第6話 やりたいなら,やればいい
森の奥へ進んでから、しばらくは何も起きなかった。
鳥の鳴き声と、風に揺れる葉の音。
それだけが続く。
ハヤトは周囲を警戒しながら歩いていたが、隣のセラはさっきから妙に静かだった。
治癒魔法の話をして以来、ほとんど口を開いていない。
気まずくなったのかと思ったが、表情を見る限り怒っているわけでもなさそうだった。
何かを考えている。
そんな顔だった。
「さっきの話、気にしてる?」
ハヤトが聞くと、セラは前を向いたまま答えた。
「少しだけ」
「余計なこと言ったかな」
「そういう意味じゃないわ」
しばらく間が空く。
「ただ……あんなふうに言われたの、初めてだったから」
「どんなふうに?」
「やりたいなら、やればいいって」
ハヤトは首を傾げた。
「そんな変なこと言った?」
「この世界じゃ、結構変よ」
セラは苦笑した。
「職業は、その人の人生そのものだから。向いていることを伸ばして、向いていないことは諦める。それが普通」
「効率は良さそうだけどな」
「そうね。たぶん正しいわ」
セラはそう言ってから、少しだけ視線を落とした。
「でも、正しいことと、納得できることって違うのね」
その言葉には、ハヤトも少しだけ考えさせられた。
元の世界でも似たようなことはあった。
安定しているから。
せっかくここまで続けたから。
今さら変えるのはもったいないから。
正しい理由はいくらでもあった。
そして、その正しさに流されているうちに、自分で選ぶことを忘れていた。
「まあ、俺も偉そうなこと言える立場じゃないけどな」
「どうして?」
「俺だって元の世界じゃ、やりたいこと後回しにしてばっかだったし」
「元の世界?」
セラが怪訝そうに見る。
しまった。
まだそこまで詳しく話していなかった。
「俺、たぶんこの世界の人間じゃないんだよ」
「……は?」
「気づいたら森にいた。国も知らない。魔法も見たことなかった」
セラは立ち止まった。
「それ、本気で言ってる?」
「本気」
「そんなことって……」
「あるみたいだぞ。俺が一番驚いてる」
セラはしばらく何も言えない様子だったが、やがて小さく息を吐いた。
「職業なしで、変な固有能力を持ってて、そのうえ別の世界から来た?」
「並べると怪しいな」
「怪しいどころじゃないわよ」
それでも、セラはそれ以上疑わなかった。
ハヤトの《自由》を見た後では、多少おかしな話にも耐性ができているのかもしれない。
二人が再び歩き始めて数分。
前方の茂みが揺れた。
セラの表情が変わる。
「来る」
ハヤトも短剣へ手をかけた。
飛び出してきたのはグレイウルフ。
一匹。
依頼の残りは二匹だが、単独で動いている個体もいるらしい。
「俺が前に出る」
「分かった」
ハヤトが構える。
狼が低く唸り、そのまま突進してきた。
さっきの三匹と比べれば落ち着いて見える。
盾で進路を逸らし、横へ回る。
短剣を振る。
浅い。
狼がすぐに向きを変えた。
だが、その瞬間にはセラの詠唱が終わっていた。
「《火球》!」
炎が直撃する。
狼はその場に倒れた。
「これで四匹」
セラが杖を下ろす。
「あと一匹だな」
ハヤトは討伐証明を回収しようと近づいた。
その時だった。
少し離れた場所から、重い唸り声が聞こえた。
先ほどまでとは明らかに違う。
二人が同時に顔を上げる。
木々の間から現れたのは、最後のグレイウルフだった。
だが。
「……でかくない?」
ハヤトが呟く。
通常の個体より一回り以上大きい。
肩の高さはハヤトの腰を超え、背中の毛は灰色ではなく黒に近い。
口元から覗く牙も長い。
セラの顔から余裕が消えた。
「変異種よ」
「強い?」
「普通のグレイウルフとは比べない方がいい」
「逃げた方がいい?」
ハヤトが聞く。
セラは少しだけ考えた。
「討伐できれば、追加報酬が出るわ」
「……気が合うな」
「今のは聞かなかったことにして」
変異種が地面を蹴った。
速い。
ハヤトは盾を構えた。
直後、強烈な衝撃。
「ぐっ……!」
身体ごと押し飛ばされる。
どうにか転倒は免れたものの、左腕が痺れた。
「重すぎるだろ!」
通常個体とはまるで違う。
正面から受けたら持たない。
変異種が再びこちらを見る。
ハヤトは盾を下げた。
「受けるのは無理だな」
「なら避けて!」
「そうする!」
二度目の突進。
《身体強化》。
正面から受けず、ぎりぎりまで引きつける。
横へ跳ぶ。
爪が服を掠めた。
セラが魔法を放つ。
「《火球》!」
変異種は身体を捻ってかわした。
「避けた!?」
「普通の個体より頭もいいわ!」
変異種がそのままセラへ向かう。
まずい。
「こっちだ!」
ハヤトは《水弾》を撃った。
顔面へ直撃。
一瞬だけ変異種の動きが止まり、こちらへ注意が戻る。
だが、それだけだ。
威力が足りない。
次の瞬間、再び突進が来る。
ハヤトは後退しながら周囲を見る。
倒せる火力を持っているのはセラ。
なら自分の仕事は、当てられる状況を作ること。
足元。
土。
そして、自分が使える水。
「……やってみるか」
ハヤトは地面へ掌を向けた。
「《水弾》!」
狙ったのは敵ではない。
変異種が走る、その先の地面。
水が土へぶつかり、一部が泥に変わった。
「何してるの!?」
セラの声。
変異種が飛び込んでくる。
前脚が泥を踏んだ。
ほんのわずか。
本当に一瞬だけ、足が滑る。
だが。
それで十分だった。
「今!」
ハヤトが叫ぶ。
セラはすでに杖を構えていた。
詠唱は終わっている。
「《炎槍》!」
圧縮された炎が一直線に飛ぶ。
避ける余裕を失った変異種の肩を貫いた。
大きな身体が横倒しになる。
それでも終わらない。
変異種は立ち上がろうとした。
「しぶといな……!」
ハヤトは走った。
短剣を握り直し、傷口へ刃を突き込む。
暴れる身体。
腕に衝撃が伝わる。
それでも離さなかった。
数秒後。
変異種の力が抜けた。
ハヤトはゆっくり短剣を引き抜いた。
静寂が戻る。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
ハヤトはその場に座り込む。
「……勝った?」
「勝ったみたい」
セラも近くの木へ背を預けた。
盾を見る。
表面には大きなひび。
腕もまだ痛い。
楽勝とは程遠い。
「もう一回やれって言われたら嫌だな」
「同感」
しばらくして、セラが小さく笑った。
「水魔法を地面に撃つ人、初めて見た」
「敵に撃っても効かなかったからな」
「普通、水魔術師ならもっと強い術を覚えるのよ」
「俺、水魔術師じゃないし」
セラが一瞬黙ったあと、また笑った。
今度はさっきより自然だった。
討伐証明を回収し、二人は街へ戻ることにした。
帰り道。
小川のそばで休んでいると、セラが突然口を開いた。
「王都に、治癒術院があるの」
「治癒術院?」
「本来は神官系の職業を持つ人間が通うところ。でも、ごく少数だけど別職の人間も治癒魔法を研究してる」
ハヤトは水筒を置いた。
「あるじゃん」
「何が?」
「方法」
セラは少し不満そうに眉を寄せる。
「簡単じゃないわ。入学するだけで金貨五十枚よ」
ハヤトは、この十日ほどで覚えた金銭感覚を思い出す。
「……高いな」
「でしょ?」
初心者冒険者が普通に働けば、数年かかってもおかしくない金額だ。
「だから諦めたの?」
「現実的じゃないもの」
「稼げばいいじゃん」
セラが呆れた顔をする。
「あなた、本当に簡単に言うわね」
「簡単だとは言ってない」
ハヤトは小川の水へ視線を落とした。
「大変なのと、無理なのって違うだろ」
セラは何も言わない。
「数年かかるなら数年やればいい。途中でやっぱり違うと思ったら、その時やめればいいし」
「……それでいいの?」
「いいんじゃない?」
ハヤトは肩をすくめた。
「少なくとも俺は、やらなかったことの方を後悔したくない」
元の世界で、自分は何度もそうしてきた。
また今度。
そのうち。
落ち着いたら。
結局、やらないまま終わったことはいくつもある。
今度は同じことをしたくない。
「俺はそうする」
セラはしばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐く。
「金貨五十枚か……」
さっきまでとは少し違う声だった。
諦めた人間の声ではない。
どうやって稼ぐか考え始めた人間の声だった。
ハヤトは何も言わなかった。
本人が決めればいい。
それで十分だ。
夕方。
ラーデンの街が見えてきた。
門へ続く道を歩いていると、後ろから呼ばれる。
「ハヤト」
「ん?」
振り返る。
セラは少しだけ視線を逸らしていた。
「次の依頼」
「次?」
「内容によっては……また一緒に行ってあげてもいいわ」
ハヤトは数秒黙った。
「それ、誘ってる?」
「違うわよ。あなた一人だと危なそうだから」
「はいはい」
「何その返事」
昨日まで一人で仕事をしていた。
それが今日は、次の予定を一緒に考える相手がいる。
悪くない。
むしろ、かなり楽しい。
ハヤトは前を向き直った。
「じゃあ、報酬高いやつ探そうぜ」
「まず内容を見なさいよ」
二人の声が、夕暮れの街道に重なった。




