空いていた席
施設を出るだけで、思った以上に時間がかかった。
行きは一人ずつ降りただけだった縦穴も、帰りはそうはいかない。ヴァンは自力で登れる状態ではなく、ノアもまだ足元がおぼつかない。ディルは「俺は平気だ」と言い張ったものの、縄へ手をかけたところで腕が震えたため、セラに無言で座らされた。
「何で何も言わないんだよ」
「言っても聞かないでしょ」
「……はい」
「増えたな、素直なやつ」
エドが笑う。
「お前は元気すぎる」
「俺は二年分ちゃんと生きてるからな」
「その理屈だとカイルが一番元気じゃないとおかしい」
「俺を巻き込むな」
五年前に離れた六人が同じ場所に揃ったばかりだというのに、会話だけを聞いていると昨日まで一緒に旅をしていたようだった。
ハヤトは少し離れたところで縄を結びながら、その様子を眺めていた。
たぶん昔もこうだったのだろう。
カイルが先に動いて、ヴァンが勝手なことをして、エドが口を挟み、イリスが止める。ノアとディルについてはまだ分からないが、少なくとも全員が遠慮するような間柄ではないらしい。
「ハヤト」
セラに呼ばれ、我に返る。
「何?」
「見てないでこっち持って」
「はい」
ヴァンを引き上げるための簡単な吊り具を作る。カイルとエドが上へ回り、ハヤトが下から支えることになった。
「落とすなよ」
ヴァンが言う。
「落とされたくない人の態度じゃないな」
「怖がったら落とさないのか?」
「それはない」
「なら同じだ」
「なんか腹立つ」
身体へ縄を回していると、ヴァンが小さく笑った。
「お前、カイルと気が合うだろ」
「最近それ言われるけど、あんまり嬉しくない」
上から声が飛ぶ。
「聞こえてるぞ!」
「地獄耳だな」
「真下だ!」
先にヴァンを上げ、そのあとノア、ディルと続く。
イリスは自力で登った。
最後にハヤトとセラ、レグが穴を抜ける。
外へ出た瞬間、黒い塊が勢いよく走ってきた。
「クロ!」
レグが両手を広げる。
クロはそのまま胸へ飛び込み、勢いに負けたレグが尻もちをついた。
「ただいま」
鼻先が頬へ押しつけられる。
「まってた?」
尻尾が大きく振れる。
「まってたね」
もう一度抱きしめた。
クロはそこでようやく安心したらしく、周囲の匂いを嗅ぎ始める。
カイル。
エド。
セラ。
ハヤト。
そして見慣れない三人。
イリスのところでは、やはり少し警戒した。
ヴァンへ近づいた瞬間には、身体を低くする。
「クロ」
レグが呼ぶと、唸りはしなかった。
ただ、耳の下にある黒い金属から目を離さない。
「覚えてるみたいだな」
ヴァンが言った。
「お前が何かしたの?」
レグが聞く。
「直接はしてない」
「ほんと?」
「ああ」
クロの視線を受けながら、ヴァンは地面へ座り込んだ。
「ただ、その首輪と同じ仕組みのものは何度も触った」
レグの手がクロの首へ移る。
今はもう外されている。
けれど、毛の下には古い印が残っている。
「クロに、だれがつけた?」
「分からない」
「ヴァンじゃない?」
「違う」
レグはしばらくヴァンを見た。
「じゃあいい」
「信じるの早くないか?」
「うそなら、あとで怒る」
「それは怖いな」
ヴァンが笑った。
クロはまだ完全には警戒を解いていないが、レグが離れたので追いかけてくる。無理に近づける必要はなさそうだった。
日が傾き始めている。
「今日はノルドまで戻るだけだな」
カイルが言った。
「修道院は明日以降」
「全員休ませてから」
セラが念を押す。
「特に三人」
ヴァン、ノア、ディルへ順番に視線を向ける。
「俺も?」
ディルが不満そうに言う。
「二年間ほぼ動いてないかもしれないんですよ」
「俺の感覚では一日だぞ」
「身体の感覚は?」
「……ちょっとだるい」
「休みましょう」
「はい」
即落ちだった。
「セラ強いな」
イリスが笑う。
「言っても聞かない人が多いから」
「誰のこと?」
ハヤトが聞く。
セラは答えずにこちらを見た。
「俺も?」
「自覚あるならいいよ」
「あるんだ……」
ノルドへ向かって歩き始める。
歩けないヴァンは、エドとカイルが交代で肩を貸した。ノアも無理をさせず、途中から簡単な担架を作った。
ディルだけは意地でも自分で歩いたが、一時間もしないうちに口数が減った。
「やっぱり休む?」
セラが聞く。
「大丈夫」
「さっきから三回目」
「じゃあ次から別の言い方にする」
「そういう問題じゃないです」
セラの声に、六人の旧仲間が揃って笑う。
「もう馴染んでるじゃん」
ハヤトが言うと、セラは少し困った顔をした。
「患者が増えただけなんだけど」
「それで馴染むのすごいな」
しばらく森を歩いたところで、ハヤトは隣にヴァンがいることに気づいた。
カイルに支えられながらではあるが、こちらを見ている。
「何?」
「昨日聞いた名前」
「昨日?」
「ガルド」
ハヤトの足が少し遅くなる。
「やっぱり何か知ってる?」
「ああ」
「レグの父親?」
「そこまでは言えない」
「じゃあ何を?」
ヴァンは少し前を歩くレグを見る。
クロと並んで歩きながら、何かを話している。相手は返事をしないのに、本人は気にしていない。
「古い記録に名前があった」
「どこで?」
「四年前に見つけた施設」
「カイルたちと別れたあと?」
「ああ」
「どんな記録?」
「竜についてまとめたものだ」
ハヤトの意識が一気にそちらへ向く。
「人化の?」
「それも含まれてた」
「ガルドって名前が?」
「正確には、俺たちがそう読んだ」
「俺たち?」
「俺と……」
ヴァンが一度言葉を切る。
「ノアだ」
担架で運ばれているノアを見る。
「ノアと一緒だった時期があるの?」
「ある」
「エドは二年前までノアと一緒だったって」
「それより前だ」
五年間。
六人はずっと別々だったわけではない。
合流し、また分かれた時期がある。
「ガルドについて何て書いてあった?」
「断片しか残ってなかった」
ヴァンは思い出すように言った。
「名前の近くに、二つの言葉があった」
「何?」
「《東》と、《守る》」
ハヤトは黙った。
さっき施設で見た壁。
各地へ散っていった六頭の竜。
東へ向かった一頭。
「それだけ?」
「もう一つ名前があった」
嫌でも予想した。
「……ミレア?」
ヴァンがハヤトを見る。
「知ってるのか」
「レグの母親の名前だと思う」
「そうか」
ヴァンの表情が少し変わった。
「じゃあ、かなり近いな」
「何が?」
「俺が読んだ記録では、その二つの名前は並んでた」
ハヤトは前を歩くレグを見る。
父ガルド。
母ミレア。
二つの名前が、古い竜の記録に一緒に残っていた。
「それ、本人たちだと思う?」
「分からん」
「でも」
「同じ名前の別人って可能性もある。古い言葉の読み方が間違ってる可能性もある」
「そこまで慎重なんだ」
「痛い目見て覚えた」
ヴァンは自分の耳元を指した。
黒い金属。
「説得力あるな」
「だろ」
「その記録、どこにある?」
ヴァンは東を向いた。
「修道院だ」
ハヤトは思わず止まりかけた。
「そこ?」
「ああ」
「カイルが人化する竜の記録を見つけた場所と同じ?」
「多分、見たものは違う」
「何でカイルに言わなかった」
「五年間会ってなかった」
「あ、そうだった」
「忘れるな」
「最近情報が多すぎるんだよ」
ヴァンが少し笑う。
「俺もだ」
その会話に、後ろからカイルが割り込んだ。
「何話してる」
「お前には教えない」
「何でだよ」
「冗談」
「ヴァンが言うと冗談に聞こえない」
「昔からだ」
カイルがヴァンを支え直す。
その手つきは乱暴そうに見えて、実際にはかなり慎重だった。
「で?」
「修道院の話」
「何か知ってるのか」
「あとで全員に話す」
「今言え」
「疲れた」
「お前な」
「患者を休ませろってセラに言われた」
セラが少し前から振り返った。
「それは正しいです」
「ほら」
「都合いいときだけ使わないでください」
ノルドへ着いたのは、空が赤くなり始めたころだった。
村の入口で、一人の男がこちらを見つける。
朝送り出した人数より明らかに増えている。
「……また増えた?」
男が真顔で聞いた。
ハヤトは少し考えた。
「三人ほど」
「何しに行ったんでしたっけ」
「人探し?」
「疑問形なんですか」
説明はカイルに任せた。
村長の家だけでは足りず、空いていた家をもう一軒貸してもらうことになる。
セラはすぐヴァンたちを横にさせ、イリスも手伝った。
ハヤトとエドは水を運び、カイルは村長へ事情を説明する。
レグはクロと一緒に食事の準備を覗きに行った。
「レグ」
ハヤトが声をかける。
「なに?」
「手伝ってる?」
「みてる」
「手伝おうか」
「味見する」
「それは手伝いじゃない」
料理をしていた村の女性が笑う。
「少しくらいならいいよ」
レグの目が輝いた。
「ほら、許可出た」
「一個だけだぞ」
「うん」
絶対に一個で終わらない顔だった。
夜。
借りた家の大きな部屋に、長い卓が用意された。
質素な料理。
野菜の煮込み。
固めのパン。
焼いた川魚。
弱っている三人には別に薄い粥が出されている。
「俺も魚」
ディルが言う。
「明日」
セラが即答した。
「一口」
「明日」
「匂いだけ」
「好きにしてください」
「厳しい」
ノアはすでに諦めて粥を食べている。
「これ普通にうまいぞ」
「裏切ったな」
「腹減ってるから何でもうまい」
「それ聞いたら余計魚食いたくなった」
ヴァンは何も言わず粥を食べていた。
「ヴァンは文句ないの?」
イリスが聞く。
「言ったらセラに怒られる」
「学んだね」
「生きる知恵だ」
「聞こえてますからね」
セラも席につく。
そこでようやくハヤトは気づいた。
カイルたち六人が、同じ卓に座っている。
カイル。
ヴァン。
イリス。
エド。
ノア。
ディル。
一人も欠けていない。
カイルも同じことに気づいたらしい。
パンを取ろうとした手が止まった。
「どうした?」
エドが聞く。
「別に」
「何だよ」
「……六人いるなって」
誰もすぐに返さなかった。
ヴァンが粥の器を置く。
「そうだな」
イリスが六人を順番に見る。
「変な感じ」
「俺は昨日まで普通だったけどな」
ディルが言う。
「お前の昨日は二年前だ」
ノアが返す。
「俺には昨日だ」
「俺にも昨日だ」
「お前と俺だけ話合いそうだな」
「時間感覚だけな」
エドが笑った。
「俺は全部覚えてるぞ」
「五年分?」
「ああ」
「羨ましいような、そうでもないような」
「絶対そうでもない」
エドは苦笑した。
五年間を生きた者。
五年間を失った者。
二年間を失った者。
昨日の続きをそのまま迎えた者。
同じ卓へ戻ってきても、全員が同じところへ帰ってきたわけではない。
それでも。
「とりあえず」
イリスが自分のカップを持ち上げる。
「全員生きてた」
「酒じゃないけどな」
ヴァンが言う。
「あなた今飲んだら倒れるよ」
「俺じゃない。カイル」
「俺も今日はいい」
「珍しい」
「うるさい」
イリスが笑う。
「じゃあ水で」
六人のカップが、卓の中央へ集まった。
派手な言葉はなかった。
ただ一度だけ、軽く触れ合う。
こん。
小さな音。
ハヤトは少し離れた席で、それを見ていた。
「ハヤト」
隣のレグが袖を引く。
「なに?」
「レグもする」
「何を?」
自分のカップを持ち上げる。
「これ」
「ああ」
ハヤトも持つ。
セラも笑いながら加わった。
「私も」
三つのカップが触れる。
「何に?」
セラが聞く。
「何か決めないと駄目?」
「別に」
「じゃあ」
レグが少し考える。
「明日もいっしょ」
ハヤトとセラが顔を見合わせる。
「それでいこう」
三つのカップがもう一度触れた。
食事が終わるころには、ノアとディルは眠そうにしていた。
ヴァンも限界に近い。
セラとイリスに追い立てられるように、三人は先に寝室へ向かった。
「子供みたいだな」
エドが笑う。
「聞こえてるぞ」
奥からヴァンの声が返ってきた。
「元気じゃねえか」
「寝ろ!」
久しぶりに、家の中へ笑い声が広がった。
その夜。
ハヤトが外へ出ると、カイルが一人で家の前に座っていた。
「寝ないの?」
「もう少ししたらな」
隣へ座る。
しばらく何も話さない。
村の灯りは少なく、空には星がよく見えた。
「全員いたな」
ハヤトが言う。
「ああ」
「昨日まで一人だと思ってたのに」
「一人とは思ってない」
「俺らいたし?」
カイルがちらりと見る。
「自分で言うな」
「でもそうだろ」
少し間が空く。
「……まあな」
それだけで十分だった。
ハヤトもそれ以上は言わない。
やがてカイルが立ち上がった。
「明日、ヴァンの話を聞く」
「ガルドとミレア?」
動きが止まる。
「もう聞いたのか」
「少しだけ」
「なら俺も聞く」
「レグにも?」
カイルは少し考えた。
「本人のことだ。隠す理由はないだろ」
「だな」
明日。
身体の具合を見て、修道院へ向かう。
そこにはレグの両親と同じ名前が記された古い記録がある。
ハヤトが家へ戻ろうとしたとき、背後で扉が開いた。
「ハヤト」
レグだった。
「まだ起きてたの?」
「水のみたかった」
「そっか」
レグはカップを持ったまま外へ出て、空を見る。
「星いっぱい」
「うん」
「東、どっち?」
ハヤトが指す。
「あっち」
レグはしばらくその方向を見た。
「声は?」
「しない」
「名前も?」
「うん」
少し安心する。
レグは水を一口飲み、何でもないことのように言った。
「でも、近いよ」
「何が?」
レグが東を指す。
「おかあさんのにおい」
カイルの顔が上がった。
「今分かるの?」
「ちょっとだけ」
「昨日までは?」
「しなかった」
ハヤトも東を見る。
修道院のある方角。
「どれくらい近い?」
レグは首を傾げた。
「わかんない」
「まあ、そうだよな」
まだ断定はできない。
記憶に引っ張られているだけかもしれない。
古い記録や石の反応を、匂いだと感じている可能性もある。
それでもレグは迷っていなかった。
「明日、行く?」
「ああ」
「みんなで?」
「みんなの体調次第かな」
「ハヤトとセラは?」
「行く」
レグが笑った。
「じゃあ、だいじょうぶ」
それだけ言って家の中へ戻っていく。
ハヤトはその背中を見送り、もう一度東を見た。
呼ばれたからではない。
確かめたいから行く。
その違いだけは、今までよりずっとはっきりしていた。




