森に立つ男
小屋の扉が勢いよく開き、中から男が飛び出してきた。
ハヤトは窓際から離れ、そのまま剣を抜く。だが、相手は襲いかかってこなかった。扉の前で一度立ち止まり、距離を取るように数歩下がる。
昨日、森の中で見た人影と同じ外套だった。
「そこにいたの、お前だな」
ハヤトが言う。
男は答えず、森の左右を確認するように視線を動かした。
その先にはセラとカイルがいる。少し離れた場所にはレグとクロ。完全に囲んだわけではないが、簡単に逃げられる位置でもなかった。
「ミナさんを離してください」
セラの声が飛ぶ。
「怪我してるなら治します。だから――」
「怪我はない」
男が初めて口を開いた。
落ち着いた声だった。
「なら、なんで縛ってる?」
ハヤトが聞く。
「逃げるからだ」
「そりゃ逃げるだろ」
「違う」
男の視線が小屋へ向く。
「あの女は、自分からここまで来た」
「自分から?」
セラが眉を寄せる。
「途中まではな」
意味の分からない返事だった。
カイルがゆっくり前へ出る。
「顔を見せろ」
その声を聞いた瞬間、男の動きがわずかに止まった。
「知り合い?」
ハヤトがカイルを見る。
「まだ分からん」
男は外套の頭を覆っていた布を下ろした。
四十に届くかどうかという年齢に見える。短い黒髪。頬に細い傷があり、左耳の下には黒い金属片のようなものが埋め込まれていた。
カイルの表情が変わる。
「……お前」
「久しぶりだな、カイル」
「知り合いじゃん」
「黙ってろ」
「なんで俺が怒られるんだよ」
セラが小さくハヤトの袖を引いた。
今は邪魔しない方がよさそうだった。
「死んだと思ってた」
カイルの声から、いつもの軽さが消えている。
「そういうことにしておいた」
「何年だ」
「五年くらいか」
「五年?」
今度はハヤトも黙っていられなかった。
カイルはこちらを見ない。
「あとで話す」
「それ絶対忘れんなよ」
「分かってる」
男が二人のやり取りを見て、わずかに口元を動かした。
「相変わらず変な連中とつるんでるな」
「今日会ったばかりだ」
「それでこれか」
「俺も困ってる」
「誰が困らせてんだよ」
セラがまた袖を引いた。
「ハヤト」
「はい」
さすがに黙った。
男はハヤトたちを順番に見る。その視線がレグへ向いたところで、表情が止まった。
ほんの一瞬。
だが、今までとは明らかに違った。
「……竜か」
ハヤトがすぐレグの前へ出る。
「なんで分かる?」
「匂いだ」
「匂い?」
「人間には分からん」
男が自分の耳の下にある黒い金属へ触れる。
「こいつで分かる」
カイルが低く言った。
「まだ使ってるのか」
「便利だからな」
「それで何人壊した」
空気が変わった。
男の目が細くなる。
「言い方を選べ、カイル」
「選ぶ必要があるか?」
ハヤトは二人を見る。
さっきまでの知り合い同士の会話とは違う。
明確な敵意がある。
「何の話?」
セラが聞いた。
「そいつらは――」
「待て」
男が遮った。
「ここで長話をするつもりはない。女を連れて帰りたければ、勝手にしろ」
「え?」
予想していなかった返事だった。
「いいの?」
セラが聞き返す。
「ああ」
「じゃあなんで捕まえた?」
ハヤトが剣を下げずに聞く。
「見られたからだ」
「何を?」
「俺が、この森にいることを」
「それだけ?」
「それで十分だ」
「十分じゃないだろ」
男は答えなかった。
その代わり、小屋から離れるように一歩下がる。
「待てよ」
「追うな」
「はいそうですか、ってなると思う?」
「なる必要はない。ただ――」
男の手が外套の内側へ入った。
四人が同時に身構える。
だが取り出したのは武器ではなかった。
黒い小さな筒。
遺跡で見た器具に少し似ている。
「それ何?」
「止めろ!」
カイルが叫んだ。
男が筒の端を押す。
甲高い音が森へ響いた。
人間の耳には痛いだけの音。
だがクロが突然地面へ伏せた。
「クロ!」
レグが駆け寄る。
クロは頭を振り、苦しそうに唸っている。
「何した!」
ハヤトが男へ踏み込む。
剣を横へ振る。
男は後ろへ跳び、紙一重でかわした。
「殺すつもりはない!」
「だったらクロに何した!」
「呼んだだけだ!」
「誰を!」
答えは必要なかった。
森の奥から、木々が大きく揺れる音が聞こえた。
一方向ではない。
複数。
「まさか……」
セラが周囲を見回す。
レグも顔を上げた。
「くる」
「何匹?」
「いっぱい」
ハヤトは舌打ちした。
「またあいつらか」
「違う」
レグの返事に、全員が止まる。
「違う?」
「におい、ちがう」
次の瞬間、茂みから一匹の獣が飛び出した。
鹿だった。
だが普通ではない。
首には黒い金具が巻かれ、目は赤く充血している。その後ろから猪、犬に似た獣、さらに小さな魔物まで続いて現れた。
種類が違う。
なのに、全ての首に同じ黒い金具がついている。
「何これ……」
セラの声が震える。
「魔力吸収具だ」
カイルが男を見る。
「まだこんな使い方してるのか!」
「殺す装置じゃない」
「じゃあ何だ!」
「誘導だ!」
獣たちはハヤトたちへ向かってこなかった。
男の周囲を取り囲むように集まっていく。
苦しそうに息をしながら、それでも襲う様子はない。
「……操ってる?」
ハヤトが呟く。
「完全にはな」
男が答える。
「進む方向を選ばせる程度だ」
「十分おかしいだろ」
「お前に何が分かる」
「分からないから聞いてんだよ」
男の視線が一瞬だけ揺れた。
怒っている。
だが何に対してなのかは分からない。
「カイル」
男が呼ぶ。
「東へ行くなら、もう追うな」
「何でだ」
「お前が探してる答えは、知らない方がいい」
「五年前にも似たようなことを言ったな」
「だから生きてる」
「誰のおかげでこうなったと思ってる」
男の表情が初めて崩れた。
「……俺は止めた」
「あれを止めたとは言わない」
二人の間に、ハヤトたちの知らない何かがある。
今すぐ聞きたい。
だが獣たちに囲まれた状況で尋問を始めるわけにもいかなかった。
「ミナさんは本当に連れて帰っていいんだな?」
ハヤトが確認する。
男は頷く。
「最初から殺すつもりはない」
「信用できると思う?」
「思わなくていい」
男が黒い筒を持ち上げる。
また音が鳴った。
獣たちが一斉に向きを変える。
「クロ!」
レグがクロを抱き寄せる。
クロも立ち上がろうとしたが、首輪はもうない。少しふらついただけで、男の方へ歩くことはなかった。
男はそれを見て、少し驚いたようだった。
「外したのか」
「当然だろ」
「……そうか」
妙な言い方だった。
残念そうでもなく、怒っているわけでもない。
むしろ少し安心したように見えた。
「待て」
カイルが前へ出る。
「名前くらいこいつらに言っていけ」
「必要ない」
「俺は知ってる」
「だから何だ」
「どうせまた会う」
男はしばらくカイルを見た。
やがて小さく息を吐く。
「……ヴァン」
ハヤトは名前を覚える。
ヴァン。
「次会ったら、もう少しちゃんと説明してもらうからな」
「次があればな」
「そういう言い方するやつ大体また出てくるぞ」
「何の話だ」
「こっちの話」
セラが少し呆れた顔をした。
ヴァンが森の奥へ歩き始める。
周囲の獣たちも続く。
「追わないの?」
レグが聞く。
「今はミナさんが先」
ハヤトは剣を鞘へ戻した。
「それに、あの数相手に無理して追う必要ない」
セラも頷く。
「まず助けよう」
カイルだけは、ヴァンが消えていった方向を見続けていた。
「カイル」
「分かってる」
「追うなよ」
「追わない」
「本当に?」
「お前らまでセラみたいなこと言うな」
「私みたいって何?」
「いや、何でもない」
「今の聞こえたからね」
少しだけいつもの空気が戻った。
四人は小屋へ入る。
ミナは壁際に座ったまま、驚いた顔でこちらを見ていた。
「村から来ました」
セラがすぐそばへしゃがむ。
「大丈夫ですか?」
「……村?」
「はい。みんな探してます」
その言葉を聞いた瞬間、ミナの肩から力が抜けた。
「よかった……」
手首を縛っていた縄をハヤトが切る。
セラが怪我を確認するが、ヴァンの言葉通り大きな傷はない。長時間座っていたせいで手足が痺れているくらいだった。
「歩けそうですか?」
「少し休めば……」
「無理しなくていいですよ」
レグがミナの横から顔を覗く。
「こわかった?」
「え?」
「こわかった?」
ミナは少し驚いたあと、苦笑した。
「怖かったよ」
「そっか」
「でも……あの人、変だった」
ハヤトが振り返る。
「ヴァン?」
「名前は知らなかったけど、多分その人」
「何が変だった?」
ミナは少し考える。
「私を捕まえたのに、何もしてこなかったんです。逃げようとすると止められたけど、水も食べ物もくれたし……」
「何か聞かれた?」
「村のことを少し。それと、最近森で変わったものを見なかったかって」
「変わったもの?」
「魔物とか、穴とか……知らない人とか」
カイルの表情が変わる。
「ほかには?」
「それくらいです」
「何で森の奥まで来た?」
ハヤトが聞く。
ミナは少し気まずそうに視線を下げた。
「薬草を採ってたら、知らない男の人に会ったんです。道に迷ったって言われて」
「ヴァン?」
「はい。途中まで案内してほしいって。それで一緒に歩いてたんですけど……」
罠があった場所よりさらに奥まで来たところで、急に態度が変わったらしい。
危害を加えられたわけではない。
ただ、村へ帰すわけにはいかないと言われた。
「それで目印残した?」
セラが聞く。
ミナが少し笑った。
「気づきました?」
「ちゃんと追えましたよ」
「よかった……」
村の森に慣れた人間だからこそできたことなのだろう。
「ヴァンが何してたか見た?」
カイルが聞く。
「何かを探してました」
「何を?」
「分かりません。でも、小屋の床を何度も調べてて」
全員が床を見る。
古い板張り。
一見、特に変わったものはない。
「床?」
ハヤトがしゃがみ込む。
「どの辺?」
ミナが奥を指す。
「あそこです」
ヴァンが座っていた椅子の近く。
ハヤトとカイルが同時に近づく。
「何かある?」
セラが聞く。
「待って」
埃。
古い板。
その中で、一枚だけ色が違う。
「ここ、動かした跡あるな」
ハヤトが指をかける。
「罠かもしれん」
カイルが止めた。
「じゃあどうする?」
「まず周りを見る」
珍しく慎重だった。
二人で確認するが、金属線も魔力の反応らしいものもない。
「開けるぞ」
「ああ」
板を持ち上げる。
その下には、浅い空間があった。
入っていたのは一つだけ。
小さな金属箱。
「……また怪しいもの出た」
セラが呟く。
「今日ずっとこんなのばっかりだな」
「開ける?」
レグが聞く。
「待って」
今度は三人同時だった。
レグが少し口を尖らせる。
「まだなにもしてない」
「レグが聞くと、すぐ触りそうだから」
「さわらない」
「ほんと?」
「ほんと」
少し成長したらしい。
カイルが金属箱の表面を確認する。
「印がある」
例の円と三本線。
ただし、今まで見たものと少し違った。
円の外側に、もう一つ小さな線が加わっている。
「これ知ってる?」
ハヤトが聞く。
カイルの顔が険しくなる。
「見たことはある」
「どこで?」
「五年前」
その言葉だけで、ヴァンとの話につながった。
「何があったんだよ、五年前に」
今度はカイルも、あとでとは言わなかった。
金属箱を見たまま、しばらく黙る。
「俺が最初に遺跡へ入った年だ」
ハヤトたちは何も言わず続きを待つ。
「ヴァンもいた」
「一緒に調べてた?」
「ああ」
カイルが箱から手を離した。
「俺たちだけじゃない。六人いた」
「ほかの四人は?」
カイルはすぐには答えなかった。
その沈黙だけで、良い話ではないことが分かる。
「一人は俺。ヴァンも生きてた」
カイルが低く息を吐く。
「残りの四人は、遺跡から出てこなかった」
小屋の中が静かになった。
「死んだの?」
レグが聞く。
「……そう思ってた」
「思ってた?」
ハヤトが聞き返す。
カイルは目の前の金属箱を見る。
「今日まではな」
「どういう意味?」
箱の側面。
そこに細い文字が刻まれている。
カイルが指で埃を払った。
「これは、俺たち六人でつけた印だ」
「え?」
もう一つ増えていた小さな線。
それは遺跡に元々あったものではない。
「中身が危険かもしれないものに、この線を足してた」
「じゃあ、この箱は……」
「あのとき俺たちが見つけたものだ」
カイルの声が低くなる。
「五年前に、別の遺跡でな」
ハヤトは金属箱を見る。
五年前。
別の遺跡。
カイルとヴァン。
帰ってこなかった四人。
そして、そのとき見つけた箱が、なぜか今この森の小屋にある。
「ヴァンが持ってきた?」
「可能性は高い」
「中に何入ってる?」
「それが分からない」
「開けてないの?」
「開かなかった」
カイルが苦い顔をする。
「当時はな」
「今なら?」
「分からん」
レグが箱を見つめている。
「レグなら、あく?」
全員が彼女を見る。
「……ありそうなのが嫌だな」
ハヤトが呟く。
遺跡の扉。
石台。
古い仕掛け。
レグが触れたものは、次々と動いた。
だからこそ、今回は簡単に触らせる気になれない。
「今日は開けない」
ハヤトが言う。
「村に戻る。ミナさんを先に連れて帰る」
レグは箱を見たままだったが、やがて頷いた。
「うん」
カイルも反対しなかった。
「その方がいい」
「箱は?」
「持っていく」
「危なくない?」
「だからこそ、ここには置けない」
カイルが布を出し、箱へ直接触れないよう包み始める。
外ではクロが待っていた。
森は静かだ。
ヴァンと獣たちの気配も、もうない。
ミナを連れて村へ戻れば、ひとまず今回の捜索は終わる。
けれど代わりに、新しいものを一つ持ち帰ることになった。
五年前に消えたはずの箱。
そして、その箱を持っていたヴァン。
東へ向かう旅は、最初の村に着いたときよりもずっと複雑なものになり始めていた。




