図は精巧ではなかった。
なので最も間違いのない経路として、
川から離れてより先は、海岸線を頼りに進むことにした。
海沿いを一日歩いていると、太陽が西の水平線へと沈んだ。
そして肌寒い夜の闇が、彼らを包む。
しかし焚き火を作れそうな木も見当たらず、野営を組めない。
まだまだ夜風は凍えるような寒さだった。
「こんなことだったら、木を拾っておくべきだったな。しくじったぜ……」
暗がりでエドワードの表情ははっきり見えないが、
しかし声からも悔しさが十分に伝わる。
「仕方がないよ。こんな砂しかない所を進むなんて、僕も予想していなかったし……」
「まあ、いい経験になったな」
そう言うとエドワードはしゃがみこんだ。そして――
「なあ、ここを少し掘ってさ、それで窪み作ったらどうだろうな?掘った分の砂を風の方、そうだな、向こう側に寄せて。それで壁作ってみようぜ。少しは寒さが和らぎそうだぞ?」
このエドワードの提案に、リュカもローラも賛同し、
三人は素手で砂を掻いた。そして三人入れそうな窪みを作り、
その砂を海と反対側の方へと集めて壁を作る。
そして窪みの中で、三人は毛布に包まった。
バリアンも鎧から出て、リュカの横に収まる。
「まあまあ、一晩くらいはしのげそうじゃないか?」
「いいこと思いついたな、エドワード」
「ええ、お手柄です」
「ま、まあな」
二人に褒められて、まんざらじゃなさそうなエドワード。
最低限の食事の後、三人は明日のため、早く眠りについた。
こうして寒空の砂丘の夜は更けていった。
翌日、砂丘よりも砂浜と呼ぶのが相応しい地形へと出た。
右手、東の方には緑の草原が広がる。
リュカたちは海岸が見渡せる程度に内陸へと移動し、
この草原を北へと向かう。
それから三日ほど草原を歩くと、小さな林が見えてくる。
そしてリュカたちは、そこで何かの果実を見つけた。
リンゴのような果物だが、渋くてとても不味かった。
「サント・フロールの果樹園に落ちてた果物に似てるけど、味はぜんぜん違うな。贅沢言える立場じゃないけどさ。それでも、渋くて食えたもんじゃないぞ」
エドワードが顔を歪ませながら呟いた。
「確かに……。でも勿体ないね。なんとか食べられないかな?」
考え込むリュカ。
そしてローラが思いつき、二人に提案する。
「でしたら、焼いてみるのはいかがでしょう? 未熟な渋い梨でも、焼けば美味しくなりますし。このリンゴも甘くなるのでは?」
そこで三人は今夜の野営で試してみようと決め、
取れそうなリンゴの実を袋に詰めた。
そしてその晩、焚き火を起こしてリンゴを焼いてみる。
「思ったほど甘くはないけど、随分渋みは取れたな。これなら食えるぞ!」
「外側は少し酸っぱいけど。うん、美味しいね」
「本当に、いい香りですわ」
三人は楽しそうに、焼きリンゴを味わう。
そしてバリアンは、その紺色の体に焚き火を照り映し、
ぷるぷるとしながらそれを見守るのだった。
草原を北上して、さらに四日。
以前の川で組んだ水が完全に尽きてしまう。
しかし乾き切る既のところで新しい川を見つけ、
そうしてなんとか命拾いするリュカたち一行。
その川を越えると、今度は少し勾配を登る。
そして登りきった先には、右手に森林が広がっていた。
今度は食料も少なく、森でキノコなどが取れないかと探すが、
しかし何一つ見つからない。
そして翌日、野営で最後の備蓄を食べた。
「これで、最後か……。さようなら、俺の干し肉……」
そう言ってエドワードは、噛みしめ味わって干し肉を食べた。
「あと何日歩けば、その大きな街に辿り着けるんだろうか……」
リュカが呟き、皆で項垂れる。
「悪いことは考えなくていい! 前だけ見て、とにかく進もうぜ!」
エドワードが立ち上がり叫んだ。
「そうですわ。どうにかなる、信じましょう!」
「うん! そうだね! でも、エドワードはそんなに叫んだりせず、体力を温存しないと駄目だよ」
「まあ、そうだな」
空元気かもしれないが、三人は笑った。
その後、何も食べずに二日歩いた。
もう三人共にふらふらで、今にも倒れそうに歩いている。
「腹減ったな……」
エドワードがそう呟く頻度も、随分と少なくなった。
特にローラの状態は深刻で、リュカとエドワードが交互に支えた。
そして二人が無理な時はバリアンに掴まり、ローラは歩き続けた。
そんな辛い空腹の夜を超え、絶食三日目を迎える。
三日目も、朦朧としながらも三人は歩き続ける。
そして太陽が天辺を越えて、海岸の方へと傾きかけた。
その時――
森の奥から何かが近づいてくる。
そして突如、それはリュカめがけて突進した。
リュカは残り少ない力を振り絞り、これを横に躱す。
海を背にしたそれは、大きな牙を持つ猪の姿の魔物だった。
明らかに普通の猪よりも大きく、そして陽光を背にして、
その長い体毛は紫色に輝き、風に揺れている。
「な、なんだこいつら!」
エドワードが叫ぶ。
しかしその背後からも鼻息が聞こえて振り返った。
「おい、囲まれてるぞ!!」
森の中から同じ猪の魔物が数頭、群れをなして囲んでいた。
そして先ほど突進してきた猪が、今度はローラを襲う。
「きゃああああ!」
しかし既のところ、間一髪のタイミングで、
バリアンが紫猪に一太刀を浴びせた。
甲高い鳴き声を上げて、その猪はひっくり返る。
そして仲間の悲鳴を聞いて、群れは森の方へと逃げ去っていった。
「なあ、これって、もしかして、く、食えるか……?」
ゴクリと喉を鳴らし、エドワードが躊躇いがちに呟く。
「まあ、とりあえず切ってみようぜ」
そして器用に剣を使って、魔物から肉を一切れ取った。
「うわ……。紫色だな……」
「すごい色ですわ……」
「お腹、壊さないかな……?」
三人はその肉の色に絶句した。赤みがかった部分もあるが、
その殆どが紫色をしている。明らかに普通の肉ではなかった。
「と、とにかく! 焼いてみようぜ! 話はそれからだ!」
まだ太陽が沈むより随分と早かったが、三人は急ぎ野営を作った。
焚き火が出来ると、エドワードは早速、
肉を枝に刺して火にかざし、そして良く炙った。
ジュウジュウと音を立てて、徐々に焼け目がついてくる。
色を無視すれば、三日の絶食をしているリュカたちには、
これは紛うことなき”ごちそう”だったであろう。
焼きながらエドワードは、無意識によだれを垂らしてしまった。
「よし!もう焼けただろう!さあ、食うぞ…!」
そう言って深く息を吸い込み、そして吐き、
エドワードは意を決して一口、その肉をかじった。
「ん……?んん……?んんんん……!」
エドワードが肉を噛みながら、くぐもった声で唸る。
「結構、食えるぞ、これ! 塩ふったら絶対美味いよ! ちょっと、臭みはあるけどさ、いけるいける!」
リュカにはそれが殆んど聞き取れなかった。
しかし紫肉は食べられる。これだけは十分に伝わった。
バリアンに人数分の肉を切り取ってもらい、リュカたちも肉を焼いた。
エドワードはおかわりをしている。
こうして三日ぶりの食事を堪能し、三人に活気が戻った。
満腹になり、リュカは今後のことを考え始め、そして呟いた。
「まだこの猪から、肉は取れるよね? この肉を持って行けないかな? 明日以降の食料にするんだ」
「そうしたいところだけどさ、流石に、腐らないか? 明日の夕方でも、結構危ないと思うぞ?」
エドワードは、しかし惜しそうに、そう反対した。
しかしローラが提案する。
「では、塩漬けにするのはどうでしょうか? 幸い、お塩はまだまだありますわ」
キョトンとする二人。しかしローラは続ける。
「お塩をふると、お肉から水分が抜けます。そうすると、幾分ですが、腐りにくくなるのです。母から昔、そう教わりましたわ」
「そうなの?」
「うーん、難しいことは分からないが。まあ、やってみようぜ!」
二人ともに完全に理解できたわけではないが、
ローラがそういうならと、早速それに取り掛かった。
猪から削げるだけ肉を削ぎ、ローラの指示でそれを細く薄く切った。
満遍なく塩をふり、それを肉に塗り込む。
そして長い枝にそれらを吊るして、焚き火の近くに垂らした。
「乾燥すれば、それだけ長くもちますわ。干し肉ほどに、とまではいかないでしょうが」
こうしてリュカたちは、一晩中火を絶やさずに、
紫の塩漬け肉を干した。
朝になる頃には、それらはある程度乾いていた。
その肉を布で包み、そして袋にしまった。
肉が尽きるまでに、腐るまでに、目的地に辿り着けること祈り、
そしてリュカたちは出発するのだった。
地図によれば、森林の辺りから更に北西へと海沿いに進むと、
その先に半島が広がる。目的地はその半島の中程にあるという。
とにかくそれを信じて、リュカたちは力強く歩いた。
満腹に食べることが、これほどまでの活力になるのかと、
リュカたち自身とても驚いた。
こうして一日が終わり、昨日の肉を取り出して焼いた。
まだまだ臭くもなく、安心してリュカたちはそれを食べた。
翌日も、三人はとにかく歩いた。
もう二度と、空腹の地獄を味わいたくない。その一心で歩いた。
途中で見つけた川で水を汲み、水袋を満たす。
そしてひたすらに北西を目指した。
やがてついに太陽が傾き、そして水平線へと沈んでいった。
野営を作ると、早速袋から肉を取り出す。
そしてエドワードがそれを嗅いでみた。
「んー、なんか、臭いか?」
「うーん、どうだろう……」
「だったらもう一度、焚き火に当てて燻してみましょう」
こうしてその日食べる分を焼いて食べ、
残りを前回と同じように焚き火で燻した。
「明日は早めに食事にしようか、少しでも腐る前に」
「そうだな」
「明日には着けると良いですね……」
そしてリュカたちは、不安な夜を過ごした。
翌朝、太陽が森の向こうから顔を出すよりも前、
少し白んだ頃に、リュカたちは出発した。
そして昼前、海岸線がずっと西へと伸びていく場所に出た。
ずっと向こう、はるか先だが、人の往来が見える。
さらには馬車が走っているのも確認できた。
「あれって!? もしかして!?」
リュカはそちらを指差し叫んだ。
「ひ、人だ! 人が歩いてるぞ! 着いたんじゃないか!?」
エドワードは飛び跳ねて喜んだ。
「急ぎましょう!」
いつになくローラまで興奮しているのが分かった。
人通りを目指して急ぐ。するとやはり、道があった。
リュカたちはその道を歩き、それが伸びる先へと急ぐ。
そして夕方になる前に、街の入口へと辿り着いた。
街道を歩く人をつかまえて、エドワードは質問する。
「ここは、何という街ですか?」
そして少し怪訝そうな顔をしながらも、通行人は答えた。
「え? ああ、シエラ・ブエナ、ですけど?」
こうしてリュカたちは、目標の街『シエラ・ブエナ』へと
辿り着くことが出来たのであった。
シエラ・ブエナの街に入るに際し、バリアンはローラの袋に隠れ、
リュカとエドワードで分担してその装備を運ぶことにした。
そして早速、一行は道具屋を探す。
紫の猪の牙二本を売って、まずはお金を得る必要がある。
そして賑わう市の片隅で、買い取ってくれそうな店を見つけた。
「なあ、おやじ。これを買ってもらえないかな?」
エドワードが交渉を買って出た。
そして道具屋の主人は、それを鑑定し始める。
「ふむ、こいつは……ハバラドの牙だね?」
そう言って袋から、銅銭をじゃらじゃらと取り出した。
「12ティエラだな。一本6ティエラ。悪くない取引だと思うぞ?」
道具屋は銅銭を『ティエラ』と呼んだ。
「くそ、足元見やがって……。どうする、リュカ?」
「仕方ないよ、その値段で」
「へへ、まいど」
そう言うと道具屋は微笑み、牙をしまった。
とりあえず銅貨12ティエラを握りしめ、その日の宿を求めて、
日も落ちかけたシエラ・ブエナの街をさまようリュカたち。
そして町外れに、あまり綺麗とまでは言えないが、一軒の宿を見つけた。
宿に入ると、少し仏頂面の主人が出迎える。
「何人だい?」
「三人です」
そう言うリュカに、これまたぶっきらぼうに応えた。
「大部屋雑魚寝で一床、5ティエラだよ。三床なら、15だな」
しかしお金が足りず、リュカたちは困り果てた。
「ん? どうしたね? 泊まるのか? はっきりしな」
そして言い出しにくそうに、リュカが伝えた。
「あの……、銅貨12枚しか、なくて……」
宿屋の主人は暫し無言で、リュカたちをジロジロと見て、
そして言った。
「いいよ、三人、12枚で。泊まっていきな」
「あ、ありがとうございます!」
「やった! ついてるぜ!」
「ご親切、痛み入ります」
喜ぶ三人。こうして滞在初日の宿を、なんとか確保できた。
「あのう、火をお借りできますか? 食堂で食べるお金が、もうなくて……」
リュカが申し訳なさそうに、主人に頼んだ。
「そこ突き当り、左曲がったら、炊事場あるから、勝手に使いな」
リュカたちは炊事場の炉を借りて、残りの塩漬け肉を焼いた。
昨日の燻しが効いたのか、臭いは気にならなかった。
「お? あんたその肉、どうしたね?」
肉を焼いていると、エプロン姿の男が話しかけてきた。
「これは途中で魔物を倒して、それで取れたんです」
リュカが答えると、男は感心した。
「そいつは、”無鉄砲”って魔物の肉だな。紫色してただろ、そいつ?」
「はい」
「まあ正式には『ハバラド』っていうんだけどな。まんま、”紫イノシシ”って、意味だわな」
そう言って男は笑った。
「いい状態でその肉を街まで持ってこられりゃ、銀貨何枚にも、なったかもな。そいつは極上の珍味として、この辺りじゃ高値で取引されてるよ」
「なんてこった! 勿体ないことしたぜ!」
これにはエドワードが一番悔しがった。
そしてエプロン姿の男が席を外して、肉が焼き終わる頃に戻ってきた。
「ほら、肉だけじゃ味気ないだろ? やるよ」
そう言って黒パンを三人に一つずつ渡した。
「よろしいのですか!? 私たち、お金持っていませんのに……」
「いいの、いいの。珍しいもん見せてもらった、お礼だよ」
ローラにそう言って、男は笑いながら厨房へと入っていった。
三人はありがたくパンを頂き、そして肉を平らげた。
そして食事が終わると、早々に床についた。
固くてごわごわとした寝床ではあったが、
野宿よりは遥かに寝心地が良かった。
そして、シエラ・ブエナ最初の夜は更けていくのであった。
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