つもらなかった埃
古い倉庫へ近づくにつれて、村人の顔から困惑が深くなっていった。
「本当に誰かいるんですか?」
「いる」
レグは迷わず答えた。
「一人?」
「うん」
「動いてる?」
ハヤトが聞くと、レグは少し鼻を動かす。
「いま、立った」
その一言で全員の足が止まった。
こちらに気づいたのか。
カイルが倉庫を見上げる。壁は古く、屋根にも苔が広がっている。長年使われていないという村人の話に嘘はなさそうだった。
ただ、正面の扉だけが妙にきれいだった。
「蝶番が錆びてない」
カイルが呟く。
「使ってるってこと?」
「少なくとも最近動かした」
セラも壁際を見ていた。
「こっちも。蔦が途中で切れてる」
誰かが出入りしている。
それも一度や二度ではない。
「村の人、誰も気づかなかったの?」
「この辺りまで来る用事がないんです」
案内してきた男が答える。
「昔は穀物を入れてたんですが、新しい倉庫ができてからは……子供にも近づくなと言ってあります」
「なんで?」
「床が腐って危ないって聞いてたので」
カイルが扉の前へ立った。
「下がってろ」
「罠?」
「可能性はある」
取っ手へ触れず、周囲を確認する。
細い金属線もない。
妙な魔力の流れも見えないらしい。
「鍵かかってる?」
ハヤトが尋ねる。
「ああ」
「壊す?」
レグが一歩出る。
「まだ」
「また?」
「まず普通にやろう」
ハヤトが扉を叩いた。
「中にいるの分かってる! 話したいだけだ!」
返事はない。
もう一度。
「俺たちは村の人間じゃない。危害を加えるつもりも――」
「カイル」
中から声がした。
女の声だった。
ハヤトが隣を見る。
カイルの顔から、明らかに表情が消えていた。
「……知ってる?」
「いや」
返事が遅い。
「今の間でそれは無理あるだろ」
「黙れ」
扉の向こうから、また声がする。
「まだ、その言い方するんだ」
今度こそカイルが動かなくなった。
「カイルさん?」
セラも異変に気づく。
カイルは返事をしないまま扉へ近づいた。
「……イリス?」
長い沈黙。
そして。
「久しぶり」
その一言で、カイルが目を閉じた。
「生きてたのか」
「たぶんね」
「たぶんって何だよ」
「入れば分かる」
内側で金具の外れる音がした。
扉が少しだけ開く。
暗い倉庫の中に、一人の女が立っていた。
三十代半ばほどに見える。
短く切った栗色の髪。痩せてはいるが、立っていられないほど弱っているわけではない。
ただし左腕。
袖の隙間から、黒い金属が見えていた。
ヴァンの耳の下にあったものとよく似ている。
「……イリス」
カイルがもう一度名前を呼ぶ。
「本当に?」
「幻に見える?」
「今それ洒落にならない」
「そうだったね」
女――イリスは少し笑った。
だが、その笑い方にも疲れがあった。
「とりあえず入って。村の人には悪いけど、まだ外で話したくない」
カイルはすぐ中へ入ろうとした。
ハヤトが肩を掴む。
「待て」
「何だ」
「一人で行くな」
「知り合いだ」
「五年前に消えた知り合いだろ」
カイルが振り返る。
「ヴァンのときも知り合いだったじゃん」
「……」
「俺たちも行く」
少しの沈黙のあと、カイルは頷いた。
「分かった」
村人には外で待ってもらい、四人で倉庫へ入る。
中は思っていたよりきれいだった。
古い木箱や空の棚は残っているものの、床に埃がほとんどない。一角には寝具、水、保存食まで置かれている。
「普通に住んでるじゃん」
「三週間くらいかな」
イリスが扉を閉める。
「村の人に見つからなかったの?」
「夜しか出てないから」
「食べ物は?」
「置いていってくれる人がいる」
カイルの目が鋭くなる。
「ヴァンか」
イリスはすぐには答えなかった。
「……そう」
「やっぱり一緒にいるのか」
「その言い方だと少し違う」
「何がだ」
「カイル」
イリスの声が低くなる。
「ヴァンを追ってるなら、一度ちゃんと話を聞いた方がいい」
「話そうとしたさ。獣を呼んで逃げられた」
「それもヴァンらしいけど」
「笑い事じゃない」
「分かってる」
セラが二人を見比べる。
「すみません。一つ確認してもいいですか?」
「どうぞ」
「五年前にカイルさんと一緒に遺跡へ入った六人のうちの一人……で合ってますか?」
イリスがカイルを見る。
「話したんだ」
「全部じゃない」
「どうせ肝心なところ飛ばしたんでしょ」
「俺が知ってることしか話せない」
「それはそうか」
イリスはセラへ向き直る。
「そう。私は六人の一人」
「じゃあ、消えた四人の……」
「うん」
レグが真っ直ぐ尋ねる。
「ほかのひとは?」
イリスの表情が少し曇った。
「分からない」
「いきてる?」
「それも分からない」
カイルが拳を握る。
「何があった」
「長くなるよ」
「五年待った」
その言葉に、イリスの視線が止まった。
「……そっか」
「俺はお前ら全員死んだと思ってた」
「知ってる」
「知ってる?」
カイルの声が変わる。
「だったら何で――」
「カイル」
イリスが静かに名前を呼ぶ。
「私たちにとっては、五年じゃない」
倉庫の中が静かになった。
「どういう意味?」
ハヤトが聞く。
イリスは自分の左腕を見る。
「私が目を覚ましたのは、二か月前」
「……え?」
「最後に覚えてるのは、あの遺跡で扉が閉じたところ。次に目を開けたら、別の施設にいた」
「五年後?」
「そう教えられた」
「誰に?」
「ヴァン」
カイルが何も言えなくなる。
「待て。じゃあ五年間ずっと寝てた?」
「それも分からない。記憶がないだけかもしれない」
イリスが左腕の袖を上げる。
肘の少し下。
皮膚に埋め込まれた黒い金属片。
そこから細い傷が何本も伸びている。
「これが入ってた」
「ヴァンと同じ」
セラが呟く。
「似てる。でも用途は違うらしい」
「何するもの?」
「私のは、魔力の流れを安定させるもの」
「何でそんなのが必要なんだ」
カイルの問いに、イリスは少し困ったように笑った。
「壊されたから」
「何を?」
「私の身体」
誰もすぐに返せなかった。
レグだけがイリスをじっと見ている。
「いたい?」
「今は大丈夫」
「ほんと?」
「うん」
レグは少し鼻を動かした。
「でも、においする」
「どんな?」
ハヤトが聞く。
「森の魔物とおなじ」
イリスは驚かなかった。
「やっぱり分かるんだ」
「知ってた?」
カイルが反応する。
「竜なら気づくかもしれないって、ヴァンが言ってた」
「何に?」
「古い施設で使われていたものに」
カイルが一歩近づく。
「イリス。お前たちに何をした」
「だから全部は知らないって」
「分かる範囲でいい!」
珍しく声を荒らげた。
イリスは怒らなかった。
ただ、昔から知っている人間を見るような目でカイルを見ている。
「生き物の魔力を変える実験」
カイルが黙る。
「多分、私たちも使われた」
「多分?」
「記憶がないから」
「ヴァンは?」
「私より先に目を覚ましてた」
「いつ」
「知らない。でも、ずっと前だと思う」
「それであいつは遺跡の道具を使うようになった?」
「使うようになったんじゃない」
イリスの表情が少しだけ硬くなる。
「使わないと、生きられなくなった」
ハヤトはヴァンの耳の下にあった黒い金属を思い出した。
「じゃあ、あれも身体を保つため?」
「一部はね」
「獣を操ってたのは?」
「それは別」
「やっぱりあいつが魔物を作ってるのか?」
カイルが詰める。
「違う」
イリスがはっきり否定した。
「少なくとも、私が知ってる限りは」
「じゃあ何してる」
「止めてる」
今度こそ、誰も言葉を出さなかった。
「……何を?」
セラが尋ねる。
「起き始めた施設を」
「一か月くらい前から?」
ハヤトが聞く。
イリスがこちらを見る。
「どうして知ってるの?」
「エルナの森で異常な魔物が出始めたのがそのくらい。東の街道で人が減り始めたのも」
「……やっぱり広がってる」
イリスが小さく息を吐く。
「やっぱり?」
「私たちが確認できたのは三か所だけ」
「三か所も?」
「あちこちで古い施設が勝手に動き始めてる」
「勝手に?」
「原因は分からない」
「ヴァンじゃない?」
カイルが聞く。
「違う」
「根拠は?」
「そのときヴァンは、私を施設から運び出してた」
カイルの口が止まる。
「じゃあ礼拝堂の管は?」
ハヤトが言った。
「ヴァンたちの印がついてた。六人で危険物につけてたってカイルから聞いた」
イリスの顔色が変わった。
「管?」
「ああ。黒い鐘みたいな装置につながってた」
「外した?」
「外した。声も鐘も止まった」
イリスは少しの間、何も言わなかった。
「……それ、ヴァンがつけたんじゃない」
「でも印が」
「逆」
「何が?」
「あの一本は、昔の印じゃない」
カイルの眉が寄る。
「何言ってる。俺たちで決めた印だ」
「元はそうだった」
「元?」
「今は警告じゃない」
イリスが左腕を押さえる。
「ヴァンは、自分たちが手を入れたものにあの一本を足してる」
「何のため?」
「止めたものと、まだ止めてないものを区別するため」
ハヤトは礼拝堂の管を思い出す。
「じゃあ、あれは装置を動かしてたんじゃなくて……」
「抑えてた可能性がある」
セラの顔が強張る。
「私たち、外しちゃった」
「でも止まったぞ」
ハヤトが言う。
イリスは少し考える。
「なら管そのものが抑えてたわけじゃない。魔力を逃がすためか、別の場所へ流してたのかも」
「どっちなんだ?」
「現物を見ないと分からない」
カイルが荷物から回収した管の一部を取り出した。
「これだ」
イリスが受け取る。
表面。
接続部。
刻印。
一つずつ確認していく。
「……ヴァンの仕事だ」
「分かるの?」
「癖が残ってる」
「癖?」
「ここの留め方。昔から変わってない」
カイルの顔が複雑になる。
「じゃあ本当に、あいつが止めようとしてる?」
「少なくともこれはそう」
「何で説明しなかった」
「あなた、説明を聞く前に剣抜いたんじゃない?」
「……」
「図星?」
「向こうも獣呼んだ」
「どっちもどっちだね」
ハヤトが思わず笑いそうになった。
「笑うな」
「いや、なんか想像ついて」
「お前まで言うな」
イリスも少しだけ笑った。
その笑顔を見たカイルは、それ以上何も言わなかった。
セラが倉庫の奥を見る。
「じゃあ、イリスさんは何をしてたんですか?」
「待ってた」
「誰を?」
「ヴァンを」
「いつ戻る予定?」
「昨日」
今度は全員の表情が変わった。
「戻ってない?」
「うん」
「どこ行った?」
イリスは東を指した。
「次の施設」
「場所は?」
「修道院の近く」
カイルが顔を上げる。
「俺たちが向かってたところか」
「多分」
「何しに?」
「完全に動き出す前に止めに行った」
「一人で?」
「そう」
「馬鹿かあいつ」
「それ、カイルが言う?」
「俺は一人で行かない」
ハヤトとセラが同時にカイルを見る。
「何だ」
「いや」
「別に」
「何か言え」
レグは話の途中から、イリスの左腕を見ていた。
「これ、とれる?」
黒い金属を指す。
「いつかはね」
「とったら?」
「多分、倒れる」
「じゃあだめ」
「そうだね」
レグは少し考える。
「でも、ずっとはいや?」
イリスは初めて答えに詰まった。
「……嫌かな」
「じゃあ、とれるようにする」
「レグ?」
ハヤトが呼ぶ。
「だって、いやっていった」
「言ってない。嫌かな、って」
「おなじ」
イリスが小さく笑った。
「ありがとう」
「うん」
単純な約束だ。
できる保証なんてない。
それでもレグは本気だった。
「イリスさんは村に残るんですか?」
セラが聞く。
「もう無理だと思う」
「なんで?」
「あなたたちに見つかったから、じゃないよ」
イリスは扉の方を見る。
「この村の仕掛けも止まった。ここにいる意味がなくなった」
「仕掛け?」
カイルが反応する。
「やっぱりこの倉庫にも?」
「地下にある」
全員の視線が床へ落ちる。
「……また地下?」
ハヤトが呟く。
「今回は入らなくていい」
「なんで?」
「もう止まってるから」
「誰が?」
「ヴァン」
イリスは床の一角を指した。
「ここは鐘みたいに人を呼ぶ装置じゃない。外から魔力を集めるだけの場所だった。ヴァンが流れを切った」
「いつ?」
「四日前」
「じゃあ礼拝堂へ行く前か」
「そう」
点が少しずつつながる。
ヴァンは森で獣を操っていた。
ミナを捕まえもした。
だから敵だと思った。
けれど、その裏では古い施設を止めて回っていた。
「ますます分かんなくなったな」
ハヤトが言う。
「何が?」
セラが聞く。
「ヴァン。悪いやつなのか、そうじゃないのか」
カイルが扉へ目を向ける。
「どっちでもあるんだろ」
「え?」
「人を捕まえた。それは事実だ。獣に妙な道具つけて使った。それも事実」
「でも施設は止めてる」
「ああ」
カイルは短く息を吐いた。
「一個いいことしてるから、ほかも全部正しいなんて話じゃない」
「……それはそうだね」
セラが頷く。
ハヤトも同じだった。
味方か敵か。
そんな簡単に分けられないらしい。
「で」
イリスが三人を見る。
「修道院へ行くんでしょ?」
「ああ」
「なら私も行く」
「身体は?」
カイルがすぐ聞く。
「歩ける」
「五年分寝てたかもしれない人間が?」
「二か月は動いてる」
「それでも――」
「置いてく?」
イリスが静かに聞いた。
カイルが止まる。
「五年前みたいに」
「……」
「冗談」
「笑えない」
「ごめん」
イリスは少しだけ視線を落とした。
「でも行く。ヴァンが戻ってないなら、なおさら」
カイルは長いこと黙っていた。
やがて諦めたように頭を掻く。
「勝手にしろ」
「それ許可?」
「違う」
「じゃあ行く」
「昔からそういうやつだったな」
「カイルもね」
ハヤトは二人のやり取りを眺める。
五年前に途切れたものが、少しだけ戻ったように見えた。
ただ。
今度は旅の人数がまた増える。
「……六人になるのか」
「クロ入れたらもっとだよ」
セラが言う。
「最初三人だったよな?」
「にぎやか」
レグは嬉しそうだった。
「まあ、そうだな」
答えを探しに東へ向かう旅。
その途中で仲間が増え、謎も増えた。
そして今度は、五年前に消えた一人まで加わる。
イリスが荷物をまとめ始めた、そのときだった。
「そうだ」
何かを思い出したように振り返る。
「一つだけ先に言っておく」
「何?」
ハヤトが聞く。
「修道院の近くで、もし竜の声が聞こえても――」
イリスの視線がレグへ向く。
「絶対に返事しないで」
レグが首を傾げた。
「なんで?」
イリスはすぐには答えなかった。
「返事をすると、向こうにも見つかるから」
倉庫の中から、さっきまであった少し柔らかな空気が消えた。




