村の灯り
エルナ村へ着いたころには、空がすっかり夕方の色に変わっていた。
村そのものは大きくない。街道沿いに家や店が並び、その周囲を畑が囲んでいる。ラーデンのような高い外壁はなく、入口に簡単な柵と見張り台がある程度だった。
ただ、近づくにつれてハヤトは少し妙なことに気づいた。
「……静かだな」
「うん。まだこんな時間なのにね」
セラも同じことを感じていたらしい。
日が沈むにはまだ少し早い。それなのに畑から戻る人の姿はほとんどなく、村の外で遊ぶ子供もいない。入口には男が二人立っていて、こちらの荷馬車を見つけるとすぐに駆け寄ってきた。
「ドルク! 見つかったのか!」
「ああ。二人とも生きてる!」
その声を聞いた途端、村の空気が動いた。
近くの家から何人かが出てきて、あっという間に荷馬車の周りへ集まる。ネイトはそのまま担架へ移され、治療師のいる家へ運ばれていった。ラウルも歩こうとしたが、セラに睨まれて大人しく肩を借りている。
「自分で歩けるんだが」
「さっきもそれ言ってましたよね?」
「いや、でも今は――」
「転んだら治した意味なくなるので」
「……分かった」
知らない相手にはちゃんと丁寧なのに、言っていることは容赦がない。
ハヤトが少し笑っていると、セラが振り返った。
「何?」
「いや、なんでも」
「絶対なんか思ったでしょ」
「思ってないって」
「怪しい」
第一部の頃から何度も繰り返してきたやり取りに、少しだけ気が抜ける。
レグはそんな二人には興味がないらしく、村の中をきょろきょろ見回していた。荷物を運ぶ人、井戸から水を汲む人、店先で片づけをしている人。その視線が最後に止まったのは、やはり食べ物を売っている店だった。
「ハヤト」
「駄目」
「まだなにもいってない」
「どうせ食べたいだろ」
「うん」
「認めるの早いな」
レグは店先に並んだ焼き菓子を見つめたまま動かない。
「あとでね」
セラが声をかけると、ようやくレグが振り返った。
「あと?」
「ちゃんと宿が決まってから」
「じゃあ、はやくきめる」
「そこだけ急ぐんだ」
三人でそんな話をしていると、荷馬車を運転していた村人が戻ってきた。
「本当に助かったよ。ドルクたちを見つけてくれて」
「俺たちはたまたま通っただけだから」
「そのたまたまがなきゃ、どうなってたか分からん」
男は何度も頭を下げたあと、村の奥へ目を向けた。
「宿なら話をつける。今日は村でゆっくりしてってくれ」
「それはありがたいけど……いいの?」
「いいも何も、礼くらいさせろ」
断る理由もなかった。
案内された宿は、二階建ての小さな建物だった。旅人向けというより、近くを行き来する商人や行商人が泊まるための場所らしい。部屋は簡素だったがきれいに整えられていて、三人で泊まるには十分だった。
荷物を置いた途端、レグが自分の鞄を床へ下ろす。
「ついた」
「ついたな」
「じゃあ、たべる」
「それが最初かよ」
「セラが、あとっていった」
「言ったけど、覚えてたんだ」
「だいじだから」
「食べ物に関してだけ記憶力いいよな」
結局、焼き菓子を買いに行くことになった。
宿を出ると、村の中央付近には人が少し戻ってきていた。ドルクたちが無事だったという話が広まったらしく、先ほどより空気も明るい。
それでも、村の外へ向かう人はいない。
何軒かの家では、まだ日が落ちきっていないうちから戸締まりを始めていた。
「やっぱり変だね」
セラが小さな声で言う。
「ああ」
ハヤトも頷く。
魔物の話が出始めたのが一月ほど前。
今日襲われたドルクたち。
村の様子を見る限り、すでに生活にも影響が出ているらしい。
焼き菓子を買う店へ着くと、レグが急に元気になった。
「これ」
「一個な」
「ふたつ」
「一個」
「ふたつ」
「交渉するようになったな」
「ふたつ」
譲る気はないらしい。
店番をしていた年配の女性が、そのやり取りを見て笑った。
「二つくらい買ってやんなよ。今日は村を助けてくれたんだろ?」
「もう話広まってるんですか?」
「こんな小さい村だよ。隠し事の方が難しいさ」
結局、二つ買うことになった。
レグは満足そうに一つ目を食べ始める。
「うまい?」
「うまい」
「よかったね」
セラが笑う。
店の女性はそんなレグを見ていたが、ふと森の方向へ顔を向けた。
「しかし、あんたたちも災難だったね。あの森へ入ったんだろ?」
「はい。見たことのない魔物がいました」
セラが答えると、女性の表情が少し曇った。
「やっぱりいるんだねぇ」
「最近多いんですか?」
「私は見ちゃいないよ。でも、狩りに行った連中が何度か見てる。森に入らなくなった人も多いね」
なるほど。
あの静けさはそのせいか。
「前からこの辺にいる魔物じゃないんですか?」
「少なくとも私は知らないね。ここで生まれてずっと暮らしてるけど、そんな話が出始めたのは本当に最近さ」
ハヤトはセラを見る。
村人にとっても、突然現れた魔物らしい。
「何か変わったことってありませんでした?」
「変わったこと?」
「魔物が出始めたころに」
女性は腕を組み、少し考え込んだ。
「さあねぇ……森の奥で獣が減ったとか、狩人が言ってたくらいかね。あとは――」
そこで一度言葉を止めた。
「東から来る商人が減ったかな」
「東?」
思わずハヤトが聞き返す。
「ああ。この街道をずっと行けば、いくつか町があるだろ。前は向こうから来る行商人も多かったんだけど、最近は随分減ったよ」
「理由は?」
「知らないねぇ。道が危ないとか、そんな話じゃないのかい?」
その程度の話だった。
魔物と関係があるかどうかも分からない。
ただ、これから東へ向かう三人にとっては少し気になる情報ではある。
「ありがと」
「いいってことさ。それより暗くなる前に宿へ戻りな。今は夜に村の外へ出ない方がいいよ」
「そうします」
店を離れ、三人は宿へ戻る。
レグは二つ目の焼き菓子を手にしていたが、まだ食べていない。
「食べないの?」
セラが聞く。
「あとで」
「珍しい」
「あとでたべるのも、いい」
「成長したな」
「せいちょう?」
「いや、なんでもない」
ハヤトは少し笑いながら、さっき聞いた話を頭の中で整理する。
一月ほど前から現れた見たことのない魔物。
森から減った獣。
少なくなった東からの商人。
そして、レグが森で感じた妙な匂い。
全部がつながっているとは限らない。
今のところ、無理につなげる必要もないだろう。
「明日どうする?」
セラに聞かれ、ハヤトは少し考えた。
「まずネイトの様子見に行こう。そのあと村で話聞いて、普通に東へ行くか決める」
「森には?」
「今すぐ戻る必要はないだろ」
セラが少し意外そうな顔をする。
「何?」
「いや。ハヤトなら、気になるから行くって言うかと思った」
「俺を何だと思ってるんだよ」
「気になったらすぐ行く人」
「……否定しづらいな」
確かにそういうところはある。
ただ、今回は旅を始めたばかりだ。何でも見つけた瞬間に追いかける必要はない。
それに――。
「レグ」
「なに?」
「さっきの匂い、まだ気になる?」
「うん」
「思い出しそう?」
レグは少し考えたあと、首を横に振った。
「まだ」
「なら、急がなくていい」
「いいの?」
「思い出したら教えて」
「うん」
それで話は終わった。
宿へ戻るころには、村のあちこちに灯りが点き始めていた。
夕食の匂いが流れてきて、レグがすぐに反応する。
「ハヤト」
「分かった分かった」
「まだなにもいってない」
「飯だろ?」
「うん」
セラが隣で笑った。
東への旅はまだ始まったばかりなのに、もう予定とは違う場所で足を止めている。
それでも、不思議と焦る気はしなかった。
明日になれば、また何か分かるかもしれない。
何も分からなければ、そのまま先へ進めばいい。
ハヤトは宿の扉を開け、二人と一緒に中へ入った。




