計画実行の日
計画実行できる日は意外と早く来てしまった。父が隣の領へ出掛けることになり、そしてその日は良いタイミングでフレンも公休となっていた。従者とはいえ休日の一日もないわけがない、それが同じ日に当たってくれたことをグレイスは感謝した。
週末の直前だったのも幸い。週末は街にひとが増えると聞いていた。それは街に慣れないグレイスにとってはちょっと困ることであったので、平日にあたったことを感謝しておく。
その日は朝からこそこそと準備を整え、朝食の席でグレイスはちょっと憂鬱そうな顔をしておいた。計画通り、メイドが心配そうに「お体の具合でも優れませんか?」と訊いてくれる。
「ええ……でも大丈夫よ。月のものだから」
いい言い訳である、この理由は。具合が悪くなっても仕方がないという理由。おまけに病気ではないのだから、お医者や薬をと言われることもない。
こういう言い訳に使うのはどうかと思うのだが、グレイスにとって一人きりになって静かにさせてもらえるのに一番いい『理由』であったのだ。
「まぁ、それは良くありませんわ。今日はゆっくりなさってくださいまし。お勉強は……」
「日を替えてもらえるかしら?」
「ええ、それは勿論。教師にお伝えいたしますね」
そのようなやりとりで済んでしまった。一応、具合が悪いという体だったのでグレイスは申し訳ないと思いつつも、朝食のほとんどを残すことになる。それでメイドもグレイスが本当に調子が優れないのだろうと思ってくれたらしい。
朝食後は「お大事になさってくださいね」と部屋に入れられて、ホットミルクを出されて、一人になることができた。
しばらく様子をうかがってから、グレイスは形だけ入っていたベッドから勢いよく出る。俄然楽しみになってきた。
クローゼットから先日の箱を取り出し、中身を出す。そして着ていたネグリジェを脱ぎはじめた。
下着だけになって、普段あまり穿くことなどないズボンに足を通す。ズボン状になっている下の服は、運動の時間にしか着ることを許されていない。それも運動の時間など週に二日ほどしかないのだ。
そのときだけ今着ているものよりずっと優雅なものであるが、ズボンは身に着けられる。活発なグレイスにとってはこちらのほうがよっぽど身軽に過ごせると思うのだが。
それはともかく、そのときとは比べ物にならないほど質素なズボンを穿き、上はシャツを腕に通してボタンを留める。少々大きめの上着を羽織って……。最後に長い髪をひとつに束ねた。
普段、髪を自分で弄ることなどないのだが、いかんせん、グレイスの趣味は刺繍。手先は器用なほうだ。
ちょっと手間取りつつもリボンできゅっと結び、それをくるくるとまとめて、そこへキャスケットをかぶせる。その中に髪をすべて押し込んでしまった。
これで準備は完成。部屋の姿見に自分の姿を映してみて、グレイスは満足した。
どう見ても、貴族のお嬢様には見えない。大人の男性には見えないかもしれないが、とりあえず少年と言い張れるくらいには、中性的に見えるようになった。
次に引っ張り出したのはこれまた布のカバン。肩から掛ける小さめのものだ。これも勿論、こういうときにしか使わないもの。その中にハンカチやちり紙、そして財布を入れる。
財布。貴族の令嬢であるグレイスが普段、自分で支払いなどするものか。街に出たときだって大体は従者であるフレンが払ってくれる。
けれど教養の一部としてお金の使い方は教えられていたし、そのとき勉強用に渡されたいくらかの紙幣や硬貨があった。それをとっておいたのだ。これを使えば、街でちょっとしたものを買うくらいには足りるだろう。
これで準備は済んだ。グレイスはもう一度、姿見で違和感がないかを確かめて、すぅ、と息をついた。そしてぱっと目を開ける。
今日は楽しもう。ちょっといけないことではあるけれど、これで自分の気持ちがあがるのならば、やってしまえ。グレイスの本来の気質である大胆、奔放さを今こそ発揮するとき。
外の様子を十分に伺い、グレイスはそっと部屋を抜け出したのだった。
ひとに遭わないように気をつけながら、裏口へ向かう。裏口は使用人が頻繁に出入りするので、昼間は解放されているのを知っていた。
そこからそろそろ外へ出て、門ではなく、これも敷地内の裏へと向かった。けれどこちらにも簡単ではあるが警備が居る。屋敷に入る者はチェックされてしまうのだ。出ていく者に関しても同じこと。
よってグレイスは裏の庭の端へ向かった。ここに良いものがあるのを知っている。
がさがさ、と草をかき分けると、そこにはグレイスの目論見どおりのものがあった。石壁が壊れて穴になっている。
良かった、まだ見つけられていなければ、修理などもされていないようだ。
少し穴が小さいような気もしたのだけど、グレイスは身を屈めて穴に頭を突っ込んだ。そろそろ身を通そうとする。
けれど穴の出っ張りに阻まれてしまった。昔はするっと通れたのに。
グレイスはちょっと不満を覚える。今よりまだ体が小さかったので、するっと抜けられてしまったのだけど、グレイスの気付かぬうちに体は随分成長していた模様。
それでも、引っかかっていた部分をできるだけ反対側に寄せて、体をじりじり進めていく。布のカバンが邪魔になりそうだったので、肩と頭から抜いて、先に壁の先へと押し込む。
そうまでして、ようやく穴を通り抜けることができた。ふぅ、と息をつく。
こんな、地面を半ば這うようなこと、普段するはずもない。ただの令嬢なら顔をしかめてしまうようなことかもしれないのだけど、グレイスはむしろ楽しくなってしまう。
立ち上がり、布のカバンを元通り肩にかけた。うーん、と手をあげて伸ばす。
文字通り、羽根を伸ばすためのこの『お転婆』。
見回りの者や、通りかかったひとに見つからないとも限らない。さっさと行ってしまうに限る。グレイスは周りを見回し、ちょっと速足でさっさと屋敷から遠ざかっていったのだった。




