第7話 好きに生きるための第一歩
グレイウルフの変異種を討伐した翌朝。
ハヤトは、いつものように冒険者ギルドへ顔を出していた。
昨日持ち帰った討伐証明を確認してもらった結果、依頼達成の報酬に加え、変異種の討伐分まで上乗せされた。
受付台の上に並べられた硬貨を見て、ハヤトは思わず身を乗り出す。
「これ、全部?」
「全部です」
ミレイが呆れたように答えた。
銀貨だけではない。
その中には、異世界に来て初めて見る金貨まで混じっていた。
ハヤトは一枚を摘まみ、光にかざしてみる。
「おお……金貨」
「そんなに珍しいものを見る顔をしなくても」
「初めて持ったんだから仕方ないでしょ」
向かいではセラが腕を組んでいる。
「子供みたい」
「昨日、金貨五十枚欲しいって言ってた人に言われたくないな」
「それとこれは別よ」
治癒術院への入学費。
金貨五十枚。
昨日までは、セラにとって現実味のない金額だったらしい。
だが変異種一体で普段より大きな報酬を得たことで、少しだけ表情が変わっていた。
まだ遠い。
それでも、絶対に届かない数字ではない。
「セラさんの分はこちらです」
ミレイから報酬を受け取ったセラは、金貨をしばらく見つめてから財布へしまった。
以前なら、その金で新しい杖や魔術書を買っていたのかもしれない。
ハヤトは何も聞かなかった。
何に使うかは、セラが決めればいい。
「ところでハヤトさん」
ミレイが声を落とした。
「支部長がお呼びです」
「俺?」
「はい」
「何かやった?」
「その反応が最初に出る時点で、少し心当たりがありそうですね」
「ないですって」
たぶん。
ハヤトは少し不安になりながら、ギルドの奥へ案内された。
通されたのは小さな応接室だった。
机の向こうに、白髪交じりの大柄な男が座っている。
顔には古い傷。
腕はハヤトの太腿ほどもありそうだった。
冒険者を引退した今でも、まともに戦えば一瞬で負ける。
そう思わせる男だ。
「神崎ハヤトだな」
「はい」
「俺はガルド。このラーデン支部を預かっている」
冒険者ギルド支部長、ガルド。
ハヤトが椅子へ座ると、ガルドは一枚の書類を机に置いた。
「お前のことはミレイから聞いている」
「職業がない件ですか?」
「それもある」
嫌な予感がする。
《自由》のことまで知られているのだろう。
隠しているつもりはなかったが、わざわざ広めたいとも思っていない。
ガルドはしばらくハヤトを観察したあと、書類を指で叩いた。
「先に言っておく。責めるために呼んだわけじゃない」
「じゃあこれは?」
「職業登録の申請書だ」
ハヤトは紙へ目を落とした。
剣士。
魔術師。
斥候。
武闘士。
いくつもの職業名が並んでいる。
その横には、選択欄。
「お前は現在、職業なしで冒険者登録されている。今のランクなら問題ないが、今後昇格すれば職業情報が必要になる場合がある」
「職業を決めろってことですか?」
「正確には、便宜上どれか一つ登録しておけという話だ」
ガルドは椅子の背にもたれた。
「実際に何を使うかは自由だ。剣士として登録して魔法を使ったところで、ギルドが罰することはない」
悪い話ではない。
むしろハヤトが困らないよう、先回りしてくれている。
適当に剣士とでも書いておけば、それで済むのだろう。
ハヤトはペンを取った。
剣士。
魔術師。
どちらでもいい。
登録上だけなのだから。
そう思って――手が止まった。
どれか一つを選ぶ。
ただ書類に名前を書く、それだけのことだ。
なのに妙な違和感があった。
せっかく、この世界では何にでも挑戦できる。
剣も。
魔法も。
これから覚える何かも。
なのに、自分から「俺はこれだ」と枠を作る必要があるのだろうか。
「……これ、断ってもいいですか?」
ガルドの眉が上がる。
「理由を聞こうか」
「特に困ってないので」
「今後、昇格時に面倒が増えるかもしれんぞ」
「その時はその時で考えます」
ハヤトは書類を机へ戻した。
「せっかく何にでもなれるのに、今から一つに決めたくないんです」
数秒。
部屋が静かになる。
怒られるかと思った。
ところがガルドは、低く笑った。
「ミレイの言っていた通りだな」
「何て言ってました?」
「面倒な奴だと」
「絶対ちょっと違うでしょ、それ」
「だが嫌いじゃない」
ガルドは書類を引き戻した。
「好きにしろ。ただし、自分で選んだ結果の責任まで他人に押しつけるなよ」
ハヤトは頷く。
「それは分かってます」
自由に生きる。
それは、何をしても許されるという意味ではない。
自分で決めるなら、失敗した時も自分で受け止める。
少なくともハヤトは、そういう自由が欲しかった。
部屋を出る。
廊下の先では、セラが壁にもたれて待っていた。
「遅かったわね」
「待ってたの?」
「たまたまよ」
「はいはい」
「その言い方やめなさい」
二人で依頼掲示板の前へ戻る。
「で、何だったの?」
「職業を一つ登録しないかって」
「何にしたの?」
「断った」
セラの足が止まった。
「……なんで?」
「決めたくないから」
一瞬呆れた顔をしたあと、セラは額を押さえた。
「あなた、本当にそういうところあるわね」
「褒めてる?」
「褒めてない」
とは言いながら、セラは少し笑っていた。
二人で掲示板を見る。
討伐。
採取。
護衛。
荷物運び。
様々な依頼が並んでいる。
昨日までなら、ハヤトは報酬額から見ていた。
今日は少し違った。
「これ面白そうじゃない?」
一枚の依頼書を剥がす。
セラが横から覗き込む。
《旧街道遺跡・内部調査》
ラーデンから徒歩で約二日。
旧街道沿いにある小規模な遺跡で、最近になって魔物の目撃が増えている。
内部の状況確認と、危険な魔物がいた場合の排除。
「遺跡……」
ハヤトの目が自然と輝いた。
「行きたい」
「即決ね」
「だって遺跡だぞ?」
「だから何よ」
「異世界の遺跡だぞ?」
セラは理解できないという顔をしている。
ハヤトにとっては、それだけで十分だった。
剣と魔法。
魔物。
そして古代遺跡。
元の世界にいた頃なら、ゲームや物語の中でしか体験できなかったものばかりだ。
「片道二日よ。野宿もある」
「最高じゃん」
「何が?」
「冒険っぽくて」
セラが盛大にため息をついた。
「あなた、たまに二十九歳とは思えないわ」
「異世界歴十日だから許してくれ」
依頼書の下部には、二人以上推奨と書かれている。
ハヤトはセラを見る。
「行く?」
「……報酬は?」
二人で金額を見る。
昨日のグレイウルフ討伐より高い。
セラの目がわずかに細くなった。
「悪くないわね」
「決まりだな」
「まだ準備が必要よ。食料、寝具、薬。それからあなたは盾を買い替えなさい」
「昨日割れたからなあ」
「あとまともな防具」
「まだ言う?」
「言うわよ」
ミレイへ依頼書を持っていくと、彼女は少し驚いたものの、昨日の変異種討伐実績を確認して受理してくれた。
出発は明日の朝。
初めての泊まりがけの依頼だ。
その日の午後。
ハヤトは報酬を使って買い物をした。
新しい盾。
革製の胸当て。
寝袋代わりの毛布。
携帯食。
予備の水筒。
財布は一気に軽くなったが、不思議と惜しくはなかった。
必要だから買う。
やりたいことのために使う。
その感覚にも、少しずつ慣れてきている。
そして夜。
ハヤトはいつもの安宿ではなく、一段上の宿の前に立っていた。
「……今日はこっちにするか」
明日から二日以上歩くのだ。
それなら今日は、ちゃんと休みたい。
以前の自分なら、一番安い部屋で十分だと考えていただろう。
今は違う。
払える。
泊まりたい。
なら泊まる。
それだけだった。
部屋には柔らかいベッドがあり、久しぶりに湯の張られた風呂にも入れた。
夕食は厚切りの肉と温かいスープ。
満腹になったハヤトは、窓辺の椅子へ腰を下ろす。
外にはラーデンの街が広がっている。
通りを照らす魔法灯。
夜になっても賑わう酒場。
遠くから聞こえる馬車の音。
十日前。
自分は終電間際の電車に揺られていた。
明日の仕事を考えながら、行きたかった飲み会を諦めて。
やりたいことより、やらなければならないことばかりを優先していた。
今は。
剣を覚えた。
魔法を使った。
魔物と戦った。
誰かと組んで依頼を達成した。
食べたいものを食べ、自分で行き先を決めている。
そして明日は、遺跡へ行く。
理由は単純。
行ってみたいから。
ハヤトは窓を開けた。
夜風が部屋へ入ってくる。
「……悪くないな」
言ってから、首を振る。
違う。
かなり楽しい。
これから何になるのか。
どれくらい強くなるのか。
この世界で何を成し遂げるのか。
今は決めなくていい。
世界を救いたいわけじゃない。
英雄になりたいわけでもない。
明日は遺跡へ行きたい。
だから行く。
その次にやりたいことは、その時に決める。
ハヤトは窓を閉め、ベッドへ向かった。
この世界へ来た理由なんて、今のところ分からない。
けれど一つだけ、もう迷わないことがある。
自分の人生を、誰かに決めてもらうつもりはない。
明日の支度を終え、灯りを消す。
神崎ハヤトの異世界生活は――ようやく、本当の意味で始まろうとしていた。




