眠りの底
施設の奥から響いた音は、一度きりだった。
何かが倒れた。
それだけなら、古い壁か棚でも崩れたのかもしれない。
だがレグは、音のした通路を見たまま動かなかった。
「人、いる」
「生きてる?」
ハヤトが聞く。
「うん」
「さっきまで?」
「……わかんなかった」
その答えに、エドの表情が変わった。
「行くぞ」
誰より先に走り出す。
「待て!」
カイルが追う。
ハヤトたちも続こうとしたが、セラが振り返った。
「ヴァンさんは走らない!」
「俺も行く」
「駄目です」
「歩ける」
「さっき倒れましたよね?」
「もう平気だ」
「その顔で言われても説得力ないです」
ヴァンは壁に手をついて立っていた。
顔色はまだ悪い。
「置いていかれる方が気になる」
「……じゃあ私の横。絶対走らない」
「分かった」
「本当に?」
「お前、カイルから聞いてたより厳しいな」
「また何話したんですか?」
「今そこ拾う?」
イリスが苦笑しながらヴァンの反対側へ回った。
「私も見るから。無理したら二人で止めるよ」
「分かったって」
先に行ったカイルとエドを追う。
奥の通路は、さっきまで閉じていたらしい。
壁の一部が床へ倒れ、その向こうに新しい空間が現れている。
「これがさっきの音か」
ハヤトが崩れた石を見る。
「多分な」
エドはすでに中へ入っていた。
「こっちだ!」
声を追って奥へ進む。
部屋は狭かった。
壁際にいくつもの石柱が並び、その中央に、人が一人倒れている。
「……ノア」
エドが膝をついていた。
男だった。
痩せてはいるが、エドほどではない。
長い灰色の髪が床へ広がり、身体には見覚えのない薄い布のようなものをまとっている。
カイルは入口で完全に動きを止めていた。
「ノア……?」
「カイル、知ってる人?」
ハヤトが聞く。
返事をしたのはイリスだった。
「六人の一人」
残る二人。
ノアとディル。
そのうちの一人。
「生きてる!」
セラがすぐノアの横へしゃがむ。
首元に触れ、呼吸を確認する。
「脈もある。でもすごく弱い」
「怪我は?」
「目立つものはない」
治癒の光がノアの身体を包む。
レグが少し離れたところから鼻を動かした。
「においする」
「施設と同じ?」
「うん。でも……」
「魔物みたい?」
レグは首を横に振った。
「イリスとヴァンに近い」
二人に埋め込まれた黒い金属。
それと似た何かがあるらしい。
「でも何も見えないぞ」
ハヤトがノアの腕や首を見る。
黒い金属はない。
ヴァンがゆっくり近づいた。
「背中見せろ」
「ヴァンさん座っててください」
「見るだけだ」
「……本当に見るだけですよ」
セラに睨まれながら、ヴァンがノアの肩口を確認する。
「ここ」
首の後ろ。
髪に隠れて、小さな黒い点があった。
「これも埋め込まれてる?」
「違う」
ヴァンが顔を近づける。
「穴の跡だ」
「外した?」
「多分な」
イリスも見る。
「私のと形が違う」
「ノア自身が外したのか?」
エドが聞く。
「意識なかったんじゃ?」
「今までずっと寝てたとは限らん」
ヴァンの言葉に、全員が黙る。
イリスも五年間眠っていたと思っていた。
だが実際には、記憶がないだけなのかもしれない。
ノアも同じ可能性がある。
「エド」
カイルがようやく動いた。
「最後にノアを見たのはいつだ」
「二年前」
「この状態だった?」
「違う」
エドは即答した。
「普通に歩いてた。俺とディルと三人で別の施設を調べてた」
「そこで別れた?」
「ああ」
「何があった」
エドはノアを見ながら、少しずつ話した。
「地下で三方向に道が分かれてた。俺が戻って入口を見る。ノアとディルが先を調べる。それだけのつもりだった」
「戻らなかった?」
「途中で扉が全部閉じた」
五年前と同じ。
「俺は外側に押し出された。二人は中だ」
「助けに戻った?」
「何十回も」
エドの声が低くなる。
「入口そのものが消えた」
「消えた?」
「壁になった。掘っても何も出てこなかった」
カイルは何も言わなかった。
自分が五年前に経験したことと重なるのだろう。
「それから二人を探して?」
「ああ」
「二年間?」
「そうだ」
エドは短く答えた。
「だからヴァンとここへ来た。似た反応が出てたからな」
「ノアがいるって分かってた?」
「いや」
「じゃあ偶然?」
「……多分な」
誰も「偶然」とは思っていなかった。
セラが治癒を続ける。
「少し呼吸が落ち着いてきた」
「目覚める?」
「分かんない。でも今は無理に起こさない方が――」
「……エド」
小さな声だった。
全員が止まる。
ノアの瞼が、ゆっくり開いた。
「ノア!」
エドが顔を覗き込む。
「分かるか?」
「……うるさい」
「は?」
「近い……」
「お前な!」
エドの顔が一気に緩む。
「二年ぶりに会った最初がそれか!」
「二年……?」
ノアの目が少しだけ開く。
「何言ってる」
「何って」
「俺が中に入ってから……」
一度、目を閉じる。
「昨日だろ」
空気が止まった。
「……昨日?」
イリスが聞き返す。
「多分」
ノアが眉を寄せる。
「ディルと奥へ行って……扉が閉まった」
「そのあと?」
「……」
思い出そうとしている。
「光った部屋があった」
「六つの円?」
エドが聞く。
ノアの目が開いた。
「何で知ってる」
「ここにもある」
「ここ?」
ようやく周囲を見る。
カイル。
イリス。
ヴァン。
その三人が視界に入った瞬間、ノアの顔から眠気が消えた。
「……は?」
「久しぶり」
イリスが言う。
「イリス?」
「うん」
「ヴァン……?」
「生きてる」
「なんで」
最後。
カイルを見る。
ノアの呼吸が止まったように見えた。
「……カイル」
「ああ」
「なんでお前がここにいる」
「それ、今日何回聞かれるんだろうな」
カイルは少し笑おうとした。
うまくできなかった。
「五年だ」
「何が」
「最初の施設から、五年経ってる」
ノアの目が揺れる。
「……冗談だろ」
「俺もそう思いたかった」
エドが言う。
「俺とお前が別れたのも二年前だ」
「昨日だ」
「ノア」
「昨日だって」
声が少し強くなる。
「ディルと部屋に入って、あいつが――」
そこで言葉が止まった。
「ディルが?」
カイルが聞く。
ノアは自分の頭を押さえる。
「……俺を押した」
「どこへ?」
「石の中」
「石?」
「分からない……」
呼吸が乱れ始めた。
「もういい」
セラが割って入る。
「今は思い出さなくていいです」
「でもディルが」
「身体が落ち着いてから」
「ディルはどこだ」
誰も答えられない。
エドが拳を握った。
「俺も探してる」
「一緒じゃないのか?」
「二年前から会ってない」
ノアの顔から力が抜ける。
「……そうか」
目を閉じる。
「じゃあ、俺だけ出てきたのか」
「まだ決まってない」
イリスが言う。
「ディルも生きてるかもしれない」
「……ああ」
弱い返事。
今はそれ以上話させない方がよさそうだった。
「寝ててください」
セラが言う。
「もう寝るのは飽きた」
「本人の感覚だと昨日まで起きてたんですよね?」
「……そうだった」
「ならちょっとだけ」
「厳しいな」
「よく言われ始めました」
ヴァンが小さく笑う。
「誰のせいですか」
「知らん」
ほんの少しだけ空気が緩んだ。
そのとき。
ゴン。
遠くで音が響いた。
中央の部屋。
「……また」
ハヤトが立ち上がる。
続いて白い光が通路を走った。
六人――いや、全員が中央へ視線を向ける。
「何が動いた?」
ノアが起き上がろうとする。
「寝てて!」
セラに押し戻された。
「見てくる」
ハヤト、カイル、レグが中央の部屋へ戻る。
エドも少し迷ったあと、ノアをイリスとセラに任せて続いた。
部屋へ入った瞬間。
「……全部点いてる」
床の六つの円。
さっきまで最後の一つは、一瞬光っては消えていた。
今は違う。
六つすべてが白く光っている。
「ノアが起きたから?」
ハヤトが言う。
「待て」
カイルが首を横に振った。
「それなら数がおかしい」
「やっぱり?」
「俺、ヴァン、イリス、エド、ノア。五人だ」
「ディルはいない」
「ああ」
それなのに六つ。
「じゃあ、もう一人は誰?」
エドが呟く。
誰も答えない。
レグが胸元へ手を置いた。
黒い石はもう見えない。
レグ自身の中へ戻っている。
「レグ?」
「ここ、あったかい」
「石?」
「うん」
カイルがレグを見る。
「……お前なのか?」
「なにが?」
「六つ目」
ハヤトが一歩前へ出る。
「まだ決めつけるな」
「分かってる」
カイルもすぐ引いた。
ただ、可能性は消せない。
六つの円の中央。
巨大な石柱へ、再び光が集まっていく。
今度は映像ではなかった。
石柱そのものがゆっくり割れていく。
「下がれ!」
全員が距離を取る。
石が左右へ開く。
中から現れたのは扉だった。
黒い石で作られた、小さな扉。
表面に二つの印が刻まれている。
一つ。
円と三本線。
もう一つは――。
「竜」
レグが呟く。
黒い石に刻まれていたものと同じ、小さな竜の印。
「これ、レグの石と同じだな」
「ああ」
扉の中央に文字が浮かぶ。
「読める?」
ハヤトが聞く。
カイルは首を横に振った。
「無理だ」
レグが一歩近づく。
「これは?」
文字を見つめる。
「……『六つ』」
次の行。
「『帰った』」
「またそれか」
さらに下。
レグが黙る。
「どうした?」
「これ」
指を向ける。
「『道をひらく』」
全員が扉を見る。
「どこへの?」
エドが呟く。
答えるように。
扉の向こうから、音がした。
こん。
小さな音。
まるで誰かが、反対側から扉を叩いたようだった。
「……人?」
ハヤトが剣の柄へ手をかける。
もう一度。
こん。
そして。
「――ノア?」
声だった。
エドの顔が変わる。
カイルも息を呑む。
ノアは後ろの部屋にいる。
なら。
扉の向こうからノアを呼んだのは誰なのか。
エドの唇が動いた。
「……ディル?」




