声のない道
礼拝堂の地下から戻ると、目を覚ました人たちはまだ状況を飲み込めずにいた。
橋の兵士たちは互いの顔を確認し、旅人たちは自分の荷物を探している。何日ここにいたのか分からない者もいて、セラは水を飲ませながら一人ずつ状態を見て回っていた。
「一気に飲まないでください。ゆっくりで大丈夫です」
「……すまない」
「立つのもまだ待ってくださいね」
さっきまで虚ろな顔で祭壇を見ていた人たちが、少しずつ普通の表情へ戻っていく。
レグはその様子を眺めながら、ハヤトの横へ来た。
「もう、声しない」
「ああ。俺も聞こえない」
「おかあさんも」
「……そっか」
少し寂しそうに聞こえた。
「残念?」
「ちょっと」
レグは正直だった。
「でも、にせものだった」
「うん」
「ほんもの、さがす」
「そうしよう」
それでいいらしい。レグはすぐセラのところへ行き、水の入った容器を運び始めた。
ハヤトはその背中を見てから、礼拝堂の入口へ向かう。
カイルが一人の兵士と話していた。
「全員いる?」
「今数えてるところだ」
兵士はまだ顔色が悪い。
「橋から渡った兵が五人。俺たちで全部だ。ほかに旅人が七人、それとノルドの村人が三人いる」
「村人?」
「ああ」
それを聞いて、ハヤトが近づく。
「ノルドの人いるの?」
「そこにいる三人だ」
長椅子の近く。
二人の若い男と、一人の女性が座っている。
「もしかして、森を調べに行った三人?」
老人から聞いた話を思い出した。
兵士が首を傾げる。
「俺は知らん」
「聞いてくる」
三人のところへ行くと、女性が水を飲んでいるところだった。
「大丈夫?」
「ああ……いや、まだ頭がぼんやりするけど」
「ノルド村の人?」
「そうだ」
答えたのは隣の男だった。
「三人で東の森を調べに来た?」
三人が顔を見合わせる。
「なんで知ってる?」
「村の人から聞いた。宿場にいるお爺さん」
「……バル爺か」
「多分。三日前に村を出たって言ってた」
「ならそうだ」
ハヤトは少し安心した。
「村は無事?」
「無事って言えば無事だが……」
男の表情が曇る。
「何人かいなくなってる」
「やっぱり?」
「最初は家出かと思ってた。次に森へ入った猟師が戻らなくなって、それから二人。みんな夜にいなくなった」
「声を聞いて?」
「今ならそうだと思う」
女性が自分の腕を抱く。
「私たちも鐘を調べるってここまで来た。途中で……弟の声が聞こえて」
「俺は親父だった」
「俺は昔の仲間」
三人とも別々。
それでも辿り着いた場所は同じだった。
「礼拝堂に入ってから覚えてる?」
「ほとんどない」
「ただ……」
女性が少し考える。
「誰かいた気がする」
ハヤトの表情が変わる。
「俺たち以外?」
「うん」
「どんな人?」
「分からない。本当に夢みたいで……」
額を押さえる。
「鐘のそばに立ってた気がする。地下じゃなくて、ここ」
「男? 女?」
「男……だったと思う」
「顔は?」
「見てない」
そこでカイルも話を聞きに来た。
「服は覚えてないか?」
「暗い色だったような……」
「何か持ってた?」
女性はしばらく黙っていた。
「……杖?」
「杖?」
「違うかも。細長いもの。私、その人に何か言われた」
「何て?」
「それが……」
思い出そうとしても出てこないらしい。
カイルが追及しそうになる前に、セラが横から止めた。
「今は無理に思い出さなくていいですよ」
カイルが口を閉じる。
「……そうだな」
女性も小さく頭を下げた。
「ごめん」
「謝ることじゃないです」
全員が動けるようになるまで、しばらく礼拝堂で休むことになった。
その間にハヤトとカイルはもう一度地下を確認した。
止めた管。
黒い鐘のような装置。
最近削られた壁。
「この先、掘れると思う?」
ハヤトが壁の穴を見る。
「やめとけ」
「即答?」
「今掘ってどうする」
「先に何あるか気になるじゃん」
「十五人近く地上にいる。先に全員帰す」
「……まともだ」
「何で残念そうなんだ」
「いや、俺より先に言われたから」
「張り合うな」
カイルは管の一部を布で包んだ。
「これは持っていく」
「調べられる?」
「設備があればな」
「修道院にある?」
「ない」
「じゃあどこ?」
「もっと東に知り合いがいる」
「また増えた」
「俺にだって知り合いくらいいる」
「ヴァンみたいな?」
カイルの手が止まった。
「……あいつとは違う」
「どんな人?」
「道具を作るやつだ」
「信用できる?」
「少なくとも、お前より慎重だ」
「比較対象そこ?」
管を回収し、地上へ戻る。
昼を過ぎるころには、ほとんどの人が歩けるまで回復していた。
「まず橋まで戻るか」
兵士の一人が言う。
「ノルドへ行く人は?」
ハヤトが聞くと、三人の村人が立ち上がる。
「俺たちは村へ戻る」
「なら俺たちもそっちへ行くよ」
「いいのか?」
「元々東へ行く予定だったし」
橋へ戻る組と、ノルドへ向かう組。
礼拝堂を出て街道へ戻るところまでは全員一緒だった。
森の中を歩いても、もう声は聞こえない。
鐘も鳴らない。
ただの静かな森だった。
「普通になると、逆に変な感じするね」
セラが言う。
「さっきまでうるさかったからな」
「ハヤト、だれの声だった?」
レグが突然聞く。
「今聞く?」
「うん」
「……家族」
「だれ?」
答えに迷う。
隠すほどのことでもない。
「母親」
「ハヤトのおかあさん?」
「そう」
レグが少し考える。
「どこにいる?」
「すごく遠いところ」
「東?」
「東とか西とかじゃないんだよな」
「じゃあ、どこ?」
「説明難しいな……」
セラが横から助け舟を出した。
「ハヤトの故郷は、ここから歩いて行ける場所じゃないんだよ」
「ふーん」
レグは分かったような、分かっていないような顔をした。
「あいたい?」
今度の問いには、少し時間がかかった。
「……会えるならな」
「じゃあ、さがす?」
「それはいい」
「なんで?」
「今は別の旅してるから」
レグが首を傾げる。
「帰りたくない?」
「帰りたくないっていうより……」
うまく言葉が出てこない。
セラは何も言わず、隣を歩いている。
「今すぐ決めなくていいんじゃない?」
その一言に、ハヤトは少し笑った。
「そうだな」
帰れる方法すら分からない。
なら、今ここで答えを出す必要もない。
しばらくすると、街道の分かれ道に出た。
西へ行けば橋。
東へ行けばノルド村。
「ここだな」
兵士たちと旅人は足を止める。
「本当に助かった」
一人の兵士が頭を下げた。
「俺たちだけだったら、まだあそこにいた」
「こっちも偶然通っただけだから」
「それでもだ」
何人かの旅人も礼を言い、橋へ向かって歩き始めた。
橋の守備隊に事情が伝われば、封鎖も近いうちに解かれるだろう。
「道、もどった?」
レグが聞く。
「多分な」
「じゃあ東いける」
「最初から行くけどな」
ノルドの三人と一緒に東へ進む。
街道にはまだ人がいない。
それでも、さっきまでとは違って不気味な静けさではなかった。
鳥が鳴いている。
風も普通に吹いている。
クロがいれば少し違いが分かったのかもしれないが、今は橋で待っている。ノルドへ着いたあと迎えに戻る必要があるだろう。
「レグ、クロ気になる?」
「うん」
「村着いたら俺が迎えに行くよ」
「レグもいく」
「じゃあ一緒に」
「私も行くよ」
セラまで言う。
「全員戻るなら、最初から連れてくればよかったな」
「嫌がってたでしょ」
「そうだった」
カイルがため息をつく。
「お前ら三人で戻るなら、俺は村で待ってる」
「一人になるぞ?」
「子供じゃない」
「寂しくない?」
「殴るぞ」
「冗談」
ノルドの三人が笑っていた。
「仲いいんだな」
「最近よく言われる」
ハヤトが答えると、カイルだけが嫌そうな顔をした。
「俺まで含めるな」
「仲間って言ったの誰だっけ」
レグがすぐ振り返る。
「カイル、なかま」
「……分かったから前向け」
「うん」
完全に逃げられなくなっている。
午後もかなり回ったころ、ノルド村が見えた。
村の入口には簡単な木柵がある。
その向こうから人がこちらを見つけ、すぐ大声を上げた。
「帰ってきた!」
何人もの村人が走ってくる。
三人が囲まれる。
泣き出す者までいた。
ハヤトたちは少し離れ、その再会を眺めていた。
「よかったね」
セラが言う。
「ああ」
これで一件落着。
そう思いたいところだった。
「……ハヤト」
カイルが小さく呼んだ。
「何?」
視線の先。
村の奥に、一軒だけ妙な建物があった。
普通の民家ではない。
石造り。
かなり古い。
壁の大半は蔦に覆われているが、その一部だけが新しく削られていた。
「礼拝堂と似てない?」
セラも気づく。
「ああ」
レグが鼻を動かす。
「においする」
「何の?」
「さっきの」
黒い鐘につながっていた管。
そして、エルナの森で嗅いだ異常な魔物の匂い。
「どの建物?」
ハヤトが聞く。
レグは迷わず石造りの建物を指した。
ちょうど村人の一人がこちらへ来た。
「皆さんが三人を助けてくださったんですか?」
「まあ、そうなんだけど」
ハヤトは建物から目を離さない。
「あれ、何?」
村人も振り返る。
「あれですか? 古い倉庫ですよ」
「今も使ってる?」
「いえ。何年も使ってません」
「最近、誰か入った?」
「まさか」
男は笑いかけた。
だが、ハヤトたちの顔を見て笑うのをやめた。
「……何かあるんですか?」
「まだ分からない」
カイルが建物を見る。
「ただ、壁が最近削られてる」
「え?」
村人の表情が変わった。
「そんなはずは……」
そのとき。
レグがハヤトの袖を引いた。
「中にいる」
「人?」
「うん」
「何人?」
少し鼻を動かす。
「ひとり」
ハヤトは古い倉庫を見る。
礼拝堂の仕掛けは止めた。
声も鐘も消えた。
それでも、この一帯で動いていた誰かまで消えたわけではないらしい。
「カイル」
「ああ」
今度は全員、剣を抜かなかった。
ただ静かに、村の中にある古い建物へ向かって歩き始めた。




