第10話 遺跡の奥にいたもの
地下へ続く階段は、思っていた以上に深かった。
ハヤトの《灯火》が石壁を照らすたび、長い年月で削れた彫刻が浮かび上がる。
上の階とは明らかに造りが違う。
壁には細かな紋様が刻まれ、所々に青白い石が埋め込まれていた。
先ほど見えた光は、どうやらこの石から漏れていたらしい。
「魔道具?」
ハヤトが手を伸ばしかける。
「触らない方がいいわよ」
すぐにセラから止められた。
「壊れかけの古代魔道具なんて、何が起こるか分からないから」
「爆発したり?」
「することもある」
ハヤトは素直に手を引っ込めた。
「先に言ってくれて助かった」
「触る前に聞きなさいよ」
階段を下りきる。
その先には、丸い広間があった。
天井は高く、中央には巨大な石柱。
その周囲を囲むように、いくつもの古びた鎖が床へ伸びている。
だが、ハヤトが最初に気づいたのはそこではなかった。
「……何かいる」
広間の奥。
崩れた石材の陰で、小さな何かが動いた。
ハヤトは短剣へ手を伸ばす。
盾はさっき壊れた。
もし敵なら、いつもより慎重に動く必要がある。
セラも杖を構えた。
「出てくるわ」
がさり。
石の陰から、小さな頭が覗いた。
ハヤトは動きを止める。
「……トカゲ?」
「違う」
セラの声が低くなった。
現れた生き物は、先ほど倒したアイアンリザードより遥かに小さい。
大型犬ほどの体。
黒に近い深緑色の鱗。
背中にはまだ十分に育っていない翼があり、頭からは小さな二本の角が伸びていた。
そして、その瞳は明らかにこちらを警戒している。
「これって……」
「竜よ」
ハヤトは思わず聞き返した。
「ドラゴン?」
「たぶん幼竜」
「マジか」
異世界へ来て十日あまり。
ついにドラゴンまで出てきた。
本来なら少しくらい興奮してもよさそうなものだが、すぐにそんな気分ではなくなった。
幼竜が一歩動く。
その瞬間、前脚が崩れた。
「……怪我してる」
右の翼が不自然に垂れている。
後ろ脚には深い傷。
乾いた血が鱗にこびりついていた。
しかも首には、細い金属の輪がはめられている。
そこから伸びた鎖が、石柱へとつながっていた。
「誰かが捕まえたのか?」
ハヤトが近づこうとする。
幼竜が口を開いた。
小さな唸り声。
口の奥に赤い光が灯る。
「止まって!」
セラに腕を掴まれた。
直後。
幼竜の口から炎が噴き出した。
距離があったため届かなかったものの、床が黒く焦げる。
ハヤトは一歩下がった。
「子供でも火吐くんだな」
「竜よ。当然でしょ」
「俺の世界じゃ想像上の生き物だったんだよ」
幼竜は二人を睨んだまま、再び唸る。
だが明らかに弱っている。
二度目の炎を吐く力すら残っていないようだった。
セラは首輪を見る。
「奴隷用じゃないわね」
「分かるの?」
「魔物の捕獲具だと思う。高位の魔物を運ぶ時に使うもの」
「じゃあ、やっぱり誰かが捕まえたんだ」
ハヤトの頭に浮かんだのは、上の階にいた五人組だった。
石扉を無理やり開けようとしていた男たち。
偶然だろうか。
「もしかして、あいつらの目的ってこいつ?」
セラも同じことを考えていたらしい。
「可能性は高いわね。幼竜なら、生きたまま売れば相当な金額になる」
「どれくらい?」
「普通の冒険者が一生遊んで暮らせるくらい」
ハヤトは幼竜を見る。
「……そんなに?」
「竜の素材だけでも高価なの。生きている幼体なんて、滅多に市場へ出ないわ」
確かに、それなら五人も集まってこんな場所まで来る理由になる。
だが一つ疑問が残る。
「だったら、なんで置いていったんだ?」
「捕獲には成功したけど、運び出せなかったとか」
セラは周囲を見渡した。
「それか、何か別の問題が起きた」
ハヤトは広間へ視線を巡らせる。
崩れた壁。
壊れた床。
あちこちに戦闘の跡がある。
アイアンリザードも、この幼竜を狙っていたのかもしれない。
あるいは守っていたのか。
そこまでは分からない。
「とりあえず鎖外すか」
ハヤトが言う。
「待って」
セラが止める。
「外した瞬間に襲われる可能性もあるわよ」
「でもこのままにしとく?」
「そうは言ってない。考えましょうって言ってるの」
ハヤトは幼竜を見た。
幼竜もこちらを見ている。
警戒している。
怯えているようにも見えた。
もし自分が同じ立場ならどうだろう。
知らない奴らに捕まえられて。
怪我をして。
次に現れた人間から「危険だからそのままにしておこう」と言われる。
嫌だ。
単純にそう思った。
「やっぱ外そう」
セラはため息をついた。
「あなたならそう言うと思った」
「嫌?」
「嫌とは言ってないわ」
セラは少し考えたあと、杖を下げた。
「ただし、いきなり近づかない。まず敵意がないことを分からせる」
「どうやって?」
「それを今から考えるのよ」
二人で幼竜から少し距離を取った。
ハヤトは荷物を下ろし、中を探る。
干し肉。
パン。
水。
「肉食うかな」
「竜は基本的に肉食よ」
「よし」
干し肉を一枚取り出す。
幼竜が反応した。
視線が明らかに肉へ向く。
「分かりやすいな」
「お腹空いてるんでしょうね」
ハヤトは肉を地面へ置いた。
そのまま後ろへ下がる。
「食っていいぞ」
言葉が通じるとは思えない。
それでも声をかける。
幼竜はしばらく二人と肉を交互に見ていた。
やがて、ゆっくり前へ出る。
鎖が鳴った。
届くぎりぎりの場所まで来ると、肉を咥えた。
一瞬で飲み込む。
「……もっといる?」
再び荷物を探る。
セラが呆れた。
「それ、今日の夕食じゃない?」
「また何か狩ればいいだろ」
「そう簡単に言う」
二枚目。
三枚目。
幼竜は警戒しながらも食べた。
最初より唸り声が減っている。
ハヤトは少しずつ距離を縮めた。
残り三メートル。
二メートル。
一メートル。
幼竜が身体を強張らせる。
ハヤトはそこで止まった。
「大丈夫。何もしないから」
ゆっくりしゃがむ。
手を差し出すことはしなかった。
逃げ場のない相手に、さらにこちらから触ろうとする必要はない。
しばらく、そのまま待った。
やがて幼竜の方から鼻先を伸ばす。
ハヤトの匂いを嗅いだ。
「……噛むなよ?」
幼竜が低く鳴く。
噛まれはしなかった。
「セラ」
「何?」
「外せそう?」
セラが少しずつ近づく。
幼竜が警戒するが、先ほどのように炎は吐かなかった。
首輪を確認する。
「鍵式じゃない。魔力で固定されてる」
「壊せる?」
「たぶん。でも下手に壊すと首輪ごと爆発する可能性がある」
ハヤトの表情が固まる。
「それ先に聞けてよかった」
「だから何でも壊そうとしないで」
セラが首輪の紋様を調べていく。
数分後。
「解除術式がある。時間はかかるけど外せそう」
「頼む」
セラが作業を始める。
ハヤトは幼竜の前に座ったまま待った。
その時だった。
上の階から音が聞こえた。
複数の足音。
しかも近づいてくる。
セラが顔を上げる。
ハヤトも振り返った。
嫌な予感はした。
やがて階段から現れたのは――やはり、さっきの五人だった。
大柄な男が広間を見る。
次に幼竜。
そして、その前にいるハヤトとセラ。
男の表情が変わった。
「……何してやがる」
セラが立ち上がる。
「こっちの台詞よ」
大柄な男の視線が、首輪へ向く。
その反応だけで十分だった。
ハヤトはゆっくり立ち上がった。
「やっぱりこれ、あんたらの仕業か」
男は否定しなかった。
代わりに、腰の剣へ手を置く。
「そこをどけ」
「嫌だって言ったら?」
「そいつは俺たちの獲物だ」
ハヤトは一度、幼竜を見る。
鎖につながれたまま。
怪我をして。
さっきまで人間を見るだけで怯えていた。
そして再び男たちへ視線を戻す。
金になる。
それは分かる。
こいつらにも、こいつらなりの事情があるのかもしれない。
だが。
それと、自分がどうしたいかは別だった。
「じゃあ嫌だ」
五人の空気が変わる。
セラが横で小さく息を吐いた。
「本当に迷わないわね」
「一応考えたぞ」
「一秒くらい?」
「三秒くらい」
セラの口元がわずかに上がる。
そして杖を構えた。
「なら私も付き合う」
「いいの?」
「ここまで来て置いて帰る方が寝覚め悪いもの」
大柄な男が剣を抜く。
残り四人も武器へ手を伸ばした。
ハヤトも短剣を抜いた。
盾はもうない。
人数も向こうが上。
まともに戦えば不利だ。
それでも、退く気にはならなかった。
誰かに命令されたわけじゃない。
依頼でもない。
報酬が出るわけでもない。
ただ。
助けたいと思った。
だから助ける。
それだけで、今のハヤトには十分だった。




