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16話『妹と、元優等生と、いちゃらぶ』

 僕にしてみれば、自分がそこまで真剣に”悩んでいる”という自覚はなかった。


 なにせ、もう去年、悩みに悩んで……もう悩むことなんてなくなったと、思いきっていたからである。

 氷室政明。彼は、僕は、自分自身はまだ非常に未完結的であり、未完成的な人間だ。だがそれでも、悩むステージは既に超えていたと思っていたのだ。根拠もなく、そう考えていたのだ。


 そんなわけ、ないのに。


「はあ、やめよ。考えるのは、疲れるしな……」


 僕はここで、脳内の番組を切り替えた。

 肩をすくませて、ため息を漏らす。やっと家に着いて、鍵を開けて先に広がる景色は、やはりいつも通りのものである。

 見慣れた玄関口で、薄汚れた靴を脱ぐ。


「ただいまー」


「おかえり、とだけ言っておいてあげましょう。兄ちゃん」


「なんだその言い方」


「えへへーん」


 疲れた僕を迎え入れてくれたのは、やはりいつも元気なマイシスターだった。可愛げがあり、同時に可愛げのない黒髪ショートな我が妹。『氷室庵理』。

 彼女はそう、いわゆる仁王立ちをしていた。


 お前はそういうキャラじゃなかったと思うんだが……。それに若干、言動がおかしい。


 仮にも数十年といる仲だ。たった少しの会話を交わしただけでも、その間に発生していた違和感には気付く。

 鈍関係主人公志望の僕でも、これは流石に疑問符が現れてしまうのだ。


「お兄ちゃん。私……ん、違う。わたしくしはねっ! お嬢様キャラになることにしたのよ!」


 ドドーン。

 そんな効果音がなるように、唐突に馬鹿げたことを言い始める妹。何を言っているんだ、コイツは。

 ふと、彼女の言葉が吞み込めず、僕は啞然と口を開いたままだった。


「ちょ、お兄様? す、少しは反応したらどう?」


「……お前さ、なんだよ。タンスの角に小指でもぶつけたのか? そんな馬鹿みたいなこと言っちゃったりしてさ」


「それを言うなら、頭をどっかにぶつけたのか? でしょ!?」


「あ、元に戻った」


「うぐ!? えーとぉ、私はお嬢様ですわよー!!!」


 このキャラ設定を今日始めたのか知らないが、まだ不慣れなのか、言動がブレブレだった。


 ちょっとカマをかけただけで、ボロが出る始末だしな。

 まあこれが僕の妹クゥオリティーなんだろう。


「まあお兄ちゃんとしてアドバイスしとくけどさ。お前、お嬢様キャラは似合わないと思うよ?」


「そ、そうかなあ」


「だって今みたいに直ぐに自信なくして、キャラ設定がぐちゃぐちゃになるし?」


「ぐ、ぐぬぬ……!!」


 妹は頬を可愛く膨らませながら、そう(うな)った。そしてどうにか反論しようと考えていたぽかったが──、どうやらマトモな反論が浮かばなかったらしく、彼女はなんでか赤面しながら僕に突進してきた!


「お兄ちゃん、覚悟ッ!」


「うお、なんだよ」


「ロジハラだよ。ロジハラ! ロジックハラスメント! お兄ちゃん、私に正論言わないで! 殴るよ!」


「殴るだって!? 僕はただ正論を言っただけなのに……。我ながら……理不尽な妹をもった」


 僕はそう重いため息を漏らしつつ、手で頭を抱えて苦笑いした。突進してくる妹。今のところの距離にして二メートルほどといったところか。ぶつかるまでの時間にして、残り一秒もない。

 だがしかし、案ずるな。


 僕はコイツのお兄ちゃんだ!


「だがな、教えてやるぜマイシスター。僕はお前のお兄ちゃんなんだよッ!」


 だから! こんなところでやすやすと、妹からの理不尽極まりない突進攻撃を受けてたまるか!


 そう考えて、身構える。

 目の前から攻撃を仕掛けてくる猪を避けようと。


 するのだが──。


「がおお!」


「あれ?」


 僕はすっかり忘れていたのだ。我が妹が中学で所属している部活動が陸上部であることに。そしてその中でも群を抜いて優秀であることに。

 運動神経が抜群であることに。


 そして、僕が運動音痴であることを。


「──はやっ!」


 予想以上の速度を見せる猪を、僕は避けることが出来なかった。そして、そのまま僕は彼女からの攻撃を、真正面から喰らうことになるのだった。



 ◇◇◇



 翌日。


「痛えぇ……」


「なんかひむろっち、辛そうだね。どうしたの?」


「妹に……突撃と思いきやフェイントされて、胸へと頭突きされた」


「ん?」


 僕と竜舞坂は部室にいち早く着いたので、ちょっとした会話を交わしていた。いや別に、こういう時じゃなくても普通に会話するけどさ。

 ジメジメとした部室の中は薄暗い。


 そんな雰囲気も相まってか、昨日夕方に妹からされた攻撃がまだ響いていた……。


 攻撃された箇所である胸と、転んで玄関ドアにぶつけた腰がかなり痛いのである。本当に恐ろしい(ヤツ)だ。冗談抜きで、本気で、愛しのお兄ちゃんに頭突きを喰らわす可愛い妹がこの世にいていいはずがないのに!

 もうちょっと可愛げのある性格になってもらいたいもんだ。


「大丈夫~ひむろっち?」


 僕は腰と胸を交互に自分の手でこすりながら、ボロいパイプ椅子に腰をかけていた。


「大丈夫だよ、ほんとに。そんな心配することじゃないさ」


「そっかあ。大丈夫じゃなかったら、私が膝枕しながら撫でてあげようと思ったんだけどなあ」


「大丈夫じゃないです!」


 ……こんな大怪我をして、大丈夫なはずがないだろう!?!?!?


 僕は彼女の言葉を聞き、即座に自分の前言を撤回する。こればかりは仕方がないだろう。なにせ、美少女が──膝枕をしながら、僕を撫でてくれるっていうのに!

 それを望まない男が、この世にいていいはずがない! いや、これはきっといないだろう!


 全人類よ、僕を羨め。


「そ、そう? そっかひむろっち。やっぱり大丈夫じゃないよね……」


「うんうん。だからぜひとも、膝枕!」


「え? あ、うん。じゃあこっち来て」


「分かった!」


 氷室政明。彼のテンションを今、表すとするのならば……最高潮となるだろう。僕のテンションはまさしくマックス状態だった。その興奮気味には流石の竜舞坂でも驚いたらしく『なんかひむろっち、急にテンション高くなかったねえ』なんて引いていた。


 安心しろ。

 僕はただ美少女に膝枕してもらえて、嬉しいだけだからな。


「ありがとう。母さん。父さん。僕をこの世界に生んでくれて」


 そんなわけで、パイプ椅子を何個か並べて簡易ベッドのようなものをつくり──その一つに座った竜舞坂の膝を、枕代わりにして僕はありがたく寝させてもらうのだった。


 白い彼女の膝肌に僕の頬が触れ、あたたかい体温と柔らかい感触が伝わってくる。

 これが、天使の膝枕かッ!


「うお、うおおお────!」


「ひむろっち、ほら。よしよし。痛い痛いのとんでけー」


「うおおお、うおおおおおおおおおお──!!!」


 彼女の一声はまるでエ〇クサーのようで、僕の体力ゲージは一気に満タンまで上昇した。興奮ゲージも同様にマックス値まで上昇したことは、もはや言うまでもないことだろう。

 まあそんなことはこの際どうでもいい。


 最早治ったも同然な大怪我だったが、僕はまだこの至福の時間を楽しんでいたくて、堪能する以外の無駄なことはしなかった。


 彼女にもういいよ、なんて言うことはない。

 言うはずがない。なかった。


「なんか、こうしてると……なんだろ。ひむろっちが可愛く見えるね。それに二人でこんなことしてると────あれだね、こいび──……」


「失礼するわ」


 と、彼女が何か言いかけたところで。

 部室の扉が開かれた。その声の主は赤髪ショートの毒舌女。夢川だ。やっと、夢川ユウカがやってきたようだった。いやでも、僕たちが早く来すぎただけだから、『やっと』という表現はあまり正しくないかもしれないが。


「は?」


 だが、それも、さっきよりも更に、この際どうでもいい。


 僕はふと気がつく。

 僕が竜舞坂に膝枕をしてもらっているシチュエーション。これが、傍から見れば意味不明な状況であることに……!


 突然視認した意味不明、理解不能である状況。


 やはりそれをユカユカが理解することはなかった。


 彼女はそれから何も言わず、一歩、後ずさりして、再び扉を閉める。かなり勢いが良かったからか、大きな音が出た。ピシャリと。


「……あれ」


「あ、あれえ?」


 そして僕たちは遅れて、とても恥ずかしいところを目撃されてしまったということを、理解するのだった。


 それから。

 勉強部、部室の中と外で。

 別々の悲鳴が聞こえることになるのだが、いや別に、『それは別の話である』わけではなかった。

 もしその定型文のようなものを改造して当てはめるのなら、こうなる。


 そう。

 それは今からたった一秒後の話である……と。



氷室。あんた羨ましいぜ──まったくよ。僕も膝枕ぐらいしてもらいたいもんだ。



……面白い、続きが読みたい、膝枕してもらいたいと思った方はぜひ【ブックマーク】や広告下の【☆☆☆☆☆】から【評価】していただけると嬉しいです。

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