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ランキング最高順位51位!『異世界に転移したので、もう我慢するのはやめました ~固有能力《自由》で好き勝手に生きる~』  作者: くんくん
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石段の向こう

石段の上を、大きな影が横切った。


 その一瞬だけで、ハヤトは剣へ手を伸ばしていた。


 隣ではセラが杖を構え、カイルも腰の短剣へ手をかけている。クロはレグの前へ出るように身体を低くし、修道院の入口へ向かって低く唸った。


「待って」


 レグだけが動かなかった。


「レグ?」


「怒ってない」


「分かるの?」


「うん」


 石段の上。


 崩れた入口の暗がりから、ゆっくり何かが姿を現した。


 最初に見えたのは頭だった。


 人間の胴ほどもある大きな顔。頭部から後ろへ伸びた二本の角は片方の先が欠け、灰色がかった鱗には細かな傷がいくつも残っている。


 次に前脚。


 そして身体。


「……でかいな」


 ハヤトが思わず呟く。


 レグの竜形態とは比べものにならない。


 修道院の入口を塞いでしまいそうなほど大きな竜だった。


 翼は畳まれている。その片方には古い傷があり、膜の一部が裂けたまま塞がっていた。


 竜は石段の最上段まで来ると、五人と一匹を見下ろした。


 クロの唸り声が少し強くなる。


「クロ」


 レグが背中を撫でる。


「だいじょうぶ」


 竜の目がレグへ向いた。


 深い金色。


 しばらく、何も起きない。


 やがて竜が喉を鳴らした。


 低い音が石段まで震わせる。


『――遅かったな』


 ハヤトには言葉として聞き取れなかった。


 ただ、レグは目を瞬いた。


「何て?」


 セラが小声で聞く。


「……おそいって」


「やっぱり話してるのか」


 竜がもう一度声を出す。


 今度は少し長い。


 レグが眉を寄せた。


「全部分かる?」


「ちょっと」


「何て言ってる?」


「『思ったより……小さい』」


 ハヤトはレグを見る。


「お前のこと?」


「たぶん」


『――聞こえているなら、前へ来い』


 レグが一歩出た。


 ハヤトが反射的に袖を掴む。


「一人で行くな」


「でも、来いって」


「なら一緒に行く」


 竜が二人を見る。


 その大きな鼻先がわずかに動いた。


『人か』


「何て?」


「ハヤト、人かって」


「見れば分かるだろ」


 答えてから、通じていないことに気づく。


 竜の目が細くなった。


『ずいぶん軽い人間だ』


「……なんか悪口言われてない?」


「かるいって」


「やっぱり」


 セラが小さく吹き出した。


「初対面でも分かるんだ」


「セラ?」


「何でもない」


 緊張していた肩から、ほんの少しだけ力が抜ける。


 それでもハヤトは剣から完全には手を離さなかった。


 レグと並んで石段を数段上る。


 竜は襲ってこない。


 ただ、レグの匂いを確かめるように鼻を近づけた。


 クロが再び唸る。


 竜が片目だけそちらへ向けた。


『あの獣は賢い』


「クロ、ほめられた」


「今?」


「かしこいって」


 クロ本人はまったく嬉しそうではない。


「警戒されてるけどな」


 竜の鼻先がレグの胸元で止まった。


 そこにはもう何もない。


 黒い石は、施設でレグの中へ戻った。


 それでも竜には何か分かるらしい。


 金色の目がわずかに大きくなった。


『……戻ったのか』


 レグが胸へ手を置く。


「石?」


『それを石と呼んでいるのか』


「うん」


『そうか』


「何?」


 ハヤトが尋ねる。


「石、戻ったのかって」


「知ってる?」


 レグが竜へ聞く。


 竜はすぐには答えなかった。


 レグがもう一度、今度は古い言葉を探すようにゆっくり話す。


 うまく発音できているのかは分からない。


 それでも通じたらしい。


『知っている』


「!」


『だが、お前に説明するには、その言葉では不便だ』


「不便?」


 レグが首を傾げる。


 次の瞬間。


 竜の身体を淡い光が包んだ。


「下がって!」


 セラの声が飛ぶ。


 ハヤトもレグを庇おうとする。


「ちがう!」


 レグが止めた。


 巨大な身体が光の中で縮んでいく。


 翼が消える。


 尾が短くなり、前脚と後脚の形が変わる。


 ほんの数秒。


 そこに立っていたのは、一人の男だった。


「……」


 ハヤトは何も言えなかった。


 背は高い。


 年齢は六十を越えているように見える。灰色の長い髪を後ろで束ね、顔には深い皺が刻まれている。


 ただし金色の目だけは、さっきの竜とまったく同じだった。


 着ているのは簡素な灰色の服。


 右腕には、鱗のような模様がわずかに残っている。


「これなら話しやすいだろう」


 普通の言葉だった。


「喋れるんだ」


 ハヤトが言う。


「昔はよく使った」


 男は自分の両手を見る。


「この姿になるのも久しぶりだがな」


 カイルが一歩前へ出る。


「人化……」


「そう呼んでいるのか?」


「ああ」


「間違いではない」


 レグの目が輝いた。


「どうやった?」


「何がだ」


「人になるの」


 男がレグを見る。


「覚えた」


「やっぱり!」


「やっぱり?」


「レグもれんしゅうした!」


 急に嬉しそうになった。


「最初、しっぽ消えなかった」


「そうか」


「耳も」


「あるな」


「知ってる?」


「昔、同じ失敗をした者を何頭も見た」


 レグがハヤトを振り返る。


「おなじ!」


「よかったな」


「うん!」


 先ほどまで巨大な竜と対峙していたとは思えない。


 レグはすっかり警戒を解いていた。


 セラも杖を少し下げる。


「あなたがレグを呼んだんですか?」


 男の視線がセラへ移った。


「呼んだ?」


「昨夜、この子に声が聞こえました。知らない名前を呼ぶ声が」


 男の表情が変わった。


 ほんのわずかだったが、ハヤトにも分かった。


「……名前を?」


「はい」


「返事は?」


「してない」


 レグが答える。


 男は明らかに安堵した。


「それでいい」


 イリスと同じだ。


 ハヤトの警戒が戻る。


「じゃあ、あんたじゃない?」


「私ではない」


「でもさっき『来たか』って」


「三日前から、この場所の下が騒がしかった」


 男は修道院の床を指す。


「そして昨夜、久しく感じなかった印の気配が近づいた。だから待っていた」


「印って、レグの中にある石?」


「あれは石ではない」


「ヴァンも同じこと言ってたな」


「では、その者は少しは調べているらしい」


「何なの?」


 男はレグを見る。


「私が答えていいものか分からん」


「なんで?」


「それは、お前に渡した者が説明すべきものだった」


「おかあさん?」


 男の目が止まった。


 レグは続ける。


「おかあさんにもらった」


「……そうか」


「ミレア?」


 ハヤトが尋ねる。


 男の顔から、それまでの余裕が消えた。


「その名をどこで知った」


 声は低い。


 敵意とは違う。


 けれど空気が一気に変わった。


「レグの記憶。それと古い記録」


「もう一人は?」


「ガルド」


 男が目を閉じた。


 長い沈黙。


「知ってるんだな」


 ハヤトが言う。


「知っている」


 レグが男を見上げる。


「おとうさんと、おかあさん?」


「ああ」


「どこ?」


 真っ直ぐな問いだった。


 男は答えなかった。


「……いない?」


 レグの声が少し小さくなる。


「そういう意味ではない」


「じゃあ?」


「今どこにいるか、私は知らない」


 ハヤトは少しだけ息を吐いた。


 生死すら断定しない。


 今はそれでいい。


「最後に会ったのは?」


 カイルが聞く。


「随分前だ」


「何年前?」


「人間の暦を長く数えていない」


「だいたいでいい」


「二十年には届かない」


 ハヤトがレグを見る。


 レグ自身の年齢ははっきりしていない。


 少なくとも、話が合わない数字ではない。


「二人はここに来た?」


「ああ」


「一緒に?」


「最初はな」


 その言い方にカイルが反応する。


「最初は?」


 男は崩れた修道院の中へ視線を向けた。


「立ち話には長くなる」


「中、入っていいの?」


 レグが聞く。


「そのために待っていた」


「俺たちも?」


 ハヤトが自分を指す。


 男は五人を順番に見る。


 最後にクロ。


「獣も含めて好きにしろ」


 クロはまだ警戒している。


「クロ」


 レグが呼ぶ。


「いく?」


 クロは男を見つめたあと、レグの横へついた。


「行くって」


「本人に聞いたのか?」


「うん」


「便利だな」


「しっぽでわかる」


「それ俺には無理だな」


 男の口元がわずかに緩んだ。


「昔から、人間は分からないものをすぐ言葉にしたがる」


「悪かったな」


「否定はしていない」


「この人、ちょっとカイルっぽい」


「何で俺なんだ」


 後ろから声が飛んだ。


 男がカイルを見る。


「お前はよく喋るな」


「会って数分の竜にまで言われるのか……」


 セラが笑いを堪えている。


 男は先に修道院へ入っていった。


 五人も続く。


 中は外から見た以上に崩れていた。


 天井は所々抜け、床には雨水が流れ込んだ跡がある。長い年月で壁画のほとんどは薄れているが、奥へ進むほど保存状態がよくなっていった。


 途中でカイルが足を止める。


「ここだ」


「何が?」


「俺が最初に記録を見つけた場所」


 壁の一角。


 石板が何枚も埋め込まれている。


 竜。


 人。


 二つの姿が並んで描かれたものもある。


「前に来たとき、あんたはいなかったぞ」


 カイルが男へ言う。


「いた」


「え?」


「お前を見ていた」


「……どこから?」


「上だ」


 全員が崩れた天井を見る。


「竜の姿で?」


「ああ」


「何で出てこなかった」


「お前一人だったからだ」


「一人なら出てこない?」


「待っていたのはお前ではない」


 視線がレグへ向く。


「レグを?」


「正確には、その印を持つ者だ」


 また印。


 ハヤトは少しだけ嫌な感じがした。


「それって、レグじゃなくてもよかったってこと?」


 男はすぐ答えなかった。


「そういう意味ではない」


「じゃあ?」


「私も、誰が来るのか知らなかった」


 男はさらに奥へ進む。


 祭壇らしき場所。


 ヴァンが言っていた通り、その裏には地下へ続く階段があった。


「本当にあった」


 カイルが呟く。


「お前が来たときは閉じていた」


「どうして今は開いてる?」


「一か月ほど前に勝手に開いた」


 全員が止まった。


「一か月?」


 セラが聞き返す。


「ああ」


 エルナの森で異常な魔物が現れ始めた時期。


 各地の施設が動き始めた時期。


 東の街道から人が減り始めた時期。


 また同じだ。


「何かした?」


 ハヤトが聞く。


「何もしていない。だからこそ、ここに残っていた」


「下には?」


「降りていない」


「なんで?」


「開くべき時ではないと思っていた」


「でも今日は?」


 男がレグを見る。


「判断する者が来た」


 レグが自分を指す。


「レグ?」


「おそらくな」


「おそらく?」


「私にも分からないことはある」


 ハヤトは少し安心した。


 長く生きた竜が何でも知っている、というわけではないらしい。


 男は地下へ降りず、祭壇の横へ向かった。


「まずこちらだ」


 壁の一部へ手を当てる。


「ここ、ヴァンが言ってた記録?」


 カイルが尋ねる。


「ヴァン?」


「黒い金属を耳の下につけてる男」


「……あれか」


「あれ?」


「三年前に勝手に裏から入ってきた」


「やっぱり勝手に入ってたのか」


「追い出した」


 ハヤトは思わず笑った。


「ヴァン何してんだよ」


「本人は別の入口って言ってたぞ」


「間違いではない」


 男は壁の古い板を外す。


「ただ、入口として作られた場所ではなかった」


「今度会ったら言っておく」


「やめてやれ」


 カイルはそう言いながら少し楽しそうだった。


 壁の奥から現れたのは、細長い石板だった。


 文字がびっしりと刻まれている。


「これ」


 カイルの顔が変わる。


「俺が見たのより保存状態がいい」


「表にあるものは写しだ」


「じゃあこっちが原本?」


「そう聞いている」


「誰に?」


 男は少しだけ黙った。


「ミレアに」


 レグが石板を見る。


「おかあさん?」


「ああ」


「ここにいた?」


 男はレグへ向き直った。


「いた」


「いつ?」


「まだお前が、私の片手に乗るほど小さかったころだ」


 レグが動かなくなった。


 ハヤトも、セラも何も言えない。


 男はしゃがみ、レグと目の高さを近づけた。


「ミレアはここへ来た」


 静かな声だった。


「ガルドもいた」


 レグの指が、自分の服をぎゅっと掴む。


「レグも?」


 男はしばらく彼女を見つめた。


 そして。


「ああ」


 ゆっくり頷いた。


「お前もいた」


 レグの目が大きくなる。


「私は一度、お前を抱いたことがある」


 失われていたレグの記憶の中に、この修道院は確かに存在していた。

気づいたら100話突破!!

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