17話『喧嘩。修羅場』
部室内は気まずい空気が蔓延していて、同時に支配していた。僕と竜舞坂、夢川はそれぞれ離れた席で背を向けてパイプ椅子に座っている。
今日は暇つぶしのためにと文庫本を持参していたのだが、功を奏したな。この微妙な空気の中でも、本を開いて視線を落としていれば楽なのだから。
「……」
因みに、こんな気まずい空気をつくった原因。それは勿論、今日、夢川との邂逅一番でドダスさんとのいちゃらぶな瞬間が見られちゃったからというところもあるんだろうが──……一番の原因はやはり、昨日夢川と喧嘩してしまったことだろう。
決して進んで直視したいと思うことではない。
出来れば目を背けてしまいたいことだ。
でも、この原因をつくったのは間違いない、僕なのである。
「ねえ、ユカユカ~」
だから、この空気を破る責任は僕か夢川にあった。だがしかし……、この静寂から一言生み出したのは、またしても竜舞坂だった。僕でもない。夢川でもない。声を出したのは天然で元優等生の、竜舞坂緋色だ。
「なにかしら、竜舞坂さん」
「今日も勉強教えてね」
「え? あ……。あ、うん」
突然何を言い出すかと思えば、別に内容は大したもんじゃなかった。僕は文庫本から目を離し顔を上げる。
「今日はね、古典が分からなかったんだよ」
「古典?」
「そう、古典。昔の人の気持ちなんて、分かるはずないのにね~」
「そうね……」
竜舞坂は椅子から立ち上がって、鞄から取り出した教科書類と一緒に夢川の方へと緩慢な足並みで歩いていく。
「あれ? ユカユカって、文系に進んだんだっけ?」
「いや、一応理系よ」
ここで思い出す。そういえばこの部室にいる奴らは僕を含めて、全員理系だったんだったとな……。まあ全員とはいっても、三人だけなんだが。
「そっか、じゃあユカユカも古典は苦手?」
『も』。それはつまり、竜舞坂は古典が苦手ということ。なんだ、前僕が古文の授業で泣きを見ていた時に──余裕の顔をお前はしていたが、別に大差ないじゃないか!
そこには劣等ではなく、平等があっただけなのに。
何故か僕はその覆った事実に、優越を感じていた。
「そうよ」
そして、その質問に毒舌女子高生はそう返した。
ほう。コイツにも苦手科目なんて存在するんだな──。勉強を教えることは上手でも、なんでも出来るってわけではないらしい。いや、逆に苦手科目がなくて万能人間ならば、勉強部は彼女一人で事足りるし、僕の存在意義がなくなってしまうから良いんだけども。
────待て。
今でも、十分に彼女一人で事足りているのは気のせいだろうか?
……気のせいだ!
「って、なんだよ」
「いいえ、貴方はまたそうやって、ぼーっとしていて、何も感じないのかなって疑問に思っただけよ」
「僕が無能だって、皮肉ってるのか? じゃあ言うけど。それは皮肉じゃなくて、僕にしてみればただの火球だよ」
「それは、貴方が自分を無能だと認識しているから、かしら?」
と、ここで。一瞥。夢川の視線が僕に当たったので何か言ってみれば、この有り様である。心なしか、いつもよりも言葉が痛くて、鋭い。それはやはり昨日のことも関係しているのだろうか。
少なくとも、僕はこの会話をしている最中でも、昨日のやりとりが脳裏をよぎる。
「僕が無能なのは確か、かもしれないが──」
「じゃあそういうことよ。別にそう負い目を感じているのなら、ここから退出してもらっても構わないわ」
「……」
いつの間にか、喧嘩に発展きてしまったかもしれない。いや、これはあくまでも一方的なものだ。
「えぇっ!?」
その苛烈を極めた言葉には、竜舞坂がそんな素っ頓狂な声をあげてしまう。
「じゃあいいさ、はいはい、僕は無能だ──」
非常に見苦しいことだが、僕も至って普通の男子高校生である。こんなことぐらい我慢しろよという話だが、彼女の発言には若干イラっときてしまうところがあった。確かに僕は無能だ。信じられないぐらい、僕はこの勉強部には貢献出来ていない。氷室政明はれっきとした劣等生である。
だから反論することは出来ない。
しかし、受け止め、開き直ることは容易だった。
一言いえば、流れるように言葉は溢れてきて、僕は言い募る。
「分かったよ。あんたの言い分はさ。僕が邪魔者なんだろ? 勉強もできない劣等生が、勉強を教えれるはずがないもんな。ああ。分かったよ。分かった。痛いほど、分かりすぎた」
「ふん、それなら結構よ」
「ああ、だから僕は退出させてもらうぞ──」
そう言って、最後、僕は勢いよく立ち上がった。そしてそのまま啞然とする竜舞坂をおいて、鞄を背負い、逃げるように部室の入口へと向かおうとした。
しかし、その行動は阻まれる。
「なんだなんだ。部室でいがみ合っている生徒がいるなと見てくれば、私が出張している間にも喧嘩していたとかいう二人じゃないか」
貝絵瞳。僕の恩師でもあり、この勉強部の顧問でもある女教師。彼女の声が僕を引き留めたのである。
彼女の声が聞こえた。ともすれば、僕は必然的に脚を止めてしまう。
そして同時ごろに、部室の扉を開いて教師がけだるそうな、いじらしい笑みを浮かべながら、そう。現れるのだった。
部室の扉前には、貝絵瞳がドア枠に寄りかかりながら立っていた。
相も変わらず良いタイミングで現れる人だぜ。貝絵先生!




