崩れた先
穴の前に立つと、森の中より空気がひんやりしていた。
地面が大きく崩れ、その下に隠れていた空間が露出している。入口は人が二、三人並んで通れそうな幅があり、奥はすぐに暗闇へ飲み込まれていた。
ハヤトはしゃがみ込み、崩れた土の下から覗いている黒い岩肌に触れようとして、途中で手を止めた。
「これ、岩……か?」
「違うの?」
セラも隣へしゃがむ。
「分かんない。ただ、妙に平らなんだよな」
土を少し払うと、表面にはほとんど凹凸がなかった。自然に割れた岩というより、誰かが削った石に見える。
さらに端を追うと、真っ直ぐな線まで残っていた。
「作られたものっぽいね」
「俺もそう思う」
森の地面の下に、何かが埋まっていた。
それが最近の崩落で表に出てきたらしい。
レグは入口のすぐそばに立ち、奥から流れてくる空気をじっと感じ取っている。
「匂いは?」
「いっぱいする」
「昨日のやつ?」
「うん。それもある」
「それも、か」
森へ入ってから何度か聞いた言葉だった。
この奥には、少なくとも一つではない何かがある。
「入る?」
セラが聞いてきた。
ハヤトは暗い入口を見る。
「ここまで来て帰る?」
「ハヤトなら言わないと思った」
「聞いた意味ある?」
「一応」
セラが少し笑う。
レグはもう入るつもりらしく、入口へ一歩近づいていた。
「レグ、待て」
「まだはいってない」
「今入ろうとしてただろ」
「ちょっとだけ」
「そのちょっとが危ないんだって」
ハヤトは鞄から灯りを取り出した。
魔力を流すと、白い光が周囲を照らす。
「今度こそ行くぞ」
「うん」
三人でゆっくり中へ入る。
最初の数歩は、崩れた土と石が足元に積もっていた。だが少し進むと地面の感触が変わった。
土ではない。
平らな石。
「やっぱり道だね」
セラの声が洞窟の中へ小さく響く。
「それも、かなりちゃんとした」
壁も自然な岩ではなかった。
大きな石を積んだものではなく、一枚の岩を削り出したように滑らかだ。ところどころひび割れてはいるものの、少なくとも普通の洞窟ではない。
通路は緩やかに下へ続いていた。
「遺跡かな」
「ありそうだな」
「森の下に?」
「埋まったんじゃない? いつからあるのか知らないけど」
何百年も土の下にあったのか。
それとも、もっと最近まで入口が別の場所にあったのか。
まだ判断できない。
奥へ進むにつれ、外の光が届かなくなる。ハヤトの灯りだけが三人の周囲を照らし、その先には黒い通路が続いていた。
レグはさっきからほとんど喋らない。
「大丈夫?」
セラが声をかける。
「うん」
「嫌な感じする?」
「ちょっと」
レグがそう答えるのは珍しかった。
「戻る?」
ハヤトが聞くと、レグはすぐ首を横に振った。
「いく」
「無理しなくていいぞ」
「しりたい」
短い返事だった。
ハヤトはそれ以上止めなかった。
レグ自身が行くと決めているなら、今は隣にいればいい。
少し進んだところで、通路の壁に何かが見えた。
「待って」
セラが足を止める。
「ここ、何か書いてない?」
灯りを近づける。
壁の一部に、浅く彫られた線が残っていた。
文字。
ただし、ハヤトがこれまで見てきたものとは違う。
「読める?」
「無理」
「私も」
いくつもの記号が横に並んでいる。文字だとは思うが、形そのものが見慣れなかった。
「レグは?」
「わかんない」
「さすがに無理か」
レグは文字より、壁そのものを見ていた。
「でも、ここ……」
「何?」
レグが指先で壁を触る。
「しってる?」
「わかんない。でも……へん」
また曖昧な答え。
ただ、今までとは少し違う。
匂いではなく、場所そのものに何かを感じているようだった。
「昔来たことあるとか?」
ハヤトが半分冗談で聞く。
レグはすぐには答えなかった。
「ないと、おもう」
「思う?」
「おぼえてない」
その返事に、ハヤトは言葉を止めた。
レグには、幼い頃の記憶がほとんどない。
ガルドとミレアのことも、断片的にしか覚えていない。
本人ですら知らない何かが、この場所に残っている可能性はある。
「まあ、今はいいか」
「うん」
三人は先へ進んだ。
しばらくすると、通路の幅が少し広がった。
左右の壁に、等間隔で金具が埋め込まれている。
「これ……」
セラが近づく。
黒ずんだ輪。
そこから、切れた鎖が垂れていた。
三人の動きが止まる。
「鹿についてたのと同じか?」
ハヤトは直接触れず、灯りだけ近づけた。
大きさは違う。
だが形はよく似ている。
壁には同じものが何個も並んでいた。
低い位置。
高い位置。
中には鎖そのものが残っているものもある。
「何か繋いでたってこと?」
セラの声が少し硬くなる。
「多分」
人間なのか。
動物なのか。
魔物なのか。
そこまでは分からない。
レグが一つの金具へ近づく。
「匂い、これ」
「同じ?」
「うん」
昨日倒した魔物。
鹿。
森の中で拾った金具。
そしてこの場所。
全部が、ここへつながった。
「じゃあ、あの魔物もここにいた?」
「可能性はあるな」
「誰かが飼ってたとか?」
「飼うっていうより……」
ハヤトは並んだ鎖を見る。
「閉じ込めてたように見える」
セラは何も言わなかった。
通路の先には、さらに大きな空間が見えていた。
三人は警戒しながら進む。
やがて、広い部屋へ出た。
天井は高く、灯りを上へ向けても全体が見えない。壁際には崩れた棚や木箱らしき残骸が並び、中央には石造りの台がいくつも置かれている。
「……何ここ」
「分からん」
一番近い台へ寄る。
表面には深い傷が残っていた。
三本。
昨日の魔物と同じような爪痕だ。
「ここにもいたんだね」
「ああ」
台の周囲には、古い鎖が散らばっている。
床にも何かを引きずったような跡が何本も残っていた。
ただ、全部が古いわけではない。
「これ」
ハヤトはしゃがみ込む。
床の上に黒いものが落ちている。
毛だった。
まだ乾ききっていない血も付いている。
「最近だな」
「じゃあ、今もここ使われてる?」
セラが周囲を見る。
「誰かに?」
「それが分からない」
遺跡そのものは古い。
けれど、魔物がここにいたのは最近。
誰かが昔の施設を使っているのか、それとも閉じ込められていたものが、崩落をきっかけに外へ出たのか。
後者なら、一月ほど前から魔物が出始めた時期とも合う。
レグは部屋の奥へ歩いていた。
「レグ、離れるなよ」
「ハヤト」
声の様子が違う。
ハヤトとセラがすぐにそちらへ向かう。
レグは壁の前で立ち止まっていた。
「どうした?」
「これ」
灯りを近づける。
壁に、大きな絵が彫られていた。
ずいぶん削れている。
それでも輪郭は分かった。
翼。
長い尾。
角。
「……竜?」
セラが呟く。
間違いない。
壁に彫られていたのは、一体の竜だった。
その周囲に人の姿が何人も並んでいる。
ただの装飾なのか、何かの記録なのか。
ハヤトには分からない。
レグは黙ったまま竜の絵を見ていた。
「何か分かる?」
「……しらない」
返事は小さい。
けれど、目は離れない。
ハヤトはその隣へ立つ。
「無理に思い出さなくていいからな」
「うん」
少しだけ間を置いて、レグが口を開いた。
「でも」
「ん?」
「これ、みたことある」
ハヤトとセラが同時にレグを見る。
「どこで?」
レグは壁を見たまま首を横に振った。
「わかんない」
そこまでは出てこないらしい。
ただ、今までの「知っている気がする」とは違った。
レグははっきりと、見たことがあると言った。
そのときだった。
部屋のさらに奥から、金属が床を擦るような音がした。
ガリ――。
三人とも動きを止める。
もう一度。
ガリ、ガリ。
暗闇の向こうから聞こえる。
ハヤトはゆっくり剣を抜いた。
「レグ」
「いる」
「昨日の魔物?」
レグは奥を見つめた。
しばらくして、首を横に振る。
「ちがう」
金属を引きずる音が、少しずつ近づいてくる。
セラも杖を構えた。
「じゃあ、何?」
レグは答えなかった。
ただ、いつもより少しだけハヤトの近くへ寄った。
暗闇の奥で、何かが動いた。




