鎖の音が消えるまで
レグは来た道を迷わず駆け下りていった。
人の姿のままなのに速い。狭い通路を滑るように曲がっていく背中を追いながら、ハヤトも速度を上げる。後ろからセラとカイルの足音が続いているが、レグとの距離はなかなか縮まらなかった。
「レグ! 一人で行くな!」
「クロがいる!」
「分かってるから待てって!」
返事はしたものの、足は止まらない。
もう一度、遠くで獣の声が響いた。今度はさっきより短く、その直後に金属が激しく打ちつけられる音が続く。
レグの速度がさらに上がった。
「全然待ってないじゃん!」
後ろからセラの声が飛ぶ。
「俺に言うな!」
「止めてよ!」
「止まらないんだよ!」
やがて光の道が続く広い通路まで戻る。ここを抜ければ、クロを待たせた場所はもう近い。
ただ、さっきとは様子が違っていた。
壁の白い光が不規則に明滅している。
奥から響く衝撃に合わせるように、細かな砂が天井から落ちていた。
「嫌な感じするな」
ハヤトが呟いた直後、前方でレグが急に止まった。
「どうした?」
「……いっぱい」
「何が?」
レグは答えず、暗い通路の先を見る。
遅れて追いついたカイルも息を整えながら同じ方向へ魔力灯を向けた。
光の中に、黒いものが落ちている。
一本の棘だった。
森で戦った個体の背中から飛んできたものと同じだ。
「来てるな」
カイルの声が低くなる。
「何匹?」
ハヤトが聞くと、レグは鼻を動かした。
「……わかんない。いっぱいまざってる」
「それ一番困るやつだな」
ハヤトは剣を抜く。
今度はレグも勝手に走り出さなかった。
「一緒に行くぞ」
「うん」
「セラは後ろ。カイルは――」
「自分の身くらい守れる」
そう言って短剣を抜いた。
「戦えるんだ?」
「遺跡を一人で歩いてると思ってたのか?」
「ちょっと思ってた」
「お前、俺を何だと思ってるんだ」
「怪しい研究者」
「研究者ですらない」
「そこも違うのかよ」
「二人とも今やる?」
セラに止められた。
確かに今はそれどころではない。
四人は慎重に先へ進んだ。
角を一つ曲がったところで、クロの姿が見えた。
「クロ!」
レグの声が響く。
クロは通路の中央に立っていた。
首から伸びる切れた鎖を床へ垂らし、こちらに背を向けている。その前には二匹の魔物がいた。
一匹は前脚が異様に発達している。
もう一匹は背中から黒い棘を何本も伸ばしていた。
森で戦った個体とほとんど同じだ。
クロの身体にも傷がある。脇腹の毛が赤く染まり、前脚を少しかばっていた。
「クロ!」
レグが駆け寄ろうとする。
「待て!」
ハヤトが腕を掴んだ。
「でも!」
「そのまま行ったら挟まれる」
魔物たちはすでにこちらへ気づいている。
棘を持つ方が身体を低くした。
「セラ、あいつ頼める?」
「やってみる」
「レグはクロのところへ行く。ただし俺と一緒」
「うん」
「カイルは?」
「棘が飛んだら教えろ。それくらいならできるだろ」
「雑だな」
「得意なこと知らないんだから仕方ないだろ」
「あとで話し合おう」
「生きて出たらな」
「縁起悪いこと言わないで」
セラが杖を構える。
そこで会話は終わった。
背中に棘を持つ魔物が先に動く。
「来る!」
カイルの声。
魔物の背中が波打ち、三本の棘が一斉に飛び出した。
ハヤトとレグが左右へ分かれる。
一本は壁へ。
もう一本は床へ突き刺さり、最後の一本だけがセラへ向かった。
セラは避けない。
杖を振る。
目の前に炎が広がり、飛んできた棘が勢いを失って床へ落ちた。
「そんなこともできるようになったの?」
ハヤトが思わず声を上げる。
「今それ聞く!?」
「あとで聞く!」
「だから集中して!」
もっともだった。
前脚の大きな魔物がクロへ飛びかかる。
クロも迎え撃とうとしたが、傷めた脚が一瞬沈んだ。
「クロ!」
レグが飛び込む。
魔物の横腹へ拳を叩き込んだ。
巨体が横へずれる。
森で見たときほど吹き飛ばない。やはり、この異常な個体は身体そのものがかなり強くなっているらしい。
それでも十分だった。
「レグ、クロを下げろ!」
「うん!」
ハヤトが魔物との間に入る。
振り下ろされる爪を剣で受け流し、身体の横へ潜り込む。そのまま首を狙ったが、魔物は大きく身体を捻ってかわした。
「学習してる?」
昨日までなら同じ攻撃を繰り返してきた。
今の個体は違う。
ハヤトの剣を警戒しているように見える。
「ハヤト、右!」
カイルの声。
反射的に身体を沈める。
頭上を黒い棘が通過した。
「助かった!」
「仕事したぞ!」
「あとで褒める!」
「いらん!」
少し離れた場所で、セラが棘を持つ魔物へ火球を撃つ。
正面ではなく足元。
魔物が避けた先には、カイルがいた。
「こっちに寄せるな!」
「避けて!」
「それは見れば分かる!」
カイルが横へ飛ぶ。
そのまま短剣を逆手に持ち替え、すれ違いざまに魔物の後ろ脚を斬った。
思ったより動ける。
「ちゃんと戦えるじゃん!」
「だから言っただろ!」
傷を受けた魔物が振り返る。
そこへセラの二発目が入った。
炎が脇腹で弾け、巨体がよろめく。
「ハヤト!」
レグの声。
振り向く暇はない。
目の前の魔物が再び爪を振り上げる。
今度は正面から受けず、横へ逃がす。その瞬間に大きく空いた首元へ剣を突き込んだ。
硬い。
それでも手応えはある。
剣を抜き、もう一度。
魔物が吠え、前脚を振り回す。
ハヤトは後ろへ跳ぶ。
「レグ!」
「うん!」
入れ替わるようにレグが前へ出た。
両手で魔物の前脚を掴む。
「え?」
ハヤトが声を漏らしたときには、もう遅かった。
レグがそのまま巨体を持ち上げる。
「ちょっと待っ――」
「こっち?」
「どこでもいいからセラたちの方には投げるな!」
「わかった」
魔物が宙を飛んだ。
通路の壁へ叩きつけられ、石が大きく揺れる。
「やっぱりすごいな……」
カイルが呆然と呟く。
「今さら?」
セラが返す。
ハヤトは倒れた魔物へ走った。
起き上がる前に首元へ剣を入れる。
今度は動かなかった。
「一匹!」
残る一匹へ振り返る。
ちょうどセラの炎を避けた魔物が、カイルへ向かっていた。
「カイル!」
「見えてる!」
カイルは逃げるのではなく、壁際へ走った。
魔物が追う。
距離が縮まる。
「何してるの!?」
セラが声を上げる。
カイルは壁ぎりぎりまで引きつけ、直前で身体を横へ投げた。
勢いのついた魔物は止まれない。
巨体が石壁へ激突する。
「今だ!」
「レグ!」
「うん!」
ハヤトが呼ぶより早く、レグが走っていた。
今度は殴らない。
壁にぶつかって動きの止まった魔物の背中へ飛び乗ると、棘を避けながら首を両腕で押さえ込んだ。
「ハヤト!」
「そのまま!」
ハヤトが一気に距離を詰める。
剣を首元へ。
一度。
さらにもう一度。
魔物の身体から力が抜けた。
レグがすぐに離れる。
静かになった。
誰も次の魔物が来ないか、しばらく周囲を警戒していた。
「……終わり?」
セラが息を整えながら聞く。
レグは鼻を動かす。
「近くには、いない」
「よし」
ハヤトは剣を下ろした。
その瞬間。
「クロ!」
レグが走る。
戦っている間、通路の端で伏せていたクロのところへしゃがみ込む。
「だいじょうぶ?」
クロは顔を上げた。
小さく鳴く。
「セラ」
「分かってる」
セラもすぐ隣へ座る。
「傷見せて」
クロが低く唸った。
「怖がってる?」
「いたいから」
レグがクロの首元へ手を置く。
「だいじょうぶ。セラ、なおす」
言葉が通じているのかは分からない。
ただ、レグが触れているとクロの唸り声が少しずつ弱くなった。
セラはまず脇腹の傷を見る。
「深くはない。でも脚の方がちょっとまずいかも」
「なおる?」
「やってみる」
セラの手から淡い光が広がる。
最初こそ身体を強張らせていたクロも、しばらくすると動かなくなった。
ハヤトはその様子を眺めながら、ようやく大きく息を吐く。
「戻ってきて正解だったな」
「そうだな」
横からカイルが答える。
「意外」
「何が?」
「魔物のために戻るの、反対するかと思った」
「俺は危険だと言っただけだ。助けるなとは言ってない」
「へえ」
「何だその顔」
「ちょっと見直した」
「最初の評価どれだけ低いんだよ」
「怪しい人だったから」
「今もだろ」
「自分で言うんだ」
セラが治療しながら笑った。
「ハヤトとカイル、意外と似てるかも」
「どこが?」
二人の声が重なった。
一瞬、沈黙する。
「……今のところ」
セラが言う。
「全然似てない」
ハヤトもすぐ返した。
「俺もそう思う」
カイルまで頷く。
「ほら、そういうところ」
「どこだよ」
少しだけ空気が緩んだ。
やがてセラが手を離す。
「全部は治してないよ。動けるくらいにはしたけど、今日は休ませた方がいい」
クロがゆっくり身体を起こす。
前脚を一度床へつけ、確かめるように体重をかけた。
「いたくない?」
レグが聞く。
クロは鼻先をレグの肩へ軽く押しつけた。
「……なついてない?」
ハヤトが言う。
「うん」
レグは嬉しそうだった。
「クロ、いっしょにいく?」
クロはレグを見た。
それから通路の奥を振り返る。
さっきまで自分がいた場所。
少しの間、動かない。
「行きたくないなら、無理しなくていいぞ」
ハヤトが言った。
レグも何も急かさず待っている。
クロはもう一度奥を見たあと、ゆっくりレグの横へ移動した。
「くる?」
尾が一度、床を叩いた。
「くる」
「本当にそれ返事なの?」
セラが笑う。
「返事」
「レグがそう言うなら、そうなのかもな」
ハヤトが剣を鞘へ戻す。
そのとき、カイルが倒した魔物のそばでしゃがみ込んだ。
「何してる?」
「見ろ」
呼ばれて近づく。
カイルが指しているのは魔物の首元だった。
毛に隠れて見えにくいが、小さな痕がある。
輪の跡。
「こいつも鎖につながれてた?」
「それだけじゃない」
カイルが毛を少し避ける。
皮膚に、細い傷が何本も残っていた。
自然についたものには見えない。
規則正しい。
「これ……」
「切った跡だ」
カイルの表情が険しくなる。
「何か埋め込まれてた可能性がある」
「埋め込む?」
「身体を変えるためのものかもしれない」
ハヤトは死んだ魔物を見る。
森で最初に見たときは、ただ異常な魔物だと思った。
だがここまで来ると、見え方が変わる。
こいつらも、最初からこうだったわけではない。
「クロには?」
レグが聞いた。
カイルがクロへ視線を向ける。
「調べないと分からない」
「きる?」
「切らない」
「ほんと?」
「そんな怖い顔するな」
レグは真顔だった。
「クロに、へんなことしないで」
「しない」
カイルは少しだけ目を逸らした。
「……俺も、こういうのは好きじゃない」
その声には、これまでとは違うものが混じっていた。
「何かあった?」
ハヤトが聞く。
「そのうち話す」
「またそれか」
「一つずつ話すって約束だっただろ」
「まだ続いてたの?」
「俺はそのつもりだ」
ハヤトは少し笑った。
「じゃあ覚えとく」
今度こそ出口へ向かう。
レグの隣をクロが歩く。
首から垂れた鎖が、歩くたびに床を擦った。
ガリ。
ガリ。
少し進んだところで、レグがその音を気にするように振り返った。
「これ、いらない」
「鎖?」
「うん」
首の輪から伸びているだけで、もう何かにつながっているわけではない。
「外せるかな」
ハヤトが金具を見る。
鹿につけられていたものより古く、留め具も錆びている。
「カイル、魔力吸うやつ?」
「その型なら違うと思う。古い拘束具だ」
「なら外していい?」
「ああ」
ハヤトが剣先を差し込み、壊さない程度に力をかける。
一度では外れない。
もう一度。
金具が音を立てて開いた。
首輪が床へ落ちる。
長い鎖も一緒だった。
ガシャン、と音が響く。
クロは一度その鎖を見た。
そして、何事もなかったように前を向く。
「軽くなった?」
レグが聞く。
クロの尾が一度動いた。
「なったって」
「本当かな」
セラが笑う。
レグは気にしなかった。
「じゃあ、いこ」
クロと並んで歩き始める。
今度はもう、鎖を引きずる音はしなかった。




