第28話 灰色の外套の男
「ラーデンから」
レグの言葉を聞いた瞬間、眠気は完全に消えた。
俺は毛布から抜け出し、剣を手に取る。
暗い林。
さっき何かが動いたように見えた場所を睨むが、今はもう何も見えない。
「レグ。まだいる?」
「いる」
小さな声。
いつもののんびりした調子ではなかった。
「動いてる?」
「……とまってる」
つまり、向こうもこちらの様子を見ている。
俺はすぐ近くで眠っているセラの肩を軽く叩いた。
「セラ」
「ん……」
「起きて」
「……なに?」
「静かに」
それだけで何かを察したらしい。
セラの目が開き、身体を起こす。
「何かいるの?」
「ああ。人らしい」
「人?」
「レグが、ラーデンからついてきてるって」
一瞬で表情が変わった。
「それって……」
「たぶん」
俺たちが考えたのは同じだろう。
五日前。
商業区でレグを見ていた、灰色の外套の男。
ただし、まだ決めつけるつもりはない。
俺は立ち上がると、少し離れた場所で見張りをしていた護衛の男にも声をかけた。
「すみません」
「ん?」
「林の中に人がいるみたいです」
男の顔から眠そうな雰囲気が消えた。
「人?」
「連れの竜が気づいた」
「……距離は?」
「レグ?」
聞くと、レグは林をじっと見ながら首を傾げる。
「わかんない」
「まあ、そうだよな」
さすがに距離まで正確に分かるわけではないらしい。
護衛の男はもう一人の見張りにも声をかけた。
商隊全体を起こすほどではない。
だが、何かあればすぐ動けるようにしておく。
俺一人で林へ突っ込むより、よほどまともな判断だ。
「……出てこい」
護衛の男が暗闇へ向かって声を上げた。
返事はない。
「こっちは気づいてる。用がないなら立ち去れ」
静寂。
風で木の葉が揺れる。
それだけだ。
「レグ」
「いる」
まだいる。
なら。
「聞こえてるんだろ!」
今度は俺が声を出した。
「ラーデンからずっとついてきてるなら、用があるんじゃないのか!」
数秒。
何も起こらない。
さらに数秒。
そして――。
ざっ。
林の中から足音がした。
「……」
セラが俺の横に立つ。
いつでも魔術を使えるようにしているのが分かった。
レグも地面へ降り、低く身構えている。
やがて。
木々の間から、一人の男が姿を現した。
月明かりに照らされる灰色の外套。
「やっぱりお前か」
五日前に見た男だった。
男は林から出たところで足を止める。
それ以上は近づいてこない。
「悪かった」
第一声は、謝罪だった。
俺は少し眉をひそめる。
「何が?」
「こんな時間までついてきたことだ」
「昼ならいいみたいに言うな」
男がわずかに口元を緩める。
年齢は三十代くらいだろうか。
短い茶色の髪。
外套の下には軽そうな革鎧。
腰には剣を下げている。
少なくとも、ただの旅人ではなさそうだった。
「武器から手を離せ」
護衛の男が言う。
「敵意はない」
「それを決めるのはこっちだ」
「もっともだ」
男はゆっくりと両手を上げた。
剣を抜くつもりはないらしい。
「名前は?」
「ロイド」
「それだけ?」
俺が聞く。
「今はそれだけで頼む」
「信用できる要素ゼロだな」
「そうだろうな」
やけに素直だ。
余計にやりづらい。
「何のためについてきた?」
男――ロイドはすぐには答えなかった。
視線が俺から外れる。
そして。
レグへ向いた。
「やっぱりレグか」
「名前まで知ってるのか」
俺は一歩前へ出る。
ロイドの視線が戻った。
「ラーデンで聞いた」
「誰に?」
「そこは言えない」
「じゃあ話終わり」
「待ってくれ」
「人の仲間を五日もつけ回して、聞いたことには答えませんじゃ話にならないだろ」
俺としては当然の話だった。
何をするつもりか分からない人間を、信用する理由がない。
セラも黙ったままロイドを警戒している。
レグに至っては、明らかに機嫌が悪い。
「こいつ、きらい」
「レグ」
「ずっとみてた」
「……そうだな」
こいつなりに、かなり不快だったらしい。
ロイドが小さく息を吐いた。
「警戒させたことは謝る」
「それはさっき聞いた」
「俺は、その竜を捕まえに来たわけじゃない」
空気が少し変わった。
「……捕まえる?」
セラが聞き返す。
俺もその言葉が引っかかった。
「なんでそんな話になる」
「竜は珍しい」
ロイドが静かに言う。
「まして、人の姿になる竜となればな」
俺は剣の柄を握った。
セラも息を呑む。
レグだけが首を傾げていた。
「やっぱり見てたんだな」
五日前。
レグが突然人化したとき。
こいつはその場にいた。
「偶然だった」
「そのあと尾行したのも?」
「それは偶然じゃない」
「だろうな」
ロイドは少し迷うように黙ったあと、続けた。
「俺が確認したかったのは、本当に人化したのか。それだけだ」
「確認してどうする」
「報告する」
「誰に?」
「言えない」
俺はため息をついた。
「またそれか」
「ただし」
ロイドの表情が変わる。
「一つだけ、忠告はできる」
「忠告?」
「王都では、その竜を不用意に人の姿にするな」
俺とセラは顔を見合わせた。
レグは自分のことだと分かったのか、俺を見上げている。
「理由は?」
「目立つからだ」
「それだけ?」
「十分な理由だろう」
否定はできない。
ラーデンですら、レグが人化した直後はかなり騒ぎになった。
王都となれば人も多い。
その中には、竜を珍しがるだけでは済まない人間もいるかもしれない。
だが。
「それを教えるために、わざわざ五日間ついてきたのか?」
ロイドが黙る。
やっぱり、それだけではない。
「誰かに頼まれたんだな」
「……」
「レグを調べろって?」
返事はなかった。
それが返事みたいなものだった。
「ハヤト」
セラが小声で呼ぶ。
俺は視線をロイドから外さない。
「何?」
「この人、敵だと思う?」
難しい質問だった。
敵意は感じない。
少なくとも今すぐ俺たちを襲うつもりなら、こんなふうに姿を見せる必要はない。
けれど、味方とも思えない。
「分からない」
俺は正直に答えた。
「だから信用もしない」
「正しい」
ロイドが言う。
「お前が言うな」
「それもそうだな」
こいつ、微妙に調子が狂う。
レグが俺の足元からロイドを見る。
「もう、ついてくる?」
ロイドが少しだけ驚いた。
「……いや」
「ほんと?」
「ああ」
「じゃあ、いい」
「いいのかよ」
思わずレグを見る。
「でも、きらい」
「そこは変わらないんだな」
レグはぷいっと顔を背けた。
ロイドが苦笑する。
「嫌われたままか」
「当然だろ」
「仕方ない」
そう言って、ロイドは一歩後ろへ下がった。
護衛たちはまだ警戒を解かない。
「待て」
俺は呼び止める。
「王都で人化するなって話」
ロイドが止まった。
「何か知ってるんだろ」
「……」
「ただ珍しいってだけなら、そんな言い方はしない」
少し長い沈黙だった。
やがて。
「王都には」
ロイドがゆっくり口を開く。
「珍しいものを、珍しいまま放っておけない人間が多い」
それだけ言った。
「何だよ、それ」
「今の俺に言えるのはそこまでだ」
「便利な言葉だな」
「悪い」
また一歩下がる。
「ロイド」
「なんだ?」
「次に勝手についてきたら」
俺は剣の柄を軽く叩く。
「今度は話から始めないからな」
ロイドは俺を見たあと、小さく笑った。
「覚えておく」
そのまま林へ戻っていく。
木々の間へ灰色の外套が消えた。
しばらくして。
「レグ」
「ん」
「まだいる?」
レグが鼻先を動かす。
少し待ってから、首を横に振った。
「いなくなった」
ようやく息を吐く。
護衛の男も剣から手を離した。
「面倒な知り合いだな」
「知り合いじゃないです」
「今日から知り合いだろ」
「嫌な知り合い方だな……」
◇
結局、その後は何も起きなかった。
見張りの時間を終え、再び毛布へ戻る。
レグは当然のように俺の横で丸くなった。
セラも横になったが、まだ眠る気配はない。
「ねえ」
「ん?」
「王都、大丈夫かな」
暗闇の中から声がした。
何を心配しているのかは聞かなくても分かる。
「レグのこと?」
「うん」
俺は横で眠ろうとしている小さな竜を見る。
人化。
俺たちにとっては、もう見慣れ始めていた。
服どうするんだとか。
距離が近すぎるとか。
そんな話ばかりしていた。
でも。
外から見れば、そうじゃない。
「まあ、ロイドの話が本当なら気をつけた方がいいな」
「人化させない?」
「そこまではしない」
すぐに答えた。
セラが少しこちらを見る。
「レグが人になりたいならなればいい」
「でも……」
「隠す必要があるときは隠す。それだけだろ」
誰かに狙われる可能性があるなら、わざわざ人混みで見せびらかす必要はない。
でも。
他人に何か言われたからという理由だけで、レグにずっと竜の姿でいろとも言いたくなかった。
「レグ自身が決めればいい」
「……ハヤトらしい」
「そう?」
「うん」
横から声がする。
「ハヤト」
「起きてたのか」
レグが金色の目を開いていた。
「レグ、ひとにもなる」
「ああ」
「りゅうにもなる」
「ああ」
「どっちもレグ」
俺は少しだけ笑った。
「そうだな」
それでいい。
人でも竜でも。
レグはレグだ。
「でも王都で突然なるのはやめてくれ」
「なんで?」
「服」
「……」
レグが黙った。
「忘れてただろ」
「わすれてない」
「絶対忘れてたな」
セラが毛布の中で笑っている。
さっきまで張りつめていた空気が、少しだけ緩んだ。
「寝よう」
「うん」
「ん」
目を閉じる。
ロイド。
あの男が誰に頼まれたのか。
どうしてレグの人化を確認する必要があったのか。
王都には何があるのか。
気になることは増えた。
でも、今すぐ答えが出るわけでもない。
明日も歩かなければならない。
考えるのは、そのときでいい。
――ただ。
王都へ向かう旅が始まったばかりだというのに。
どうやら俺たちはもう、何かに目をつけられているらしかった。




