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死ななかった人たち ~あの日から、もう一人の私がいる~  作者: 白川 透


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19/40

第十九話

金曜の夜、澪は仕事から帰ると、着替えるより先にノートを開いた。


昨日の日付だけが書いてある頁だった。その下は白いままだった。


「待ってた」


窓際から声がした。


「知ってる」


澪はテーブルにノートを置いて、ペンを横に並べた。


「先に言っておきたいことがあるの」


「何」


「これは、今回だけ。次もやるかどうかは、そのとき決める」


女は窓際から澪を見た。


「次って」


「あなたの言葉を、私がお姉ちゃんに持っていくこと。毎回あなたの代わりに行って、毎回話を持って帰ってくる。それを、ずっと続けられるかは分からない。私にも仕事があるし、ここで眠らないといけない」


女はしばらく黙っていた。


「……今回は、やってくれるんでしょう」


「やる」


「なら、いい」


女は窓際から一歩だけ澪の方へ寄った。それ以上は来なかった。


「話を聞くだけじゃ、足りないの」


女は言った。


「昨日、あなたから聞いた。お姉ちゃんが膝を抱えてたとか、待ってるって言ったとか。でも、それはあなたが見たお姉ちゃん。私は見てない。聞いてるだけだと、本を読んでもらってるみたい」


「うん」


「私は、私として会いたいの。あなたの話の中のお姉ちゃんじゃなくて」


澪はペンを握った。


「連れていけるとは、言えない」


「昨日も聞いた」


「あなたがこの部屋の外にいたことは、一度もない。どうしたら外に出られるのかも、出られるのかどうかも、私は知らない。朝倉さんも知らない。知らないことを、やってみようとは言えない」


女は窓の外を見た。


「……何かに入っていけないのかな。写真とか。あなたの携帯とか」


澪は首を振った。


「何かに入って運ばれるなんて、聞いたことがない。そういうことは、試せない」


「じゃあ、声は。私の声を録って、向こうで流すとか」


澪はすぐには答えなかった。


この子の声が録れるかどうか、澪は知らなかった。試したことがなかった。


「録れるのかどうか、私は知らない」


澪は言った。


「録れたとしても、向こうで流れるのはあなたの声で、あなたじゃない。あなたが会いに行くことにはならない」


「……分かってる」


「今回は、紙にさせて。一つずつ読んで、あなたに確かめてもらえるから」


女は口を結んだ。


澪は女の顔を見ていた。自分と同じ顔だった。同じ縁側を覚えていて、同じ約束をした顔だった。


それなのに、あの家に行けるのは片方だけだった。


澪が何かを怠けているからではなかった。どれだけ急いでも、どれだけ頑張っても、その差は澪には埋められなかった。


「だから」


澪は言った。


「短い伝言なら、持っていける。あなたが言ったことを、私が書く。書いたものを、あなたに読んでもらう。あなたがいいって言った言葉だけを、お姉ちゃんに読む」


「短いって、どのくらい」


「紙一枚。それ以上は、私が読み間違える」


女は少し考えた。


「伝えないでほしいことも、言っていい?」


「言って」


「この部屋から出られないこと」


女は言った。


「それは、あなたが説明するのはいい。説明しないと、お姉ちゃん分からないでしょう。でも、私の言葉の中には入れないで。かわいそうだと思われて返事をもらうのは、嫌」


澪は頷いた。ノートの端に小さく書いた。部屋のことは、伝言に入れない。説明は澪がする。


「それと、あなたの気持ちも入れないで」


「私の」


「お母さんのこととか。あなたが怒ってることとか。それは、あなたの話でしょう」


「……分かった」


澪は頁の白いところを見た。


「じゃあ、言って」


---


女は窓際に立ったまま話した。


澪はそれを書き取った。言われた言葉を言われた順に。


「お姉ちゃんへ。私も、みおです。積み木のこと、覚えてる。そこ、って指さしてくれたこと。絵本の声も覚えてる。引っ越しの前の日のことも」


女はそこで止まった。


「今も、会いたい。……返事がほしい」


それだけだった。


澪は書いた文を見た。


短かった。紙一枚どころか、半分にも足りなかった。


「これでいいの」


「読んで」


澪は声に出して読んだ。


お姉ちゃんへ。私も、みおです。積み木のこと、覚えてる。そこ、って指さしてくれたこと。絵本の声も覚えてる。引っ越しの前の日のことも。今も、会いたい。返事がほしい。


女は首を振った。


「返事がほしい、じゃない。返事がほしい、の前に止まったでしょう、私」


「……うん」


「そこも入れて」


澪は少し迷ってから、「今も、会いたい。」と「返事がほしい。」の間に、点を三つ書いた。


「それと」


女は言った。


「最後に何か足そうとしてたでしょう。ペンが動いてた」


澪はノートを見た。


「返事がほしい。」のあとに、書きかけの文字があった。無理なら、と。


無理なら、返事はいらないです。そう書くつもりだった。お姉ちゃんを困らせないように。断る余地を残すように。


仕事で手紙を書くときの癖だった。


「それ、私は言ってない」


「……うん。消す」


澪は「無理なら」に線を引いた。


線を引きながら、澪は自分の手を見ていた。


同じことを覚えていて、同じ顔をしている。それでも、澪が書けば澪の言葉が混ざる。一語足すだけで、この子の「返事がほしい」は澪の「返事はなくてもいい」になってしまう。


女は澪の言葉を嫌がったのではなかった。自分の言葉が澪の言葉に置き換わるのを、嫌がっていた。


「もう一回、読んで」


澪は読んだ。三つの点のところで、少し間を置いた。


女は黙って聞いていた。


「……それで、いい」


「お姉ちゃんが、読んでほしくないって言ったら、読まない」


「うん」


「返事も、来るか分からない」


「分かってる」


女の声は少しだけ硬かった。


「分かってるから、早く行って」


澪はノートを閉じた。


今回は、お姉ちゃんに何かを確かめに行くのではなかった。伝言を一度だけ届けて、返事があれば持って帰る。お姉ちゃんが聞きたくないと言えば、読まずに帰る。それなら一人で行けると澪は思った。


朝倉にメッセージを送った。明日の午前に、一人で旧居へ行くこと。行く前と、出たあとに連絡すること。四十分で切り上げること。


〈分かりました。連絡を待っています。〉


直子おばさんには、昨日の夜のうちに鍵を頼んであった。


---


土曜の午前、門の前で朝倉に〈着きました。入ります。〉と送った。


おばさんが帰ったあとの家は、前よりも静かに思えた。


朝倉はいなかった。廊下を一人で歩くのは、子どもの頃以来だった。


窓の前に座った。


ノートを膝に置いた。伝言の頁に、指を挟んでおいた。


「……みおちゃん」


窓の脇に、お姉ちゃんがいた。


「また来てくれたんだ。今日は一人?」


「うん」


お姉ちゃんは澪の顔を見た。それから、膝のノートを見た。


「何か、持ってきたの」


「うん。でも、その前に聞いてほしいことがある」


お姉ちゃんは膝を抱え直した。


「お姉ちゃんに、伝言を預かってきたの。読む前に、誰からの伝言か説明させてほしい。聞きたくなかったら、言って。読まないで帰るから」


お姉ちゃんは少し首を傾けた。


「……誰から?」


「先に、私の話をさせて」


澪は息を吸った。


「三年前に、事故に遭ったの。助かったけど、危なかった」


お姉ちゃんの目が動いた。


「それから、私の住んでる部屋に、もう一人の私がいるようになった。事故の前の私と同じ顔で。私と同じことを覚えてる。この家のことも。お姉ちゃんのことも」


お姉ちゃんは何も言わなかった。


澪はお姉ちゃんの顔を見ていた。驚いているのか、怖がっているのか、分からなかった。お姉ちゃんはただ、澪をじっと見ていた。


「その子は、自分の部屋から出られない。少なくとも、出たことはない。だから今日は来られなかった。その子が言ったことを、私が書いてきた」


「……その子が、私に?」


「うん」


お姉ちゃんは窓の外を見た。


長い間があった。


「みおちゃんにも、いるんだ」


小さな声だった。


澪は答えなかった。お姉ちゃんがそれ以上何かを言うのを待った。


お姉ちゃんは言わなかった。


「読んでいいよ」


お姉ちゃんは言った。


「聞きたい」


澪はノートを開いた。


「これは、その子が言ったとおりに書いたもの。私の言葉は入れてない」


澪は読んだ。


「お姉ちゃんへ。私も、みおです。積み木のこと、覚えてる。そこ、って指さしてくれたこと。絵本の声も覚えてる。引っ越しの前の日のことも。今も、会いたい。……返事がほしい」


三つの点のところで、澪は間を置いた。昨日の夜、窓際で女が止まったのと同じだけ。


お姉ちゃんは動かなかった。


膝を抱えた腕に、少し力が入ったように見えた。


「……積み木」


お姉ちゃんは言った。


「縁側の。みおちゃん、次はどれを載せるか、いつも迷ってて」


「うん」


「それも、覚えてるんだ。その子も」


「覚えてる」


お姉ちゃんはしばらく黙っていた。


「でも、私、その子に会ったことない」


お姉ちゃんは言った。


「その子は私を知ってる。私は、知らない。今、初めて聞いた。……みおちゃんと同じことを覚えてるなら、知ってる気もする。でも、知らない」


「うん」


「知らないのに、知ってるって言うのは、違う気がする」


澪は頷いた。


お姉ちゃんにとっては、新しく知った誰かだった。あの子にとっては二十年前の続きでも。


「返事、預けてもいい?」


お姉ちゃんが言った。


「預けなくてもいいんだよ。今日決めなくても」


「ううん。言いたい」


澪はペンを持った。


お姉ちゃんは窓の外を見たまま、ゆっくり話した。


「届いたよ。積み木のこと、私も覚えてる。次はどれにするか、いつも迷ってたね。……会いたいって言ってくれて、ありがとう。でも、何て返せばいいか、まだ分からない。あなたのこと、まだ知らないから。……分からないって、そのまま書いて」


澪は書いた。


書き終えて、声に出して読み返した。


「これで合ってる?」


お姉ちゃんは聞いていた。最後まで聞いてから、小さく頷いた。


「うん。それで」


「足したいことは」


「ない」


お姉ちゃんは膝に顎をのせた。


「……みおちゃん」


「うん」


「事故、痛かった?」


澪は少し笑った。


「覚えてない。気がついたら、病院だった」


「そう」


お姉ちゃんはそれ以上聞かなかった。


澪は時計を見た。決めた四十分が過ぎるまで、まだ少しあった。


「今日は、これで帰るね」


「うん」


お姉ちゃんは、その子をここに連れてきて、とは言わなかった。また読みに来て、とも言わなかった。


澪も、何も付け足さなかった。


---


門を出てから、朝倉に送った。


〈終わりました。伝言は読めました。返事も預かりました。帰ります。〉


〈お疲れさまでした。〉


少しして、もう一通来た。


〈明日、例の体験記を一緒に読む件、予定どおりで大丈夫ですか。無理なら延ばします。〉


澪は電車の中でそれを読んだ。


区民センターの部屋で閉じたファイルのことを思い出した。事例F。体験記あり。今日は読まない。


あの日、澪は自分の家とあの家のことを先にすると決めた。その二つは、まだ終わってはいない。けれど、今日の伝言で、一つは手を離せるところまで来た気がした。


〈大丈夫です。午後にお願いします。〉


---


部屋の鍵を開けると、女は窓際ではなく、居間の真ん中に立っていた。


「おかえり」


「ただいま」


「読んだ?」


「読んだ」


澪はコートを脱がずにソファに座った。ノートを開いた。


「最初に、お姉ちゃんの言葉。それから、私が見たこと。分けて話す」


「うん」


澪は読んだ。


「届いたよ。積み木のこと、私も覚えてる。次はどれにするか、いつも迷ってたね。……会いたいって言ってくれて、ありがとう。でも、何て返せばいいか、まだ分からない。あなたのこと、まだ知らないから。……分からないって、そのまま書いて」


女は動かなかった。


「これが、お姉ちゃんが言ったこと。書いたあとに読み返して、お姉ちゃんがそれでいいって言った」


「……うん」


「ここからは、私が見たこと」


澪はノートから顔を上げた。


「伝言を読む前に、私が事故のことと、あなたのことを話した。お姉ちゃんは、しばらく何も言わなかった。それから、みおちゃんにも、いるんだって言った。読んでいいって言ったのは、そのあと。積み木のところで、膝を抱えた腕に力が入ってた。ように、見えた」


「ように」


「私にはそう見えた、ってこと」


女は少し黙った。


「もう一回、読んで。お姉ちゃんの」


澪はもう一度読んだ。


女は途中で口を挟んだ。


「いつも迷ってた」


「うん」


「そうだった。私、いつも迷ってた」


女の声が、少しだけ高くなった。


「積み木のところには、答えてくれたんだ。覚えてるって」


「うん」


「会いたいのところは」


「分からないって」


「……知らないから」


「うん」


女は窓の方へ戻った。窓際に立って、外を見た。


「あなたの声で聞くと、変な感じ」


女は言った。


「お姉ちゃんの言葉なのに、あなたの声なの。お姉ちゃんがどんな声で言ったのか、私には分からない。……前と同じ声だったの?」


「同じだったと思う。少し低かったかもしれない」


「かもしれない、ばっかり」


「ごめん」


「謝らなくていい」


女は振り向かなかった。


「次は、いつ行くの」


澪はすぐには答えなかった。


「決めてない」


「また、伝言持っていってくれる?」


「……それも、決めてない」


女の背中が少し動いた。


「今回だけって、言ったでしょう」


澪は言った。


「次がないって意味じゃない。でも、今ここで、次も行くとは言えない」


「ずるい」


「そうかもしれない」


しばらく、どちらも話さなかった。


澪は、女が次の言葉を探しているのが分かった。もっと聞きたいこと。もっと伝えたいこと。それを全部言い出したら、今夜もまた日付が変わるまで話すことになる。


けれど、女は言わなかった。


「……今日は、もう話しかけないで」


女は言った。


「返事、自分で考えたいから。あなたに聞かないで」


「分かった」


澪はノートを閉じた。


伝言の頁には、二つの文が並んでいた。女の言葉と、お姉ちゃんの言葉。どちらも澪の字で書いてあった。


小さな伝言は、届いた。返事も、戻ってきた。


それでも、あの子はお姉ちゃんに会っていない。お姉ちゃんも、あの子を知らない。


澪は寝室で四冊目を開いた。


眠れた:(未)。しんどさ:中。


その下に書いた。


伝言、往復一回。夜は話していない。あの子が、自分で考えると言った。


---


日曜の午後、区民センターの同じ部屋を借りた。


朝倉は先に来ていた。テーブルの上に、印刷した紙が何枚か置いてあった。


「事例Fの注記にあった参照一覧の七番から、題と掲載先をたどりました。どちらも一致しています。要約から参照されている記事、ということまでは言えます。公開されている範囲だけを印刷しました。筆者の名前は出ていません」


「ありがとうございます」


澪は自分のノートと、相談事例要約のファイルを並べた。事例Fの頁を開いた。


一時休止の後、接触を再開。その後、睡眠と日常生活の安定が得られた。


まとめ:継続的な接触を経て、生活の改善に至った事例。


「昨日は」


朝倉が言った。


「大丈夫でしたか」


「伝言は、届きました。返事ももらいました」


澪はそれ以上は言わなかった。朝倉も聞かなかった。


「読みましょうか」


---


体験記は、二つに分かれていた。


上に本文があった。日付は一年ほど前だった。下に、それより数か月あとの日付で、追記があった。


本文は、静かな文章だった。


事故のあと、自宅の一室に自分と同じ顔の人物がいるようになったこと。誰にも話せなかったこと。家族にも、医者にも。


ある相談室で初めて、否定されずに話を聞いてもらえたこと。


――あの部屋にいるものを、私の気のせいだと言わなかった人は初めてでした。それだけで、少し眠れるようになりました。


澪はその一文で手を止めた。


自分も、同じだった。久世の部屋で、初めて否定されずに話した。最初に整理してもらえたことには、今も助けられている。


本文は、感謝で終わっていた。


澪は追記に目を移した。


――追記。


――相談室の資料で事例として紹介されることには、以前に了承していました。最近になって、実際の資料の文面を読みました。記載の順序が、私の覚えているものと違います。本文を書いたときには書けなかったことも含めて、追記します。


――接触の途中で、体調が悪くなり、もうやめたいと伝えました。休憩のあと再開した方がいいと勧められ、再開しました。資料には、一時休止の後に再開したとだけ書かれています。私がやめたいと言ったことは書かれていません。


――再開したその日に、また体調を崩しました。その日、自宅でけがをしました。詳しくは書きません。それ以来、接触はしていません。


――私の生活が落ち着いたのは、接触をやめたあとです。再開したからではありません。


――本文に書いた感謝は、取り消しません。最初に話を聞いてもらえたことには、今も感謝しています。ただ、私の経験が、続ければよくなる例として使われるのは違うと思っています。


――この件で連絡を取りたい方は、掲載先の問い合わせ窓口からお願いします。返信できないことがあります。


それで終わりだった。


澪は紙を置いた。


朝倉も読み終えていた。手帳を開いていたが、まだ何も書いていなかった。


「……違いますね」


澪は言った。


「はい」


朝倉は手帳に書き始めた。澪も、ノートに書いた。


一つずつ。


要約:一時休止の後、接触を再開。

追記:やめたいと伝えた。休憩後の再開を勧められ、再開した。やめたいと言ったことは要約にない。


要約:再開後、睡眠と日常生活の安定。

追記:再開した日に体調を崩し、けがをした。以後接触なし。落ち着いたのは、接触をやめたあと。


要約:継続的な接触を経て、生活の改善に至った。

追記:続ければよくなる例として使われるのは違う。


「本文の感謝と、追記は、同じ人が書いていますね」


朝倉が言った。


「たぶん。同じ記事の下に、本人の追記として載っているので」


「はい」


澪は自分のノートを見た。


「でも、これも、この人の側の話ですよね」


澪は言った。


「要約が間違ってるって、まだ決められない。この人がそう覚えている、ということまでしか、今は分からない」


「そうですね」


朝倉は手帳の端に書いた。要約と追記の文面の違いは確認。経過は筆者の主張、原記録未確認。


澪はファイルの事例Fの頁を見た。


一時休止の後、接触を再開。


金曜の夜、澪は女の言葉を書き取った。返事がほしい、の前で止まった間を、点三つで残した。たった一語、無理なら、を足しかけて、消した。


この人がやめたいと言った言葉は、どこへ行ったのだろう。


休止、という二文字の中に、入っているのかもしれない。入っていないのかもしれない。


澪には、まだ分からなかった。


けれど、分からないまま、この頁を勧められた通りに読んで、続ければよくなるのだと受け取った人が、ほかにもいるかもしれなかった。


澪自身が、そうだった。


「連絡、してみますか」


朝倉が言った。


「問い合わせ窓口から。こちらが何を知りたいかと、断ってもいいことを書いて」


「はい」


澪は頷いた。


「何を聞くかは、先に決めておきたいです。体験をもう一度話してほしい、とは書かない。この人がもう話したくないかもしれないから」


「はい」


「追記に書いてあることを、確かめさせてもらえるかどうか。何なら見せてもらえるのか。それを、この人に決めてもらう」


朝倉は手帳の新しい頁を開いた。


「僕たちが誰か。なぜ連絡したか。何を知りたいか。何は求めないか。断ってもいいこと。それを短く」


「はい」


二人で、一行ずつ書いた。


相談事例要約の事例Fを読んだこと。追記を読んだこと。二つの記載の違いについて、筆者が確認させてくれる範囲があれば知りたいこと。体験の再現や、ご自宅への訪問は求めないこと。返信しなくても構わないこと。


書き終えて、澪は声に出して読んだ。


読みながら、澪は一か所で止まった。


「最後の一文」


澪は言った。


「返信しなくても構いません、のあと。ご負担をおかけしてすみません、って書きかけました。今回は、やめておきます」


「どうしてですか」


「この人には、返事をする理由がないので。謝られたら、返さないといけない気がするかもしれない」


朝倉は少し考えて、頷いた。


澪は線を引いた。


「今夜、もう一度読み直して、明日の朝に送ります」


朝倉が言った。


「僕の名前で。水城さんの名前も、出していいですか」


「出してください。私も、この相談室に行った一人なので」


朝倉は手帳にそれを書いた。


澪はファイルを閉じた。


閉じる前に、事例Fの頁の端に、小さく鉛筆で書き足した。


本人の追記あり。順序が違うと本人が書いている。確認中。

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