昨日の続き
「……ディル?」
エドの声に、黒い扉の向こうからすぐ返事はなかった。
ハヤトは剣の柄に手を置いたまま、扉を見つめる。ノアを呼んだ声が本当にディル本人なのか、それとも礼拝堂で遭遇したものと同じように、誰かの記憶を利用しているだけなのかは分からない。
カイルも同じことを考えたらしい。
「開けるな」
「分かってる」
エドは扉の前に立ったまま答えた。
もう一度、向こうから音がする。
こん。
「ノア」
今度ははっきり聞こえた。
男の声だった。
「いるんだろ」
エドが拳を握る。
「ディル」
「エド?」
扉の向こうの声が変わった。
「なんでお前までいる」
「……本人っぽいな」
ハヤトが呟く。
「声だけなら信用するな」
カイルは慎重だった。
「ノア連れてくる」
エドが戻ろうとすると、向こうから声が飛んだ。
「待て」
足が止まる。
「そこにカイルもいるのか?」
カイルの眉が動いた。
「いる」
「なら聞く。初めて六人で遺跡に入ったとき、カイルが壊したものは?」
「俺が?」
カイルが怪訝な顔をする。
エドはもう笑いそうになっていた。
「答えろよ」
「……ランタン」
「違う」
「は?」
「お前が壊したのはランタンじゃない」
「いや、壊しただろ」
「ランタンはヴァンだ」
後ろから弱い声がした。
いつの間にかヴァンたちも近くまで来ていた。セラに肩を貸され、ノアはイリスに支えられている。
「じゃあ何だよ」
「鍋」
扉の向こうから声がした。
沈黙。
エドが吹き出した。
「そうだった」
「待て。何で鍋が遺跡で壊れるんだよ」
ハヤトが聞く。
「夜営中にカイルが座った」
「暗かったんだよ!」
「鍋に?」
「布がかかってた!」
ヴァンまで笑い始める。
「三日間、煮込み料理できなかった」
「五年前のこと掘り返すな」
「本人だな」
エドの表情から緊張が少し抜けた。
ノアだけは、扉を見つめたままだった。
「ディル」
「ノア?」
「お前、最後に俺に何した」
静かになる。
扉の向こうから聞こえた答えは、短かった。
「押した」
「何で」
「お前が戻ろうとしたから」
ノアの顔が強張る。
「何から?」
「黒い光」
ノアは目を閉じた。
「……合ってる」
セラが心配そうに顔を覗き込む。
「無理しないで」
「大丈夫」
「大丈夫な人はイリスにほとんど体重預けません」
「……悪い」
「私はいいけどね」
イリスが支え直した。
少なくとも、声の主が六人しか知らない記憶を持っている可能性は高い。
「ディル」
カイルが扉へ近づく。
「そっちから開けられるか?」
「無理だ」
「何がある」
「部屋。それと、この扉だけ」
「どれくらいいる?」
「分からん。灯りがない」
「腹減ってるか?」
「……少し」
カイルたちの表情が変わった。
「少し?」
エドが聞き返す。
「最後に食ったのいつだ」
「昨日の朝」
ノアが顔を上げた。
エドは何も言えなかった。
ハヤトもようやく意味を理解する。
二年前。
ノアとディルが分断された日。
二人にとっては、まだ昨日の続きなのだ。
「ディル」
ノアが掠れた声で呼ぶ。
「何だ」
「俺が扉の外に出たの、どれくらい前だと思ってる」
「知らん。何時間か?」
ノアは返事をしなかった。
代わりにイリスが静かに言う。
「二年」
扉の向こうから音が消えた。
「……何?」
「外では二年経ってる」
「冗談やめろ」
「私も目を覚ましたら五年経ってた」
「イリス?」
「うん」
長い沈黙が落ちた。
「待て」
ディルの声が少し遠ざかる。
「カイルがいるって言ったな」
「ああ」
「ヴァンも?」
「いる」
「エド」
「ここだ」
「イリス」
「いるよ」
「ノアも」
「ああ」
一人ずつ確かめていく。
「……全員?」
その言葉には、さっきまでの落ち着きがなかった。
カイルが答える。
「六人とも生きてる」
「五年後に?」
「ああ」
「意味分からん」
「俺たちもだ」
ハヤトは床を見る。
六つの円はすべて光ったまま。
けれど、おかしい。
六人全員がここにいるわけではない。
ディルは扉の向こうだ。
それなのに、彼が声を発する前から六つ目は点灯していた。
「カイル」
「ああ」
視線だけで分かったらしい。
「やっぱり六つの円と、お前ら六人はそのまま対応してない」
「そうなるな」
ヴァンも聞いていた。
「五年前はそう思ってた」
「ヴァン?」
「俺たちが六人だったからな。施設に六つの印があれば、誰だって結びつける」
「でも違った」
「ああ」
ヴァンの目がレグへ向く。
レグは何も言わず、自分の胸に手を置いている。
「今は考えるの後」
セラが言った。
「まず中の人を出さないと」
「その通りだ」
ハヤトは扉を見る。
取っ手はない。
押しても引いても動くようには見えなかった。
「文字は?」
カイルが表面を調べる。
「さっきの『道をひらく』以外は消えてる」
「鍵穴もない」
エドが壁際を見る。
「向こうから何か見えるか?」
「何もない」
ディルの声が返ってくる。
「扉に触ってみて」
「触ってる」
「変化なし?」
「ない」
レグが少し前へ出た。
「ハヤト」
「ん?」
「ここ、あったかい」
扉の中央。
竜の印。
そこだけ淡い熱を持っているらしい。
「触らないでな」
「うん」
レグは手を近づけるだけで止めた。
「石とおなじ」
「中に戻った黒い石?」
「うん」
ハヤトは嫌な予感がした。
またレグが鍵なのか。
これまで何度も同じようなことがあった。
だが今回は、すぐに触らせる気になれなかった。
「別の方法探そう」
「なんで?」
「レグばっかり使うの、何か嫌なんだよ」
「使う?」
「施設に入るたび、お前が鍵みたいになるだろ」
レグは少し考えた。
「レグ、鍵?」
「そういう意味じゃなくて」
「でも開けられるなら、開ける」
「危ないかもしれない」
「ディル、出たい」
扉の向こうから声がした。
「俺は多少待てるぞ」
「聞こえてたのかよ」
「扉一枚だぞ」
少し笑いが起きた。
「ただ」
ディルが続ける。
「無理はするな。誰か知らんが、その子を危険にさらしてまで開ける必要はない」
レグが扉を見る。
「レグ」
「何だ?」
「レグ」
「……名前か」
「うん」
「俺はディル」
「知ってる」
「そうだったな」
少し間があって。
「ありがとな、レグ」
「まだ何もしてない」
「それでもだ」
レグがハヤトを見る。
「いいひと?」
「多分」
「多分なのか」
向こうから聞こえた。
今度はセラまで笑った。
張り詰めていた空気が少し緩む。
その間に、イリスが扉の下を調べていた。
「待って」
「何かある?」
「ここ」
床。
六つの円から伸びた細い線が、扉の下へ集まっている。
ただし一本だけ違った。
「これ、円から来てない」
「どこから?」
線を追う。
部屋の中央。
さらにその先。
レグの足元。
「……レグ?」
ハヤトが下を見る。
正確にはレグからではない。
彼女が立った場所の下に、小さな印が浮かび上がっていた。
竜。
「立つ前からあった?」
「いや」
カイルが答える。
「なかった」
「じゃあレグに反応した?」
「多分な」
レグが一歩横へ動く。
印は消えない。
代わりに、扉の竜の印が少し明るくなった。
「何も触ってないぞ」
「うん」
ハヤトはそこで気づいた。
「もしかして、触る必要ない?」
レグの中に戻った黒い石。
それ自体がすでに施設へ反応している。
「レグ。扉の前に立つだけでいい」
「うん」
「変な感じしたらすぐ下がって」
「わかった」
レグが扉の正面へ立つ。
何も起きない。
「……開かない」
「ちょっと待って」
セラが周囲を見る。
「六つの円は?」
全部光っている。
「道をひらくって書いてあったんだよね」
「ああ」
「じゃあ、まだ何か足りないんじゃなくて……もう開けられる状態なんじゃない?」
「どうやって?」
セラは扉を見る。
「普通に押した?」
「……」
全員が黙った。
ハヤトが扉へ手を当てる。
「まさかな」
押す。
ご。
扉が動いた。
「……」
さらに押す。
黒い扉がゆっくり奥へ開いていく。
「開いた」
レグが言う。
「誰か最初に試せよ!」
エドが叫んだ。
「取っ手なかったから!」
「押すくらいできるだろ!」
「古代施設の扉を気軽に押すなって散々言われてきたんだよ!」
「それはそうだけど!」
扉の向こうから笑い声がした。
「お前ら、昔より人数増えてもうるさいな」
暗い部屋。
その奥に、一人の男が座っていた。
肩まで伸びた黒髪。
年齢はカイルたちと同じくらいに見える。少し痩せているものの、ノアほど弱ってはいない。
男は眩しそうに目を細めた。
「……本当にいる」
最初に見たのはノアだった。
「ディル」
「ああ」
「二年だぞ」
「俺には一日だ」
「……そうだったな」
ノアが笑った。
泣いてはいなかった。
けれど、その声だけが少し震えていた。
次にディルはエドを見る。
「老けたな」
「お前は変わってねえな」
「一日だからな」
「腹立つな」
イリス。
ヴァン。
そして最後にカイル。
ディルはしばらく何も言わなかった。
「久しぶり」
カイルが先に言った。
「……五年ぶり?」
「ああ」
「こっちは昨日ぶりの気分なんだけどな」
「俺は五年だ」
「ずるいな」
「何がだよ」
「俺だけ置いてかれた気分だ」
カイルが小さく笑う。
「それ、俺が言う台詞だろ」
六人。
五年前、同じ遺跡へ入った仲間たちが、ようやく同じ場所に揃った。
ただし誰一人として、同じ五年間を過ごしてはいない。
ハヤトはその再会を邪魔しないように少し下がった。
その隣でレグが首を傾げる。
「ハヤト」
「ん?」
「六人いる」
「ああ」
「でも」
レグは床を見る。
六つの円。
すべてがまだ光っている。
「これ、ちがう」
「何が?」
レグが迷わず答えた。
「この六つ、この人たちじゃない」
ハヤトが息を止める。
カイルたちも振り返った。
「分かるのか?」
レグは頷く。
「いま、わかった」
「どうして?」
胸へ手を置く。
「石が言ってる」
その瞬間。
六つの円の光が、一斉に中央へ流れた。
扉の奥。
ディルがいた部屋のさらに向こうで、今まで見えていなかった壁が白く浮かび上がる。
そこに刻まれたのは、人の姿ではなかった。
大きさも形も違う。
六つの竜。
その中心に、人の姿をした一つの影。
レグの顔から表情が消えた。
「……これ」
「知ってる?」
ハヤトが聞く。
レグは、しばらくその壁を見つめた。
「夢でみたことある」
「いつ?」
「わかんない」
壁の中央。
人の姿をした影の胸にだけ、黒い石と同じ印が刻まれている。
ヴァンがゆっくり立ち上がろうとした。
「おい」
「動かないでください」
セラに押し戻される。
「でもあれは――」
「知ってるの?」
ヴァンは答えるまでに時間がかかった。
「記録で一度だけ見た」
「何て書いてあった?」
「全部は読めなかった」
視線はレグから離れない。
「ただ、その絵の横に一つだけ読めた言葉があった」
誰も声を出さない。
「何?」
ハヤトが尋ねる。
ヴァンは壁の七つの影を見たまま答えた。
「《帰還》」
直後。
レグの胸の奥で、黒い石が強く脈打った。




