離せない手
通路の先から聞こえた声を頼りに、六人は走った。
足元には細い光の線が何本も走り、壁の奥から低い振動が伝わってくる。後ろでは中央の石柱が動き続けているのか、一定の間隔で重い音が響いていた。
「ヴァン!」
イリスがもう一度呼ぶ。
返事はない。
「レグ、分かる?」
「前。近い」
エドが角を曲がる。
「この先だ!」
通路の終わりには小さな部屋があった。
扉は開いている。
その中を見た瞬間、全員の足が止まった。
「……何してんだよ」
カイルが呟く。
ヴァンは部屋の中央にいた。
座っているわけではない。
石壁に片膝をつき、右手を壁に埋め込まれた黒い装置へ押し当てている。
耳の下にあった金属片から何本もの光が伸び、腕を通って装置へ流れ込んでいた。
顔色は真っ白だった。
「遅い」
ヴァンがこちらを見る。
「……本当に来たのか」
「何でそんな状態になるまで待ってんの!」
イリスが駆け寄ろうとする。
「来るな!」
ヴァンの声が部屋に響いた。
イリスが止まる。
「何よ」
「床見ろ」
灯りを下へ向ける。
ヴァンの周囲。
円形に細い溝が刻まれ、その中を白い光が走っていた。
「そこ越えるな」
「罠?」
ハヤトが聞く。
「罠じゃない」
ヴァンが息を吐く。
「今は俺が流れを押さえてる」
「手離したら?」
「多分、さっきの部屋が全部動く」
「多分って」
「試すか?」
「やめとく」
冗談を返したものの、ヴァンの状態は笑えない。
右腕が細かく震えている。
「いつからこうしてる?」
エドが聞いた。
「昨日」
「ずっと?」
「途中で何度か気絶した」
「それずっとと同じだろ!」
「起きたから問題ない」
「問題しかない!」
エドの怒鳴り声に、ヴァンが少し笑った。
「元気そうだな」
「お前に言われたくねえよ」
カイルは二人の横を抜け、光の円ぎりぎりまで近づいた。
「ヴァン」
「何だ」
「五年ぶりに会ったときよりひどい顔してるぞ」
「お前は老けたな」
「殴るぞ」
「今やったら多分死ぬ」
「……後にする」
短いやり取りだった。
それでも、ハヤトにはカイルの肩から少しだけ力が抜けたように見えた。
「どうすれば外せる?」
セラが聞く。
「装置を止める」
「その方法は?」
「見つからなかった」
「じゃあ昨日から何してたの?」
「止め方を探しながら、これ以上起こさないようにしてた」
「一人で?」
「エドいたら邪魔だったから外に出した」
「お前な!」
「実際、助け呼べただろ」
エドが言葉に詰まる。
「結果だけ見ればな……」
イリスは光る床を確認している。
「この流れ、ヴァンの魔力だけじゃないよね」
「ああ」
「施設側からも来てる」
「だから切れない」
「耳のそれは?」
「無理やり接続してる」
「外したら?」
「俺が倒れる前に装置が起きる方が早い」
話を聞けば聞くほど、単純に引き離すことはできなさそうだった。
ハヤトは部屋を見回す。
壁の装置。
床の円。
ヴァンへ流れる光。
その奥に、小さな石板がある。
「カイル。あれ読めない?」
「どれだ」
指した先へ灯りを向ける。
古い文字が何行か刻まれていた。
カイルが目を細める。
「……待て」
「読めそう?」
「一部だけ」
イリスも隣から見る。
「これ……『受ける』?」
「多分」
「その次は?」
「『渡す』だな」
「受けて、渡す?」
セラがヴァンを見る。
「今やってること?」
「俺もそう思った」
ヴァンが答える。
「この装置は何かを止めるものじゃない。流すものだ」
「どこからどこへ?」
「それが分からん」
レグが黙って壁を見ていた。
「レグ?」
「ここ」
装置ではなく、その横を指す。
円と三本線。
例の印だ。
ただ、その下に小さな窪みがある。
「これ、石?」
ハヤトが気づく。
大きさ。
形。
あの黒い石に近い。
「……まさか」
荷物を下ろす。
「ハヤト」
イリスがすぐ制した。
「まだ入れないで」
「分かってる。見るだけ」
箱を開け、布に包んだ黒い石を取り出す。
その瞬間。
石が光った。
「やっぱ反応した」
ヴァンの表情が変わる。
「それ、どこで手に入れた」
「森の小屋。お前が持ってた箱の中」
「開けたのか?」
「レグが」
ヴァンの視線がレグへ向く。
「……そうか」
「何か知ってる?」
「石自体は見たことがある」
「どこで?」
「五年前の施設」
カイルが反応する。
「俺は見てないぞ」
「お前が外に出たあとだ」
その一言で空気が少し変わる。
五年間の空白。
まだそこには、カイルの知らないことが大量にある。
「何に使う?」
「鍵だと思ってた」
「思ってた?」
「使えなかったからな」
ヴァンはレグを見る。
「竜が持つとは知らなかった」
「レグの」
レグが即座に言う。
「分かってる。取らない」
「おかあさんにもらった」
ヴァンの目がわずかに見開かれた。
「母親?」
「うん」
「名前は?」
「しらない」
「父親は?」
ハヤトが少し身構える。
レグは素直に答えた。
「ガルド」
今度こそヴァンの顔色が変わった。
「……何?」
「知ってるのか?」
ハヤトが聞く。
ヴァンは答えない。
「ヴァン?」
イリスが呼ぶ。
「いや」
ヴァンは一度目を閉じた。
「今は後だ」
「知ってる顔だったけど」
「後だって言った」
声に余裕がない。
本当に今話すことではないのだろう。
直後、床の光が強くなった。
「っ……!」
ヴァンの身体が沈む。
「ヴァン!」
「来るな!」
装置から伸びた光が一気に増える。
耳の下の金属が赤く熱を持ち始めていた。
「これ長くないぞ!」
エドが叫ぶ。
「見れば分かる!」
ハヤトは黒い石と壁の窪みを見る。
「入れたらどうなる?」
「知らない!」
「でも形合ってる!」
「だから危ないんだろ!」
カイルが言う。
「じゃあ他に方法ある?」
誰も答えない。
ヴァンだけが、苦しそうに笑った。
「入れろ」
「お前!」
カイルが睨む。
「俺はもう長く持たない」
「失敗したら?」
「俺が死ぬか、お前らも巻き込まれる」
「最悪じゃねえか!」
「今も同じだ」
正論だった。
ハヤトはレグを見る。
「どうする?」
石はレグのものだ。
勝手には使わない。
レグは壁の窪みを見る。
少しだけ怖そうだった。
それでも頷く。
「つかう」
「いいの?」
「ヴァン、いたい」
「……そうだな」
レグが石を受け取ろうとする。
「俺がやる」
「レグのだから、レグがやる」
「危ないかもしれない」
「ハヤトもあぶない」
「それ言われると弱いな」
セラが二人を見る。
「一緒にやれば?」
「一緒?」
「ハヤトが持って、レグが場所を確認する。それならどっちか一人だけ前に出なくていいでしょ」
「それだ」
レグも頷く。
「いっしょ」
二人で光の円の外側まで近づく。
「ここ越えたら?」
ハヤトが聞く。
「まだ大丈夫」
ヴァンが息を整えながら答える。
「装置の横なら入れる」
「最初に言ってよ」
「聞かれなかった」
「そういうとこカイルと似てるな」
「今それ言う?」
カイルの声が後ろから飛んできた。
少しだけ笑いが起きる。
そのおかげで、手の震えが止まった。
レグが窪みを見る。
「ここ」
「向きは?」
「竜が上」
黒い石に刻まれた小さな竜。
それを上へ向ける。
「入れるぞ」
「うん」
ゆっくり差し込んだ。
ぴたりと収まる。
一秒。
何も起きない。
二秒。
「……外れ?」
ハヤトが呟いた直後。
石の竜が光った。
白い光が壁の印へ走る。
円。
三本の線。
欠けていた中心。
すべてがつながる。
「離れろ!」
ヴァンが叫ぶ。
ハヤトはレグを抱えるように後ろへ下がった。
壁全体が光る。
床の光が一度消えた。
「止まった?」
セラが声を上げる。
ヴァンの腕からも光が消えている。
「手!」
イリスが叫ぶ。
「ヴァン、離して!」
ヴァンがゆっくり右手を装置から離す。
何も起きない。
一歩。
後ろへ下がる。
「……離れた」
本人が一番驚いていた。
次の瞬間。
膝から崩れた。
「ヴァン!」
イリスとカイルが同時に飛び込む。
今度は床の円も反応しない。
二人で身体を支える。
「セラ!」
「今行く!」
セラがすぐ治癒を始める。
耳元の金属はまだ熱を持っているが、光は消えていた。
「どう?」
ハヤトが聞く。
「魔力を使いすぎてる。怪我もあるけど、それよりこっちがひどい」
「死ぬ?」
「今すぐは大丈夫。でも絶対休ませる」
「聞こえてるぞ」
ヴァンが目を閉じたまま言う。
「なら自分で歩けます?」
「……無理」
「素直でよろしいです」
「セラ、強くなったな」
「初対面ですよね?」
「カイルから聞いてる」
「いつ!?」
「森で会ったあと」
「何話してるんですか!」
カイルが少し気まずそうに視線を逸らした。
「色々だ」
「あとで聞きますからね」
「今じゃないのか」
「今はヴァンさん治す方が先!」
「正しい」
イリスが笑った。
緊張がようやく薄れる。
だが。
それも長くは続かなかった。
壁へ差し込んだ黒い石。
その周囲に新しい文字が浮かび始めた。
「また何か出てる」
エドが言う。
「カイル、読める?」
「待て」
文字は一行ではない。
次々と壁を埋めていく。
古い言葉。
その中に、何度も同じ記号が出てくる。
レグが近づく。
「レグ?」
「これ、読める」
全員が彼女を見る。
「本当に?」
「ぜんぶじゃない」
壁の一番上。
大きく刻まれた文字を指す。
「『帰った』」
「誰が?」
「わかんない」
その下。
「『五つ』」
カイルとエドが同時に顔を上げる。
さっきの五つの光。
「次は?」
レグが少し黙る。
「……『ひとつ、眠る』」
イリスの顔から表情が消える。
「やっぱり六人のこと?」
「まだ決まってない」
カイルがすぐ言う。
だが今度は、誰も軽く流せなかった。
さらに文字が続く。
レグは一つずつ追っていく。
「『六つ、そろったら』」
そこで止まる。
「その先は?」
「むずかしい」
イリスが隣へ行く。
「どれ?」
レグが示す。
カイルも見る。
二人でしばらく考えた。
「これ……『開く』じゃない?」
イリスが言う。
「俺もそう見える」
ハヤトの背中に嫌な感覚が走る。
「何が開く?」
「書いてない」
カイルが答える。
「少なくともここには」
ヴァンが、セラに支えられたまま笑った。
「やっと分かった」
「何が?」
「施設が止まらない理由」
「知ってるの?」
「逆だ」
ゆっくり目を開ける。
「俺たちはずっと、こいつらを止めようとしてた」
壁の文字を見る。
「でも最初から、止まってたんだ」
「どういうこと?」
ヴァンは六という数字を指した。
「足りなかったから動けなかった」
誰も言葉を出さない。
「最近起き始めたのは」
ヴァンが続ける。
「足りなかったものが、少しずつ戻ってきてるからだ」
五年前に消えた六人。
今、確認できているのはカイル、ヴァン、イリス、エド。
そして、行方の分からないノアとディル。
五つの光。
眠っている一つ。
偶然だと言い切るには、重なりすぎていた。
レグだけは別の場所を見ていた。
「ハヤト」
「何?」
「石」
差し込んだ黒い石。
中心の竜が、まだ光っている。
「どうした?」
「これ」
レグがゆっくり近づく。
「返してって、いってる」
「誰が?」
レグは答えなかった。
石の奥から何かを聞くように、じっと耳を澄ませる。
そして小さく呟いた。
「……おかあさん」




