第5話 火炎魔術師セラ
冒険者になって十日ほどが経った。
朝のギルドで、ハヤトは掲示板に貼られた依頼書を眺めていた。
薬草採取や害獣退治にはだいぶ慣れた。角兎程度なら複数を相手にしても戦えるようになり、そろそろ一段上の依頼に挑戦してもいい頃だと思っている。
そんな中、一枚の依頼書が目に留まった。
《グレイウルフ討伐》
街から半日ほど離れた森に群れが現れ、商人や旅人が襲われているらしい。
討伐対象は五匹。
報酬も今まで受けてきた依頼よりかなり高い。
「これにしようかな」
依頼書を剥がして受付へ持っていく。
ところがミレイは内容を確認すると、すぐには受理しなかった。
「この依頼は二名以上での受注が条件です」
「一人じゃダメ?」
「ダメです」
即答された。
「最近ちょっと強くなったんだけど」
「最近ちょっと強くなった人が、一番危ない時期なんです」
言い返せない。
ミレイは依頼書を机に置くと、ギルドの中を見回した。
「ちょうどいいですね」
「何が?」
ミレイの視線を追う。
少し離れた受付で、一人の少女が職員と言い合っていた。
「だから、一人で平気だって言ってるでしょ」
「規則なので無理です」
「五匹程度よ?」
「五匹でも条件は条件です」
腰まで伸びた赤い髪。
細身の身体を包む黒いローブ。
腰には短い杖が提げられている。
年齢はハヤトよりいくらか下だろう。
顔立ちは整っているのだが、今はかなり機嫌が悪そうだった。
ミレイがその少女へ声をかける。
「セラさん」
「何?」
「こちらの方も同じ依頼を希望しています。お二人で受けてはいかがですか?」
少女――セラがこちらを見る。
頭から足元まで一度眺めてから、はっきりと言った。
「嫌よ」
「早くない?」
ハヤトは思わず返した。
まだ名前すら名乗っていない。
「知らない相手と組むくらいなら、別の依頼にするわ」
「俺も無理に組みたいわけじゃないけど」
二人の視線がミレイへ向く。
ミレイは笑顔だった。
「今日この依頼を受けられそうな同ランク帯の冒険者は、お二人だけですね」
沈黙。
セラが依頼書を見る。
ハヤトも見る。
報酬は惜しい。
十分後。
二人は街の外を歩いていた。
「火炎魔術師、セラ・アーヴェル」
セラが前を向いたまま名乗る。
「二十一歳。魔術が攻撃の中心だから、前衛はお願い」
「神崎ハヤト。二十九歳」
少し考えてから付け加える。
「職業なし」
セラが足を止めた。
「何それ」
「職業がない」
「聞こえてるわよ。ふざけてるの?」
「ふざけてないんだけどな……」
最近この説明をする回数が増えてきた。
ハヤトは《自由》について簡単に話した。
職業を持っていないこと。
本来なら習得できない複数系統の技能を覚えられること。
もっとも、セラの反応は予想通りだった。
「そんな話、信じられるわけないでしょ」
「まあ、そうだよな」
無理に信じてもらう必要もない。
そのまま森へ入り、一時間ほど進んだところで最初のグレイウルフを見つけた。
狼によく似た魔物だが、普通の狼より一回り大きい。
灰色の毛の間から鋭い牙が覗いている。
しかも一匹ではない。
三匹。
「私が詠唱するまで止めて」
先ほどまでの不機嫌さが消え、セラの声が変わる。
ハヤトも短剣と盾を構えた。
「了解」
グレイウルフが動いた。
一匹が正面。
残り二匹が左右へ散る。
こちらを囲むつもりらしい。
正面の一匹が飛びかかってきた。
ハヤトは《身体強化》を使い、一歩横へ。
そのまま盾を狼の肩へぶつける。
重い。
だが姿勢を崩すことには成功した。
「炎よ、集いて――」
背後からセラの詠唱が聞こえる。
右側の一匹がセラへ向かった。
「そっちはダメだ!」
ハヤトは掌を向ける。
「《水弾》!」
放った水の塊が狼の顔面に当たる。
倒せるほどの威力はない。
それでも突然視界を奪われた狼は足を止めた。
その隙にハヤトが横から盾を叩きつける。
「《火球》!」
セラの杖先から炎が放たれた。
火球は狼へ直撃し、激しい炎が身体を包む。
残った二匹が警戒するように距離を取った。
「今、水魔法使った?」
セラが聞く。
「使ったけど」
「なんで?」
「覚えたから」
「そういう意味じゃないわよ!」
戦闘中なのに突っ込まれた。
だが話している暇はない。
二匹が同時に動く。
一匹をハヤトが引きつけ、もう一匹をセラが狙う。
今度は最初より動きやすかった。
前衛と後衛。
役割が分かれているだけで、戦いはかなり楽になる。
ハヤトが盾で狼の爪を逸らす。
そこへ短剣。
深くは入らない。
しかし注意をこちらへ向けられれば十分だった。
「下がって!」
セラの声。
ハヤトは迷わず後ろへ跳ぶ。
次の瞬間。
「《炎槍》!」
細く伸びた炎が一直線に飛び、グレイウルフの身体を貫いた。
「おお……」
思わず声が出る。
《灯火》しか使えないハヤトからすれば、十分すぎるほど派手な魔法だった。
最後の一匹も、二人で挟む形になれば長くは持たなかった。
戦闘終了。
森に静けさが戻る。
ハヤトは短剣についた血を拭きながら、セラを見る。
「強いな」
「これくらい普通よ」
そう言いながら、少し得意そうだった。
討伐証明を回収し、二人はさらに森の奥へ進む。
目的は五匹。
まだ二匹残っている。
「それで」
しばらく歩いたところで、セラが口を開いた。
「さっきの水魔法、本当にどういうこと?」
「言った通りだよ。《自由》って能力のおかげで職業制限がないらしい」
「剣も使ってたわよね」
「あと盾と身体強化も」
セラが足を止める。
「……全部?」
「全部初級だけど」
「そんなの反則じゃない」
「俺もそう思う」
「否定しなさいよ」
セラは呆れた顔をした。
それでも、さっきまでのように疑ってはいないらしい。
実際に見せた以上、信じるしかないのだろう。
昼になり、二人は大きな木の根元で休憩を取った。
ハヤトは街で買った固いパンをかじる。
隣ではセラが水筒を飲んでいた。
「ねえ」
「ん?」
「あなた、最終的に何になるつもり?」
「最終的?」
「上級職よ。剣聖とか賢者とか。職業制限がないなら、選び放題なんでしょ?」
ハヤトはパンをちぎりながら考えた。
「特に決めてない」
セラの手が止まる。
「……は?」
「その時やりたいことやればいいかなって」
「適当すぎない?」
「そうかな」
「普通は十五歳で職業が決まったら、そこからどの上級職を目指すか考えるものよ。人生がかかってるんだから」
「十五歳で一生決める方が、俺は怖いけどな」
セラは少しだけ眉を寄せた。
「途中で別のことやりたくなるかもしれないだろ」
「なったって、できないものはできないわ」
それまでより少し低い声だった。
ハヤトが横を見る。
セラは自分の掌を眺めている。
「私は火炎魔術師。火属性の適性が高い」
「強かったもんな」
「……でも、本当は治癒魔法を使いたかった」
ハヤトは何も言わず続きを待った。
「子供の頃、怪我した弟を神官が治してくれたの。それを見て、ずっと治癒術師になりたかった」
「でも火炎魔術師になった?」
「職業選定でね」
セラは乾いた笑いを浮かべた。
「みんな喜んだわ。火属性の適性が高いなんて恵まれてる。才能を無駄にするなって」
「セラは嬉しくなかった?」
「……嬉しくなかったって言ったら、贅沢なんでしょうね」
才能がある。
だから、その道を選ぶべき。
どこか聞き覚えのある話だった。
ハヤトは残ったパンを口へ放り込んだ。
「じゃあ、治癒魔法やればいいじゃん」
セラがゆっくりこちらを見る。
「話、聞いてた?」
「聞いてたよ」
「できないの」
「今は、だろ?」
「そういう問題じゃ――」
「でも、やりたいと思うくらいは自由じゃない?」
セラが黙る。
ハヤトに彼女の職業制限を解除することはできない。
《自由》が作用するのは、自分自身だけだ。
だから、どうすればセラが治癒魔法を使えるようになるのかなんて知らない。
それでも。
できないから、やりたいと思うことまでやめる。
それは少し違う気がした。
「方法が本当に一つもないなら仕方ないけどさ」
ハヤトは立ち上がり、荷物を背負う。
「探す前から諦めなくてもいいんじゃない?」
セラは何も答えなかった。
ただ、その表情だけは最初に会った時より少し柔らかくなっていた。
「そろそろ行こう。あと二匹だろ」
「……そうね」
二人は再び森の奥へ歩き出した。
しばらくして、後ろから小さな声が聞こえる。
「変な人」
「それ、この世界来てからよく言われるよ」
「でしょうね」
今度の声には、少しだけ笑いが混じっていた。




