第39話 初めての治癒術
翌朝、セラは昨日までより少し早く宿を出た。
緊張しているというより、楽しみにしているように見える。
「今日は治癒術やるかもしれないんだろ?」
俺が聞くと、セラは鞄を肩に掛け直しながら頷いた。
「先生は『近いうちに』って言ってただけだから、今日かどうかは分からないけどね。でも昨日の練習がちゃんとできたから、次に進めるかもしれないって」
「じゃあ今日できるといいな」
「うん」
その横で、レグがじっとセラを見ていた。
「セラ」
「なに?」
「なおせたら、すごい?」
「そりゃすごいでしょ」
「じゃあ、がんばれ」
「ふふっ。ありがと」
セラがレグの頭を軽く撫でる。
人の姿になってからも、レグは撫でられるのを嫌がらない。むしろ最近は少し嬉しそうに見える。
「二人はまた訓練場?」
「そのつもり。昨日の続き」
「ハヤト」
セラが少し真面目な顔になる。
「なに?」
「今日はレグに吹き飛ばされないでよ」
「吹き飛ばされてない。吹き飛ばされかけただけ」
「同じよ」
「ちがう」
なぜかレグが俺の味方をした。
「レグも今日は力加減の練習するから大丈夫」
「ほんと?」
「ん」
「ハヤトより信用できそう」
「なんでだよ」
笑いながらセラを見送り、俺たちも冒険者ギルドへ向かった。
◇
訓練場では、昨日と同じ大柄な男が別の冒険者を相手に指導していた。
俺たちに気づくと、男はすぐに笑った。
「お、昨日の兄ちゃん。また来たか」
「お願いします」
「いいねえ。昨日一回できたからって、今日もできると思うなよ」
「分かってます」
実際、その通りだ。
昨日は最後の方で何度か受け流しに成功したが、一晩寝たからといって急に身体が覚えているわけじゃない。
訓練用の木剣を受け取り、構える。
一撃目。
正面から受けた。
「違う!」
「分かってます!」
「分かってねえからそうなるんだよ!」
二撃目。
今度は斜めに受けようとして、角度が浅い。
木剣が強く弾かれる。
三撃目。
足が遅れた。
四撃目。
少しだけ流せた。
「今のだ!」
昨日より早い。
やっぱり、完全に忘れているわけではないらしい。
そこから何度も繰り返すうちに、少しずつ成功する回数が増えていった。
正面から止めるんじゃない。
相手の力を受けて、横へ逃がす。
腕だけで動かさず、足と身体の向きも合わせる。
頭で考える時間が少しずつ短くなっていく。
それでも。
「っ!」
油断すれば普通に失敗する。
「まだまだだな」
指導役の男が笑う。
「ですよね」
「でも昨日よりはマシだ。ちゃんと身体が覚え始めてる」
それなら十分だった。
俺は汗を拭きながら、訓練場の端を見る。
そこではレグが一人で木剣を振っていた。
「レグ」
「ん?」
「どう?」
「できる」
「何が?」
「よわくする」
本当か?
昨日は軽く振っただけで、俺を吹き飛ばしかけた。
「じゃあ、ちょっとやるか」
「ん」
俺が木剣を構えると、レグも真似するように構えた。
昨日よりは形になっている。
「軽くだぞ」
「わかってる」
レグが一歩踏み込む。
木剣が振られる。
昨日ほど速くない。
俺は受け流す。
……つもりだった。
ゴンッ!
「いった!」
木剣同士が強くぶつかる。
それでも昨日よりは遥かに弱い。
「どう?」
レグが聞く。
「昨日よりはいい」
「できた?」
「半分くらい」
「半分?」
「もう少し弱く」
レグは少し考えて、もう一度構えた。
次。
さらに弱い。
今度は俺も余裕を持って受け流せた。
木剣が横へ逸れる。
「お」
レグが目を丸くする。
「いまの、できた?」
「できた」
「レグも?」
「レグも」
二人で少し笑う。
なんだか妙な練習だ。
俺は受け流し。
レグは力加減。
同じ木剣で、まったく違うことを練習している。
「もう一回」
「おう」
その後も何度か繰り返した。
完璧ではない。
でも昨日より確実に良くなっていた。
俺も。
レグも。
◇
同じ頃。
治癒術院では、セラが教室の前方に立っていた。
机の上には、浅い傷のある手が差し出されている。
相手は教官だ。
手の甲に、ごく小さな切り傷がある。
「……本当に、やっていいんですか?」
セラが確認すると、教官は笑った。
「そのための練習です。傷も浅いですし、何か問題があれば私が止めます」
昨日までとは違う。
魔力を細く流すだけでも、水面を揺らさないようにするだけでもない。
今日は。
実際に傷を治す。
「では、始めましょう」
セラは少し緊張しながら、教官の手へ両手を近づけた。
「まず傷を見てください。治そうとする前に、どこが傷ついているのかを意識します」
言われた通りに見る。
小さな切り傷。
血はもうほとんど出ていない。
それでも、皮膚が少し開いているのが分かる。
「魔力を一気に流さないこと。昨日まで練習したように、細く、ゆっくりです」
「はい」
セラは目を閉じかけて。
やめた。
傷を見る。
相手を見る。
必要なところへ、必要な分だけ。
ゆっくり。
手のひらへ魔力を集める。
今まで火炎魔術で使ってきた魔力の流れとは、まるで違う。
強くする必要はない。
むしろ強くしない。
ほんの少し。
そっと。
魔力を流す。
手のひらの辺りに淡い光が生まれた。
「そのまま」
教官の声が聞こえる。
セラは呼吸を整え、魔力を維持する。
少しずつ。
本当に少しずつ。
開いていた傷が狭くなっていく。
「……」
セラは息を止めそうになった。
治っている。
自分の魔力で。
「集中を切らさないで」
「はい」
嬉しくなって、魔力が少し強くなる。
光が一瞬強まった。
「抑えて」
「っ……」
慌てて調整する。
細く。
一定に。
やがて。
教官が言った。
「そこまで」
セラは魔力を止めた。
すぐに手を見る。
小さな傷は、完全ではないものの、ほとんど閉じていた。
「……できた」
思わず声が漏れる。
自分でも信じられなかった。
「はい。初めてとしては十分です」
教官が手を確認する。
「ただ、途中で一度強くなりましたね」
「……はい」
「嬉しくなりましたか?」
図星だった。
セラは少し恥ずかしくなって頷く。
「治癒術は、できたと思ったときほど丁寧に。焦りも、喜びも、そのまま魔力に出ます」
「はい」
でも。
注意されても、口元の笑みは消えなかった。
初めて。
誰かを傷つけるためではなく。
治すために魔力を使えた。
「次もやってみましょう」
「はい!」
返事は、いつもより大きくなった。
◇
昼を過ぎた頃。
俺とレグは訓練を終え、ギルドの食事区画で休んでいた。
「つかれた」
レグが机に突っ伏している。
「お前でも疲れるんだな」
「いっぱいよわくした」
「力抜く方が疲れるの?」
「むずかしい」
分からなくもない。
普段やらないことをやると、妙な疲れ方をする。
「でも上手くなってたよ」
「ほんと?」
「ああ」
レグが少しだけ顔を上げる。
「ハヤトも」
「俺も?」
「きのうより、できた」
「見てた?」
「みてた」
なんだか嬉しい。
「じゃあ、お互い少し上手くなったな」
「ん」
その直後。
「だから、おにく」
「何でそうなるんだよ」
結局いつも通りだった。
◇
夕方。
宿の部屋で待っていると、扉が勢いよく開いた。
「ただいま!」
声で分かった。
今日は何かあった。
「おかえり」
「おかえり」
俺とレグが返す。
セラは鞄を置くと、そのまま俺たちの前まで来た。
「できた!」
「何が?」
聞く前から分かっていたが。
「治癒術!」
やっぱり。
「おお!」
俺も思わず立ち上がる。
「ほんと?」
レグもセラへ近づく。
「うん。まだ小さい傷だけだけど、ちゃんと治せた!」
セラは自分の手を見せるようにしながら、今日あったことを一気に話し始めた。
教官の手にあった小さな傷。
魔力を細く流したこと。
途中で強くなって注意されたこと。
それでも最後には傷をほとんど閉じられたこと。
話している間、ずっと嬉しそうだった。
「すごいじゃん」
俺が言うと。
「でしょ?」
胸を張る。
「でもまだ初歩だからね。先生にも、これで治癒術を使えるようになったと思わないようにって言われた」
「ちゃんと釘刺されてるな」
「当たり前でしょ。もっと大きな傷とか、状態が違う相手だと全然変わるって」
それでいい。
一回できたからといって、急に何でも治せるようになる方がおかしい。
「でも」
セラは少しだけ声を落とした。
「嬉しかった」
「うん」
「今まで、魔術って敵を倒すためにしか使ってこなかったから。自分の魔力で傷が閉じていくの見たら……なんか、変な感じだった」
「いい意味で?」
「うん」
レグが自分の手を差し出した。
「セラ」
「なに?」
「なおして」
「だから怪我してないでしょ」
「じゃあ」
レグが自分の腕を見た。
嫌な予感がした。
「レグ」
「ん?」
「傷つけようとするなよ」
「……」
「今しようとしただろ」
「してない」
「その間は何?」
セラが慌ててレグの手を掴む。
「絶対駄目だからね!」
「ためしたかった」
「怪我してからでいいの!」
「それも変な言い方だな」
俺が言うと、セラに睨まれた。
「ハヤトも余計なこと言わない!」
「はい」
レグが笑う。
「ハヤト、おこられた」
「最近それ好きだな」
部屋に笑い声が広がる。
今日。
セラは初めて、誰かの傷を治した。
俺は受け流しを少しだけ上達させた。
レグも、自分の力を少しずつ抑えられるようになってきた。
大きな変化じゃない。
でも。
こういう小さな積み重ねが、きっと大事なんだと思う。
「明日も練習?」
セラが聞く。
「たぶん」
「レグも」
「私はまた治癒術」
三人とも。
少しずつ違うことをしている。
でも夜になれば。
またこうして今日できるようになったことを話している。
王都での毎日は。
少しずつ。
俺たち三人を前へ進ませていた。




