18話『喧嘩。提案』
「さてさて、なんで君たちは”喧嘩”していたのか。それを教えてもらおうか?」
女教師。勉強部顧問の貝絵瞳は楽しそうにニヤニヤとした表情を浮かべつつ、僕たちにそう問いてきた。僕たちというのは、まあ氷室政明と夢川ユウカのことである。
僕としては別に、喧嘩していたわけじゃないんだけどな。
因みにこの修羅場じみた現場において。
竜舞坂は居心地が悪そうに、何とも言えない微妙な顔で、いつの間にか部室に設置されていた電気ケトルでお湯が湧くのを待っていた。
居心地が悪いという点でいえば、僕もそうである。
「別に私たちは喧嘩してたわけじゃありません。ただ、あまりにこと勉強において無能さを発揮する氷室クンに、退出をお願いしただけです」
そして。我が考えには同感なのか、彼女も貝絵先生の言葉を否定した。だが発されたその言葉は、事実とは程遠い……!
おい。事実を捻じ曲げるな!
しかし、そんな嘘はやはり彼女には通用しなかった。
「違うな、それは違う」
「はい?」
「君たちの会話が喧嘩だったかどうかは、君たちが決めることではなくて、私が決めることなんだよ」
その言葉は、なんだか唯一の友人である彼のワードを思い出してしまう。
「客観的に見て、君たちは喧嘩してたのさ。その事実は君たちじゃ変えられないよ──」
「で、でも……」
僕は特に反論しない。
彼女の、貝絵瞳の言い分は確かに正しかったからだ。特出した間違いのない理論に、僕の馬鹿げたガバガバ論理は通用しない。
だから、何も言わなかった。
しかし、夢川はまだ納得していない様子。
「じゃあこうしよう。君たちは勉強をなんだと思っている?」
「はい? 唐突になんですか……」
「答えたまえよ、教師志望」
話が流転していくが、別に僕は止めない。
「そりゃあ、勉強っていうのは、数学とか古典とか、学問を学ぶっていうこと。ですよ──」
「じゃあ社会経験をつむためのアルバイトは、社会勉強と言うが。それは勉強には当てはまらないのか?」
「……それは」
夢川の声がつまる。
「お前は、学問を学ぶ力のみに焦点を当てて『勉強』と表現しているが、実際勉強というものはそんな視野の狭い世界で見れるものじゃないんだよ」
「……」
「確かにお前は学問を相手に教えて、学ばせる力は凄い。この現役教師である私でも目を見張るものがある。そして、その分野でいえば……哀しきかな氷室は全くだ」
全くって。つまり、人にモノを教える才能は皆無ってことだよな。
……遠回りに言われた現実。そして事実。それには反論の余地がない。僕はただ泣きわめくしかなかった。
いや別に、泣かないけどさ。
ここまで曖昧に、濁されながら言われると逆に傷つくというもんなんだ。
「そしてソレは逆も然りなんだ。言っただろ。勉強ってのは、学問を教える、学ぶだけじゃない。それ以外の分野でも、あらゆる面において勉強というモノは存在する。だからキミが、氷室のことを勉強において無能だと判断するのは、まだあまりにも早計過ぎるんじゃないかな?」
「つ、つまりどういうことなんですか……」
「つまり、喧嘩していたかしていなかったかはともかく。『氷室がこと勉強において無能である』という指摘は現時点においては未確定なモノであり、間違っていると言いたいんだよ」
そして彼女は小さく呟くように、優しく付け加える。
『現役の教師として、教師志望の生徒にはそんな狭い視野で物事を見てほしくないんだ』と。
なるほど。
僕が無能やらなんやら言われているけど、取り敢えずは気にしないでおこう。
貝絵は良いことを言った。
それだけでいいじゃないか。
ああ。
それには納得した様子で、だが口論に負けてしまい、どうしようもなく、感情をぶつける場所もなく、ただ俯いてしまう少女。
予想通りながら、世界一気まずい空気が流れ出した。
こういう気まずい空気は、いつも通りではあるが、いつも苦手である。僕は謙虚派人間だ。昔の自分は置いておいて、現時点における氷室政明という人間は流動的で受動的な存在だ。
受け身の存在。
何か言われないと動かない。
他人が何かアクションを起こさない限り、同じ作業を繰り返している。
そんなどうしようもない人間なのだ。
「……っ」
いつも、こういう空気を破ってくれるのは竜舞坂なのだが。生憎今日はそういうわけにはならなかった。
どうやら彼女はいつの間にか気まずい空気とか忘れて、電気ケトルで沸かしたお湯とティーパックでつくる絶品のお茶を楽しんでいるようだった。
部室の端っこで、ティーカップに唇をあてる竜舞坂が微笑む。
なんて能天気なヤツなんだろうか。
だが、それはいい。
逆にそれは、絶好のチャンスだった。こんな空気を、自ら破壊してみる機会が与えられたのだから──。
「夢川」
緊張して声が震えていたが、ソレを抑え込みながら、僕はこの静寂を切り裂いた。予想外の人間からの声掛けだったのか、若干の動揺を見せる毒舌者。
「なにかしら……、急に」
「貝絵先生はああいう風に僕を良く言ってくれたけどさ。あんたの言う通り、僕は学問を教えるということにおいては無能にも程があるんだ。勉強においては……、正直分からない」
「え? あ、貴方は何が言いたいの」
「僕は別に、夢川。あんたの意見は間違っている訳じゃないって思うんだ」
大きなため息。決意と共に、立ち上がる。
「それは、貴方が無能だと認めると」
「いいや、そこまではいかなさいさ。そこまではね。僕が無能かどうかは、コレカラ決めることにしよう……」
「は?」
啞然。呆然と。意味が分からないと嘆いているように、呆気に取られている夢川に指を差す。
「勝負だ、夢川」
「はい?」
「何かで僕と勝負しよう……そして僕が無能かどうかを決めるんだ」
「そんなのしたところで……別に、意味なんてないんじゃないかしらね」
小さく困惑する夢川の姿には、ちょっと可哀想に思ってしまう。相当、貝絵先生の言葉が心の中に響いてしまったのかもしれない。まるでそれは親に怒られて拗ねている子供だった。
そして。
僕はそんな彼女に対し、更に勇気を出して言ってみた。
これは僕なりの挑戦であり、決意。
「────意味はあるさ」
「……どうして」
「だって。もし、この内容さえ決まっていない勝負で夢川、あんたが勝って僕が負ければ、僕は退部するんだから」
そう。それこそが、僕なりに提案した──この気まずい空気をなくすための、方法だったのである。




