すれ違わない道
温泉町リーネを出てから二日目。
東へ延びる街道は、昨日よりずっと静かだった。
道そのものは悪くない。荷車が通れるだけの幅があり、ところどころには旅人向けの休憩所まである。それなのに、朝からすれ違ったのは西へ向かう商人が二組だけだった。
「少なくない?」
セラが道の先を見ながら言う。
「何が?」
「人。リーネまではもっといたでしょ」
「確かに」
ハヤトも今さら気づいた。
後ろを歩いていたカイルが地図から顔を上げる。
「この辺りなら、普通はもう少し荷馬車がいる」
「時期の問題?」
「多少はある。でもここまで減るほどじゃない」
エルナ村で聞いた話を思い出す。
東から来る商人が減っている。
あのときは森の異変と関係があるのかと思っていたが、もっと広い範囲で何かが起きている可能性もある。
「また嫌な話になってきた」
「ハヤトが言うと本当に何か出そうだからやめて」
「俺のせいじゃないだろ」
「最近の実績があるから」
セラに言われ、ハヤトは黙った。
前ではレグとクロが並んで歩いている。
クロはもう完全に一行の速度に慣れたらしく、勝手に先へ行くこともなければ、遅れることもない。
レグはその横で、道端に生えていた細長い草を一本抜いていた。
「ハヤト」
「ん?」
「これ、たべられる?」
「何でまず食べる前提なんだよ」
「くさだから」
「草全部食えると思うなよ」
レグは草をカイルへ向ける。
「これ、たべられる?」
「俺に聞くのか」
「ハヤト、しらない」
「まあ、知らないけど」
カイルは一度だけ草を見る。
「食うな。腹を壊す」
レグはすぐ捨てた。
「早いな」
「カイル、しってた」
「俺の信用そこだけ高くない?」
「草に関しては負けたな」
「勝負してない」
セラが笑う。
こういうどうでもいい会話があるうちは、旅も悪くない。
昼前。
一行は小さな休憩所へ入った。
屋根だけの簡素な造りで、脇には井戸がある。先客は一人だけだった。
荷車の横でパンを食べている年配の商人。
ハヤトたちを見ると、軽く頭を下げた。
「東へ?」
「はい」
セラが答える。
「どちらまで行かれるんですか?」
「まだ少し先までだ。ただ、今日はこの辺で戻ろうと思ってる」
「戻る?」
「東へ行く途中だったんじゃ?」
ハヤトが聞くと、商人は苦笑した。
「そのつもりだったんだけどな。向こうから来たやつに止められた」
「何かあった?」
「橋だよ」
「橋?」
「ここから半日くらい先に大きな川がある。その橋が閉じてるらしい」
カイルがすぐ地図を開いた。
「ラグナ川か」
「そう、それだ」
「何で閉じてるんですか?」
セラが尋ねる。
「俺も直接見たわけじゃない。ただ、向こうから来た荷馬車の連中が言うには、橋の近くで魔物が出たとか何とか」
「また魔物……」
ハヤトが小さく呟く。
「普通の?」
レグが聞いた。
商人が首を傾げる。
「普通の?」
「あ、いや。こっちの話」
慌ててハヤトがごまかす。
カイルは商人へ視線を戻した。
「橋が壊れたわけじゃないんだな?」
「そこまでは聞いてない。ただ、守備兵が人を通してないらしい」
「迂回路は?」
「あるにはある。けど北へ二日くらい余計にかかるぞ」
「結構遠いな」
ハヤトが地図を覗き込む。
修道院跡へ向かうなら、その橋を渡るのが一番早い。
「どうする?」
セラが聞く。
「とりあえず橋まで行ってみない?」
「俺もそれでいいと思う」
カイルが地図を畳む。
「本当に通れないなら、その場で考えればいい」
レグも手を上げた。
「いく」
「何でちょっと楽しそうなんだよ」
「はし、みる」
「橋が目的になってる」
商人が笑った。
「まあ、気をつけな。最近は妙な話が多い」
「妙な話?」
ハヤトが聞くと、商人は少し考えた。
「人が減った」
「この道で?」
「ああ。荷馬車もそうだが、東から来る旅人自体が少ない。昔はこの道、もっと賑やかだったんだ」
「いつ頃から?」
「急に減ったのは……一月くらい前かね」
ハヤトとカイルが同時に顔を上げた。
「一月?」
「ああ」
エルナ村で異常な魔物が出始めた時期と近い。
「それ、東全部?」
「そこまでは知らんよ。ただ、俺が商売してる辺りじゃそうだ」
「何か噂は?」
「色々ある。山賊が増えただの、魔物が街道へ出るようになっただの。東の方で何か掘り返したやつがいるって話まである」
「掘り返した?」
カイルの声が少しだけ低くなる。
「古い墓だか遺跡だか。酒場の噂だ。真に受けるなよ」
「どの辺?」
「さあな。話すやつによって場所が違う」
それ以上は商人も知らなかった。
礼を言い、昼食を済ませる。
商人はそのまま西へ向かって出発していった。
再び五人で街道を歩く。
「一月前」
セラが言う。
「エルナの森と同じくらいだね」
「ああ」
「偶然?」
「まだ分からない」
ハヤトが答えるより先に、カイルが言った。
「今あるのは時期が近いってだけだ。全部つなげるな」
「分かってるよ」
「ならいい」
「でもカイルも気になってるでしょ」
「気にはなる」
「ほら」
「気になるのと決めつけるのは別だ」
珍しく正論だった。
「なんか今日ずっとまともだな」
「普段の俺を何だと思ってる」
「怪しいやつ」
「まだ言うか」
「最初よりは上がってるよ」
「今どこだ」
「同行してる怪しいやつ」
「何も上がってない」
セラが吹き出した。
「カイルさん、もう諦めた方がいいよ」
「セラまで」
前を歩いていたレグが振り返る。
「カイル、なかま?」
一瞬、誰も答えなかった。
本人まで止まる。
「……何だ急に」
「いっしょにいる」
「まあ、いるな」
「ごはんもいっしょ」
「そうだな」
「おふろも」
「それは男湯だけだ」
「じゃあ、なかま?」
カイルが困った顔でハヤトを見る。
「俺を見るなよ」
「何て答えればいいんだ」
「好きに答えれば?」
「お前はどう思ってる」
「しばらく一緒に旅してるんだから、もう仲間扱いでいいんじゃない?」
口にしてから、ハヤト自身も少し意外だった。
最初に遺跡で会ったときは、完全に怪しい男だった。
今も分からないことは多い。
それでも一緒に魔物と戦い、ミナを助け、同じ宿で酒まで飲んだ。
少なくとも、ただの他人ではなくなっている。
セラも自然に頷いた。
「私もそう思ってたけど」
「そうなのか?」
「逆にカイルさんは違ったの?」
「……」
今度はカイルが黙る番だった。
レグが待っている。
「カイル?」
「分かった分かった」
カイルは頭を掻いた。
「仲間でいい」
「いい、じゃない」
「細かいな」
「なかま?」
もう一度聞かれる。
カイルは少しだけ笑った。
「ああ。仲間だ」
「うん」
レグはそれで満足したらしい。
何事もなかったように前へ戻る。
「簡単だな」
ハヤトが言う。
「何が?」
「仲間になるの」
「レグにとってはそうなんじゃない?」
セラが笑う。
「一緒に歩いて、一緒にご飯食べて、助け合ったら仲間」
「分かりやすい」
「悪くないだろ」
カイルが言った。
「そうだな」
午後。
空が少し曇り始めた。
遠くで雷のような音もする。
雨が来るかもしれない。
「今日どこ泊まる?」
セラが地図を見る。
「この先に小さい宿場がある」
カイルが指す。
「橋の少し手前だ。そこまでなら夕方前には着く」
「じゃあ今日はそこだな」
「おんせんある?」
レグが聞く。
「ない」
「ないの?」
「毎日あると思うな」
明らかに残念そうだった。
「風呂はあるかもしれないぞ」
「おんせんじゃない?」
「多分」
「……そっか」
「そんな落ち込む?」
ハヤトが笑う。
「レグ気に入ってたもんね」
セラも笑っている。
「たまごもない?」
「温泉卵が基準になってるな」
「ごはんはある」
「それはあるだろ」
そんな話をしている間にも、空はどんどん暗くなっていった。
最初に落ちてきた雨粒は大きかった。
「来た」
セラが空を見る。
「走る?」
「まだ宿場まで結構あるぞ」
カイルが言った直後、一気に雨が強くなった。
「うわっ!」
ハヤトたちは慌てて街道脇の木陰へ入る。
クロが身体を震わせ、レグへ水を飛ばした。
「クロ!」
「お前も濡れてるだろ」
「でもレグにかかった」
すでに全員同じようなものだった。
「雨具出そう」
セラが荷物を下ろす。
その横でレグが空を見上げた。
「これ、すぐやむ?」
「どうだろ」
カイルも雲を見る。
「一度強く降って、そのあと弱くなるかもしれない」
「宿場まで歩く?」
「このまま待ってても暗くなる」
ハヤトは外套を取り出した。
「行くか」
雨の中、再び歩き始める。
街道にはもう誰もいなかった。
さっきまで見えていた景色も雨で霞み、道の先が白くぼやけている。
レグは外套を被っているものの、歩くたびに裾を踏みそうになっていた。
「貸して」
セラが裾を折り、手早く留め直す。
「これなら歩ける?」
「うん」
「クロはどうしよう」
「クロ、ぬれてもへーき」
本人を見ると、確かに全く気にしていない。
「俺たちより強いな」
「毛あるからね」
しばらく進む。
雨音だけが続く。
すると突然、クロが止まった。
「どうした?」
レグも足を止める。
「……なんかいる」
「また?」
「前」
雨の向こう。
街道の中央に、何かが倒れていた。
最初は岩かと思った。
近づくと形が見えてくる。
「荷車?」
横倒しになった小型の荷車だった。
「人は?」
セラが周囲を見る。
誰もいない。
馬もいない。
荷物の一部が道へ散らばり、雨に濡れている。
「今日これ二回目じゃない?」
ハヤトが呟く。
「前の荷馬車とは違う」
カイルが荷車へ近づく。
車輪が壊れている。
だが、自然に折れたようには見えなかった。
「切られてる」
「何で?」
「分からん」
レグが道の脇を指した。
「こっち、あとある」
ぬかるんだ地面。
複数の足跡が森の方へ続いている。
人間。
少なくとも三人分。
さらに、その横に大きな獣の足跡があった。
「また魔物?」
「まだ分からない」
セラが荷車の脇に落ちていた布を拾う。
「血はないね」
「争った跡もそんなにない」
ハヤトは雨の中、街道の先を見る。
宿場まではもう少し。
今から森へ入れば、確実に暗くなる。
「どうする?」
セラが聞く。
ハヤトは少し考えた。
この前なら、そのまま足跡を追ったかもしれない。
けれど、今は違う。
「宿場まで行こう」
「先に?」
「ああ。この荷車のこと知ってる人がいるかもしれない。それに、この雨の中で知らない森入るのは危ない」
カイルが頷く。
「俺も賛成だ」
「レグは?」
「あと、なくなる?」
「雨で薄くなるかもな」
レグは少し考え、クロを見る。
クロが足跡の匂いを嗅いでいる。
「クロ、おぼえる?」
尾が一度動く。
「おぼえるって」
「便利だな、ほんと」
荷車の場所を覚え、一行は街道へ戻った。
雨はまだ強い。
その中をさらに一時間ほど歩いたところで、ようやく宿場の灯りが見えた。
「着いた……」
セラがほっとする。
小さな宿場だった。
数軒の宿と食堂。
馬小屋。
それだけ。
ただ、妙なことが一つあった。
「人、多くない?」
ハヤトが言う。
街道ではほとんど人とすれ違わなかったのに、宿場には何台もの荷馬車が止まっている。
旅人も多い。
しかも、そのほとんどが東の方を気にしていた。
「橋だな」
カイルが言う。
入口近くに立っていた男へセラが声をかける。
「すみません。何かあったんですか?」
「あんたら今来たのか?」
「はい」
「悪いこと言わん。明日は東へ行かない方がいい」
「橋の魔物?」
男の顔が変わった。
「聞いてるのか」
「途中で少し」
男は雨の向こう、東へ続く道を見る。
「魔物だけじゃない」
「どういうこと?」
「昨日から、橋を渡ったやつが一人も戻ってきてない」
ハヤトたちは顔を見合わせた。
どうやら東へ行く道は、思っていた以上に静かになっているらしい。




