古い光
男が走れと叫んだ直後、通路の壁に浮かんだ光が一気に広がった。
細い線だったものが文字のような形を作りながら次々と奥へ伸び、天井、床、さらに隣の部屋へとつながっていく。遺跡全体に血が通い始めたような、不気味な光景だった。
「こっちだ!」
男が先に走り出す。
「待て、出口そっちじゃないだろ!」
「来た道はもう使えない!」
「なんで分かるんだよ!」
「見れば分かる!」
言われて振り返った瞬間、遠くで大きな音が響いた。
石と石がぶつかる鈍い音。
来た方向の通路で、天井から分厚い壁が落ちている。
「……ほんとに塞がってる」
「だから言った!」
「先に理由言えよ!」
「走りながら説明できるか!」
できなくはないだろ、と言い返したかったが、今は黙ってついていく方がよさそうだった。
セラとレグもすぐ後ろに続く。クロは誰より早く状況を理解したらしく、鎖を鳴らしながら男の横まで走っていた。
遺跡の揺れは少しずつ大きくなっている。
崩れるような揺れとは違う。
どこか遠くで巨大な歯車でも動いているような、一定の振動だった。
「これ、遺跡が動いてるの?」
走りながらセラが聞く。
「そうだ!」
「何が起きてるの!」
「封鎖だ!」
「それだけじゃ分かんないって!」
「俺も全部は知らん!」
男が角を曲がる。
三人も続く。
さっき通った場所とは違う。壁に並んでいた小部屋も鎖もなく、細い通路がひたすら下へ続いていた。
「下行ってない?」
ハヤトが気づく。
「出口は?」
「この先に別の通路がある!」
「あるんだな?」
「前に来たときはあった!」
「前に来てんじゃねえか!」
「今それ重要か!?」
「あとで絶対聞くからな!」
男は答えなかった。
やはり、この遺跡を知っている。
しかも一度や二度ではなさそうだった。
しばらく走ったところで、突然クロが足を止めた。
「クロ?」
レグも止まる。
男が数歩先で振り返った。
「何してる、急げ!」
「まって」
レグは横の壁を見ていた。
何もない。
少なくともハヤトにはそう見えた。
「レグ、何かいる?」
「いる……じゃない」
「じゃあ何?」
レグが壁へ一歩近づく。
その瞬間だった。
壁に新しい光が走った。
「触るな!」
男の声が飛ぶ。
だがレグは触っていない。
目の前の石壁が、低い音を立てて左右へ割れ始めた。
「……何だこれ」
隠し扉だった。
奥には別の通路が続いている。
ハヤトは男を見る。
「これも知ってた?」
「知らない」
今度は即答だった。
男自身も驚いている。
「じゃあなんで開いたの?」
セラが聞く。
「俺に聞くな」
男の視線がレグへ向く。
三人とも同じことを考えた。
「レグ、何かした?」
「してない」
「本当に?」
「みただけ」
「見ただけで開く扉って何だよ……」
レグは首を傾げている。
そのとき、元の通路の奥から音がした。
金属。
いや、鎖。
大量の鎖が一度に引きずられるような音が、こちらへ近づいている。
クロが全身の毛を逆立てた。
「話はあとだ!」
男が隠し通路を指す。
「入るぞ!」
「そっち出口につながってる?」
「知らん!」
「さっきより悪化してるじゃん!」
「ここに残るよりましだ!」
確かにそうだった。
ハヤトはセラとレグを先に入れ、自分も続く。男とクロが最後に飛び込んだ直後、扉は勝手に閉まり始めた。
隙間が狭くなる。
その向こうの暗闇から、何かが姿を見せた。
四つ足。
一匹ではない。
二匹。
三匹。
さらにその後ろにもいる。
森で戦ったものと同じように身体の形が崩れ、前脚や背中が異常に発達した魔物たちだった。
「まだあんなにいたのかよ」
ハヤトが剣を抜くより先に、扉が閉じた。
鈍い衝撃音が向こう側から響く。
一度。
二度。
石壁は揺れたが、開く気配はない。
「……助かった?」
セラが息を整えながら壁を見る。
「今のところは」
男も壁から少し離れた。
「ここの扉は厚い。すぐには壊れないはずだ」
「知らないって言ってなかった?」
「構造見ればそれくらい分かる」
「便利だな、その言い方」
ハヤトが返すと、男は一度だけこちらを睨んだ。
「それより、そいつだ」
指した先にはレグがいる。
「何?」
「今の扉をどうやって開けた?」
「だから、なにもしてない」
「そんなわけ――」
「レグが嘘つく理由ないだろ」
ハヤトが間に入る。
男は言葉を止めた。
「……それはそうだな」
意外と引くのが早い。
セラが息を整えながら壁の光を見る。
「でも、レグが近づいたら開いたのは確かだよね」
「うん」
「壁の絵も、冊子の印も何か知ってるって言ってたし……」
レグは自分でも分からないようで、閉じた扉を見つめている。
「ここ、へん」
「どういう意味?」
「レグのこと、しってるみたい」
さっきの魔物に対しても似たようなことを言っていた。
今度は場所そのもの。
ハヤトは何も答えず、周囲へ灯りを向けた。
隠し通路は今まで歩いてきた場所と雰囲気が違う。壁に傷や鎖はなく、床にも埃がほとんど積もっていない。
何より、壁に走る光が消えていない。
一定の間隔で、淡い白色の線が奥へ続いている。
「これ、道みたいだな」
「奥へ行けってこと?」
セラが言う。
「そうだったら嫌だな」
「でも戻れないよ」
「それなんだよな」
後ろでは今も魔物が扉へ体当たりしている。
なら進むしかない。
「ちょっと待て」
男が口を挟んだ。
「その前に確認したい」
「何?」
「お前たちは、あの女をどこで見つけた?」
ハヤトの表情が変わる。
「女ってレグ?」
「ああ」
「何で?」
「答えてくれ」
「先にあんたが誰なのか言えよ」
今まで何度もはぐらかされている。
さすがにこれ以上、一方的に話すつもりはなかった。
男はハヤトを見たあと、セラ、そしてレグへ順番に視線を移した。
少し考える。
「……カイル」
「ん?」
「俺の名前だ」
「名前聞いてないけど」
「まずそこからだろ」
「まあ、それはそうか」
ようやく名前が分かった。
「俺はカイル。この遺跡を調べてる。正確には、ここみたいな場所をいくつか追ってる」
「いくつか?」
「ああ。ここだけじゃない」
ハヤトは少し眉を寄せた。
「同じ遺跡がほかにもある?」
「似た施設が、東に点々と残ってる」
「何の施設?」
「それを調べてる」
「またそれかよ」
「本当に全部分かってないんだ」
カイルは苛立つでもなく答えた。
「分かってるのは、生き物を弄っていたこと。獣だけじゃない。それから――」
その視線がレグへ向く。
「竜も対象だった」
空気が少し重くなった。
レグは何も言わない。
ハヤトはカイルから目を離さなかった。
「だからレグを見てた?」
「そうだ」
「人の姿なのに?」
「だからだよ」
カイルの返事は早かった。
「何?」
「人の姿を取る竜について、古い記録がある」
三人の間に沈黙が落ちる。
ハヤトが東へ向かうきっかけになった記録。
まさにそれだった。
「その話、どこで知った?」
「逆だ。俺が聞きたい」
カイルの顔から、それまでの曖昧な態度が少し消えた。
「お前たちは、何を追ってここまで来た?」
ハヤトはすぐには答えなかった。
この男を信用していいのかは、まだ分からない。
ただ少なくとも、自分たちと無関係な人間ではなさそうだった。
「……人の姿を取った竜」
セラが先に口を開いた。
カイルが彼女を見る。
「東に古い記録が残ってるって聞いた。それで私たちは旅に出たの」
「どこでその記録を?」
「それはまだ言わない」
セラははっきり返した。
「そっちだって全部話してないでしょ?」
一瞬、カイルが黙る。
それから小さく笑った。
「確かに」
ハヤトも少し驚いた。
普段は柔らかいセラだが、こういうところは意外と譲らない。
「じゃあ一つずつだ」
カイルが言う。
「俺が一つ話す。そっちも一つ話す。それでどうだ?」
「取引?」
「そんな大げさなもんじゃない」
「でも悪くないか」
ハヤトはセラを見る。
「私はいいよ」
レグにも目を向ける。
「レグは?」
「よくわかんない」
「だよな」
本人が一番関係しているのに、話だけなら一番置いていかれている。
レグが少し考え、カイルを見る。
「レグのこと、わかる?」
真っ直ぐな問いだった。
カイルはすぐに答えなかった。
「少しだけなら」
「じゃあ、きく」
「……分かった」
その返事を聞いて、レグは頷いた。
話を始めようとした、そのとき。
通路の奥で光が強くなった。
一番先の壁。
そこに、また新しい線が浮かび上がる。
今度は文字ではない。
形だった。
大きな翼。
長い尾。
そして、その前に立つ人の姿。
「また竜……」
セラが呟く。
レグが一歩前へ出る。
壁の光がさらに強くなった。
カイルの顔色が変わる。
「近づくな」
「でも」
「レグ、待て」
ハヤトも声をかける。
その直後。
光の中から、声が聞こえた。
低く、掠れた声。
古い言葉なのか、ハヤトにもセラにも意味は分からない。
ただ一人。
レグだけが動きを止めた。
「……レグ?」
振り返った顔は、驚いていた。
「いまの」
「分かったの?」
レグはゆっくり頷いた。
「レグ、っていった」
通路から、もう一度声が響いた。




