第9話 遺跡の先客
遺跡の入口に残された足跡は、まだ新しかった。
ハヤトはしゃがみ込み、地面を確認する。
靴底の形が違うものがいくつか混ざっている。
「何人くらいだと思う?」
「少なくとも四人」
セラも隣にしゃがんだ。
「重装備の人間もいるみたい。跡が深いわ」
「冒険者かな」
「分からない。でも、ギルドから別の調査隊が出てるなら普通は依頼書に書かれる」
つまり、勝手に入った連中かもしれない。
それ自体が罪なのかは分からないが、少なくとも気持ちのいい状況ではなかった。
ハヤトは遺跡の入口を見る。
石造りの階段が地下へ伸びている。
日光が届くのは数メートル先まで。
その向こうは完全な暗闇だ。
「行く?」
セラが尋ねる。
「ここまで二日歩いて帰るのは嫌だな」
「私も」
二人は装備を確認した。
ハヤトは盾を構え、反対の手を前へ出す。
「《灯火》」
掌の上に小さな炎が生まれた。
「便利ね、それ」
「初めて魔法を覚えた時は、もっと派手なの欲しいと思ってたんだけどな」
「基礎魔法を馬鹿にするからよ」
炎を照明代わりにしながら、階段を下りる。
内部は想像していたより広かった。
壁も床も石造り。
所々に植物の根が入り込み、一部の天井は崩れている。
かなり古い遺跡らしい。
「文字がある」
ハヤトが壁を照らす。
何かが彫られていた。
当然、読めない。
「読める?」
「古代文字ね。私も少ししか分からない」
「そのうち覚えたいな」
「出た」
セラが即座に反応した。
「何が?」
「あなたの『覚えたい』」
「便利そうじゃん」
「十年後くらいには何種類の技能持ってるのかしらね」
ハヤトは少し考える。
「数えるの面倒なくらい?」
「本気でそうなりそうだから怖いわ」
先へ進む。
廊下には何度か分岐があった。
だが迷う心配はなかった。
先客の足跡が残っている。
さらに、壁にはところどころ新しい傷までついていた。
目印として刃物で削ったらしい。
「随分堂々としてるな」
「隠れる気はないみたいね」
その時。
前方から音が聞こえた。
金属が石に当たる音。
続いて男の声。
「……もうちょい右だ!」
ハヤトとセラは足を止める。
互いに目を合わせたあと、音を立てないよう近づいた。
曲がり角の先。
広い部屋がある。
中には五人の男がいた。
一人は革鎧。
二人は剣を持っている。
もう一人は弓。
最後の大柄な男だけが全身を金属鎧で覆っていた。
そして彼らが囲んでいるのは、壁に埋め込まれた石扉だった。
「やっぱり人間だったな」
ハヤトが小声で言う。
「五人ね」
「どうする?」
「まず話しましょ」
セラが先に姿を見せた。
「そこの人たち」
男たちが一斉に振り返る。
剣を持っていた二人が反射的に武器へ手を伸ばした。
「誰だ?」
大柄な男が前へ出る。
セラはギルドカードを見せた。
「ラーデンの冒険者ギルドから、この遺跡の調査依頼を受けてるわ」
男たちの空気がわずかに変わった。
「調査?」
「最近、魔物の目撃が増えてるからって」
大柄な男は隣の仲間を見る。
何か目で合図した。
ハヤトはそのやり取りを見逃さなかった。
「あなたたちは?」
セラが尋ねる。
男は答えるまで少し間を置いた。
「俺たちも冒険者だ」
「ギルドから?」
「いや。個人的に来ただけだ」
「目的は?」
「遺跡探索。それ以上説明する義務があるか?」
態度は悪い。
だが言っていること自体は間違っていない。
この遺跡への立ち入りが禁止されているとは聞いていない。
セラも同じ判断をしたようだった。
「ないわ。ただ、私たちは内部調査を続ける」
「好きにしろ」
男が背を向ける。
意外とあっさり終わった。
ハヤトは少し拍子抜けしながらも、セラと部屋を通り抜けようとした。
その時。
「ちょっと待て」
別の男が声をかけてきた。
細身の剣士。
視線はハヤトではなく、セラに向いている。
「火炎魔術師か?」
セラのローブにある紋章を見たらしい。
「そうだけど」
「なら少し手伝えよ」
男は石扉を指差した。
扉の中央には、黒く固まった何かが詰まっている。
「こいつが邪魔で開かない。焼けば取れるかもしれねえ」
セラは石扉を眺める。
「嫌よ」
即答だった。
男が眉をひそめる。
「別に減るもんじゃねえだろ」
「魔力が減るわ」
「細かい女だな」
ハヤトは思わず口元を緩めた。
初対面の時、自分も似たような扱いをされた記憶がある。
セラがこちらを睨む。
「何笑ってるの?」
「いや、別に」
剣士はまだ引かなかった。
「報酬は出す」
「いらない」
「だったら――」
「断ってるだろ」
ハヤトが割って入った。
男がこちらを見る。
「何だ、お前」
「一緒に来てるだけ」
「じゃあ黙ってろ」
「それも嫌だな」
空気が張りつめる。
セラが小さくため息をついた。
「ハヤト、別にいいわよ。相手する必要ないから」
「そう?」
「行きましょ」
二人はその場を離れた。
後ろから何か聞こえたが、ハヤトは無視した。
しばらく歩いたところで、セラが口を開く。
「意外と喧嘩っ早いのね」
「そうか?」
「『それも嫌だな』は十分喧嘩売ってるわよ」
「先に黙れって言われたからな」
「子供みたい」
「嫌なものは嫌って言うって決めたんだよ」
ハヤトは悪びれなかった。
以前の自分なら、たぶん黙っていただろう。
余計な揉め事は避ける。
自分に直接関係ないなら我慢する。
それが一番楽だった。
だが今は違う。
何でも喧嘩で解決したいわけではない。
ただ、納得できないことまで飲み込むつもりもなかった。
「まあ、殴られそうになったら逃げるけど」
「格好つかないわね」
「生き残る方が大事だろ」
セラが笑った。
さらに奥へ進む。
しばらくすると、人間の足跡とは別の跡が見つかった。
大きな爪痕。
「これ……」
セラがしゃがむ。
「グレイウルフじゃないわね」
壁にも傷がある。
かなり深い。
ハヤトが手を当てると、指が完全に入るほどだった。
「結構でかそうだな」
「依頼に書かれてた魔物かも」
二人の表情が引き締まる。
その先には階段があった。
さらに地下へ続いている。
下から冷たい風が吹き上がってきた。
同時に。
低い唸り声。
ハヤトは盾を構えた。
「来るぞ」
暗闇の中。
二つの赤い光が浮かぶ。
目だ。
ゆっくりと姿を現したのは、四足歩行の魔物だった。
全身を黒い鱗に覆われている。
体長は三メートル近い。
鋭い爪。
太い尾。
口を開けば、幾重にも並んだ牙が見えた。
ハヤトは一瞬だけ固まった。
「……あれ、何?」
セラの声も少し硬い。
「アイアンリザード」
「強い?」
「グレイウルフの変異種より、ずっと」
「帰る?」
ハヤトは真面目に聞いた。
セラも真面目に考えた。
その間にも、アイアンリザードはゆっくり距離を詰めてくる。
「逃げても追ってくる可能性がある」
「じゃあ戦うしかないな」
ハヤトは短剣を抜いた。
アイアンリザードの鱗を見る。
名前通りなら、かなり硬そうだ。
自分の短剣が通るとは思えない。
「セラ。火は効く?」
「鱗の上からなら微妙。口の中や腹なら通ると思う」
「了解」
問題は、どうやってそこを狙うか。
ハヤトは周囲を見る。
狭い廊下。
左右は石壁。
後方には階段。
使える技能は、剣術、盾術、身体強化、水魔法、それに《灯火》。
大した手札ではない。
それでも。
今あるもので考えるしかない。
アイアンリザードが地面を蹴った。
「来る!」
ハヤトは盾を構え――すぐにやめた。
昨日の変異種ですら受けきれなかった。
こんな巨体を正面から受ければ、盾ごと潰される。
身体強化。
横へ飛ぶ。
アイアンリザードが通り過ぎる。
直後。
太い尾が横薙ぎに振られた。
「うわっ!」
盾でどうにか受ける。
衝撃で身体が壁まで飛ばされた。
背中を強く打つ。
息が詰まった。
「ハヤト!」
セラの《火球》が飛ぶ。
アイアンリザードの背へ直撃。
炎が広がる。
だが。
「効いてない!」
黒い鱗には焦げ跡すらほとんど残っていない。
魔物がセラへ向く。
まずい。
ハヤトは立ち上がる。
まだ身体は動く。
「おい、トカゲ!」
魔物がこちらを見る。
「こっちだ!」
水弾を顔へ撃ち込む。
ダメージはない。
だが、怒らせるには十分だった。
再び突進してくる。
ハヤトはぎりぎりまで待った。
直前で横へ。
魔物の頭が石壁へぶつかる。
鈍い音。
「……これでも平気かよ」
アイアンリザードがすぐにこちらを向く。
本当に硬い。
ハヤトは距離を取りながら考える。
鱗。
腹。
口。
弱い場所。
そして、ふと気づいた。
「セラ」
「何?」
「こいつ、口開けた時ならいけるんだよな?」
「当てられれば!」
「じゃあ開けさせる」
「どうやって?」
答える暇はない。
アイアンリザードが迫る。
ハヤトは短剣を鞘へ戻した。
代わりに盾を両手で持つ。
「ちょっと、何する気!?」
「噛ませる!」
「馬鹿なの!?」
たぶん馬鹿だ。
だが他に思いつかない。
魔物が大口を開ける。
ハヤトは盾を前へ突き出した。
牙が盾へ食い込む。
凄まじい力。
「ぐっ……!」
腕が軋む。
盾がへこむ。
長くは持たない。
でも。
口は開いた。
「今!」
セラが杖を向ける。
「《炎槍》!」
細く鋭い炎が飛ぶ。
ハヤトは直前で盾から手を離した。
炎槍が、開いた口の奥へ吸い込まれる。
一瞬。
アイアンリザードの身体が止まった。
次の瞬間。
内部から炎が噴き出した。
巨体が激しくのたうち回る。
ハヤトとセラは慌てて距離を取った。
石床を爪が削る。
尾が壁を叩き壊す。
そして――。
ゆっくりと動きが止まった。
静かになる遺跡。
ハヤトは壁へ背を預け、そのまま座り込んだ。
「……死ぬかと思った」
セラも杖を下ろす。
「私もよ」
二人で倒れた魔物を見る。
ハヤトの盾は牙が刺さったまま、完全に潰れていた。
「昨日買ったばっかなんだけど」
「また買えば?」
「金が……」
「命より安いわよ」
「分かってるけどさ」
ハヤトは肩を落とした。
その時。
アイアンリザードが出てきた階段の奥から、微かな光が見えた。
青白い光。
どうやら、さらに下に何かある。
セラも気づく。
「どうする?」
ハヤトは壊れた盾を見る。
それから階段を見る。
帰るという選択もある。
依頼は内部調査。
危険な魔物も一体排除した。
十分な成果だ。
でも。
ここまで来て。
目の前に、まだ知らない場所がある。
ハヤトは立ち上がった。
「もう少しだけ見てみよう」
セラは予想していたようにため息をつく。
「そう言うと思った」
二人はアイアンリザードを越え、地下へ続く階段を下り始めた。
その先で待っていたものが、この遠征の目的を大きく変えることになるとは――。
この時のハヤトは、まだ知らなかった。




