第37話 ロイドの話し
翌日。
朝から治癒術院へ向かうセラを見送ったあと、俺とレグは特に依頼を受けず、王都の中をぶらついていた。
昨日ロイドから届いた手紙が、どうしても頭の片隅に残っていたからだ。
夕方、西門近くの古い噴水。
そこへ行けば、レグについてもう少し話すという。
「ハヤト」
「ん?」
「きょう、ロイドいく?」
隣を歩くレグは、今日も人の姿だ。黒を基調にした服にもだいぶ慣れ、今では王都の人混みを歩いていても違和感はない。
「行くよ。セラが授業終わったらな」
「……やっぱり?」
「嫌なら宿で待っててもいいぞ」
そう言うと、レグはすぐに首を横に振った。
「いく」
「嫌いなんだろ?」
「きらい」
そこは迷わないらしい。
「でも、ハヤトいく」
「だから?」
「レグもいく」
俺は少し笑った。
以前なら、もっと単純に「嫌だから行かない」で終わっていた気がする。人の姿に慣れてきたせいなのか、俺たちと一緒にいる時間が長くなったせいなのかは分からないが、レグなりに考えて決めることが増えていた。
「分かった。じゃあ三人で行こう」
「ん」
レグは満足そうに頷いたものの、数歩歩いたところで肉串の屋台を見つけ、すぐにそちらへ顔を向けた。
……やっぱり根本は何も変わっていない。
◇
夕方。
治癒術院の門の近くで待っていると、しばらくしてセラが出てきた。
「お待たせ」
「お疲れ」
昨日ほど疲れ切った顔ではないが、それでも慣れない勉強で頭は使ったらしい。こちらへ来るなり、小さく肩を回している。
「今日はどうだった?」
「昨日より実習が増えた。まだ治癒術そのものじゃないけど、魔力を細く流す練習」
「できた?」
俺が聞くと、セラは少しだけ目を逸らした。
「……昨日よりは」
「つまり苦戦した?」
「うるさい」
図星らしい。
「でも、先生に昨日より安定してるって言われたから。ちゃんと上達してる……はず」
最後だけ少し自信がない。
「二日目なんだから十分だろ」
「そう思う?」
「思う」
「ハヤトにしてはまともなこと言うわね」
「俺を何だと思ってるんだよ」
横で聞いていたレグが口を挟む。
「ハヤト」
「ん?」
「へんなこというひと」
「誰の影響だ、それ」
セラが笑っている。たぶん犯人はこいつだ。
少し話したあと、昨日の手紙をもう一度確認し、三人で西門へ向かった。
王都の中心部から離れるにつれて、人通りは少しずつ減っていく。西門そのものは大きく、出入りする商人や旅人も多かったが、ロイドが指定した古い噴水は門から少し外れた裏通りにあった。
かつては広場だったのかもしれない。
中央には石造りの噴水が残っていたが、水は流れておらず、縁には苔が生えている。周囲には古い建物が並び、大通りの喧騒もここまではほとんど届いてこない。
「……怪しい場所ね」
セラが小声で言う。
「俺も思った」
「ロイド、へん」
「それは場所関係なく言ってるだろ」
レグが俺の服の袖を握る。
昨日もそうだったが、ロイドをかなり警戒しているらしい。
「来ないな」
噴水の縁に腰を下ろそうとした、そのときだった。
「時間通りだと思うが」
背後から声がした。
振り返る。
細い路地の奥から、灰色の外套を着た男が歩いてきた。
ロイドだ。
「人を待たせる側がそれ言う?」
「まだ約束の時刻より少し早い」
「細かいな」
「仕事柄な」
ロイドは俺たちの数歩手前で止まった。
そしてレグを見る。
レグは俺の後ろに半分隠れる。
「……やはり人の姿か」
その一言で、俺の警戒が少し強くなった。
「見るな」
「悪い」
ロイドはすぐに視線を外した。
以前よりは多少、こちらへの気遣いをするつもりがあるらしい。
「それで?」
俺は本題へ入る。
「昨日の手紙。レグについて話があるんだろ」
「ああ」
「今度こそ『それは言えない』ばっかりはなしにしてくれよ」
「できる限り話す」
「できる限り、ね」
完全に信用したわけではない。
それでも、前回よりは進みそうだった。
ロイドは噴水の縁へ腰を下ろすこともなく、立ったまま話し始めた。
「まず、俺がレグを調べていた理由だが……正確に言えば、俺個人が竜を探していたわけじゃない」
セラが眉を寄せる。
「誰かに頼まれたの?」
「そうだ」
「誰?」
俺が聞く。
ロイドは一瞬だけ黙った。
また言えないか。
そう思ったが、今度は違った。
「王都にいる、ある研究者だ」
「研究者?」
「ああ。ただし、俺もそいつの下で働いているわけじゃない。頼まれて、情報を集めていただけだ」
「竜の?」
「正確には――人の姿を取れる竜の情報だ」
空気が少し変わった。
レグが俺の服を掴む手に力を入れる。
「なんでそんなもの探してるの?」
セラが尋ねる。
ロイドは少し迷ってから答えた。
「昔の記録を調べているらしい」
「昔の記録?」
「俺も全部を見たわけじゃないが、かなり古いものだ。その中に、人と同じ姿で人の街に暮らした竜について書かれている」
俺はレグを見る。
人の姿。
銀髪。
金色の目。
今まで、レグが人化できる理由を深く考えたことはなかった。
本人に聞いても、できるからできる。それくらいの答えしか返ってこない。
「レグと関係があるって?」
「分からない」
ロイドははっきり言った。
「だから確認したかった」
「確認って、何を?」
「本当に竜なのか。人化できるのか。それと――」
一度言葉を切る。
「どこから来たのか」
俺は眉をひそめた。
「それを調べてどうする」
「そこから先は、俺にも分からない」
「本当に?」
「ああ」
今までのロイドなら疑ったところだが、今回は少し違って見えた。
誤魔化しているというより、本当に知らないような言い方だった。
「じゃあ、その研究者に直接聞けばいい?」
セラが言う。
「やめた方がいい」
ロイドの返事は早かった。
「なんで?」
「俺自身、信用していないからだ」
意外だった。
「仕事受けたのに?」
俺が聞く。
「最初は単なる調査だと思っていた。古い伝承を調べるため、似た特徴の竜を探している。それくらいにな」
「今は違う?」
ロイドが頷く。
「ラーデンでレグを見つけたあと、報告を入れた。そのとき相手の反応が変わった」
セラの顔から笑みが消える。
「どう変わったの?」
「詳しい場所。連れている人間。いつ王都へ来るか。人の姿の特徴。できれば本人を直接確認したいとまで言われた」
俺は無意識に、レグの前へ少し身体を動かしていた。
「それで尾行した?」
「……そうだ」
「最低ね」
セラの声が冷たい。
ロイドは反論しなかった。
「その通りだと思う。だから前回、お前たちに見つかったあとで依頼を降りた」
「降りた?」
「ああ。これ以上はやらないと伝えた」
俺は少し驚いた。
「じゃあ昨日の手紙は?」
「依頼主とは関係ない。俺個人の判断だ」
「なんでわざわざ教える」
今度はロイドが俺を見る。
「後味が悪かった。それだけだ」
「それだけ?」
「それ以上の立派な理由を期待されても困る」
少しだけ。
初めてロイドが人間らしく見えた気がした。
レグはまだ警戒しているが、最初ほど俺の後ろに隠れてはいない。
「その研究者って、レグをどうしたいの?」
セラが聞く。
「分からない。ただ、会わせるのは勧めない」
「危険なの?」
「そこまで断言はできない」
ロイドは首を横に振る。
「だが、人化できる竜を見つけたと聞いたときの食いつき方が普通じゃなかった。少なくとも、面白い研究対象を見つけた程度の反応には見えなかった」
俺は腕を組む。
面倒な話になった。
王都に入る前、ロイドは不用意に人化するなと言った。
その意味がようやく分かってきた。
人の姿になったレグそのものが危険なのではない。
人化できる竜だと知られることが問題なのだ。
「俺たちが王都にいるのは、もう知られてる?」
「可能性は高い」
「最悪じゃん」
「悪い」
「謝ればいいって話でもないけどな」
とはいえ、今さらロイドを責め続けても状況は変わらない。
「名前は?」
俺が聞く。
「誰の?」
「その研究者」
ロイドが黙る。
俺はため息をついた。
「また言えない?」
「……いや」
少し迷ったあと。
「グレイ・ノルマン」
初めて聞く名前だった。
セラも知らないらしい。
「有名な人?」
「表に出る人間じゃない。魔術や古代の記録を調べている研究者だと聞いている」
「どこにいる?」
「王都北区。ただし、直接行くな」
「行くとは言ってない」
「ハヤトは行きそうだから言ってる」
セラが横で頷いた。
「私もそう思う」
「なんで二人とも俺の扱い同じなの?」
レグまで俺を見る。
「ハヤト、いく?」
「今は行かない」
「いまは?」
「……言い方ミスった」
セラが呆れたようにため息をつく。
少しだけ空気が緩んだ。
そのとき、レグが初めてロイドへ自分から声をかけた。
「ロイド」
「なんだ?」
「もうレグ、みない?」
問いかけは短かった。
けれどロイドはすぐに答えなかった。
やがて、少しだけ膝を曲げ、レグと視線の高さを近づける。
「俺はもう追わない」
「ほんと?」
「ああ」
「ほかのひとは?」
「……分からない」
レグの表情が少し曇る。
俺はその頭に手を置いた。
「大丈夫」
「ハヤト?」
「知らない奴が来たら、そのとき考える。今から全部心配しても仕方ないだろ」
「……ん」
レグが俺の袖を掴み直す。
ロイドはその様子を少し見てから、立ち上がった。
「一つだけ」
「まだあるの?」
セラが聞く。
「ああ。人の姿で街を歩くこと自体は問題ない。普通の人間には見分けがつかないだろう」
俺たちもそれは分かっている。
「ただ、人前で変化するところだけは絶対に見せるな。少なくとも、この件が落ち着くまでは」
「それはもう気をつけてる」
「ならいい」
ロイドは踵を返した。
「ちょっと待て」
俺が呼び止める。
「今度はどこ行く?」
「仕事だ」
「もう俺たちには関わらない?」
ロイドは肩越しに振り返る。
「それが一番だろう」
否定はしなかった。
「じゃあな」
そのまま路地の向こうへ歩いていく。
灰色の外套が角を曲がり、見えなくなる。
俺たちはしばらくその場に残っていた。
「……どうする?」
セラが聞く。
「どうするって?」
「その研究者」
「今は何もしない」
今度は迷わず答えた。
「向こうから来ないなら、こっちからわざわざ行く必要もないだろ」
「珍しく慎重ね」
「珍しくは余計」
俺はレグを見る。
「レグもそれでいい?」
「ん」
「怖い?」
聞くと。
レグは少し考えた。
「ちょっと」
初めてだった。
レグがこんなふうに素直に怖いと言ったのは。
俺は頭を撫でる。
「そっか」
「でも」
「ん?」
「ハヤトいる。セラもいる」
セラが少し笑う。
「いるよ」
「うん」
レグもようやく笑った。
「じゃあ帰ろうか」
セラが言う。
「そうだな」
「ごはん?」
レグが聞く。
俺とセラは顔を見合わせた。
そして同時に笑った。
「食べて帰るか」
「やった」
さっきまでの不安そうな顔はどこへ行ったのやら。
まあ。
それでいい。
グレイ・ノルマン。
人化できる竜を探していた研究者。
気になることは増えたが、今すぐ答えを出す必要はない。
ただ一つ。
王都へ来てから、俺たちが思っていたより早く。
レグを巡る何かが、少しずつ動き始めている。
それだけは間違いなさそうだった。




