4話 残った跡
森を抜けて街道へ戻るころには、レグに抱えられていた男の顔色も少し戻っていた。
もっとも、本人としては助かったことより、自分よりずっと小柄な女に軽々運ばれていることの方が気になるらしい。何度かレグの顔を見ては、自分の身体を見下ろしている。
「……あんた、力あるんだな」
「ある」
「そうか……」
それ以上聞くのを諦めたようだった。
荷馬車のそばまで戻ると、レグは言われた通り男をゆっくり地面へ下ろす。セラがすぐ横にしゃがみ、治療した足の様子を確かめた。
「痛みは?」
「さっきよりずっといい。ありがとな」
「まだ無理に立たない方がいいです。傷は塞がってても、完全に治ったわけじゃないので」
男は素直に頷いた。
名をドルクというらしい。近くの町を回りながら商売をしていて、今日は二人の護衛と一緒に荷を運んでいたという。
「襲われたのは、この辺り?」
ハヤトが尋ねると、ドルクは壊れた荷馬車へ目を向けた。
「ああ。いきなり馬が暴れ出してな。何があったのかと思ったときには、もう道の脇から飛び出してきてた」
「一匹?」
「最初に見えたのは一匹だ。ただ……途中でもう一匹いたような気もする。必死だったから、そこまでは分からん」
ドルクの話では、護衛の二人が前に出ている間に馬が逃げ、荷馬車が倒れた。自分も逃げようとしたが足を傷つけ、そのまま森へ転がり込んだらしい。
そこから先はほとんど覚えていない。
「護衛の二人は?」
「ラウルとネイトだ。二人とも腕は悪くない。けど、あんなのは見たことがないって……」
ドルクの表情が曇る。
セラがハヤトを見る。何も言わなかったが、考えていることは大体同じだった。
二人を探すなら、あまり時間をかけたくない。
かといってドルクをこのまま置いていくわけにもいかない。
「どうする?」
セラが小声で聞いてくる。
「誰か通るのを少し待つ」
「来なかったら?」
「そのとき考える」
「またそれ?」
「今決めても仕方ないだろ」
セラは一瞬だけ呆れた顔をしたものの、すぐに荷馬車の先へ目を向けた。
幸い、今回は長く待つ必要はなかった。
しばらくすると、街道の向こうから荷馬車が一台やってきた。御者の男は壊れた馬車を見て警戒したが、事情を話すと足を止めてくれた。向かう先も、ハヤトたちが今日泊まる予定だったエルナ村らしい。
「怪我人一人くらいなら乗せられるぞ」
「助かります」
ドルクも何度も頭を下げた。
「俺は村で待ってる。あんたらまで無茶する必要はないからな」
「分かってます」
ハヤトがそう返すと、横からセラの視線を感じた。
「何?」
「別に」
「その顔、信用してないだろ」
「ちゃんと分かってるならいいけど」
ドルクを荷台へ乗せ、壊れた馬車の積み荷についても村へ知らせてもらうよう頼んだ。
荷馬車が遠ざかっていくのを見届けると、レグが森の方を見る。
「いく?」
「ああ。ただし、さっきより慎重にな」
「うん」
セラも杖を確かめてから頷いた。
三人はもう一度、森の中へ入った。
今度はレグを先頭にする。ただし離れすぎないよう、ハヤトがすぐ後ろについた。レグはときどき足を止め、地面や木の幹に鼻を近づける。人の姿になっても、その感覚はかなり鋭いらしい。
「こっち」
迷う様子はない。
森に入ってしばらくすると、さっきまで見えていた足跡はほとんど分からなくなった。だが代わりに、木の幹に深い傷が残っている場所が増えていく。
ハヤトはその一つに触れた。
「でかいな」
三本の傷が並んでいた。
刃物でつけたようにも見えるが、それにしては間隔が広い。ドルクの足に残っていた傷とも似ている。
「爪かな」
セラが隣から覗く。
「だと思う」
「これが普通に当たったら、結構まずそう」
「当たらなきゃいい」
「簡単に言うね」
「そこは努力する」
「努力で済む?」
「たぶん」
「たぶん禁止にしようかな」
そんな話をしている横で、レグは傷をじっと見つめていた。
「どうした?」
「におい、へん」
「変?」
「うん」
レグは言葉を探すように少し黙った。
「けもの。でも、ちがう」
「どう違う?」
「わかんない」
やはりそこまでは説明できないらしい。
ただ、レグが妙な反応をしたことは覚えておいた方がよさそうだった。
さらに奥へ進む。
しばらくして、今度はハヤトが先に異変に気づいた。
「待って」
二人が止まる。
少し先から、何かを叩くような音が聞こえた。
一定ではない。
何度か続いたあと、途切れる。
そして――微かに声がした。
「誰かいる」
セラの表情が変わる。
三人は音のする方へ急いだ。
茂みを抜けると、少し開けた場所に出た。そこで一本の木が途中から倒れ、その下に男が一人挟まれている。
「おい!」
男が顔を上げた。
「人……?」
「今助ける!」
ハヤトが駆け寄る。
木はそれほど太くないが、男の足が根元近くに挟まっている。どうやら必死に剣の柄で幹を叩き、音を出していたらしい。
「ドルクさんと一緒にいた人?」
「ドルク……生きてるのか?」
「大丈夫。村に向かってる」
男は目を閉じ、大きく息を吐いた。
「よかった……」
「名前は?」
「ラウルだ」
一人目。
ドルクが言っていた護衛の名前と合う。
「もう一人、ネイトって人は?」
ラウルの顔から、安堵が消えた。
「連れていかれた」
ハヤトとセラの表情が同時に変わる。
「どっちへ?」
「奥だ。俺たちが逃げようとしたら、あいつが引きつけて……そのまま一匹を追っていった。俺も行こうとしたんだが、こいつが倒れてきて動けなくなった」
「一匹?」
「ああ」
ドルクの話と重なる。
少なくとも、二匹いた可能性が高い。
「先にこれをどかそう」
ハヤトが木へ手をかけたところで、横からレグが来た。
「レグやる」
「いける?」
「うん」
レグが両手を幹の下へ入れる。
次の瞬間、木が持ち上がった。
「……」
ラウルが固まる。
「ハヤト」
「ん?」
「はやく」
「あ、悪い」
見慣れてきたせいで忘れそうになるが、普通の人間からすれば十分おかしい光景だった。
ハヤトとセラでラウルを引き出すと、レグは持ち上げていた木を横へ放した。地面が鈍く揺れ、ラウルがもう一度レグを見る。
「……何者なんだ?」
「レグ」
「いや、名前じゃなくて」
「今はそれでいいだろ」
話を切り上げ、セラがすぐラウルの足を見る。幸い骨までは折れていないようだが、そのまま走れる状態でもなさそうだった。
セラは軽い治癒を施してから、ハヤトを見る。
「これなら歩けると思う。でも走るのは無理」
「十分」
「おい、待ってくれ」
ラウルが身体を起こす。
「俺も行く」
「その足で?」
「ネイトは俺の相棒だ」
声に迷いはなかった。
止めても聞きそうにない。
ハヤトは少し考え、セラを見る。セラも同じことを思ったらしく、困ったように息を吐いた。
「無茶はしないでくださいね」
「ああ」
「本当にですよ」
「分かってる」
今度はハヤトが横からラウルを見る。
「その返事、信用しない方がいいですよ」
「ハヤトも同じでしょ」
「俺はちゃんとするって」
「はいはい」
ラウルが二人を交互に見た。
少しだけ、不思議そうな顔をしている。
「……あんたら、ずいぶん余裕あるな」
「そう見えるだけです」
セラが苦笑する。
そのとき、レグが突然顔を上げた。
さっきまでとは違う。
鼻を動かすこともなく、森の奥をじっと見つめている。
「レグ?」
「いる」
声が低かった。
ハヤトはすぐ剣へ手を伸ばした。
「近い?」
「うん」
風が木々の間を抜けた。
枝が揺れる。
その向こうで、何か大きなものが動いた気がした。
ラウルも剣を抜き、セラが杖を構える。
しばらく何も起きなかった。
ただ、レグだけが一点から目を離さない。
「……くる」
直後、森の奥から低い唸り声が響いた。




