消えなかった印
ミナを連れて村へ戻ると、入口で待っていた人たちから大きな声が上がった。
家族らしい女性が真っ先に駆け寄り、ミナを抱きしめる。その周りにも何人もの村人が集まり、無事だったことを確かめるように次々と声をかけていた。
「ごめんなさい。心配かけて……」
「いいから、もう勝手に森へ入るんじゃないよ!」
「勝手じゃないって。薬草が――」
「今それ言う!?」
叱られながらも、ミナは少し笑っていた。
その様子を見て、ハヤトもようやく息を抜く。森で見つけたときには怪我こそなかったものの、何が起きているか分からないままだった。こうして村まで戻ってくれば、ひとまず自分たちの役目は終わりだ。
「よかったね」
隣でセラも同じように笑っている。
「ああ」
「レグも?」
「うん」
レグは村人たちに囲まれるミナを眺めてから、少し離れた森の方へ顔を向けた。
「クロ、まだいるかな」
「いるだろ。約束してたし」
「みにいく?」
「今日はもう休ませてやろう。俺らもだけど」
レグは少し迷ったものの、素直に頷いた。
「じゃあ、あした」
「うん」
そこへガルドがやってきた。
「無事に見つかったか」
「なんとか」
「相手は?」
「逃げた」
ハヤトが答えると、ガルドの顔が険しくなる。
「人間だったんだな」
「ああ。それも森のことを結構知ってる」
「村の人間じゃねえのか?」
「違うと思う」
カイルが横から答えた。
ガルドはちらりと彼を見る。まだ詳しい素性までは話していないが、一緒に捜索したことで警戒は少し薄れたらしい。
「また来ると思うか?」
「可能性はある」
「何のために?」
「それを調べるところだ」
カイルの返事に、ガルドは小さく鼻を鳴らした。
「分かんねえことばっかりだな」
「俺たちも同じこと思ってる」
ハヤトが言うと、ガルドは少し笑った。
「今日は休め。村のことはこっちで見ておく」
「助かる」
「それと、その森の魔物の話。明日、もう少し詳しく聞かせろ」
「ああ」
ミナも今夜は治療師のところで診てもらうことになり、村人たちは少しずつ散っていった。
ハヤトたちも宿へ戻る。
カイルが持っている包みだけが、やけに重く見えた。
実際の重さではない。
五年前、別の遺跡で見つかった金属箱。
カイルたち六人が危険物として印をつけ、その後、四人が帰ってこなかった。
それがなぜか、この森にあった。
しかも持っていたのは、死んだと思われていたヴァンだった。
部屋に入るなり、セラがテーブルを指した。
「それ、そこ置く?」
「床の方がいい」
カイルは壁際に布を敷き、その上へ箱を置いた。
「何か起きてもテーブル壊さないように?」
「そういう意味もある」
「宿は壊す前提なんだ」
「壊さない」
ハヤトが言うと、セラがこちらを見る。
「ハヤトが言うと不安なんだけど」
「俺、何もしてないだろ」
「今はね」
「またそれ?」
レグはもう金属箱の前にしゃがみ込んでいた。
「レグ、触るなよ」
「さわってない」
「近い」
「みてるだけ」
確かに両手は膝の上に置いている。
少し前ならそのまま触っていた気がするので、これでもちゃんと学んでいるらしい。
カイルが外套を脱ぎ、椅子へ座った。
「何から聞く?」
「全部」
「却下」
「じゃあ五年前」
「範囲広いな」
「箱の話からでいい」
ハヤトも向かいへ座る。
セラは水を用意しながら、そのまま話を聞ける位置へ椅子を引いた。
カイルはしばらく箱を見ていた。
「五年前、俺は古代遺跡を調べる一団にいた」
「冒険者?」
「半分はな。護衛、遺跡に詳しいやつ、魔術師。そんなのを集めた六人だった。依頼で組んだわけじゃなく、何年か一緒に回ってた」
「ヴァンも?」
「ああ」
カイルの声が少し変わる。
「一番長かったのがあいつだ。俺より遺跡に詳しかったし、古い文字も俺より読めた」
「仲よかった?」
レグが聞いた。
カイルは少し考える。
「悪くはなかった」
「その言い方、仲よかったやつじゃん」
ハヤトが言う。
「うるさい」
「当たりか」
「話進めるぞ」
「はいはい」
五年前、一行は東にある古い施設を見つけた。
今回入った場所と同じように、地上にはほとんど何も残っておらず、崩れた地下から偶然入口が見つかったらしい。
「最初は普通の遺跡だと思ってた。古い道具が残ってて、読めない記録が山ほどあった。それだけなら今までと変わらなかった」
「でも違った?」
「ああ」
奥へ進んだ先に、今回とよく似た施設があったという。
鎖。
石台。
獣の絵。
そして、身体の一部が異常に変化した魔物の記録。
「そのときから知ってたんだ」
セラが言う。
「だから今回の遺跡で分かったの?」
「似てたからな。ただ五年前は、実際の魔物なんて残ってなかった。全部古い記録だと思ってた」
「じゃあ今みたいに使われてなかった?」
「少なくとも俺たちが行ったときは」
そこで、六人は一つの閉ざされた部屋を見つけた。
扉はどうやっても開かなかった。
その近くに落ちていたのが、今目の前にある箱だった。
「これ?」
レグが箱を覗き込む。
「ああ」
「ほんとにおなじ?」
「この傷を見ろ」
カイルが箱の角を指した。
深い傷が斜めに一本入っている。
「俺が落とした」
「自分で?」
「手が滑ったんだよ」
「それで覚えてるんだ」
「笑うな」
「笑ってない」
セラは少し笑っていた。
「じゃあ、この線は?」
ハヤトが例の印に追加された一本を指す。
「六人で決めた印だ。遺跡にある元の印と区別するために足した」
「危険かもしれないものに?」
「ああ。何か分からない。開けられない。触っても反応しない。そういう物には勝手に触らないよう、目印をつけてた」
「意外とまともだね」
セラが言う。
「なんで全員、俺の昔を無茶しかしない人間みたいに思ってるんだ」
「今まで会った感じ?」
ハヤトが答える。
「お前だけには言われたくない」
「俺そんな無茶しないって」
「ハヤト」
セラが名前だけ呼んだ。
「……はい」
レグがくすっと笑った。
「それで?」
ハヤトが話を戻す。
「箱を見つけたあと、何があった?」
カイルの表情から少しずつ笑いが消えた。
「扉が開いた」
「どうやって?」
「分からない」
「誰か触った?」
「いや。少なくとも俺は見てない」
何の前触れもなく、それまで動かなかった扉が開いた。
その奥には、今までとは違う区画があったという。
白い壁。
鎖のない部屋。
竜の絵。
「……今回と同じだ」
セラが呟く。
「似てる。だが、俺たちは今回みたいに奥まで行けなかった」
「何があった?」
「中へ入ってしばらくしたら、施設が動き出した」
ハヤトは地下での出来事を思い出した。
壁を走った光。
閉じた通路。
動き始めた仕掛け。
「封鎖?」
「ああ。ただ、今回よりひどかった」
通路が次々と閉じ、六人は分断された。
カイルとヴァン。
残りの四人。
別々になった。
「そこから四人とは会ってない?」
「一度だけ声を聞いた」
「声?」
「壁の向こうからな。戻れって叫んでた」
カイルの指が、無意識に握られている。
「俺とヴァンで扉を開けようとした。でも駄目だった。そのうち施設全体が揺れ始めて……ヴァンが、ここにいたら全員死ぬって言った」
「それで逃げた?」
「ああ」
責めるような話ではない。
ハヤトも同じ状況なら、どうしたか分からない。
「出口まで一緒だった?」
「途中まで」
カイルが顔を上げる。
「また崩れた」
「そこでヴァンと別れた?」
「ああ。目の前で通路が落ちた。俺は外へ出られたが、あいつは向こう側に残った」
「だから死んだと思ったんだ」
「何度も戻った。でも入口ごと潰れてた」
五年間。
カイルはヴァンも、残りの四人も死んだと思っていた。
「今日までな」
「ヴァンが生きてた」
「ああ。それだけじゃない」
カイルが箱を見る。
「こいつを持ってた」
「この箱って、あのときどこにあったの?」
セラが聞く。
「施設の入口近く。俺たちは持ち歩いてない」
「じゃあ、ヴァンはあとで取りに戻った?」
「そうなる」
「でも入口は潰れてたんでしょ?」
「俺が知ってる入口はな」
別の出口があった。
今回の遺跡でも、レグが開けた通路の先から森へ出られた。
ヴァンも同じように、カイルの知らない場所から脱出した可能性がある。
「じゃあ、なんで五年間会わなかったんだろ」
セラが言う。
「それを俺も聞きたい」
「今日聞けばよかったのに」
「聞ける状況だったか?」
「動物いっぱい出てきたもんな」
「そういうことだ」
レグは箱を見ながら聞いていた。
「よにんは?」
カイルが黙る。
「まだ、いない?」
「ああ」
「ヴァン、しってるかな」
その問いに、カイルはすぐ答えなかった。
「……多分な」
「なんで?」
「今日のあいつは、俺が知ってるヴァンじゃなかった」
ハヤトは眉を寄せる。
「性格?」
「それもある。でも、違う」
カイルが自分の耳の下を指す。
「ここに何か入ってただろ」
「あの黒いやつ?」
「あんなもの、五年前はなかった」
「遺跡の技術?」
「多分」
「それで匂いが分かるって言ってたね」
セラが思い出す。
「人間じゃ分からないものまで感じるって」
カイルが頷く。
「ヴァンは昔から遺跡の道具に興味はあった。でも、自分の身体に埋め込むようなやつじゃなかった」
「五年で変わった?」
「……何かあったんだろうな」
カイルはそこから先を言わなかった。
知らないのだろう。
ハヤトも無理には聞かなかった。
少し重くなった空気を破ったのは、レグだった。
「これ、あけない?」
金属箱を指差している。
「急に戻ったな」
「ずっときいてた」
「知ってるよ」
「でも、なか、みたい」
「俺も見たい」
ハヤトが言うと、セラが眉を寄せた。
「だからってすぐ触らないでよ」
「触らないって」
「さっきレグに言ってたこと忘れないでね」
「分かってる」
カイルも箱の前へしゃがむ。
「五年前は何をやっても開かなかった」
「鍵穴は?」
「ない」
「魔力?」
「流しても反応しなかった」
箱には継ぎ目があるので、蓋が存在するのは分かる。
だが取っ手もない。
表面にあるのは例の印と、六人が追加した一本の線だけだった。
「レグが触ったら?」
セラが言う。
「俺もそれ考えてた」
「危なくない?」
「危ないかもしれない」
カイルは正直だった。
ハヤトはレグを見る。
「今日はやめとく?」
「レグ、さわってみたい」
「怖くない?」
「ちょっと」
「なら急がなくていいぞ」
「でも」
レグは箱を見つめた。
「これ、においする」
「え?」
全員がレグを見る。
「どんな?」
「遺跡とおなじ。でも……」
鼻を少し近づける。
「もっと、しってる」
カイルの表情が変わる。
「どこで嗅いだ?」
「わかんない」
「レグ」
少し強くなった声に、ハヤトが間へ入る。
「急かすなって」
「……悪い」
カイルはすぐ引いた。
レグは気にしていないようで、箱を見続けている。
「触るなら、明るいときにしよう」
セラが提案した。
「ここ宿だし、何か起きたら困る」
「それがいいな」
ハヤトも頷く。
「明日、村の外でやるか」
「うん」
レグは素直に手を引っ込めた。
その夜は、それ以上箱を調べなかった。
夕食を食べ、明日のことを簡単に決める。
本来なら、そろそろエルナ村を出て東へ向かってもいい。
森で起きていた異変の原因もある程度は分かった。ミナも戻った。村にはガルドたちがいる。
それでも、一つだけ確かめたいものが残った。
翌朝。
三人とカイルは村から少し離れた草地へ出た。
クロも連れてきている。
金属箱は地面に置いた。
「何か起きたら離れる」
ハヤトが確認する。
「うん」
「開いてもすぐ中身触らない」
「うん」
「光ったり声出たりしても――」
「ハヤト」
セラが止める。
「言いすぎると逆に分かんなくなるよ」
「そう?」
「うん。レグ、変だったら手離して」
「わかった」
「それで十分」
「……俺の説明なんだったんだよ」
「長かった」
レグにまで言われた。
「はいはい」
少し離れた場所で、カイルが緊張した顔をしている。
「そんな怖い顔するなよ」
「五年前から開かなかった箱だぞ」
「だから開くって決まったわけじゃ――」
ハヤトが言い切る前に、レグの手が箱へ触れた。
「あ」
「さわった」
「いや、見れば分かる」
何も起きない。
一秒。
二秒。
「開かない?」
セラが言った、その直後だった。
箱の表面に刻まれた円が光った。
「やっぱりか」
カイルが息を呑む。
三本の線へ光が移る。
その中央。
欠けていた部分まで白く染まる。
カチ、と小さな音がした。
蓋がわずかに浮いた。
「開いた」
レグが手を離す。
「触るなよ」
「わかってる」
今度はちゃんと止まった。
カイルがゆっくり箱へ近づく。
「俺が開ける」
「大丈夫?」
「五年前から俺が追ってきたものだ」
誰も止めなかった。
カイルが布越しに蓋へ手をかける。
ゆっくり持ち上げる。
中に入っていたものは一つだけだった。
「……石?」
セラが首を傾げる。
黒い石。
手のひらに収まるくらいの大きさで、表面は不自然なほど滑らかだった。
「こんなのだったのか」
カイルにも初めて見る中身らしい。
ハヤトが少し近づく。
石の中心に、ごく細い線が見えた。
何かが描かれている。
「これ……文字?」
「いや」
カイルが目を細める。
「印だ」
光の加減で、ようやく形が見えた。
円。
三本の線。
だが、これまでとは違う。
円の中心に、小さな竜の姿が刻まれていた。
レグが一歩近づく。
「これ」
今度は誰も聞いていない。
レグ自身が、石を見たまま呟いた。
「しってる」
ハヤトが横を見る。
「また思い出した?」
レグは首を横に振った。
「ちがう」
「じゃあ?」
少しだけ迷い、それから石を指した。
「レグ、これ……もってた」
カイルの顔が固まった。
セラも言葉を失う。
「いつ?」
ハヤトが聞く。
レグは目を閉じた。
遠い何かを探すように、しばらく動かない。
「……ちいさいとき」
声は小さかった。
「だれかが、レグにくれた」
「誰?」
レグはゆっくり目を開ける。
その顔には、はっきりと戸惑いが浮かんでいた。
「……おかあさん」
誰もすぐには言葉を返せなかった。




