第47話 地下保管庫
崩れかけた階段を上り、《ルディア旧神殿》の中へ入る。
外から見た以上に、内部は荒れていた。
広い礼拝堂だったと思われる場所には瓦礫が散らばり、天井も一部が崩れ落ちている。石造りの柱は何本か残っていたが、表面の装飾は長い年月で削れ、元がどんな形だったのか分からないものも多い。
「足元、気をつけて」
セラが言う。
「レグは平気?」
「ん」
竜の姿のレグは、俺たちより少し前を歩いていた。
さっきまでは初めて来た場所を警戒するように周囲を見ていたのに、神殿へ入ってからは妙に迷いがない。
何かに呼ばれている……とまでは言わない。
ただ。
行き先を考える前に身体が動いているように見える。
「グレイ」
「何だい?」
「前に来たときも、この辺はこんな感じだった?」
「ああ。多少崩落は進んでいるが、大きくは変わっていない」
グレイは周囲を見回しながら、以前歩いた道を確認している。
「地下への入口は奥だ。こっちへ」
俺たちは礼拝堂を横切った。
途中。
レグが一枚の壁の前で止まる。
「レグ?」
近づいてみる。
最初は汚れた石壁にしか見えなかった。
だが、グレイが布で埃を払うと、その下から薄い彫刻が現れた。
「これは……」
セラが目を細める。
人が並んでいる。
その隣には。
竜。
大きなものもいる。
小さなものもいる。
けれど、戦っている絵ではなかった。
人と竜が同じ方向を向き、その間を子どもらしき人間が歩いている。
別の場所には、竜のそばに立つ人間の姿も彫られていた。
「人と一緒に暮らしてたってこと?」
セラが聞く。
グレイが彫刻を見ながら頷いた。
「少なくとも、ここの記録にはそう書かれている。ルディアの神殿にいた竜たちは、人間を襲う存在として扱われていない」
「じゃあ神様みたいなもの?」
「それも少し違う」
「違う?」
「守り神として崇められていた、という記述もあるにはある。だが、もっと古い資料では、人と竜は対等に近い形で暮らしていたようなんだ」
グレイは壁を指でなぞる。
「畑を守ったり、山から来る魔物を追い払ったり。逆に人間は、竜の巣を荒らす者を遠ざけたり、傷ついた幼竜を世話したりしていたらしい」
「仲間だったってこと?」
俺が聞く。
「その表現が一番近いかもしれない」
レグは何も言わず、彫刻を見ていた。
「レグ」
「ん」
「何か分かる?」
少し間を置いて。
首を横に振る。
「わかんない」
やっぱり記憶が戻ったわけではない。
ただ。
レグはその場から離れようとしなかった。
「でも」
「ん?」
「ここ、すき」
理由は分からない。
それでも。
その一言だけで、何となく十分な気がした。
◇
礼拝堂の奥には、崩れた祭壇があった。
グレイはその横を通り、壁際まで進む。
「地下への入口はここだ」
「どこ?」
セラが辺りを見る。
普通の壁しかない。
グレイは床に積もった小石や土を退かし、壁の下部に手を入れた。
石が擦れる音。
少し力を込めると、壁の一部がゆっくり動いた。
「隠し扉?」
「昔は隠す必要があったのかもしれないね」
人一人が通れるほどの隙間が開く。
その向こう。
下へ続く階段。
暗い。
完全に地下だ。
「前もここから?」
「ああ」
グレイが灯りを取り出す。
「気をつけて。地上よりは崩れていないが、暗いし段差も多い」
「レグ」
「ん?」
「先に行きすぎるなよ」
「わかった」
言った直後。
レグが先へ行こうとする。
「待て」
「まだいってない」
「行こうとした」
「ちょっとだけ」
「それを先に行くって言うんだよ」
セラが笑う。
少しだけ緊張がほぐれた。
グレイを先頭に、階段を下りる。
俺。
レグ。
セラ。
今回は俺がグレイのすぐ後ろについた。
何か出たらすぐ前へ出られるようにするためだ。
ただ。
地下へ入っても魔物の気配はなかった。
湿った石の匂いと。
長い間、人が入っていない場所特有の静けさだけがある。
やがて。
階段の先に一本の通路が現れた。
左右の壁には、ところどころ文字が刻まれている。
「読める?」
俺が聞く。
グレイが灯りを近づける。
「古い文字だ。全部は難しいが……これは神殿で働いていた人間の名前だと思う」
「お墓?」
「いや。おそらく記録を残した者たちの名前だ」
少し進む。
また文字。
今度は竜の絵もある。
「こっちは?」
グレイの足が止まった。
「……待ってくれ」
灯りを近づける。
指で刻まれた線を追う。
「読める?」
セラが聞く。
「一部だけ」
グレイはゆっくり読み上げた。
「――『ルディアに住まう竜たちは、人の姿を借り、人と同じ卓を囲んだ』」
俺はレグを見る。
「同じ卓」
セラもレグを見る。
レグが首を傾げる。
「ごはん?」
「そこだけ拾うなよ」
でも。
少し想像できた。
人の姿になった竜が。
人間と同じ場所で飯を食う。
今の俺たちと。
そこまで変わらない。
「続きは?」
グレイが目を細める。
「削れている。ただ……ここ」
もう一か所。
「『幼き竜は、人の姿に慣れるまで長く保てず』……その先は読めない」
「それもレグと同じね」
セラが言う。
最初の頃。
レグは人化したまま長時間過ごすと疲れていた。
今では一日近く平気なこともある。
グレイが見せた記録とも一致する。
そして。
ここに刻まれた文章とも。
偶然が、一つずつ減っていく。
「やっぱりレグと関係あるのかな」
セラが小さく言う。
「たぶんな」
俺も、もう完全な偶然だとは思っていなかった。
ただ。
関係があることと。
レグがどこから来たのかは別の話だ。
それを知るために、ここまで来た。
◇
さらに奥へ進むと。
通路が広がった。
「ここだ」
グレイが立ち止まる。
地下保管庫。
壁一面に石造りの棚が並んでいる。
そこには。
本。
木箱。
巻物。
石板。
いくつもの記録が残されていた。
ただ。
状態はひどい。
本の大半は表紙が崩れ、触れば壊れそうになっている。
巻物も黒ずみ、端が朽ちていた。
「前に来たときは、ここを?」
俺が聞く。
「ああ」
グレイが鞄を下ろす。
「数日かけて、読めるものを写した。ただ、当時は竜の人化そのものが目的ではなかったから、全てを調べられたわけじゃない」
「何を調べてたんです?」
セラが尋ねる。
「神殿の歴史だ。竜の記録に気づいたのも、その途中だった」
なるほど。
それで。
後になって人化できる竜について調べ始めたわけか。
グレイは慎重に棚から一冊の本を取り出した。
「これだ」
「例の?」
「ああ。君たちに見せた記録の原本の一つ」
机代わりの石台へ置く。
俺たちも覗き込む。
紙は黄ばんでいる。
ところどころ欠けていて、文字も薄い。
それでも。
絵は残っていた。
黒に近い緑の鱗。
金色の目。
そして。
銀色の髪をした人間の姿。
青葉亭で見た写しと同じ。
でも。
本物を見ると印象が違った。
「レグ」
俺が呼ぶ。
「ん」
レグが机へ前脚をかける。
近くで見る。
長い間。
何も言わない。
「どう?」
「……へん」
「また?」
「ん」
「知ってる感じ?」
少しだけ考えて。
「これより」
レグが周囲を見る。
「ここが、へん」
「場所?」
「ん」
グレイが静かに聞く。
「どこか特に気になる場所はある?」
俺はグレイを見る。
質問攻めにしないという約束を忘れていないらしい。
一つだけ。
レグは保管庫を見回した。
鼻を動かす。
耳を澄ます。
そして。
奥を見る。
「むこう」
「何かある?」
「わかんない」
レグが歩き出す。
俺たちもついていく。
棚。
棚。
また棚。
一番奥。
そこには壁しかなかった。
「ここ?」
俺が聞く。
「ん」
グレイも近づく。
「……ここには何もないはずだ」
「前も見た?」
「もちろん」
壁を調べる。
普通の石。
少なくとも俺にはそう見える。
レグは壁の前に座った。
じっと見ている。
「レグ?」
「ここ」
前脚を上げる。
石へ触れた。
その瞬間。
かすかな音がした。
「……え?」
セラが一歩近づく。
ゴゴ……。
石が動いている。
「離れて!」
俺はレグを抱き上げ、後ろへ下がった。
壁の一部が。
ゆっくりと奥へ沈んでいく。
埃が落ちる。
細い隙間。
さらに広がる。
やがて。
人一人が通れるほどの入口が現れた。
誰も言葉を発しなかった。
「……グレイ」
俺が聞く。
「知ってた?」
「いや」
グレイも呆然としている。
「こんな場所があるなんて、知らなかった」
入口の向こうは。
さらに小さな部屋になっていた。
不思議なことに。
こちらの保管庫ほど荒れていない。
壁も。
床も。
棚も。
ほとんど形を残している。
そして。
正面。
石の台の上に。
一冊の分厚い本が置かれていた。
「……」
グレイが息を呑む。
「入っていい?」
セラが聞く。
「待って」
俺は先に中を確認する。
罠があるようには見えない。
魔物の気配もない。
「大丈夫そう」
四人で中へ入る。
レグだけは。
周囲を見ながら、ゆっくり進んでいた。
「ハヤト」
「ん?」
「ここ」
声が少し震えている。
「しってる?」
聞くと。
レグは首を横に振った。
「しらない」
「でも?」
「……なつかしい」
俺は何も言えなかった。
初めて来たはずの場所。
記憶にもない。
それなのに。
懐かしい。
グレイが中央の本へ近づく。
「触ってもいいと思う?」
俺が聞く。
「外の資料より状態はかなりいい。だが慎重に」
グレイが手袋をつけ。
ゆっくり。
本を開いた。
一ページ目。
古い文字。
二ページ目。
竜の絵。
グレイは黙って読み進める。
その表情が。
少しずつ変わっていった。
「何て書いてある?」
俺が聞く。
返事がない。
「グレイ?」
「……これは」
声がかすれる。
「何?」
グレイは一度、本から顔を上げた。
そして。
レグを見る。
「ここは記録庫じゃない」
「じゃあ何なんです?」
セラが聞く。
「この部屋は」
グレイが本へ視線を戻す。
「ルディアにいた竜たちが、自分たちの系譜を残すために使っていた場所らしい」
「系譜?」
俺が聞く。
「誰と誰の間に、どの竜が生まれたのか。どこへ移ったのか。誰が人化を覚えたのか」
俺はレグを見る。
本人も。
グレイを見ていた。
「じゃあ」
セラが小さく言う。
「ここを調べれば……」
グレイが頷く。
「ああ」
部屋が静かになる。
「レグの親につながる記録が、残っているかもしれない」
レグの身体が。
わずかに動いた。
「おとうさん」
小さく呟く。
「おかあさんも?」
グレイはすぐには答えなかった。
期待させすぎないように。
言葉を選んでいる。
「あるとは言い切れない」
「……ん」
「でも」
グレイが本を見る。
「調べる価値はある」
レグはしばらく黙っていた。
やがて。
俺の足元まで来る。
見上げる。
「ハヤト」
「ん?」
「みたい」
迷いのない声だった。
「レグのこと」
俺は頷く。
「ああ」
ここまで来たんだ。
なら。
最後まで調べよう。
百年以上前の記録。
人と共に暮らしていた竜たち。
そして。
誰にも見つけられなかった地下の奥に残されていた。
竜たち自身の系譜。
その中に。
レグへつながる名前があるのか。
次に確かめるべきものは。
ようやく。
目の前まで来ていた。




