第10話 害魔
日が昇って間もない内から目が覚めた。
修行を始めた3日間ぐらいは体がバキバキで起きれないぐらいだったが、最近になってようやく体が慣れ始めてきた。といっても、体が辛いことに変わりはないが。
隣で寝ているイリスを起こさないように寝床から抜けだす。
外に出てグッと背伸びして「ふわ〜」とあくびする。
そのまま肩を回したり屈伸したりして軽く運動して眠っていた体を起こした。
「よしっ!」
姿勢を正して息を深く吸い込む。
クオンから教わった『練精法』は暇があればやるようにしており、この数日間の修行で10分間まで連続してできるようになった。かなりの進歩だと思うけどクオンに比べればまだまだだ。
未だに鬼ごっこで逃げ切れたこともない。
静かに呼吸を続けながら練精法を行う。
「んぐぐぐっ! ぷはーだめだ〜!」
限界が来たので練精法による身体強化を解除する。
時間は日毎伸びている自覚があるが、どうしても長時間の維持が難しい。クオンのように自然体で使えるようになるのが理想であるが、まだまだ先は長い。
その後は昨日の復習を兼ねて剣術の素振りをする。村の畑仕事をやっていたおかげか、手の皮は今のところ剥けていない。目指すはクオンのように灰色猪を一刀両断することだ。
「朝練終わり!」
軽く汗をかいたので服を脱いで井戸から組んできた水で体を拭う。
お父さんが見たら「はしたない!」とか言われそうだが、こんな朝っぱらから家を訪ねる人なんていないので気にしない。
体を拭った後に部屋に戻るとイリスはすでに起きていた。
「おねえちゃん、おはよう」
「おはようイリス」
「今日もはやおきさんだね」
「うん。師匠との修行もそろそろ終わりが近いから。ちょっとでも強くなっておきたくてね」
「そうなんだ。……あのね、おねえちゃん」
「どうかした?」
クイッと服の裾を引かれた。
こういう時のイリスは何かを言いたかったりお願いする時によくする仕草だ。
モジモジして口を開いては閉じているイリス。
可愛くてちょっと笑みが溢れた。
「その……さ、最近おねえちゃんが忙しいのはわかってるの」
「うん」
「あんまりわがまま言っちゃダメなのもわかってるの」
「うん」
「でも、その、わたしとも遊んでほしいなって……だ、だめ?」
「ダメなわけないじゃん!」
何だこの可愛い生き物は?
おっと、私の自慢の妹ではないか。
よく言えましたと私はガバッとイリスを抱きしめる。
「ん〜〜! イリスってば本当可愛いなぁ!」
「お、おねえちゃん!?」
「大丈夫よイリス。師匠ともお別れは近くて寂しいけど、それが終わったらたーんとお姉ちゃんと遊ぼう!」
「うん。約束だよ?」
「約束だ!」
こんな約束なんかしなくても絶対に叶えるけど口にする。
そのまましばらくイリスの温かさを堪能した後、お母さんに呼ばれて朝食を食べに向かった。
◆
「んじゃ師匠。今日も私はがんばるよ!」
「お前は朝っぱらから元気だな」
「うん。イリスからいっぱい元気もらったんだ」
「そりゃよかったな」
修行の疲れもどこかへ吹っ飛んだ。
クオンとの修行が終わるのは寂しいがイリスと遊ぶのも楽しみだ。
そして、今日もまた森の探索に向かう。
「そんで今日はどこを探索するの?」
「森の外れの方だな。お前が灰色猪に襲われた箇所を中心に探してきたから、今日はちと移動距離が長くなる。着いて来られるか?」
「当ったり前だい!」
「はっ、威勢のいい返事だ」
クオンと一緒に森の外れの方へ向かって走る。
鬼ごっこを通して私の走力を把握しているクオンは、私が着いて行ける速さで走ってくれている。クオンが全力を出せば簡単に引き離されるが、それでも今の速さに着いて行けるのは村の中だと私ぐらいのものだろう。
「ねぇ師匠。一個聞いていい?」
「何だ?」
修行のおかげで余裕ができた私は走りながらクオンに話しかける。
「結局、師匠はこの森の探索で何がわかったの?」
「そういや途中から修行ばかりで説明してなかったな」
前々から聞いてみたかったが修行でクタクタで聞いている暇がなかった。
いい加減教えてもらってもいいだろう。
「簡単に言えば森の獣の生息域の変遷とその原因の推測だな」
「へぇ」
「今まで探索した限り、森の獣たちがどこかに移動したのは間違いない。その痕跡を見つけつつどの方角へ向かったかを探っていた。あとは何で生息域を変えたのかに関してはまだわからん」
「師匠でもわかんないの?」
「お前にはわからんだろうが、この手の調査は人手がいるんだよ。俺一人じゃとてもじゃないが全域を隈なく回れん。だから優先度の高い箇所だけを調査することにした」
「ほほう」
「んで、ある程度獣が移動した方角は割り出せたから、今はその辺に向かっている最中だな」
「なるほど!」
今まで何を調べいるのかと不思議に思っていたことにも意味があったのか。
難しいことはわからないけど、さすがはクオンだと感心した。
私は森そのものには詳しいけれど、そういった調査とか考えはできないので素直にすごいと思う。お父さんからよく勉強しろと言われているが、クオンのそういう姿を見ると勉強も頑張らなければいけない気持ちになる。
帰ったら真面目に勉強もしてみようとと思った矢先。
「──止まれ。アリカ」
「え?」
クオンがその場で立ち止まった。
何事かと聞く前にクオンが言う。
「血の匂いがする」
「……本当だ」
言われて初めて私も気づいた。
森の中にいれば獣の死骸に会うことなんて珍しくない。
その特有の腐臭や血や匂いが微かに漂っている。
森の獣が移動したことで静かになった森。
クオンの狙い通り獣がこの辺りに来たことを示している。
私たちは会話をやめて一歩ずつ静かに歩く。
そして──見た。
「なに……これ?」
「草食獣の死骸だが、こりゃどういうこった?」
その場を目にした最初に思ったことは──気持ち悪いだ。
死骸は一つだけではなかった。
見渡す限り血溜まりができた地面に草食獣の死骸がいくつも重なっている。
近くになったことでむわっと充満する血の匂いに思わず鼻を覆った。
「明らかに大型の肉食獣の群れが食い散らかした後だな」
「……う、うん」
「この森でこういうことが起きたことは?」
「わ、私が知ってる限りじゃ一回もない」
「だろうな」
明らかにおかしい。異常事態だ。
灰色猪の時は脅威がすぐそこにあってわかりやすかったのに、逆に何かが起こっているのにわからない状況に背筋が冷たくなる。
何もできずに立ち尽くす私とは対照的に、クオンはあちこち回って現場を検分している。
「肉食獣が集まる、いや、追い立てられた? だとすると──まさか!?」
「師匠?」
「急いで村に戻るぞアリカ!」
「え、え?」
「村がやべえ!!」
「どういうこと!?」
「いいから走れ!」
「は、はい!」
何かに気づいたクオンは慌てて私に言う。
何が何だがわからない私は言われるがままに走り出した。
「走りながらでいいから聞け。簡単に説明するぞ。森の獣たちの生息域が変わったのは自然的なことじゃない。意図的に起こされたもんだ」
「ハァ!?」
一瞬、言っている意味がわからなかった。
そんなことあるわけないと言いたかったが、私と違いクオンの言葉だ。信憑性が違う。
どういうことなのかと問い返す。
「広域に散っている獣たちを追い立て一箇所に集結させてんだ」
「そんなの何の意味があるっていうのさ!」
「簡単だ。獲物がなくなった獣が次に何を狙うと思う?」
「──私たち村の人間?」
「そういうこった」
脳裏にイリスの姿が思い浮かんだ。
獣たちがイリスを殺すかもしれないと思っただけで私の頭にカッと血が昇った。
「──っざけんな!!」
「アリカ。調息」
怒った私にクオンはすかさず「調息」と言う。
この数日間、精霊術の制御法を学ぶために、師匠が「調息」と言えば条件反射的に息を整える癖ができた。ちなみに「調身」といえば体の姿勢を正してから息を整える。
息を大きく吐き出し、強制的に落ち着かせた私はさらに問う。
「そんなふざけたことしているのって何者なの?」
「それは──」
クオンが言おうとした時、
「はっ、どうやら向こうさんから来たようだな」
その『答え』の方から姿を現した。
「なに……あれ……?」
私は初めて知った。
灰色猪の時は命の覚悟はしても、怒りに燃えて立ち向かおうとした。
けど、今はその逆だ。
それを目にした瞬間──私の手は恐怖に震えた。
恐ろしくて逃げ出したい。
私の心が叫んでいる。
「いいか。アリカ。一つ教えてやる」
クオンは背中にある大剣を抜いた。
「この世には人を殺すだけの存在がいる」
私にそれが何なのか教えてくれる。
「人に仇なし、人を殺し、人に害を為すことからこう呼ばれている」
黒い靄に包まれたそれの明確な姿はわからない。
なのに、それは真っ赤な口だけが三日月の形をして人のように笑っている。
まるで獲物を見つけて喜んだかのように笑っている。
「──害魔とな」
それが私が害魔と初めての邂逅だ。




