第2話 俺の職業ないんですけど?
ラーデンの街に入ったところで、ハヤトは早くも現実にぶつかった。
金がない。
助けてくれた商人――ドルフが入街料を立て替えてくれたおかげで中には入れたものの、当然、それだけで生活できるわけではない。
門をくぐった先には石造りの建物が並び、通りには露店が軒を連ねていた。
焼いた肉の匂い。
色鮮やかな果物。
見慣れない形の武器。
ローブ姿の男の横を、小さな角の生えた獣が荷車を引いていく。
どこを見ても、ハヤトの知っている街とは違う。
できることなら一日中歩き回っていたかった。
しかし腹が減れば飯がいるし、夜になれば寝床も必要になる。
異世界だろうと、その辺りは現実的だった。
「まず冒険者ギルドへ行け」
ドルフはそう教えてくれた。
身元の分からない人間でも登録でき、働き口も紹介してくれるらしい。
「本当に何から何までありがとうございます」
「構わん。今度、うちの商品を買ってくれればな」
「金持ちになったら大量に買いますよ」
「言ったな?」
笑いながら握手を交わす。
突然知らない世界へ放り出されたというのに、人間そのものは元の世界と大して変わらないらしい。
そのことに、ハヤトは少し安心した。
教えられた道を進むと、三階建ての大きな建物が見えてきた。
入口の上には、剣と盾を組み合わせた看板。
おそらく、ここが冒険者ギルドだ。
ハヤトは扉を開ける。
もっと酒場のような場所を想像していた。
昼間から酔っ払った大男が喧嘩していて、隅では怪しげな連中が睨み合っている――そんな光景だ。
だが実際には、役所と宿屋を足したような場所だった。
壁には依頼書が整然と貼られ、冒険者らしい男女が受付の前に並んでいる。
「意外とちゃんとしてるな……」
「何がですか?」
思わず漏らした声を、受付の女性に拾われた。
栗色の髪を後ろでまとめた、二十代半ばくらいの女性だ。
「あ、いや。もっと荒っぽい場所を想像してて」
「喧嘩なら夜の酒場でたまにありますよ。やった人は罰金ですが」
「そこはちゃんとしてるんですね」
ハヤトは受付で事情を説明した。
日本という国から来たこと。
気づいたら森にいたこと。
身分証も金も持っていないこと。
女性は途中から、何とも言えない表情になっていた。
「国籍不明、身分証なし、所持金なし……」
「並べられると結構ひどいですね」
「よく生きてここまで来られましたね」
「自分でもそう思います」
幸い、この辺りでは身元不明者そのものは珍しくないらしい。
国境に近いため、戦や災害で故郷を失った人間が流れてくることもあるという。
冒険者として登録できれば、簡易的な身分証にもなる。
「では、職業の確認をします」
「職業?」
「はい。登録情報に必要ですので」
受付嬢が机の下から透明な水晶球を取り出した。
「こちらに手を置いてください」
言われた通りに触れる。
水晶の奥で、淡い光が揺れた。
しばらくして文字のようなものが浮かび上がる。
受付嬢が紙へ書き写そうとして――手を止めた。
「……あれ?」
「何かまずいですか?」
「もう一度お願いします」
言われるままに手を置く。
結果は同じ。
受付嬢は水晶を持ち上げ、角度を変え、最後には軽く指で叩いた。
「壊れてる?」
「それ叩いて大丈夫な物なんですか?」
「普通はやりません」
奥から別の職員を呼び、今度は違う水晶で試す。
しかし表示された内容は変わらなかった。
職業――なし。
ハヤトは表示を眺める。
「無職……」
異世界に来て最初にもらった称号が無職。
妙に現実的で嫌だった。
だが受付嬢は笑わない。
それどころか、かなり真剣な顔をしている。
「おかしいですね」
「そんなに?」
「成人して職業を持っていない方なんて、普通はいません」
「職業って自分で決めるものじゃないんですか?」
受付嬢は少し驚いたように瞬きをした。
「十五歳の職業選定で決まります。そこで授かった職業を、生涯使うことになります」
剣士。
魔術師。
神官。
商人。
鍛冶師。
他にも数多く存在するらしい。
一度決まった職業は、基本的には変えられない。
極めて特殊な方法で転職できる例もあるが、大金が必要なうえ、成功する保証もないという。
「じゃあ、剣士になった後で魔法をやりたくなったら?」
「簡単な生活魔法程度ならともかく、本格的な魔術技能は習得できません」
「逆に魔術師が剣を極めるのも?」
「ほぼ不可能です」
「……途中で別のことをやりたくなったら?」
受付嬢は当たり前のように答えた。
「諦めます」
ハヤトは眉を上げた。
「マジで?」
「適性のない技能は習得できませんから」
十五歳で決められた道を、そのまま一生歩く。
もちろん、それが合っている人間もいるのだろう。
だが自分なら嫌だ。
そんなことを考えた、その時だった。
水晶が再び光った。
「え?」
先ほどまで空白だった場所に、新しい文字が浮かび上がる。
受付嬢が身を乗り出した。
「固有能力……?」
「何です、それ」
「生まれつき特別な能力を持つ方が、ごく稀にいるんです。数千人に一人いるかどうかですが……」
水晶に表示された文字は、たった一つ。
固有能力《自由》
その下に短い説明が続く。
自身に課された制限を解除、または無視する。
「自由……」
ハヤトはその名前を眺めた。
昨日、自分が決めたことを見透かしたような名前だった。
「具体的には、何ができるんです?」
「分かりません」
「分からないんですか」
「固有能力は人によって全く違いますから。ただ……職業が表示されない原因は、これかもしれません」
受付嬢はしばらく考え込むと、席を立った。
数分後。
戻ってきた彼女の手には、一冊の薄い本と木製の訓練剣があった。
「試してみましょう」
「何を?」
「これは剣士用の初歩技能書です」
本を机へ置く。
「剣士以外が読んでも、内容を理解することはできます。でも技能として身につくことはありません」
「へえ」
ハヤトは本を開いた。
基本的な構え。
足の位置。
剣を振る時の体重移動。
専門的ではあるが、読めないほど難しい内容ではない。
数ページ目を読み終える頃には、何となく身体の動かし方が頭に入ってきた。
「これ、振ってみても?」
「どうぞ」
木剣を握る。
当然、剣など使った経験はない。
映画やゲームで見るくらいだ。
本に書かれていた通り、足を開く。
腰を落とす。
そのまま前へ振った。
ぶん、と木剣が空気を切る。
上手いとは思えない。
むしろ格好悪いだろう。
だが受付嬢の表情が変わった。
「もう一度お願いします」
「はい」
再び振る。
受付嬢は水晶を確認し、目を見開いた。
技能《剣術・初級》習得。
「……習得しています」
「今ので?」
「普通はあり得ません」
いつの間にか、近くにいた職員まで集まってきていた。
ハヤトは木剣を見る。
「じゃあ魔法は?」
受付嬢が黙った。
周囲の職員たちも黙る。
ハヤトは少しだけ笑った。
「気になりますよね?」
結局。
数分後には、ギルド裏の訓練場へ移動していた。
今度渡されたのは、魔術師向けの初歩教本。
最も簡単な火属性魔法が載っている。
短い詠唱を覚え、掌を前へ向けた。
「《灯火》」
ぽっ。
小さな炎が指先に灯った。
「おお……!」
ハヤトは思わず声を上げた。
小さい。
蝋燭より少し大きい程度。
それでも魔法だ。
人生で初めて、自分の手から炎が出ている。
「すげえ……」
感動しながら振り返る。
誰も喋っていなかった。
受付嬢と職員三人が、何とも言えない顔でこちらを見ている。
「……そんなに変です?」
受付嬢が額に手を当てた。
「変なんてもんじゃありません」
普通なら絶対に交わらないはずの技能。
剣と魔法。
ハヤトは、その両方を習得した。
もちろん、まだどちらも初心者だ。
木剣を持ったところで剣士には勝てないだろうし、《灯火》では魔物一匹倒せない。
だが、それでも一つだけ分かった。
この世界では、誰もが何か一つを選ばなくてはいけない。
その代わりに、何かを諦める。
けれど自分は――。
「選ばなくていいのか」
ハヤトは指先に浮かぶ炎を見つめた。
剣をやりたければ剣をやる。
魔法を使いたければ魔法を覚える。
その先で別のものに興味を持ったなら、それもやればいい。
今までとは真逆だった。
何かを選ぶために、何かを諦めなくてもいい。
口元が自然と緩む。
「……これ、かなり面白い能力かもな」
異世界へ来て二日目。
神崎ハヤトは初めて、自分に与えられた《自由》の意味を知った。




