第76話
蠱毒の箱から現れたのは、 見た目は魔獣とはかけ離れた赤黒い球体だった。 それはドク…ドクと、 まるで脈打っているように定期的に心拍していた。 まるで空中で固定されているかのように微動だにせず、 ただただ脈打つだけだが……。
「な…んだ、 この不吉な魔力は…」
アランの言う通り、 脈打つ振動と共に身体の芯に響かせる程の不吉な魔力を発していた。
「きゃははははははは! こいつは俺の最高傑作だ! そう簡単に──────あれ?」
瞬間、 シュルベルトの首が飛んでいた。
勿論不意打ちを狙った俺じゃない。
ニルヴもアランも治癒スキルに専念している…。
そうなると、 可能性はこの球体なのか…?
そう思って球体を見やると、 球体とシュルベルトの間には、 まるで糸でもあるかのようにシュルベルトの鮮血が伝っていた。 血によってキラリと光った瞬間、 そこには極端に細く鋭く生成された針のようなものがその姿を見せていた。
言わずもがな、 その針は球体から伸びており、 シュルベルトが解き放った球体の魔獣が、 主であるシュルベルトの首を撥ねたのは明白だった。
シュルベルトが絶命してしまった今、 狼型の魔獣も解き放たれているが、 悪魔の血のお陰で今は他の人を襲うこともなく、 球体の魔獣に対してグルルル…と唸っていた。
この狼型の魔獣も、 初めて対峙した瞬間から感じていたが、 かなりの強さをもつ魔獣だ。 シュルベルトの指示に背く行動をしていたとはいえ、 主に攻撃まではしなかった。
しかし、 この球体魔獣はその行動をいとも容易く行った。 シュルベルトの首を撥ねた瞬間さえ見えなかった攻撃速度を持ち、 更にそれらが即死すら有り得てしまう脅威となっているこの球体魔獣を一体どうやって倒せというのか…。
そして、 この絶望に追い打ちをかけるように最悪な事態が起こった。
どこからともなくピキピキという蠱毒の箱がひび割れた時と同じような音が響き始めた。
「主よ、 この隔離空間を作っていた張本人が死んだという事は…」
ニルヴが背後まで言い終わる前に、 隔離空間は弾け飛んでしまった。 その瞬間…周囲に人が現れ、 その人々も突如現れた俺たちに困惑しつつも、 狼型の魔獣を見た途端悲鳴を上げて逃げ始めた。
これでは俺達が狼型の魔獣を王国に連れてきた極悪人のような絵面になってしまっているが、 今はそれでも人々が逃げてくれた事がなによりもよかった。
「アラン…こいつ、 このままにして逃げてもいいかな?」
「そうなると、 騒ぎを聞いて駆けつけた衛兵が一瞬で惨殺されていってしまうね」
「冗談です!!!」
いや、 正直半分は本気だった。
未だこちらに対しては攻撃をしてきてはいないものの、 空中で静止したままじっとこちらを眺めているようだ。 眺めているといっても、 赤黒い球体に眼が付いている訳ではないので、 そんな感覚がある…と言った方が正しい。
狼型魔獣も含め、 この場にいる全員が『逃走は不可能』と思わせる程の隙のなさを放っており、 恐らく逃げた人々は狼型魔獣を見て怯えて逃げていった。 もし、 この赤黒い球体の魔獣を見ていた場合は逃走出来なかったのかもしれない。
「……そ、 そんな…こんなの」
誰も動けないその時、 ニルヴと戦闘をしていた少女が絶望の声を上げた。
「リリィ君、 何を見ているんだい?」
もしやと思い、 俺はリリィと呼ばれた少女の方をチラリと見た瞬間、 脳内にスキル獲得の声が響いた。
『機械技巧師スキル:鑑定眼 を獲得しました』
予想は的中、 リリィが見ていたものは球体魔獣のスキル等だった。 有難く俺も使わせて貰った時、 俺もリリィと同じような反応をしてしまいそうになり、 咄嗟に口を紡ぐ。
個体名:悪魔の卵『メフィスト=フェレス』
固有スキル『逃走不可』『絶望』『魂狩』『魔法攻撃完全耐性』『状態異常完全耐性』『身体異常完全耐性』『治癒妨害攻撃』『致命傷攻撃』
一瞬鑑定眼のバグか何かと勘違いしてしまうレベルの固有スキル数だった。
しかも、 この固有スキル数で未だ卵だとか、 この球体魔獣…いや、 悪魔の卵は孵化してしまう前に始末してしまわねばなるまい。
が、 固有スキルを見たところ、 物理攻撃以外の攻撃は完全耐性を持っているので、 必然的に物理攻撃で倒すしか道はない。 しかしそれを行うには、 あの迅速の攻撃を回避しつつ攻撃を与えなければならない。 一撃でも喰らえば『致命傷攻撃』のせいで瀕死状態まで追いやられ、 さらにその傷は『治癒妨害攻撃』のせいで治癒することは出来ない。
……あれ、 詰んだ?
「主よ、 心拍の乱れがわしにまで届いておるぞ…わっはっは! なに、 わしと主にかかれば倒せぬ相手ではなかろうて」
快活に笑いながら、 ニルヴは俺の背中にこつんと額を当てた。 つくづく思うが、 『顎』戦の時も、 指の怪物との戦闘の時も、 そして今回も、 こんなに心強い見方がいるだろうか。
俺が死んでしまえば、 契約の反動でニルヴの命も消えてしまうという自分の保身の励ましではなく、 本心として俺の心を支えてくれている。
「…弱気になっちまってたな、 わりぃ」
俺の身体を包むように、 腹部あたりに回してきた尾を優しく撫でると、 先の辺りをピクピクと上下させているので、 恐らく喜んでくれているのだと思う。
「アラン、 イグニス…2人、 いや、 3人を連れて下がっててくれ」
「ま、 待つんだゼン君ッ! 早まったらダメだ! 今回の敵だって、 みんなで力を合わせれば────」
「おいおいアラン…お前にしては珍しい冗談だな」
アランの慌てっぷりから察するに、 『下がっててくれ』という俺の言葉に、 俺が囮にでもなり、 その間に逃げろというニュアンスで受け取ったのだろう。
「まさか、 俺が諦めたなんて思ったんじゃないだろうな? こちとら最強美少女竜ニルヴちゃんが付いてるんだぜ?」
俺のセリフにふふんと鼻を鳴らすニルヴだった。 頼られた事が余程嬉しかったのだろう。
「俺にはまだやらなくちゃいけない事が沢山ある。 こんな相手にやられる気なんて……さらさらねぇよ!!」




