同じ方向
狩人のガルドと別れたあと、ハヤトたちは一度宿へ戻った。
森の奥にあるという、以前はなかった穴。魔物が現れ始めた時期と、その穴ができた時期はほぼ重なっている。偶然と言ってしまえばそれまでだが、昨日レグが感じた妙な匂いまで考えると、何も関係がないとも思えなかった。
とはいえ、今あるのはどれも曖昧な話ばかりだ。ハヤトは部屋のテーブルに地図を広げ、ガルドに教えてもらった位置を指でなぞった。
「ここに寄るなら、街道から結構外れるな」
「半日以上って言ってたもんね」
セラが向かいから地図を覗き込む。レグも横にいるが、地図を見ているというより、二人が何を見ているのか気になって寄ってきただけらしい。
「ここ、なに?」
「昨日言ってた穴があるらしい」
「においのとこ?」
「それはまだ分からない」
レグは少し考え、それから地図の一点をじっと見つめた。もちろん紙を見ただけで匂いが分かるはずもなく、すぐに顔を上げる。
「いってみる?」
「そのつもりではいるけど、先にネイトの話だな」
「起きてたらね」
朝に一度意識を取り戻したとは聞いているが、無理に話をさせるつもりはない。それに、ネイトが何も知らなければ、そのまま東へ進むという選択肢もまだ残っている。
そんな話をしていると、部屋の扉が叩かれた。
「はい?」
セラが返事をすると、宿の主人が顔を覗かせる。
「治療師のところから使いが来てるよ。昨日助けた男が、あんたらと話したいそうだ」
三人は顔を見合わせた。
「ちょうどよかったな」
「うん」
「いく?」
「行くよ」
レグは地図より先に扉へ向かった。
治療師の家へ着くと、ネイトは朝に見たときより上体を起こしていた。まだ顔色は悪いものの、目はしっかりしている。寝台の横にはラウルもいたが、セラと目が合うなり何も言われていないのに姿勢を正した。
「なんで今、ちゃんと座ったの?」
「別に?」
「足、痛いんでしょ」
「大丈夫だ」
「そういうの昨日も聞いた」
「……悪かったって」
すっかり扱いを覚えられている。
ネイトがそのやり取りを見て、少しだけ笑った。
「ラウルから聞いたよ。あんたたちが助けてくれたって」
「俺たちは連れて帰っただけ。怪我治したのはセラ」
「ちょっと、そういう言い方しなくていいから」
セラが小声で止めるが、ネイトは彼女へ頭を下げた。
「ありがとう。治療師にも言われた。あそこで血が止まってなかったら危なかったって」
「……間に合ってよかったです」
外の人間を相手にすると、やはりセラの言葉遣いは自然と丁寧になる。ただ、褒められて落ち着かないのはいつもと同じらしく、そのまま話題を変えるようにネイトの傷へ目を向けた。
「痛みはどうですか?」
「まだ痛い。でも昨日に比べれば全然だ」
「なら、しばらくちゃんと休んでくださいね」
「はい」
返事だけは妙に素直だった。
ハヤトが椅子を一つ借りて寝台のそばへ座ると、ネイトの表情が少し真面目になる。
「聞きたいことがあるんだろ?」
「無理して話さなくてもいいけど」
「俺の方も話しておきたい。あの魔物のことだ」
ネイトはゆっくり息を吐き、昨日の出来事を思い返すように天井へ目を向けた。
「最初に襲ってきたときは、二匹だった。そこまではラウルも知ってると思う」
「ああ」
ラウルが頷く。
「俺たちで追い払おうとしたんだが、思ったより硬くてな。何度か斬ったのにほとんど止まらなかった。それでドルクを逃がそうとして……途中で一匹が森へ戻った」
「それを追った?」
「そうだ」
「なんで?」
ハヤトが聞くと、ネイトは少し言いづらそうに眉を寄せた。
「普通なら追わなかった。仕事はドルクを守ることだからな。ただ……あいつ、逃げたんじゃなかったんだ」
「どういうこと?」
今度はセラが尋ねる。
「こっちを何度も振り返ってた。襲うでもなく、完全に逃げるでもなく……なんて言えばいいんだろうな。ついて来させようとしてるように見えた」
部屋が少し静かになった。
「魔物が?」
「ああ。今思えば馬鹿な話だけど、そのときは俺も頭に血が上ってた。だから追った」
ネイトは森の中へ入り、しばらく魔物を追いかけたという。距離はなかなか縮まらず、それでも相手は決して振り切ろうとはしなかった。
「それで、途中で見失った」
「見失った?」
「ああ。急にいなくなった。足跡は残ってたから追ったんだが……そこで妙なものを見つけた」
ハヤトの意識が少しだけ前へ向く。
「何?」
「鎖だ」
「鎖?」
「短いやつだ。地面に落ちてた」
ネイトは両手で長さを示す。せいぜい腕一本分ほどだった。
「古かった?」
「いや。錆びてはいたけど、森に何年も落ちてたようには見えなかった。それに片方の端に、太い金具みたいなのが付いてた」
「何に使う鎖か分かった?」
「そこまでは。ただ、その直後にまたあいつが出てきてな」
そして戦いになった。
一人で相手をするには分が悪く、ネイトは何とか何度か斬りつけたものの、逆に傷を負わされた。そのあと森を走って逃げ、昨日ハヤトたちが見つけた場所まで辿り着いたところから記憶が曖昧らしい。
「鎖は?」
「置いてきた。持ってく余裕なんてなかったからな」
ハヤトはセラを見る。
セラも少し考えていた。
「魔物と関係あると思う?」
「分からない。でも森の中にそんなものが落ちてたなら、ちょっと気にはなる」
「だよね」
その横で、レグだけは別のところに引っかかったらしい。
「くび?」
「ん?」
「その、かねのやつ。くびにつける?」
ネイトは首を傾げる。
「どうだろうな。輪っかみたいな部分はあったけど、人間の首には大きすぎたと思う」
ハヤトの頭に、昨日倒した魔物の姿が浮かんだ。
巨大な身体。
異様に発達した前脚。
そして、普通の獣とはどこか違う姿。
「……魔物につけるには?」
ネイトは少し考えたあと、目を細める。
「それなら、あり得るかもしれない」
それだけでは何も決まらない。
森に落ちていた鎖がたまたま近くにあっただけかもしれないし、別の動物に使われていたものかもしれない。
ただ、また一つ気になるものが増えた。
「その鎖を見つけた場所って覚えてる?」
「大体なら」
ハヤトが地図を出すと、ネイトは少し身体を起こし、森の中を指した。
「この辺りだと思う」
その指先を見て、ハヤトは黙った。
「どうしたの?」
セラが横から覗き込む。
「昨日ガルドが教えてくれた穴、ここだろ」
「あ……」
完全に同じ場所ではない。
だが、かなり近い。
ネイトは二人の反応を見て首を傾げる。
「何かあるのか?」
「この近くに、最近できた穴があるらしい」
「穴?」
「地面が崩れて、その下が出てきたみたいな場所だって」
ネイトはしばらく地図を見ていた。
「俺はそこまで行ってないと思う。でも、あの魔物が向かってたのは……多分そっちだ」
森の異変。
見たことのない魔物。
レグが知っている気がすると言った匂い。
森に落ちていた鎖。
そして、その先にある穴。
まだ全部が一本につながったわけではない。それでも、偶然で片づけるには同じ方向へ集まりすぎている。
外へ出てから、セラが先に口を開いた。
「行くんでしょ?」
「何で分かった?」
「その顔」
「どんな顔だよ」
「気になるから見に行きたい顔」
「そんな顔ある?」
「ハヤトにはある」
言い切られた。
ハヤトは隣のレグを見る。
「レグは?」
「いく」
「即答だな」
「あのにおい、しりたい」
昨日とは少し違う返事だった。
ただ面白そうだからではない。レグ自身も、あの匂いが何なのか気になっている。
「じゃあ決まりか」
「今日行くの?」
セラが聞く。
ハヤトは空を見る。まだ昼前ではあるが、森の奥まで片道半日以上と聞いている。今から向かえば、帰りは確実に暗くなる。
「今日はやめとこう。準備して、明日の朝出る」
「珍しくちゃんとしてる」
「俺だって毎回勢いだけで動いてるわけじゃないからな」
「毎回じゃないのは知ってる」
「そこはもう少し否定してくれよ」
セラが笑う。
レグは二人の会話を聞きながら、ふと思い出したように口を開いた。
「じゃあ、きょう弓やる?」
ハヤトとセラが同時にレグを見る。
森の調査が決まり、今から準備をしようというところで、それを覚えていたらしい。
「……忘れてなかったのか」
「やるっていった」
「ガルドが時間あったらって言ってただけだろ」
「いま、じかんある」
「まあ……あるけど」
「じゃあ、やる」
すでに決定事項になっていた。
セラが吹き出す。
「いいんじゃない? 準備は午後でもできるし」
「お前まで」
「私もちょっと見たい」
「レグが弓撃つところ?」
「うん」
ハヤトは一度だけ空を見上げ、それから諦めた。
「分かったよ。ちょっとだけな」
「ちょっと?」
「ちょっと」
「いっぱいは?」
「やってみてから考える」
「わかった」
そう言った途端、レグの足取りが明らかに軽くなった。
明日は森の奥へ向かう。
何があるのかは、まだ分からない。
それでも今日は今日で、予定になかったことをやればいい。
三人はガルドの家へ向かって歩き出した。




