名前の残る方角
翌朝、ハヤトが目を覚ましたときには、家の中からもう話し声がしていた。
外はようやく明るくなり始めたところだ。隣ではレグが毛布にくるまったまま眠っている。クロもその足元で丸くなっていた。
「……早いな」
声を立てないように部屋を出る。
大きな卓にはカイルとイリス、それにエドが座っていた。三人の前には地図が広げられている。
「おはよう」
イリスが顔を上げた。
「おはよう。何してるの?」
「今日どうするか相談」
「ヴァンたちは?」
「寝てる」
エドが奥の部屋を指す。
「ノアもディルも起きたけど、セラに寝かされた」
「ヴァンは?」
「起きようとして怒られて、寝た」
「目に浮かぶな」
「お前も同じ扱いされると思うぞ」
カイルが言う。
「俺は元気だから」
「そういうところだよ」
イリスが笑う。
ハヤトは空いている椅子へ座った。
「それで?」
「俺たちは今日、ここに残る」
エドの言葉に少し驚く。
「全員?」
「俺とイリス。それからヴァン、ノア、ディル」
「カイルは?」
「行く」
本人が答えた。
「修道院まで?」
「ああ。元々そこへ行くために東へ来たからな」
ハヤトは地図を見る。
「せっかく六人揃ったのに、もう別れるんだ」
「別れるっていっても数日だ」
エドは平然としていた。
「三人まともに歩けないのに、全員で動いたら遅すぎる」
「私はヴァンのこれも見たいしね」
イリスが自分の左腕を軽く叩き、それから奥の部屋を示す。
「ノアの首にも跡があった。ディルも一度ちゃんと調べたい」
「エドは?」
「こいつら見張る」
「お前に見張られる日が来るとはな」
カイルが呟く。
「五年もあれば人は変わるんだよ」
「変わってないところも多いけどな」
「それはお互い様だ」
二人の間に険しさはなかった。
昨夜、六人が同じ卓を囲んだことで、何かが少し落ち着いたのかもしれない。
「カイルは残らなくていいの?」
ハヤトが聞く。
「いい」
「せっかく見つかったのに」
「だからだよ」
答えたのはイリスだった。
「全員生きてるって分かった。もう、今すぐそばにいないと消えるわけじゃない」
カイルは何も言わない。
「それに」
イリスが少し笑う。
「この人、五年間ずっと私たちを探してたんでしょ?」
「……まあ」
「なら今度は、自分が見つけようとしてたものを見てくればいい」
「お前に言われると妙な感じだな」
「帰ってきたら聞かせて」
カイルは少しだけ視線を落としたあと、頷いた。
「ああ」
そこへ扉が開いた。
「みんな早いね」
セラだった。
髪を簡単にまとめながら入ってくる。
「患者は?」
イリスが聞く。
「寝てる。今度起きたら朝ごはん食べてもらう」
「ディル、魚って言いそう」
「言っても駄目」
「強いなあ」
「身体が大丈夫って分かれば普通に食べてもらうよ」
セラも卓へ座る。
「今日、修道院行くんだよね?」
「ああ」
カイルが地図の東側を指した。
「ここからなら半日もかからない」
「戻ってこれる?」
「調べる時間次第だな」
「じゃあ泊まれる準備はした方がいいね」
すぐに今日の動きが決まっていく。
ハヤト、セラ、レグ、カイル。
そしてクロ。
一度、元の人数に近い形へ戻る。
「なんか急に少なく感じるな」
ハヤトが言うと、セラが顔を上げた。
「最初は三人だったんだけど?」
「そうなんだよな」
「クロ入れても四人」
「カイル増えただけで随分変わったな」
「おい」
「褒めてる」
「絶対違うだろ」
その声で起きたのか、奥の部屋から足音がした。
「……朝からうるさい」
ヴァンが壁に手をつきながら出てくる。
セラが立ち上がった。
「どうして起きてるんですか」
「話がある」
「座ってください」
「先に聞いてくれ」
「座りながら話せます」
「はい」
素直に椅子へ座る。
エドが顔を背けて笑った。
「何だよ」
「いや。昔のお前からは想像できなくて」
「昨日から散々言われて学んだ」
「成長したね」
イリスまで笑う。
「で、何の話?」
ハヤトが聞く。
ヴァンは少し表情を改めた。
「昨日のガルドとミレアだ」
ちょうどそのとき、廊下から小さな足音がした。
「おとうさん?」
レグだった。
まだ少し眠そうな顔で立っている。
後ろからクロもついてきた。
「起きたか」
「うん」
レグはそのままハヤトの隣へ座る。
「ガルドのはなし?」
「ああ」
ヴァンがレグを見る。
「聞くか?」
「うん」
「分からないことも多いぞ」
「いい」
ヴァンは一度息を整えた。
「四年前、俺とノアで古い施設を調べたことがある」
「どこ?」
カイルが聞く。
「ここからずっと北東。今は入口が潰れてる」
「そこで記録を?」
「ああ」
ヴァンは卓の上に紙を置いた。
昨夜のうちに思い出せる範囲で書いたらしい。古い文字らしき形がいくつか並んでいる。
「原本は持ち出せなかった。だからこれは記憶から書いたものだ」
「読めるの?」
レグが覗き込む。
「一部だけな」
ヴァンが二つの文字を指す。
「これを俺たちはガルド、こっちをミレアと読んだ」
レグの目が止まる。
「並んでる」
「ああ」
「ふたり?」
「同じ記録の中に何度も一緒に出てきた」
カイルが紙を取る。
「この下は?」
「《東》に近い意味だと思う」
「こっちは……守護?」
「俺は《守る》と読んだ」
イリスも横から見る。
「その形なら、場所を守るっていうより、何かを残す意味もありそう」
「昨日もそれ出たな」
ハヤトが思い出す。
六頭の竜。
各地へ伸びた線。
その先にあった《守る》あるいは《残す》という文字。
「ガルドとミレアは、六頭のどれか?」
セラが聞く。
ヴァンは首を振った。
「そこまでは分からない」
「二人とも竜だった可能性は?」
「ある。でも人間だった可能性も消せない」
「レグのお父さんとお母さんなら竜じゃないの?」
ハヤトが聞く。
「片方だけ竜でも子は生まれる」
「そうなの?」
「記録上はな」
「レグ」
ハヤトが隣を見る。
「覚えてる?」
「わかんない」
即答だった。
「おかあさんは、人だった?」
レグは少し考える。
「おかあさん」
「うん」
「おかあさんだった」
「……そりゃそうだ」
セラが笑う。
「レグにとっては、それでいいのかもね」
「うん」
レグは本当にそれ以上気にしていなかった。
「ヴァン」
カイルが紙の端を指す。
「この印は?」
そこには小さな四角が描かれていた。
「建物を示す印だと思ってた」
「修道院?」
「多分」
「多分ばっかりだな」
「古い記録を四年前の記憶だけで話してるんだ。むしろ断言する方が危ない」
「それはそうだけど」
ヴァンが続きを話す。
「ガルドとミレア。二つの名前のあとに、その印がある。そのさらに先に――」
指が止まる。
「《子》と読める文字があった」
レグが顔を上げた。
「子?」
「子供」
「レグ?」
「それは分からない」
ヴァンはすぐに否定した。
「名前は残ってない。子供が一人だったかも分からない。ただ、そう読める文字があった。それだけだ」
「でも」
ハヤトは紙を見る。
ガルド。
ミレア。
東。
守る。
そして子供。
偶然として片づけるには、また材料が増えた。
「その記録をカイルが行こうとしてた修道院でも見られる?」
「同じものはないと思う」
「じゃあどうやって確かめる?」
「修道院には別の記録がある」
今度はカイルが答えた。
「俺が最初に見つけた、人の姿を取る竜についての記録だ」
「そこに名前は?」
「当時は読めなかった」
「今なら?」
カイルがヴァンを見る。
「人数増えた分、多少はましだろ」
「俺は行かないぞ」
「分かってる。写し取って持って帰る」
「ちゃんと全部写せ」
「お前に言われなくても」
二人のやり取りを聞いていたレグが、紙の上の二つの名前へ指を置いた。
「ガルド。ミレア」
「うん」
セラが隣から答える。
「会いたい?」
レグはすぐには答えなかった。
以前なら、母親につながるものを見つければもっと強く反応していた気がする。
今は違う。
「会えたら、会う」
「うん」
「でも、いなかったら?」
セラが問い返す。
「また探す」
「そっか」
「急がない」
ハヤトはレグを見る。
「それでいいの?」
「うん」
「何で?」
レグはクロの頭へ手を置いた。
「帰るところ、あるから」
ごく普通に言った。
ハヤトは少しだけ言葉に詰まる。
セラは笑っていた。
「じゃあ今日は、確かめに行こう」
「うん」
朝食を終え、旅支度を整える。
ノアとディルも途中で起きてきたが、二人とも今日は残ることに異論はなかった。
「俺はまだ歩けるぞ」
ディルが言う。
「昨日より足震えてる」
ノアに指摘される。
「見んなよ」
「隣にいるから見える」
「お前も同じだろ」
「だから俺は残る」
「……じゃあ俺も」
「最初からそうしろ」
二人が言い合っている横で、エドが食料袋を確認している。
「帰ってくるなら夜か?」
「遅くても明日の昼には戻る」
カイルが答える。
「無理なら?」
「戻らない」
「そういう意味じゃねえよ」
エドの手が止まる。
カイルも一瞬だけ黙った。
五年前なら、冗談で済まなかった言葉だ。
「……戻る」
カイルが言い直す。
「ああ」
エドもそれ以上言わなかった。
イリスがハヤトたちへ小さな包みを渡す。
「これ、持ってって」
「何?」
「施設の近くで採れる草を乾かしたもの。魔力酔いしたとき少し楽になる」
「そんなものあるんだ」
「効かない人もいるけどね」
「ありがとう」
「レグには少なめにして。身体の作りが違うから」
「わかった」
最後にヴァンがカイルを呼んだ。
「修道院の奥に地下へ降りる階段がある」
「知ってる」
「その先じゃない」
「何?」
「祭壇の裏だ」
カイルの眉が寄る。
「俺は見つけてない」
「俺が行ったときは開いてた」
「何年前?」
「三年前」
「お前も修道院行ってたのかよ」
「別の入口からな」
「先に言え」
「今言ってる」
カイルが額を押さえる。
「何がある?」
「壁画と記録。それから扉が一つ」
「入った?」
「入れなかった」
「鍵?」
ヴァンの視線がレグへ向いた。
「竜の印があった」
ハヤトが小さく息を吐いた。
「またか」
「だから気をつけろ」
「開けるかどうかは、行ってから決める」
カイルが答える。
その言葉にハヤトも頷いた。
レグが開けられる。
だから開ける。
もうそれだけでは進まない。
「行こうか」
セラの声で、五人と一匹はノルドを出た。
村を離れると、しばらくは街道が続いていた。
昨日までと違い、カイルも時折後ろを振り返る。
「気になる?」
ハヤトが聞く。
「何が」
「みんな」
「……少しな」
「戻る?」
「行く」
短い返事だった。
「今まで探してた五年と違って、帰ればいるからな」
ハヤトが言うと、カイルがこちらを見る。
「お前、たまに妙なところ突くよな」
「悪い?」
「いや」
それだけ言って前を向いた。
昼前には街道を外れ、古い石畳の道へ入った。
草に埋もれているが、かつてはそれなりに人が通った場所なのだろう。
「この道、修道院?」
セラが聞く。
「ああ」
「ずっと使われてない感じだね」
「少なくとも二十年以上はな」
「何で廃れたの?」
「理由は記録に残ってない」
「また急に人いなくなったとか?」
「それなら書かれてそうだけどな」
ハヤトが周囲を見る。
森は静かだ。
礼拝堂へ向かったときのような不自然な静けさではない。鳥の声も聞こえるし、クロも普通に歩いている。
レグだけが、時々鼻を動かしていた。
「まだする?」
ハヤトが聞く。
「うん」
「お母さんの匂い?」
「たぶん」
「強くなってる?」
レグは少し考える。
「近くなってる」
カイルも聞いていたが、何も言わなかった。
やがて森が開ける。
丘の上。
崩れかけた石壁が木々の間から姿を現した。
「見えた」
カイルが足を止める。
古い修道院だった。
屋根の半分は落ち、塔も途中から崩れている。正面へ続く長い石段は苔に覆われていた。
「ここか」
ハヤトが見上げる。
「俺が記録を見つけた場所だ」
レグは答えなかった。
石段の下で立ち止まり、じっと建物を見ている。
「レグ?」
セラが呼ぶ。
「……いる」
全員の空気が変わった。
「人?」
ハヤトが聞く。
レグは首を横に振った。
「じゃあ何?」
鼻を動かす。
もう一度、確かめるように。
「竜」
カイルの手が腰の短剣へ近づく。
「一頭?」
「わかんない」
「お母さんの匂いと同じ?」
レグはそこで黙った。
嬉しそうでも、怖がっているようでもない。
ただ、自分の中にある記憶と目の前の匂いを比べている。
「ちがう」
「じゃあ別の竜?」
「うん」
そのとき。
クロが石段へ向かって一度だけ吠えた。
修道院の奥。
崩れた塔の向こうから、低い音が返ってくる。
唸り声ではなかった。
もっと深く、長い。
ハヤトの身体の奥まで震わせるような声。
レグが目を見開く。
「今の、分かる?」
ハヤトが聞く。
レグはゆっくり頷いた。
「なんて?」
少し間を置いて。
「『来たか』」
石段の上。
誰もいないはずの修道院の入口で、何か大きな影が横切った。




