第45話 北へ
出発の日。
まだ朝の空気が冷たいうちに、俺たちは王都の北門へ向かった。
五日分を想定した保存食に、水、薬、寝具。必要そうなものは一通り確認したし、セラも治癒術院から出された課題を鞄に詰めている。
そしてレグはというと、新しく買った手袋を朝からつけたり外したりしていた。
「そんなに気に入った?」
俺が聞くと、レグは両手を開いて見せる。
「ん。つよそう」
「手袋で強さは変わらないぞ」
「でも、ていたくない」
「それはそう」
素手で戦うレグにとっては、意外と相性のいい買い物だったのかもしれない。
今日は人の姿のままだ。王都を出て人通りが減れば竜へ戻ってもいいが、本人はしばらくこの姿で歩きたいらしい。
北門が近づくと、門の脇に一人の男が立っているのが見えた。
「おはよう」
グレイだ。
いつもの落ち着いた服装に旅用の外套。その背中には大きな荷物を背負っている。
……大きすぎないか?
「グレイ、それ全部持ってくんですか?」
「必要なものだけだよ」
「必要なものだけでそれ?」
横からセラも驚いている。
グレイは少し困ったように笑った。
「資料が多くてね」
「しんでんに本もってく?」
レグが聞く。
「現地で照合したいものがあるんだ」
「おもそう」
「実際、重い」
「置いてけばいいのに」
レグの正論に、グレイが黙る。
俺は笑った。
「無理になったら言ってください。多少なら持ちますから」
「助かる。ただ、できるだけ自分で持つよ」
研究者って、こういうところで妙に頑固なのかもしれない。
「じゃあ行くか」
俺の声に、セラとレグが頷く。
グレイも地図を確認してから北門へ向かった。
こうして俺たちは、王都を出た。
目的地は《ルディア旧神殿》。
レグの過去につながるかもしれない場所へ向かう、初めての旅だった。
◇
王都を出てしばらくは、道幅の広い街道が続いていた。
商人の荷馬車や旅人とも何度かすれ違い、思っていたより人通りは多い。明日にはこの街道を外れて山へ入るらしいので、ここまでは普通の旅と変わらなかった。
「今日泊まる町までは、どれくらい?」
セラがグレイに尋ねる。
「このままなら夕方前には着く。休憩を長く取りすぎなければ、もう少し早いかもしれない」
「なら今日は楽そうね」
「道だけならね」
グレイの言葉に、俺は少し引っかかった。
「道だけ?」
「ああ。王都から離れるほど魔物の目撃は増える。ただ、この街道は定期的に冒険者や兵士が通っているから、危険なものが長く居着くことは少ない」
「明日は?」
「別だね」
答えが早い。
「山へ入れば人通りはかなり減る。魔物もいるし、道自体が途中からほとんど残っていない場所もある」
レグの目が少し輝いた。
「まもの」
「嬉しそうにするところじゃないから」
セラがすぐに突っ込む。
「でも、つよい?」
「種類による」
「どんなの?」
「レグ」
俺が呼ぶ。
「ん?」
「旅の目的」
「しんでん」
「そう。それ忘れるなよ」
「わかってる」
本当に分かっているのかは怪しいが、まあいい。
俺たちなら普通の魔物が出る程度なら問題ないだろう。
問題になるとしたら、知らない土地での戦いだ。
足場も、逃げ道も、周囲に何があるかも分からない。訓練や王都周辺での依頼と同じつもりで動くのは危ない。
「明日は俺が前を歩いた方がいい?」
グレイに聞くと、少し考えてから首を横に振った。
「途中までは私が先頭の方がいい。分岐がいくつかあるからね。ただ、魔物の気配があれば君たちに前へ出てもらう」
「グレイ、本当に戦えないんですね」
セラが言う。
「まったく戦えないわけじゃないよ」
「どのくらい?」
グレイが少しだけ目を逸らした。
「若い頃に剣を習ったことがある」
「それっていつ?」
「かなり前だ」
「戦力には数えない方がいいな」
俺が言うと、グレイは素直に頷いた。
「その方がいい」
潔い。
◇
昼前。
街道脇の開けた場所で一度休憩を取った。
俺たちが荷物を下ろす横で、グレイも大きな鞄を地面へ置く。下ろした瞬間、かなり楽そうな顔になった。
「やっぱり重いんじゃないですか」
セラが呆れる。
「想定より少しだけ」
「絶対少しじゃないでしょ」
俺は保存食を出す。
パンと干し肉。それに昨日買っておいた乾燥果物。
レグは当然のように俺の隣へ座った。
「ハヤト」
「はい」
言われる前に干し肉を渡す。
「まだなにもいってない」
「どうせ欲しかっただろ」
「……ん」
受け取る。
グレイがその様子を見て笑っていた。
「ずいぶん分かり合っているんだね」
「食べ物に関してだけなら、大体分かります」
「ハヤト」
「ん?」
「もういっこ」
「ほら」
グレイまで笑った。
食事をしながら、グレイが地図を広げる。
「明日はこの町を出たあと、しばらく北街道を進む。そのあと、この辺りで山道へ入る」
指が一本の細い線をなぞった。
「ここから先は?」
俺が聞く。
「昔は神殿へ向かう道があったらしい。ただ、長い間ほとんど使われていない。前に行ったときも、途中から道なのか獣道なのか分からない状態だった」
「グレイは一人で行ったの?」
レグが聞いた。
「そのときは護衛を二人雇った」
「その二人は?」
「無事に帰ったよ」
「良かった」
レグが普通に安心している。
グレイも少し意外そうな顔をしたあと、柔らかく笑った。
「ありがとう」
最初に会った頃に比べれば、二人の距離も少しは縮まったらしい。
まだレグが完全に信用しているわけではないだろうが、少なくとも「嫌い」と即答していた頃よりはずっといい。
「グレイ」
俺は地図を見ながら聞く。
「前に神殿へ行ったとき、例の記録はもう見つけてたんですよね?」
「ああ。ただ、その頃は人化できる竜が今も存在するとは思っていなかった」
「じゃあ、記録だけ見つけて持ち帰った?」
「持ち帰ったのは写しだけだ。原本は状態が悪すぎて動かせなかった」
「まだ残ってる?」
「おそらく」
その答えで、今回行く意味が一つ増えた。
グレイが書き写したものだけではなく、実際の記録を見ることができるかもしれない。
「レグ」
「ん?」
「本物の記録、見てみたい?」
少し考えてから、レグが頷く。
「みたい」
「そっか」
昨日までなら、俺たちが勝手にレグのことを調べようとしているだけだったかもしれない。
でも今は違う。
本人が知りたがっている。
それなら、できるところまで調べたい。
◇
午後に入っても、旅は順調だった。
途中で小型の魔物を遠くに見かけた程度で、こちらへ近づいてくるものはいなかった。
ただ、王都から離れるにつれて周囲の景色は少しずつ変わっていった。
広い農地が減り、代わりに森や丘が増える。
遠くには明日向かう山々も見え始めていた。
「ハヤト」
レグが急に俺の袖を引いた。
「どうした?」
「つかれた」
珍しい。
「人の姿が?」
「ちょっと」
グレイが反応する。
だが、何も言わなかった。
俺は周囲を見る。
ちょうど人通りも途切れている。
「竜に戻る?」
「ん」
「セラ」
「あっち見てる」
「俺も向こう向いてるから、服だけ先に――」
「ハヤト」
セラが呆れたように言う。
「戻るときは服脱がなくてもいいでしょ」
「……あ」
人化するときと逆だ。
人の姿から竜へ戻るなら、服はその場に残るだけでいい。
「忘れてた」
「何回レグの着替えやってるのよ」
「俺が着替えさせてるみたいに言うな」
レグが笑っている。
人目のない場所まで少し移動し、セラに任せる。
やがて淡い光が見えたあと。
「ハヤト」
振り返る。
小さな竜の姿に戻ったレグが、地面に置かれた服の横に立っていた。
「楽になった?」
「ん」
翼を広げ、俺の肩へ飛んでくる。
そのまま頭へ。
「結局そこか」
「ここがいい」
久しぶりの重さだ。
いや、重いと言うと怒られるか。
服を片付けながら、グレイがレグを見ていた。
ただし。
以前のように食い入るような視線ではない。
「何か?」
俺が聞くと。
「いや」
グレイが首を横に振る。
「本人が疲れを感じて、自分で元へ戻れる。それなら問題なさそうだと思ってね」
「研究したい?」
頭の上からレグが聞く。
グレイは少し驚いたあと、正直に答えた。
「興味はある」
「やっぱりへん」
「否定できないな」
レグが小さく笑った。
それを見て。
俺も少し安心した。
◇
夕方前。
俺たちは予定していた宿場町へ到着した。
王都と比べればずっと小さい。
大通りと呼べる道も一本だけで、その両側に宿や食堂、商店が並んでいる。
明日から山へ向かう旅人も利用するのか、冒険者らしい姿もちらほら見えた。
「今日はここで一泊する」
グレイが言う。
「明日は朝早く出たい。山道に入ってから日が暮れるのは避けたいからね」
「了解」
宿を取り、荷物を置く。
グレイは一人部屋。
俺たちはこれまで通り三人だ。
部屋へ入った瞬間。
レグが竜の姿のままベッドへ飛び乗った。
「ふかふか」
「宿のベッド全部それ言うな」
「だいじ」
「何が?」
「ふかふか」
意味は分からないが、本人には重要らしい。
セラは自分の荷物を開き、治癒術院から渡された紙を取り出した。
俺は嫌な予感がする。
「……まさか今から課題?」
「今やらないと絶対やらないから」
「偉い」
「でしょ?」
「俺なら帰ってからやる」
「だからハヤトは駄目なのよ」
即答された。
俺はベッドへ腰を下ろし、剣の状態を確認する。
明日からは街道を外れる。
今日みたいに何も起きないとは限らない。
受け流しも少しは身についてきたが、頼りすぎるつもりはない。
使えるときに使う。
危なければ避ける。
それでいい。
「ハヤト」
レグがベッドから呼ぶ。
「ん?」
「しんでん、あした?」
「ああ。順調なら昼過ぎには着くって」
「そっか」
レグは枕へ顎を乗せた。
「こわい?」
少し間が空く。
「ちょっと」
「楽しみ?」
今度は。
「いっぱい」
俺は笑った。
「なら良かった」
セラも課題を書く手を止め、レグを見る。
「何が見つかるかな」
「わかんない」
「何もなくてもいいんだぞ」
俺が言うと、レグがこちらを見る。
「なんで?」
「何も分からなくても、今までと何か変わるわけじゃないから」
少し難しかったのか、レグはしばらく考えていた。
やがて。
「レグはレグ?」
「ああ」
「ん」
それで納得したらしい。
再び枕へ顔を伏せる。
明日。
俺たちは北街道を外れ、山へ入る。
その先にあるのは、百年以上前の記録が眠る《ルディア旧神殿》。
そこに何が残っているのか。
レグの過去につながるものが、本当にあるのか。
まだ何も分からない。
でも。
少なくとも。
ここまで来た以上、確かめるつもりだった。




