森に残すもの
村へ戻るころには、辺りはほとんど暗くなっていた。
入口にはすでに何人もの村人が集まっていて、ハヤトたちの姿が見えるなり一斉に顔を上げる。その中から、昼間案内してくれた見張りの男が駆け寄ってきた。
「どうだった?」
「見つけられなかった。でも、途中までは追えた」
期待した顔が曇る。
「それと、ミナさんは一人じゃなかったみたいです」
セラが続けると、周囲がざわついた。
「誰か一緒だったのか?」
「分からない。ただ二人分の足跡があった。それと、その先に罠が仕掛けられてた」
「罠?」
「ああ。細い金属線を地面すれすれに張ってた。暗い中で走ったら、まず気づかない」
ハヤトが説明すると、村人たちの表情が一気に硬くなる。
ただ遭難しただけではない。
それが分かったからだろう。
「じゃあ誰かに連れていかれたってことか?」
「そこまではまだ分からない」
「でも、今から行った方が――」
「やめた方がいい」
村人の一人が言い終える前に、カイルが遮った。
視線が集まる。
村人からすれば、突然増えた知らない男だ。怪訝な顔をされるのも当然だった。
「誰だ、あんた」
「説明すると長い」
「それ俺がよく言うやつ」
「今いらないから」
セラに止められ、ハヤトは黙る。
カイルは気にせず続けた。
「相手は追われることを想定して罠を置いてる。森の中を知ってる可能性も高い。暗くなってから人数だけ増やして入れば、遭難者が増えるぞ」
反発されるかと思ったが、村人たちは黙った。
そこへ、狩人のガルドが人をかき分けて出てきた。
「そいつの言う通りだ」
「ガルド」
「今から入っても足跡は見えねえ。罠まであるなら、明るくなってから追った方がいい」
「でもミナが……」
「だからこそだ。急いで全員動けなくなったら、誰が助ける」
長くこの村で狩りをしてきた男の言葉には重みがあるらしい。
不満そうな者もいたが、今夜の捜索は見送ることで話がまとまった。
「明日の朝、俺も出る」
ガルドが言う。
「いや、村に残ってくれない?」
ハヤトが返すと、ガルドが眉を寄せた。
「俺の方が森を知ってるぞ」
「だからだよ」
「どういうことだ?」
「今日のやつが一人とは限らない」
カイルがわずかにこちらを見る。
ハヤトはそのまま続けた。
「もし相手が村のことまで知ってるなら、みんなで森に入るのは危ない。ガルドにはこっちにいてもらった方が安心できる」
ガルドはすぐには答えなかった。
やがて小さく息を吐く。
「……お前、思ったより考えるんだな」
「今日それ何回目?」
隣でセラが吹き出した。
「みんなハヤトのこと何だと思ってるんだろうね」
「セラまで言う?」
「私はちゃんと知ってるよ」
「その言い方もなんか嫌なんだけど」
少しだけ空気が和らいだ。
話がまとまると、ハヤトたちは宿へ戻る前にガルドの家へ寄った。
森の地図をもう一度確認するためだ。
「足跡が消えたのはこの辺」
ハヤトが場所を指す。
ガルドはしばらく地図を見ていたが、やがて少し先へ指を滑らせた。
「なら、この辺りに古い小屋がある」
「小屋?」
「昔、炭焼きに使ってた場所だ。今は誰も使ってない。俺も何年か行ってないが、建物は残ってるはずだ」
「人が隠れるには?」
「十分だろうな」
カイルが地図を覗き込む。
「今日見た人影が進んだ方向とも合う」
「やっぱり?」
「ああ」
目的地が一つできた。
ミナの匂いがそこまで続いている保証はないが、闇雲に森全体を探すよりずっといい。
「明日はまずそこだな」
「うん」
セラが頷く。
レグは地図を見ながら、少しだけ不安そうだった。
「ミナ、だいじょうぶ?」
「分からない」
曖昧にごまかす気にはなれなかった。
「でも、血の匂いはなかったんだろ?」
「うん」
「争った跡もなかった。だったら、まだ大丈夫だと思って探そう」
レグは少し考えて頷いた。
「うん」
宿へ戻る途中、村の外れまで来たところでレグが立ち止まった。
「クロ」
「見に行く?」
「うん」
「俺も行くよ」
ハヤトがそう言うと、セラもついて来ようとした。
「セラは休んどけって。今日何回治癒術使ったと思ってんの」
「別に歩くくらい――」
「明日もある」
セラが言葉を止める。
「……じゃあ、先に戻ってる」
「そうして」
「ハヤトも長居しないでね」
「分かってる」
「本当に?」
「何その確認」
「一応」
最後まで信用されていなかった。
カイルも宿へ向かい、ハヤトとレグだけが村の外へ出る。
クロを待たせていた木立へ近づくと、呼ぶ前に黒い身体が茂みから現れた。
「クロ」
レグが駆け寄る。
クロもゆっくり近づき、レグの手に鼻先を押しつけた。
「ちゃんといた」
「約束したからな」
「クロ、えらい」
通じているのかいないのか、尾がゆっくり動く。
ハヤトは少し離れたところに腰を下ろした。
今日は長かった。
朝に村を出て、森の地下で古い施設を見つけた。レグの人化につながる記録を知り、カイルと出会い、クロまで増えた。
そのうえ村へ戻れば、今度は人が消えている。
「全然東に進まないな」
「ひがし?」
「いや、こっちの話」
旅を始めたときは、気になる場所があれば寄り道すればいいと思っていた。
まさか最初の村でここまで足止めされるとは思っていなかったが。
それでも、不思議と嫌ではない。
ミナが無事に戻れば、という条件つきではあるけれど。
「ハヤト」
「ん?」
レグがクロの横で何かを持っていた。
細長い布。
「それ何?」
「クロがもってた」
「クロが?」
立ち上がって近づく。
茶色い布だった。
端が千切れている。
かなり汚れているが、自然に落ちていたものを拾ったようには見えない。
「どこで見つけたんだ?」
もちろんクロは答えない。
レグが布を鼻へ近づける。
すぐに目を見開いた。
「ミナ」
「え?」
「ミナのにおい」
ハヤトの眠気が一気に消えた。
「朝借りた上着と同じ?」
「うん」
「クロ、これどこで拾った?」
問いかけても、クロはこちらを見るだけだ。
「案内できる?」
レグが聞く。
クロの耳が動いた。
森の方へ顔を向ける。
「ちょっと待て」
ハヤトが止める。
今から行くつもりなのか、クロが歩き出そうとした。
「今日は駄目」
クロが振り返る。
「レグも。行かないぞ」
「でも、クロわかる」
「だからこそ、朝ならもっと早く行ける」
「……いまは?」
「暗いし、相手がいるかもしれない。二人だけで行くのはなし」
レグは布を握ったまま森を見る。
今までなら「いく」と言い張ったかもしれない。
けれど今回は、少し考えたあとで頷いた。
「わかった」
「よし」
ハヤトは布を受け取る。
「クロ、明日の朝案内してくれ」
クロが分かっているかは知らない。
ただ、森を見たあと再びその場へ伏せた。
「待つって」
「今回は俺もそう見える」
「わかってきた?」
「ちょっとだけな」
レグが嬉しそうに笑った。
翌朝。
空が明るくなり始める前には、三人とも準備を終えていた。
宿の前にはカイルもいる。
「早いな」
「そっちも」
「昨日の布の話を聞いて寝坊できるほど図太くない」
「誰に聞いた?」
「セラ」
「私が話した」
「いつの間に」
「ハヤトが寝てる間」
どうやら最後に起きたのはハヤトだったらしい。
「寝坊?」
レグが聞く。
「違う。予定の時間には起きた」
「さいごだった」
「それは寝坊じゃない」
「さいご」
「そこ強調しなくていいから」
村の入口では見張りとガルドが待っていた。
「気をつけろよ」
「ああ」
「何かあったら無理に助けようとするな。一度戻れ」
「分かってる」
ガルドがセラを見る。
「本当に?」
「なんで私に聞くんですか」
「一番まともそうだから」
「俺ここにいるんだけど」
誰も拾わなかった。
四人で村を出る。
森の手前では、クロがすでに待っていた。
レグの姿を見るとすぐ立ち上がる。
「クロ、おはよう」
尾が一度動く。
「おはようって」
「それまで分かるようになったの?」
セラが笑った。
「わかる」
「本当かなぁ」
クロへ昨日の布を嗅がせる必要はなかった。
最初から目的が分かっているかのように森へ入っていく。
レグがその横につき、三人が後ろを追う。
昨日の捜索で入った道を進み、籠が落ちていた場所を越える。
罠を見つけた場所も通った。
金属線はそのまま残っている。
「切らないの?」
セラが聞く。
「帰りに場所分からなくなると危ないから、目印だけつけとこう」
ハヤトは少し手前の木へ布を結んだ。
カイルも罠の位置を確認している。
「昨日より増えてない」
「じゃあ戻ってきてない?」
「少なくとも、ここにはな」
クロは立ち止まらない。
罠を大きく迂回し、そのまま奥へ進む。
「昨日見た人影もこっちだったな」
「ああ」
やがて、道らしいものが完全になくなった。
それでもクロとレグは迷わない。
「匂い、ある?」
「ある」
「近い?」
「きのうより」
少しずつ近づいている。
昨日ガルドが教えてくれた古い炭焼き小屋の位置とも合っている。
森に入って一時間ほどしたところで、カイルが手を上げた。
「止まれ」
三人が足を止める。
「何?」
「ここ」
木の幹に小さな傷があった。
刃物で一度だけ削ったような跡。
すぐ先の木にも同じものがある。
「誰かが目印つけてる?」
「多分な」
セラが辺りを見る。
「ミナさん?」
「可能性はある」
ハヤトが次の木を探す。
あった。
同じ高さ。
同じ削り方。
「自分がどこ通ったか残してるのか」
「だったら、ミナさん自分で歩いてたんだね」
「少なくともここまではな」
無理やり運ばれていたわけではない。
それだけでも少し希望が持てる。
クロが再び歩き出す。
さらに何本か目印を追ったところで、今度はレグが立ち止まった。
「ある」
「何が?」
「あそこ」
木の枝に、小さな白い布が結ばれていた。
自然に引っかかったものではない。
明らかに誰かが結んだものだ。
セラが近づく。
「これ……服の切れ端かな」
レグが匂いを確かめる。
「ミナ」
「じゃあ、わざと残したんだ」
ミナはただ連れていかれているだけではない。
誰かに見つけてもらうため、少しずつ痕跡を残している。
「思ったよりしっかりしてるな」
「森に慣れてるんでしょ」
「なるほど」
その先にも、目印は続いていた。
やがて森の中に、古びた建物が見えてくる。
木造の小さな小屋。
屋根の一部は崩れ、壁にも蔦が這っている。
「炭焼き小屋?」
「多分ここだ」
カイルが低い声で答える。
クロが止まった。
毛が少し逆立っている。
「中にいる?」
レグが鼻を動かす。
「ミナ、いる」
「もう一人は?」
「……いる」
ハヤトは剣の柄へ手をかけた。
「生きてる?」
レグが少し黙る。
「ミナはいきてる」
まず一つ安心する。
「もう一人は?」
「わかんない」
「匂いはあるんだよな?」
「うん。でも、へん」
カイルが小屋をじっと見る。
「正面から行くな」
「罠?」
「昨日の相手なら、そのくらい考える」
四人は少し距離を取ったまま小屋の周囲へ回る。
窓は一つ。
裏口はない。
建物の脇には新しい足跡が残っている。
「誰か出入りしてる」
セラが小声で言う。
「それも最近だな」
カイルが答える。
ハヤトは窓の位置を確認した。
「俺、ちょっと見る」
「気をつけて」
身体を低くして壁際まで近づく。
罠は見当たらない。
窓の下へしゃがみ、ゆっくり顔を上げる。
中は暗かった。
最初は何も見えない。
目が慣れてくる。
椅子。
机。
床に置かれた荷物。
そして、奥。
人がいた。
一人は女性。
両手を後ろで縛られ、壁際に座っている。
意識はある。
顔には見覚えがないが、状況から考えて間違いない。
ミナだ。
その少し離れたところに、もう一人。
外套を着た人間が椅子に座っていた。
顔は見えない。
ただ、動いていなかった。
「……見つけた」
ハヤトが小さく呟く。
その瞬間。
小屋の中の男が、ゆっくりこちらへ顔を向けた。
窓越しに目が合った。
ハヤトが反射的に身体を引く。
「気づかれた!」
その声とほぼ同時に、小屋の扉が内側から勢いよく開いた。




