従者のお叱り
部屋へ戻されて、グレイスはちんまりとソファに腰かけていた。
フレンはもう少し父と話があると言っていたがそれが終わればこちらへ来るだろう。その来訪を待つように言われていた。
待つように言われずとも、謹慎は既にはじまっているのだから、グレイスは部屋で静かにしているしかなかったのであるが。
ぼうっと先程の反省を反芻した。主にこれから来るであろうフレンについて、である。
公休のフレンがどうして来てくれたのかはわからないが、それだけことが重大であったから呼び出されたのかもしれない。そうであれば、休みを邪魔してしまったことになる。
それだけでも申し訳ないのに、多大な心配をかけて。
おまけに男たちにナイフを振るったこと。気分など良くないだろうに。
フレンのナイフの腕は確かなもので、護身術として身に着けたものだという。それは自分の身を守るものという以上に、グレイスを護るための『護身術』という意味だ。
でも護身術など使わないほうがいい、使う場面になんてならないほうがいいのだ。それを自分は、自分からそんな危険を冒してしまって。一体どこから謝ればいいのかわからない有様であった。
あれそれ考えているうちに、扉が鳴った。こんこんと軽い音を立てる。
来た。フレンだ。
グレイスは流石にびくりとした。それでも拒むわけにはいかないので、「はい」と返事をする。
返ってきたのは当たり前のように「私です」というフレンの声。
どくりと胸が鳴るのを感じる。今はあまり良くない意味、で。
「失礼いたします」
入ってきたフレンはカートを押していた。お茶の支度が乗っている。
それを見て、グレイスは理解した。それなりの長さになるのだ、フレンからの『話』は。
これまでもそうだった。フレンからのお叱りがあるときには、大概紅茶が出てくる。味わう余裕はあまりないのだったが。
「お嬢様、ひとまずお茶でも」
「……ええ」
からからとカートはグレイスのソファの傍まできて、すぐに紅茶が入った。すでに抽出された紅茶がポットに入っていたらしい。
「どうぞ」
かたりと小さな音を立てて、ソーサーがローテーブルに置かれる。グレイスは「ありがとう」とそれを手に取った。
ほっこりとあたたかな温度が伝わってくる。それに、一連の騒動以来、水分を取っていなかったのだから喉も渇いていた。
熱い紅茶に息を吹きかけて、火傷をしないように気をつけつつ飲んでいく。喉が渇いていたせいで、すぐに飲み終えてしまった。
フレンのほうをちらりと見ると、フレンは困ったように、でも笑みを浮かべてくれる。
「お代わりを」
「……ありがとう」
フレンにカップを渡すと、すぐにお代わりの紅茶が注がれた。それが改めてソーサーに乗る。お代わりを半分ほど飲んで、喉も落ちついた。
ほう、と思わず息をついたグレイス。それでグレイスが少し落ちついたのを悟ったのだろう。
「まったく、久しぶりに『お転婆』をなさったものですね」
フレンが呆れたような声で話を切り出した。
フレンはグレイスの従者で、使用人ではある。しかし教育係でもあるのだ。
よって、こういうときにはお説教をする権限を有している。母の亡いグレイスは半ばフレンに育てられたようでもあるので、お叱りを受けるのが初めてであろうはずもない。
「ごめんなさい」
全面的に自分が悪いことなどもう散々身に染みていたので、グレイスは素直に謝った。けれど謝ればすぐに許してもらえることであるものか。
「領主様が色々とお叱りをされましたから、私から同じことは申しませんが。もう少し、ご自分を大切になさってくださいませ」
「……ええ」
フレンが言ったのはそれだけだった。グレイスがすっかり反省したのは伝わったらしい。
それでも謝るつもりで、グレイスは疑問点を口に出した。
「あの……フレンは今日、お休み、だったのよね?」
「それをご存知でたくらまれたのだと存じますが」
そろそろと言ったことにはちょっと睨まれた。グレイスの企みなどお見通しであったわけだ。
「……ええ、……はい。ごめん、なさい……私のために、来て、くれたのでしょう……」
休みを奪ってしまったことを謝る。フレンはひとつ息をついた。
「そうですね。領主様に代休をお願いせねば」
確かに、このような事態で呼び出されることになったのだから、フレンは責められるどころか、むしろ被害をこうむっているといえた。父とて、あっさりと代休許可を出すだろう。
グレイスはもう一度謝ることになる。しかし、まだお叱りは終わらなかった。
「もうひとつ。お嬢様に反省していただきたい点がございます」
フレンの言ったことは曖昧だったので、グレイスは首をかしげた。
もうたくさん反省したし、これ以上の反省点はわからない。
「え、……ええと……?」
疑問の声が出てしまった。グレイスが『わからない』と思ったと察したのだろう。フレンは、ふっと表情を崩した。ちょっと悲しそうな顔になる。
「来週の外出。謹慎で、なくなってしまわれたでしょう」
「ええ……」
そのどこが反省だというのか。自分の自業自得だ。
グレイスがまだわからないという顔をしたからか。フレンは困ったように笑う。
「私は、随分楽しみにしていたのですよ」
フレンの悲しそうな表情の意味。グレイスは理解した。
理解、したが……。
直後、信じられない気持ちになった。
フレンが?
楽しみに?
してくれていた?
それは勿論、遊びに行けることではないだろう。フレンはお付きとして来てくれるのだから。
でも、この言い方ではまるで『グレイスと遊びに行ける』ということを楽しみにしていたようではないか。
いえ、そんなことはただの思い上がり。きっと違う意味……。
グレイスは動揺しつつも自分に言い聞かせたのだけど、胸が高鳴ってしまうのはどうしようもなかった。
「そ、……そうなの。それは……」
それはすまなかったわ。と、言うつもりだった。とりあえず、楽しみをふいにしてしまったのだからそこは謝らないと、と思って。
けれどその言葉は出てこなかった。フレンがグレイスの傍らに屈んで、その手が伸ばされたのだから。ワンピースの膝に重ねていたグレイスの手へ。
「せっかくのお嬢様と二人でのお出掛けだったのです。あそこへ向かいましょう、お食事はなにをいただきましょう、と考えて……」
グレイスは目を丸くしてしまう。このような言い方。まるで、……。
……まるで、恋人同士の、デートのよう。
フレンがこのような物言いをしたことは、今までなかったと思う。あくまでも『お付き』としての言い方だったのだから。
その違いに戸惑うやら、漂ってくる、なんだかほの甘いような空気を感じて胸が高鳴ってしまうやら。
目を白黒させるしかなかったグレイスであったが、フレンがふと、触れていた手をそっと握ってきた。白手袋の手で、グレイスの手を包み込む。
「ですから、私もお嬢様から『代わり』をいただいてもよろしいですよね?」
理由はわからないものの、求められたことはわかる。
その提案は、グレイスの胸を、かっと熱くした。顔まで赤くなったかもしれない。
「そ、……れは……お出掛け……?」
やっと言ったのに、フレンは当たり前のように肯定する。しかもその言い方が。
「ええ。特別な、ですよ」
追いうちまでかけられたようだった。念を押すように、グレイスの認識を促すような言い方で言われる。
「……わかった、わ」
返事などそれしかないではないか。グレイスはやっと答えた。
妙に空気があたたかい。それは包まれている手から生まれているような気がした。
「ありがとうございます。……さて、ではおしまいにいたしましょう」
フレンはにこっと笑った。もう、困ったような顔もしていない。
本当に話を終えて、許してくれるつもりなのだ。まだ戸惑いが去らないグレイスだったが、フレンはさっさとお茶の支度を片付けはじめてしまう。
なにか言おうと思った。
それはどういう意味、とか、どうして私と、とか、楽しみだったのは何故、とか。
聞きたいことなどたくさんあって。でもそのひとつもグレイスの口からは出てこなかった。
そんなこと。自分が欲しい答えなどひとつしかないからである。
そして、それ以外の答えであれば、落ち込んでしまうのは確かだったからである。
よって、出てきやしなかった。
グレイスの内心などフレンが知る由もない。お茶の支度はすべてカートの上へ回収されて、フレンは「では」と退室の意を示した。
「……ええ。……フレン」
グレイスは諦めた。言いたかったことは言えるはずもない。今はやめよう。
代わりに違うことを言う。
「本当に悪かったわ。それで、……ありがとう」
グレイスの心からの言葉。フレンは表情を崩す。「ええ」と言ってくれた。
「でももうやめてくださいませよ。私がどんなに心臓を冷やしたことか」
「わかっているわ」
それで本当におしまいになった。フレンは「お夕食のお時間に呼びに参ります」と、一礼して出ていってしまったのだから。フレンを見送って、グレイスは息をついた。
はぁー、と長いため息のようになった。今更、何故か顔が熱くなってきた。
包まれた手。まだあたたかい、いや、それを通り越して熱いようにも感じる。
そしてフレンの『楽しみにしていた』という気持ちとその表現。
それがまたグレイスの頬を熱くしてしまう。
フレンは従者としての気持ちで言ってくれたに決まっている。
でもなんだかグレイスに誤解をさせるようなものだった、と思ってしまうのは仕方がない。
それに、これも今更なのであるが。
今度は手と顔だけでなく、体全体が熱くなってしまうようなこと。
助けられたとき。腕に抱きとめられたとき。
『良かった……良かった、です……ご無事で』
涙声にも近く、言われたこと。
そのときに、強く抱きしめられたこと。
これこそ本当に、今更だというのに身に染みてきた。
今度は顔が熱い気がする、では済まなかった。かーっと頬が燃えてしまう。きっと真っ赤になっているだろう。
思い出したのがフレンの去ってからで本当に良かった、とグレイスは思う。
フレンは従者、であるけれど。自分の気持ちはただの従者に対するものではない。
今まではほんのりしていたその気持ち。今日の一連の出来事で、一気に形になってしまった気がする。
気晴らしどころではなかった。今度は違う意味の悩みが生まれてしまう。
後悔していいのか喜んでいいのか。グレイスにはまだわからなかった。




