陽の下の影
地下の通路を抜け、再び森へ出たときには、陽がかなり傾いていた。
木々の隙間から差し込む光が赤みを帯び、地面に長い影を落としている。地下にいた時間は思っていたより長かったらしい。
「まぶしい」
レグが目を細める。
「さっきも一回出ただろ」
「でも、またくらいところいった」
「それはそうだけど」
隣ではクロも同じように立ち止まり、鼻を上げて外の空気を嗅いでいた。
首輪と鎖がなくなったせいか、地下で見たときよりずっと普通の獣に見える。少し大きめではあるものの、昨日戦った異形の魔物たちほど異様な姿ではない。
ただ、森の中にいる獣として見れば、やはり妙だった。
「このまま村まで連れてく?」
セラがクロを見る。
ハヤトも同じことを考えていた。
「それなんだよな」
「クロ、くるよ」
レグは当然のように答えた。
「レグがよくても、村の人がどう思うか分からないだろ。昨日あんな魔物に襲われたばっかりだし」
クロと森で戦った魔物は、見た目がかなり似ている。
事情を知っている自分たちなら違いが分かるが、何も知らない村人からすれば同じ魔物にしか見えない可能性が高い。
レグはクロの顔を見る。
「クロ、わるくない」
「分かってる」
「じゃあ、だいじょうぶ」
「世の中そんな簡単じゃないんだよ」
「なんで?」
「それ説明するの難しいな……」
ハヤトが困っていると、カイルが横から口を挟んだ。
「村の外で待たせればいい」
「それが一番無難か」
「クロだけ?」
レグが少し不満そうな顔をする。
「ずっとじゃない。まず村の人に話してから」
「……まつの、ひとり?」
「俺たちが戻ってくるまでな」
レグは納得していない。
クロも会話を理解しているのか分からないが、レグの横から離れようとはしなかった。
「だったら、村の近くまで一緒に行こう」
セラが言う。
「そこで待ってもらえばいいんじゃない?」
「それならいいか」
レグも少し考えてから頷いた。
「クロも?」
「本人に聞いてみろ」
レグがクロの前へしゃがむ。
「むらのまえで、まっててくれる?」
クロはレグを見返した。
しばらく何も起きない。
「分かってないんじゃない?」
ハヤトが言った直後、クロがレグの頬を鼻先で押した。
「わかったって」
「本当に?」
「うん」
レグがそう言うなら、今は信じるしかない。
四人と一匹で森を歩き始めた。
来たときに比べると、帰り道は不思議なほど静かだった。異常な魔物が現れることもなく、遠くから何かに追われる気配もない。
ただ、クロは何度か足を止めた。
そのたびに森の奥へ視線を向ける。
「まだ何かいる?」
ハヤトが聞くと、レグも同じ方向へ鼻を向けた。
「いる。でも、とおい」
「さっきの魔物?」
「たぶん」
全部を倒したわけではない。
遺跡の奥にはまだ何匹も残っていたし、すでに外へ出ている個体がほかにもいるかもしれない。
それでも、今から追う気にはなれなかった。
「今日は戻ろう」
「うん」
セラもすぐに頷いた。
調べたいことは増えた。
むしろ増えすぎたくらいだ。
古い施設。
魔物を変えていた区画。
人と竜が共に暮らしていたらしい記録。
人化を教えていた場所。
そして、東へ点々と残る同じ印。
一日で全部整理するには多すぎる。
少し歩いたところで、カイルが突然口を開いた。
「その冊子、あとで読ませてくれ」
「見るだけなら」
「まだ疑ってるのか」
「当たり前だろ」
「地下で一緒に戦ったんだぞ」
「それとこれとは別」
「面倒なやつだな」
「カイルに言われたくない」
セラが二人の間で笑う。
「最初よりは信用してるんでしょ?」
「まあ、最初よりは」
「どれくらいだ?」
「知らない人から、ちょっと怪しい人くらい」
「上がってないだろ」
「上がってるって」
「どこがだ」
「知らない人じゃなくなった」
「基準が低すぎる」
レグが二人を見比べる。
「なかよし?」
「違う」
また声が重なった。
セラが吹き出す。
「やっぱり似てる」
「似てないって」
「それ昨日も聞いた」
カイルまで嫌そうな顔をした。
くだらないやり取りをしながら歩いているうちに、森の空気が少しずつ変わってきた。
鳥の声が聞こえる。
小さな獣の気配も戻っている。
異常が広がっているのは、やはり遺跡周辺だけらしい。
そこでハヤトは、ふとクロの首元に目を留めた。
「ちょっと待って」
全員が止まる。
「クロ、こっち向ける?」
当然返事はない。
レグが代わりにクロの顔をそっと横へ向けた。
「なに?」
「そこ」
首輪がついていた場所。
毛に隠れて分かりづらいが、皮膚に何か跡が残っている。
ただの擦れではない。
「カイル」
「見えてる」
カイルもしゃがむ。
レグがクロの毛を少し避けると、ようやく全体が見えた。
円。
その中に三本の細い線。
中心の一部だけが欠けている。
「……またこれか」
ハヤトが呟く。
遺跡。
冊子。
壁画。
そしてクロの身体。
全部に同じ印がある。
「焼いた跡?」
セラが顔をしかめる。
「多分な」
カイルの表情も険しい。
「識別のためにつけたのかもしれない」
「何の?」
「個体。実験の種類。施設。考えられるものはいくらでもある」
「クロ、いたい?」
レグが聞く。
クロは特に反応しなかった。
傷自体は古いらしい。
「もう痛くはないと思う」
セラが確認する。
「でも、消えないかも」
「……そっか」
レグがその印をじっと見つめる。
「レグにも、ある?」
その一言で、空気が止まった。
ハヤトはレグを見る。
「今まで見たことないけど」
「レグも知らない」
「竜の姿のときは?」
セラが聞く。
レグは首を傾げる。
「わかんない」
小さな竜の身体には鱗がある。
全部を細かく確認したことなどない。
「確認してみる?」
ハヤトが聞くと、レグは少し迷ったあと頷いた。
「うん」
「ここで?」
セラが周囲を見る。
「誰もいないし大丈夫だろ」
レグが少し離れた場所へ移動する。
身体が淡く光り、輪郭が崩れる。
次の瞬間には、人の姿ではなく、見慣れた小さな竜がそこにいた。
「久しぶりに見ると、やっぱ小さいな」
「きゅ?」
「いや、なんでもない」
レグが近づいてくる。
三人で身体を確認する。
「なんか妙な光景だな」
カイルが呟いた。
「見んなら手伝えよ」
「どこを探すんだ」
「同じ印」
首。
背中。
翼の付け根。
脚。
ぱっと見たところ、何もない。
「ないね」
セラが言う。
レグ自身も安心したように尾を動かした。
そのとき、カイルがしゃがみ込んだ。
「待て」
「何?」
「左の翼、少し上げられるか?」
レグが翼を広げる。
付け根の内側。
鱗の模様に紛れて、ほんの少しだけ色の違う部分があった。
「……これ」
ハヤトの表情が変わる。
同じ印ではない。
円もない。
だが、三本の細い線が並んでいる。
自然な鱗の模様と言われれば、そう見えなくもない。
「前からあった?」
「きゅう……」
レグにも分からないらしい。
カイルが触れずに顔を近づける。
「焼き印じゃない」
「じゃあ何?」
「元々の模様に見える」
「ただの鱗?」
「その可能性もある」
結局、それ以上は分からなかった。
レグが再び人の姿へ戻る。
「レグも、おなじ?」
「まだ分からない」
ハヤトが言う。
「似てるだけかもしれないし」
「そっか」
「気になるなら、あとでちゃんと調べよう」
「うん」
今度はそれで納得した。
ただ、カイルだけは黙っていた。
「何?」
「いや」
「またそれ?」
「確信がない話はしたくない」
「それならいいけど」
少し気になったが、無理に聞くことはしなかった。
夕方が近づくころ、ようやく森の外が見えた。
遠くにエルナ村の畑がある。
「戻った」
セラがほっとしたように息を吐く。
レグも少し嬉しそうだったが、すぐクロを見る。
「ここでまつ?」
村まではまだ少し距離がある。
木々も残っていて、クロが身を隠せる場所は十分あった。
ハヤトがクロを見る。
「できればここにいてほしいんだけどな」
伝わるかどうかは分からない。
レグがクロの首に腕を回す。
「すぐもどる」
クロがじっとレグを見る。
「ぜったい」
少しして、クロはその場へ伏せた。
「待ってるって」
「今度は俺もちょっと分かる気がする」
「ほんと?」
「たぶん」
「たぶん」
「真似すんな」
レグが少し笑った。
三人が村へ向かって歩き出す。
カイルも当然のようについてきた。
「そういや、お前も来るの?」
「今さら一人で森に残れって?」
「クロいるぞ」
「俺よりクロの方を信用してるだろ」
「それはそう」
「即答するな」
セラが笑う。
村の入口が近づく。
見張り台にいた男がこちらへ気づき、手を上げた。
ハヤトも軽く返す。
地下で見つけたものを、どこまで話すか。
カイルのことをどう説明するか。
そして、森の外で待たせているクロを村人たちに受け入れてもらえるのか。
考えることは多い。
だが、まずは戻ってきたことを伝えればいい。
そう思っていた。
入口まであと少しというところで、見張りの男がこちらへ駆けてきた。
「無事だったか!」
「なんとか」
「ちょうどよかった。探しに出るところだったんだ」
「俺たちを?」
「いや」
男は首を横に振った。
「また一人、森から戻ってこない」
ハヤトは足を止めた。
「いつから?」
「今朝だ。村の北側へ薬草を採りに行ったきりだ」
セラの表情が変わる。
カイルも森を振り返った。
まだ終わっていない。
むしろ地下から出てきて、ようやく分かった。
あそこで起きていることは、遺跡の中だけでは収まっていなかった。




