第3話 初めて稼いだ金は自分のために使う
冒険者登録そのものは、無事に終わった。
職業欄だけは空白のままだったが、固有能力持ちということで例外的に処理してもらえたらしい。
ギルドカードを受け取ったハヤトは、しばらくそれを眺めていた。
薄い金属板に、自分の名前。
神崎ハヤト。
異世界へ来て初めて手に入れた、まともな身分証だった。
「これで今日から冒険者です」
受付嬢――ミレイが言う。
「なんか響きいいですね、冒険者」
「最初だけですよ」
「夢壊すの早くないですか?」
ミレイは小さく笑ったあと、すぐに真面目な顔へ戻った。
「その前に一つ。昨日《剣術・初級》と魔法を覚えたからといって、自分が強くなったと思わないでくださいね」
「そこは分かってます」
剣の振り方が分かる。
魔法の使い方も分かる。
だが、それだけだ。
筋力も経験も足りないし、本気で襲ってくる相手と戦ったこともない。
技能を覚えた瞬間に達人になれるほど、現実は都合よくできていなかった。
「なので、最初はこれがおすすめです」
ミレイが掲示板から一枚の依頼書を外す。
薬草採取。
ハヤトは少しだけ黙った。
「……異世界に来て、最初の仕事が草むしり?」
「安全第一です」
「まあ、昨日魔物に追いかけ回されたばっかだしな……」
文句を言いつつも、依頼は受けることにした。
金は必要だ。
今のハヤトには宿代すらない。
必要な道具を借り、街の外へ出る。
昨日は命からがら通った門だったが、今日は少しだけ気分が違った。
自分の意思で外へ出る。
それだけで、不思議と冒険らしく感じる。
指定された薬草は、街から歩いて一時間ほどの草原に生えていた。
「これか?」
手元の見本と見比べる。
細長い葉。
根元に青い斑点。
似た植物も多く、思ったより面倒だった。
一株。
二株。
間違えないように確かめながら採っていく。
しばらくすると、周囲を見る余裕も出てきた。
遠くには巨大な山脈。
空には見たことのない鳥。
足元では、淡く光る小さな虫が草の間を飛んでいる。
「……すげえな」
昨日は生き延びることで精いっぱいだった。
改めて見ると、本当に知らない世界なのだ。
子供の頃なら、きっと一日中歩き回っただろう。
社会人になってからは、休みの日に知らない場所へ出かけることすら減っていた。
疲れている。
金がかかる。
明日も仕事だ。
そんな理由を並べて、結局何もしない。
今思えば、やらない理由を探す癖までついていたのかもしれない。
「今日は仕事だけどな」
そう呟いて、また薬草を摘む。
三時間ほどで必要量は集まった。
そろそろ戻ろう。
そう思った時だった。
草むらが揺れた。
昨日の記憶が蘇り、ハヤトは反射的に腰の短剣へ手を伸ばす。
姿を現したのは、大きな鼠だった。
猫ほどの体格。
前歯が異様に長い。
ギルドでもらった資料に載っていた。
大牙鼠。
農作物を荒らす害獣で、討伐部位を持ち帰れば追加報酬が出る。
「……こいつなら」
角の生えた獣ほど怖くは見えない。
だが、野生動物と本気で戦った経験なんて当然なかった。
大牙鼠が威嚇する。
ハヤトは短剣を抜いた。
手汗で柄が滑りそうになる。
「ゲームだったらボタン押すだけなんだけどな……」
相手が地面を蹴った。
「うおっ!」
思ったより速い。
慌てて横へ避ける。
牙が革靴のすぐ横を通過した。
心臓が跳ねる。
「普通に怖いじゃん!」
鼠は止まらない。
向きを変え、再び突っ込んでくる。
今度は逃げるだけではなく、昨日覚えた構えを思い出した。
足を開く。
腰を落とす。
敵を見る。
焦るな。
二度目の突進。
ハヤトは身体を横へずらしながら短剣を振った。
刃先が背中を浅く切る。
大牙鼠が甲高い声を上げた。
仕留められていない。
むしろ怒らせた。
三度目。
今度はハヤトから一歩踏み込んだ。
牙を避け、そのまま短剣を首元へ突き込む。
手に嫌な感触が伝わった。
大牙鼠が何度か足を動かし、やがて静かになる。
「…………」
ハヤトはすぐには短剣を抜けなかった。
勝った。
そのはずなのに、達成感より先に気持ち悪さが込み上げてくる。
生き物を殺した。
ゲームの敵を倒すのとはまるで違う。
血の匂いも。
手に残った感触も。
全部、本物だった。
「……こういうのも慣れないとダメなのか」
好きに生きる。
冒険者になる。
言葉にするのは簡単だった。
だがこの世界で生きるなら、楽しいことだけでは済まない。
ハヤトはしばらく座り込み、それからゆっくり立ち上がった。
目を逸らしたところで、起きたことは消えない。
せめて自分で選んだことくらい、自分で受け止める。
血を拭い、資料に書かれていた討伐証明の牙を回収した。
夕方。
ギルドへ戻る頃には、足がかなり重くなっていた。
薬草を受付へ並べる。
ミレイが一株ずつ確認していった。
「全部正解です。初回にしては優秀ですね」
「結構迷いましたけどね」
「それと……大牙鼠まで?」
「一匹だけ」
牙を見せると、追加報酬が上乗せされた。
ハヤトの前へ、銀貨が数枚置かれる。
「これが報酬になります」
掌に乗せてみる。
ひんやりとして、思ったより重い。
元の世界では、給料は数字だった。
働けば月に一度、口座の残高が増える。
当たり前すぎて、受け取った実感などほとんどなかった。
だがこれは違う。
今日、自分で外へ出て。
歩き回って。
危ない目にも遭って。
それで手に入れた金だ。
「これが異世界で最初の給料か」
少しだけ嬉しかった。
「宿はもう決めていますか?」
ミレイに聞かれる。
「いや、まだです。一番安いところを――」
そこまで言って、ハヤトは止まった。
安い宿。
安い飯。
なるべく使わずに貯める。
それは悪いことじゃない。
むしろ堅実だ。
けれど、今までの自分も似たようなことばかり考えていた。
せっかくの休みなのに、金がもったいない。
食べたいものがあっても、また今度。
欲しいものがあっても、本当に必要なのか考える。
そして気づけば、その「また今度」はほとんど来なかった。
ハヤトは銀貨を握る。
「ミレイさん」
「はい?」
「この辺で、一番飯がうまい店ってどこです?」
ミレイが瞬きをした。
「宿じゃなくて?」
「先に飯で」
少し考えてから教えてもらった食堂は、ギルドから歩いて数分の場所にあった。
店へ入った瞬間、肉の焼ける匂いが鼻を刺激する。
炭火で焼いた鳥肉。
山盛りの芋。
野菜の入った濃いスープ。
そして、この世界へ来て初めて飲む麦酒。
金額を聞けば、今日の稼ぎのかなりの割合が消える。
昨日までの自分なら、たぶんやめていた。
ハヤトは迷わず注文した。
運ばれてきた肉へナイフを入れる。
香ばしい匂いが立ち上る。
一口。
「……うま」
思わず声が漏れた。
高級料理でも何でもない。
働いた人間が仕事帰りに腹いっぱい食べるための料理。
それなのに、妙にうまかった。
自分で働いた。
自分で稼いだ。
そして、自分が食いたいと思ったものに使った。
たったそれだけだ。
「俺、こんなことで満足できたんだな」
誰かに選ばされたわけじゃない。
誰かに合わせたわけでもない。
自分で決めただけ。
ハヤトは麦酒を一口飲む。
少し苦い。
でも嫌いじゃない。
明日は何をしよう。
また薬草を採ってもいい。
別の依頼でもいい。
剣を練習するのも面白そうだ。
魔法も覚えたい。
何一つ決まっていない。
それなのに、不安より楽しみの方が大きかった。
「最高じゃん」
誰に聞かせるでもなく呟き、もう一度肉を頬張る。
異世界生活二日目。
神崎ハヤトは初めて、自分で選んだ一日を終えた。




