第64話 鬼の夏期講習
夏休み。その単語を聞いて何を思うかは年齢よってバラバラである。小学生なら学業に囚われない長いお休みと感じるだろうし、経済成長がマイナス続きの社会を無理矢理に回す労働者ならば大変羨ましく感じるだろう。家で貪るニートは『人生が夏休み』と揶揄されることもある。
ただ、この万人に愛される夏休みをあまり休むことができない者らもいる。それは受験生である。
優気たちが現在受けている塾の講義はまさにその受験対策。目標の大学に受かるために金銭を支払って相応の講義を受ける。優気は両隣にいる璃久瑛と怜真、一つ前の席に座る凪行と共に国語の講義を受けていた。
残り二分程度時間が余るも早めに講義は終わり、それぞれ次の講義の準備をし始める。一コマ二時間、本日八時間分の勉強を受け、最後の五コマ目の講義を受ければ帰宅となるが、長時間席に座っていなければならないことに怜真の身体は限界を迎えていた。
「今日一段と強制居残り多かったな」
「なんか講師の吉野の機嫌悪かったっぽいな。ってかこの塾厳しすぎるだろ…」
四人が通う塾は厳しいことは地域内では有名だ。しかし、その分わかりやすく実績を残していることに加えて、月謝もとても格安であり、不景気なご時世にとってはこの上なくありがたいこと間違いなかった。
璃久瑛以外の三人は毎週通っているため、ハードな日程の夏期講習に耐性があるものの、璃久瑛は全てが初めてであり、辛酸を舐める毎日が続いていた。
「もう腰痛ぇよ。帰っていいか?」
「最近鍛えてるからじゃね?」
「だろうな。りっくんもキツそうだね」
「俺は勉強がつれえよ。なんだよ講義中に動いたり目逸らしたり問題答えられなかったりしたら一発で居残りって。阿呆もいいとこr」
素早く凪行が口元を手で押さえ、以後の発言を封じた。優気と怜真も口元で人差し指を立てつつ歯の隙間から息を出す。こんな愚痴を当の塾講師に聞かれたら倍近くの長時間居残りが課される可能性もあり、周りの者も連帯責任として巻き込まれる可能性も無きにしも非ず。似たような光景を見てきたからこその対応であった。
わかった、ごめんと口をもご付かせながら伝えるとそれぞれの手が解かれる。「ったく気を付けろ」眼鏡越しに突き刺さる凪行の眼光はかなり鋭利なものであった。
「ま、まぁ確かに昨日はむちゃめちゃ走ったしな。それが要因だと思う」若干周りの視線を気にしつつ話題をなんとか軌道に戻す。
「マジかよ。そりゃお疲れなこったな」
「前々から思っていたが、なんでお前たちは受験シーズンに限って肉体を鍛えているんだ?」
「え、あー…」
この手の質問には大変答えづらい。一般的な人間に対して「世界中の人々の活動を維持するために未知の敵から身を守ったり対抗するために身体を鍛えているんだ」なんてことを言っても頭のネジが飛んだ異常者扱いをされるのは間違いない。
更には優気の嘘は大変下手であり、言うなれば鼻に出るピノキオよりもわかりやすく表情に出てしまう。そのため、あっけなく見破られて他の者に問いただされることは間違いない。
璃久瑛が正直に答えたとしても厨二病を拗らせた気持ち悪さの延長を長々と見せられるだけであり、根本的な問題解決には至らない。そこで、怜真の出番である。
「身体が活動時間だと脳が働くからよく筋トレしてるんだよ。他にも、ちょっと走ったりとかな。もっとも、もうすでにハイレベルな凪行には必要ないかもな」
「いや僕も既に軽めの運動はしているよ。休日はよく外を散歩しているからな」
「俺は最近は瞑想が多いけどね」
「瞑想?」
論理的な解答と最後に煽てつつ次の話題へ逸らすことに成功したが、優気の発言を聞いて再び凪行は顔を顰める。
「そう。自分の中にいるもう一人と見つめ合うんだよ」
あまりにもスピリチュアルな解答で凪行の表情は再び陰りが増していく。次の講義の準備で動かしていた手が顔を覆い、怪しげな雰囲気が漂い始める。
「要はさ、精神統一だよ。寝る前に自分を落ち着かせて気持ちが楽になったところで最後復習やったりすると案外単語とか覚えられるようになるんだよ」
「ほう…少し興味深いな。僕もやってみるか」
優気の発言の真意は神力を練るためのものであるが、瞑想という意味も込められているため間違いではない。しかし、神の使者の話が漏れる可能性を追う二人は変にひやついていた。結果として余計なお世話ではあったものの、わざわざ危ない橋を渡ろうとする優気に付き合うのは大変疲れてしまう。二人は目を合わせてため息をつくと再び優気の口が開く。
「俺とりっくんは次坂藤先生の授業だよ。マぁージで助かったわ」
「あの先生おもろいよな。ちゃんと講義にユーモアあるし。酒飲みながらだけど」
「いいなぁ。俺はこのまま凪行とまた数学だよ。凪行、今日の小テスト」
「とりあえず122ページの括弧4は絶対出るってのは頭に入れさえすればなんとかなるだろうな」
じゃあ見せてくれよ、安易な要求に真面目な凪行が応えるはずもなくあしらう。そして、怜真が更にごねる。数学特進コースの二人はレベルの高い授業についていかなければならず、この後も大変そうな授業が待ち構えている様子であった。
結果、怜真に残る最後の『授業の貸し』を引くことでカンニング権を勝ち取った。そのやり取りを見送りながら「居残りになるなよ」と改めて念を押し、優気と璃久瑛は別室へ向かった。
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「うぅーす。じゃあ始めていくぞぉー」
坂藤による本日最後の授業が始まった。生徒たちは狭く六畳半程度の窮屈な部屋に十五人近くが無理に押し込まれるも、居残りのために集中力を研ぎ澄ます。
担任の坂藤はいつものように回らない呂律と紅タコのような真っ赤な顔が酩酊状態を証明する。璃久瑛はこの状況に慣れたようで、環境の変化に対応できる人間の凄さをまじまじと感じる優気であった。
「まずは日本史テストぉーやるぞ。範囲はぁ…戦国?」
「5日前くらいにやりましたよ」
「そうかー。じゃあー室町」
「その前日に確か…やった…ような…」
「なら明治大正、はー昨日やったな」
その後も様々なクラスメイトが間延びするように返答することで数分稼ぐことに成功し、授業の時間を微かに減らしていく。
「やべ時間が無い。じゃあ日本史選択は鎌倉と文化史の2つ行くぞ。世界史は1500~1800年代、地理は欧米、現社政経利用は?2人だけか。なら現社は環境と資源、エネルギー問題からで、政経は自治体と需要と供給から。時間は35分間。よぉーい」
急な決定により、予め配布されている地歴公民のプリント束を準備すると、急いで生徒たちがノートを開く。スタートという掛け声とともにノートを開く音が止み、代わりにそれぞれの筆圧がノート伝いに机を揺らす。五問以上ミスした場合居残りが決まる中、黙々と問題を解き続ける受験生の姿がそこにはあった。
優気たちはなんとかテストを乗り切り、ミスが多そうな問題の解説が始まる。本日最後の授業ということで終わりが見えてきたからか、しっかりと相手の目と板書された解説を頭に落とし込む。
ホワイトボードに書かれる科目の解説を書いては消し、書いては消す。書いては、というところで坂藤は疲労と酩酊で立ちながら眠ると言った曲芸かますと、腕に力が抜け、書き途中だった文章が重力を受けたかのようにそのままストンと落下した。
ガヤつく教室で「遺書みたいだな」と優気が声を漏らすと他のクラスメイトに一笑い巻き起こる。その笑いで坂藤は目を覚ますと「ここは…あの世か?」と本気トーンで演じ答え、再び笑いが起こった。
時間となり、漢文の説明に入る。ここで事件が起こった。書き下し文の説明の際に宮殿と言う言葉が出ると、坂藤は頭を抱え始めた。
遂に酒の限界がここで出たか。生徒の誰もがそう思い、全員が顔色を窺うと、優気は思わず「大丈夫ですか!?」と本気に心配してしまう。出入口から一番近い者は他の講師を呼び行こうと動こうとする者に加え璃久瑛はタブレットを構え百十番の準備をし始めると坂藤から「待て」と一声かかった。
「ギリギリ、思い出せないんだ…」
席を立った生徒は再び席に着き、璃久瑛はタブレットをバックにしまうも優気は心配そうな面持ちが継続しており、正直に疑問を投げかける。
「何をですか?」
「あの…なんだっけな」首をひねり眉間に皺をよせ、眉と眉を摘まむと優気も察し、顔が若干綻び漏れる。
「あったよな…宮殿の歌。宮殿のCMってなんだっけ?」
とりあえず考えてみる者や興味のあるふりをして全く別のことを考えている者など様々な生徒がいるが、枝葉なことは間違いなく、そこには何の意味もない話題である。璃久瑛はそこに意味を見出すかのように口を開いた。
「それはあれだ!焼肉のたれのCMですよ!」その発言でピンときた優気は激しく共感するも、坂藤は「そうだったっけか?」とまだ疑問符を浮かべている。
「ほら!宮殿、宮殿、焼肉のったれ~、ハイっ!」
「宮殿、宮殿、焼肉のったれ~」
「『宮殿、宮殿、焼肉のったれ~!』」
「『宮殿、宮殿、焼肉のったれ~!!』」
「『宮殿、宮殿、焼肉のったれ~!!!』」
「はい。花脇と神崎居残り」
笑いながらも驚愕する二人に教室にいる男子に笑いが起こった。先に訪ねといてそれはないだろうと訴えるような表情と首の動きに更に笑いを醸し出される。
「だって授業中に歌い出す奴がいるかよ」
坂藤も笑いを堪えながらの注意だった。それもその筈、自身は塾講師という立場であり、ここは居残りを告げなければその立場は緩んでしまうと結論付けたのであった。
「そんなぁ…」先生が振ったのに。納得のいかないまま結果を飲み込み数十分したところで授業が終わる。
授業が終了し、今日一日の塾講義を満了すると生徒たちはそそくさと教室を出ていく。取り残される優気と璃久瑛は煽る者や帰りの会釈をする者が勉学の檻から解き放たれ、各々の生活へ戻っていく姿を悲しげな眼で送り出した。
居残り内容はテストで間違えた箇所を修正しノートに三度書き写せ、とのことだった。あまりミスが多くない優気は課された題を既に確認してもらい、似非採点で助かった璃久瑛より早く帰りの支度をしていた。
「そういえば神崎はまだ進路面談してなかったな」
「あー、そういえばしてないですね」
面談というのは学習状況再確認し、希望大学を固めることテーマに行われているが、これは本来保護者と一緒にやるものである。優気のことを配慮した坂藤はそれを汲んで提案したのだった。
「なら、いーまーやるか」
「あの、時間ってどんくらいかかりますかね?」
「短くて3分、長くて10分くらいかぁ?」
「じゃあわりぃけど終わったら、ちょっと待っててくれ」
別クラスの怜真と凪行にも伝えておくと返され、璃久瑛が教室を出たタイミングで一対一の面談が始まった。
ポイントがあると多くの人に読んでもらえるとのことらしいので、面白いと思った方や少しでも続きが気になる方は是非評価をよろしくお願いいたします!m(__)m




