足跡の行方
見張りの男から話を聞きながら、ハヤトたちは村の中へ入った。
戻ってこないのは、薬草採りをしているミナという女性らしい。朝早く一人で村を出て、北側の林へ向かった。普段なら昼過ぎには戻るところが、日が傾いても姿が見えない。
「一人で行くこと多いんですか?」
セラが尋ねる。
「ああ。あの辺は昔から使ってる採取場所だし、村からもそんなに遠くない。最近は森が危ないから行くなって言ってたんだが……必要な薬草が減っててな」
「北側って、俺たちが行ってた遺跡の方?」
ハヤトが聞くと、男は首を横に振った。
「もっと西寄りだ。あそこまで深くは入らない」
少なくとも、地下施設へ直接向かったわけではなさそうだ。
だから安心できる、とはならなかった。
「捜しに行く人は?」
「今集めてる。ただ、暗くなる前にどこまで探せるか……」
男の視線が、ハヤトたちの泥だらけの服へ向いた。
「悪いな。帰ってきたばっかりなのに」
「いや」
ハヤトは森を振り返った。
正直、今日はもう宿へ戻りたい。朝から歩き続け、地下を走り回り、魔物とも戦った。セラも治癒術を何度も使っているし、クロだって怪我をしたばかりだ。
だからといって、何も考えずに今すぐ森へ戻るのも違う。
「まず、その人がどこから入ったか見せてもらえる?」
「ハヤト、行くの?」
セラが聞く。
「いきなり奥までは行かない。入口だけ。まだ痕跡があるなら、明るいうちに見といた方がいいだろ」
セラは少し考えてから頷いた。
「それなら私も行く」
「疲れてない?」
「疲れてるけど、見るだけなら平気。それにハヤト一人で行かせる方が心配」
「どういう意味だよ」
「そのまま奥まで行きそう」
「行かないって」
「今はそう言ってるね」
信用がない。
隣ではカイルが小さく笑っていた。
「何?」
「いや。よく分かってるなと思って」
「お前まで言うな」
レグはそんな三人より、村の外を見ていた。
「クロ、つれてくる?」
「あ」
すっかり村の外で待たせている。
「匂い追えるなら、いた方が助かるかもな」
「でも村の人に見られるよ」
セラの言う通りだった。
ハヤトは見張りの男を見る。
「一個、先に話したいことがあるんだけど」
「何だ?」
「森で魔物を一匹連れてきた」
「……何?」
当然の反応だった。
「いや、連れてきたって言い方おかしいな。ついてきた」
「もっと分からん」
「だよな」
どう説明したものか考えていると、レグが先に口を開いた。
「クロ、わるくない」
「クロ?」
「なまえ」
「……魔物に名前を?」
「うん」
見張りの男がハヤトを見る。
「説明してくれ」
「俺を見るなよ……」
結局、地下で見つけたこと、首に鎖をつけられていたこと、異形の魔物とは違ってこちらを襲わなかったことを簡単に話した。
遺跡については、まだすべてを言わない。
人と竜の記録やレグに反応した扉まで話せば、説明が長くなりすぎる。それに、カイルがどこまで外へ出していい情報なのかも確認していない。
「その魔物が、村の外にいるのか?」
「ああ」
「危険じゃないんだな?」
「絶対とは言えない」
男の顔が引きつる。
「そこは絶対って言ってくれよ」
「嘘つくよりいいだろ。ただ、少なくとも俺たちには一度も襲いかかってない」
「クロ、だいじょうぶ」
レグが重ねる。
男はしばらく悩んでいたが、やがて大きく息を吐いた。
「分かった。俺も見る。ただし、少しでも危ないと思ったら村には近づけないぞ」
「それでいい」
「クロ、こわくないよ」
「お前が一番信用してるのは分かったから」
男も少しだけ苦笑した。
村の入口を出て、クロを待たせた場所へ向かう。
日が沈み始めているせいか、森の手前は昼間より暗く感じた。レグは少し早足になり、先ほどクロと別れた木立へ向かっていく。
「クロ」
呼ぶと、茂みの奥で葉が揺れた。
見張りの男が腰の剣へ手をかける。
現れたクロは、その動きを見て足を止めた。
「大丈夫」
レグがすぐクロの前へ行く。
「このひと、むらのひと」
クロに紹介してどうするんだ、と言いかけたが、ハヤトは黙っておいた。
レグは次に見張りの男を見る。
「このこ、クロ」
「……よろしくと言えばいいのか?」
「うん」
「そうなのか?」
聞かれても困る。
「とりあえず剣から手離してみたら?」
セラが言うと、男は少し迷いながら手を下ろした。
クロの唸り声はない。
むしろレグの横へ座り、男を観察している。
「本当に襲わないんだな」
「だからいった」
レグが少し得意そうだ。
「今のところはね」
「セラ」
「分かってる。でも慎重にはしないと」
「うん」
レグもそこは理解しているらしい。
少なくとも、クロをすぐ村へ入れる話にはならなかった。ただ、捜索に同行させることについては、見張りの男も認めた。
ミナが森へ入った場所は、村から北へ少し歩いたところだった。
畑の端を越え、小さな沢に沿って進むと細い獣道が現れる。薬草採りや猟師が日常的に使っているらしく、昼間なら迷うような場所には見えなかった。
「この先だ」
案内してきた男が道を指す。
「朝、ここを歩いていくのを見たやつがいる」
「一人?」
「ああ」
ハヤトは地面を見る。
人が頻繁に通っているせいで、足跡は多い。ただ今日は雨も降っておらず、土が柔らかい場所には比較的新しい跡が残っていた。
「レグ、分かる?」
「ミナってひと、しらない」
「そりゃそうか」
匂いを知らなければ追えない。
「家から何か持ってくれば?」
カイルが言う。
「普段使ってる服とか。犬みたいなことができるなら、匂いが分かるだろ」
「犬じゃない」
レグが即座に反応した。
「例えだ」
「レグ、りゅう」
「分かった。悪かった」
カイルが素直に引いた。
見張りの男が首を傾げる。
「竜?」
しまった、とハヤトが思ったときには遅かった。
レグ本人は何も気にしていない。
「うん」
「……」
「……」
男がハヤトを見る。
「あとで説明する」
「今日それ何回目だ?」
「俺もそう思う」
セラが笑いをこらえていた。
結局、村からミナが普段使っている上着を持ってきてもらうことになった。
それをレグが嗅ぐ。
「わかる?」
「うん」
「クロもいけるかな」
レグが上着をクロの鼻先へ持っていく。
クロは一度匂いを嗅ぎ、森の方へ顔を向けた。
「わかった?」
尾が一度動く。
「わかったって」
「便利だな、その会話」
カイルが呟いた。
ハヤトも否定できなかった。
「暗くなる前に、行けるところまで行こう」
見張りの男にそう伝える。
「俺も行く」
「村の方は?」
「別の連中も集まってる。今から二手に分かれて探す予定だ」
「なら、俺たちはこの道を見てくる」
「頼む」
村人たちとは入口で分かれた。
ハヤト、セラ、レグ、カイル。それにクロ。
また森へ入る。
ただし、昼間に歩いた森とはずいぶん雰囲気が違った。
この辺りには普通に生き物がいる。
鳥の声。
虫。
遠くで何かが草を踏む音。
そのすべてが聞こえることに、ハヤトは少し安心していた。
異常な魔物がいる場所は、やはりもっと奥なのかもしれない。
「こっち」
レグが道を外れた。
「ミナの匂い?」
「うん」
クロも同じ方向へ進む。
その先には採取した跡があった。
薬草らしい植物が何本か切られ、その横に小さな籠が置かれている。
「これかな」
セラが籠を拾う。
中には摘んだ薬草が半分ほど入ったままだった。
「置いてった?」
「普通なら持って帰るだろ」
ハヤトは周囲を見る。
戦った跡はない。
血もない。
籠だけが置かれている。
「レグ?」
「こっち」
さらに奥。
今度は道がない。
ミナは自分から獣道を外れたことになる。
「薬草を探して?」
セラが聞く。
「その可能性もあるけど……」
ハヤトは少し引っかかった。
普段からこの森に入っている人間が、何の目印もない方向へそこまで深く入るだろうか。
匂いを追ってさらに十分ほど歩く。
クロが突然止まった。
低く唸る。
「何かいる?」
レグも立ち止まり、鼻を動かす。
「ひと」
「ミナ?」
「ふたり」
全員の動きが止まった。
「二人?」
「うん」
ミナは一人で村を出た。
途中で誰かと会ったことになる。
「村の捜索隊じゃないよな?」
「まだここまで来る時間じゃない」
セラが答える。
カイルは周囲の地面を見ていた。
「こっち」
呼ばれて近づく。
枯れ葉の下に足跡がある。
一つは小さい。
もう一つはそれより大きい。
「人の足跡だな」
ハヤトがしゃがみ込む。
靴の跡。
二人分。
しばらく並んで続いている。
「襲われた感じじゃないね」
セラの言う通り、引きずられた跡も争った痕跡もない。
ミナは誰かと一緒に歩いていた。
「知り合い?」
「それなら村に話さず行くかな」
「たまたま会った人かもしれないよ」
「そうだな」
まだ判断できない。
レグとクロを先頭に、足跡を追う。
日がさらに沈んでいく。
このまま進み続けるのは危ない。
あと少し探して何も見つからなければ、場所だけ覚えて村へ戻るべきだろう。
ハヤトがそう考え始めたころ、カイルが急にしゃがみ込んだ。
「待て」
「何?」
足跡の一つ。
大きい方だった。
カイルがその形を見つめている。
「どうした?」
「この靴……」
声が変わった。
「知ってる?」
「同じものを見たことがある」
ハヤトはカイルの顔を見る。
「どこで?」
答えるまでに、少し間があった。
「遺跡だ」
「今日の?」
「違う」
カイルが立ち上がる。
「別の施設で、最近残ってた足跡と同じ形だ」
ハヤトの中で、ばらばらだったものが少しだけ近づいた。
「じゃあ、遺跡を使ってるやつ?」
「可能性はある」
「誰なの?」
セラが聞く。
「まだ分からない。ただ――」
カイルの言葉が止まる。
クロが低く唸ったからだ。
前方。
木々の間。
何かが揺れている。
「ミナ?」
ハヤトが声をかける。
返事はない。
代わりに、木の向こうで白いものが動いた。
人影だった。
一人。
こちらを見ている。
「おい!」
ハヤトが呼ぶ。
人影は動かなかった。
距離があるうえ、暗くなり始めていて顔までは見えない。
セラが少し前へ出る。
「ミナさんですか?」
やはり返事はない。
そのとき、レグが首を横に振った。
「ちがう」
「何が?」
「あのひと、ミナじゃない」
「匂い?」
「うん」
なら、もう一人の方だ。
「誰だ?」
ハヤトがもう一度声をかける。
人影は数秒だけこちらを見ていた。
そして、何も言わず森の奥へ歩き始める。
「待て!」
追おうとしたハヤトの前へ、カイルの腕が出た。
「行くな」
「何で?」
「見ろ」
カイルが示したのは、人影ではなかった。
少し先の地面。
薄暗くて気づかなかったが、その一帯には細い線が何本も走っている。
金属。
地面すれすれの高さに張られた細い線だった。
「罠?」
「ああ」
もしそのまま走っていたら、確実に引っかかっていた。
ハヤトがもう一度前を見る。
人影は消えている。
「こっちが追うの分かってた?」
セラが小さく呟く。
偶然置かれた罠とは思えない。
その向こうで、クロがさらに強く唸った。
レグも同じ方向を見ている。
「ミナのにおい、まだある」
「先?」
「うん」
「じゃあ、あいつと一緒に行ったんだな」
自分からなのか。
それとも途中から無理やりなのか。
そこまでは分からない。
ハヤトは暗くなり始めた森を見る。
今すぐ追いたい。
ただ、相手はこちらの存在を知っている。
しかも罠まで用意している。
「……一回戻る」
口にすると、セラが少し意外そうにハヤトを見る。
「追わないの?」
「追いたいけど、暗い。向こうはこの森を知ってるし、罠まである。このまま行く方が危ない」
レグが前を見る。
「ミナは?」
「明日の朝、絶対探す」
「いまじゃなくて?」
「ああ」
レグは少し不満そうだった。
それでも、しばらく考えて頷く。
「わかった」
カイルがハヤトを見る。
「意外だな」
「今日何回言われるんだよ、それ」
「もっと突っ込むタイプだと思ってた」
「俺も疲れてんの」
半分は冗談だった。
もう半分は、本当にそうだった。
それ以上に、今回は相手が魔物ではない。
こちらを見て、罠へ誘い込もうとした人間がいる。
何も考えず追うのは違う。
「罠の位置だけ覚えて戻ろう」
セラが頷く。
「村の人にも、夜は入らないように言わないとね」
「ああ」
レグは最後にもう一度、ミナの匂いが続く方向へ顔を向けた。
「なくならない?」
「朝なら追える?」
「たぶん」
「じゃあ頼む」
「うん」
クロもその場から離れようとしなかったが、レグが呼ぶとゆっくり戻ってきた。
四人と一匹は来た道を引き返す。
完全に暗くなる前に村へ戻らなければならない。
ハヤトは歩きながら、カイルへ声をかけた。
「なあ」
「何だ」
「その足跡、別の遺跡にもあったんだよな?」
「ああ」
「偶然じゃなかったら?」
カイルはすぐには答えなかった。
「俺が追ってた相手に、近づいたことになる」
「人?」
「多分な」
「何者?」
「それを知るために追ってる」
いつもなら、またはぐらかしたと思ったかもしれない。
だが今回は少し違った。
カイル自身も、本当に答えを持っていないのだろう。
森の中で消えたミナ。
彼女と歩いていた誰か。
別の遺跡にも残されていた同じ靴跡。
地下にいた魔物たちは、偶然外へ出ただけではないのかもしれない。
誰かが今も、あの古い施設を使っている。
そんな可能性が、初めてはっきりした形を持ち始めていた。




