第27話 初めての野営
日が傾き始めた頃、先頭を進んでいた荷馬車がゆっくりと速度を落とした。
街道から少し外れた場所に、広めの草地がある。
近くには小さな林もあり、その向こうから水の流れる音が聞こえていた。
「今日はここまでだ!」
商隊をまとめる男の声が響く。
どうやら、ここで夜を明かすらしい。
御者たちは慣れた様子で馬車を移動させ、護衛の冒険者たちも周囲の確認を始めた。
「着いた……」
セラが大きく息を吐く。
「疲れた?」
「歩くのは平気なんだけど、ずっと同じ景色って思ったより疲れるのね」
「分かる」
何時間も街道を歩き続けるというのは、戦うのとは違う疲れがある。
身体というより、妙に肩や腰が重い。
そんな俺たちとは対照的に。
「ハヤト」
頭の上から声がした。
「ん?」
「ごはん?」
「お前、ほとんど寝てただろ」
「つかれた」
「何に?」
「ねるの」
「寝るのに疲れるな」
レグが俺の頭から羽ばたき、地面へ降りる。
こいつだけは一日中元気だった。
いや、ほとんど寝ていたから元気なのか。
「とりあえず野営の準備しよう」
セラが荷物を下ろす。
「何すればいいの?」
「俺に聞くなよ。俺も初めてだ」
「え?」
「え?」
二人で顔を見合わせる。
そうだった。
俺たちは冒険者になってから野外で戦うことはあっても、商隊と何日も旅をするような経験はない。
ラーデン周辺なら日帰りで戻れる範囲がほとんどだった。
「……どうする?」
「周り見て真似するか」
「それしかないわね」
幸い、他の護衛たちは慣れている。
何人かは馬車の周囲を確認し、別の者は焚き火用の薪を集め始めていた。
俺も近くの冒険者に声をかける。
「何か手伝うことある?」
「だったら薪を頼む。あの林の手前くらいまでなら問題ない」
「分かった」
振り返る。
「セラ、行くか?」
「うん」
「レグも――」
「ごはんは?」
「まず薪」
「……」
露骨に嫌そうな顔をした。
「働かない奴に飯はないぞ」
「いく」
即答だった。
現金なやつだ。
◇
薪集め自体は大した作業ではなかった。
林の奥へ入る必要もなく、落ちている枯れ枝を拾っていくだけだ。
「これくらい?」
セラが両腕に枝を抱えている。
「十分じゃないか?」
俺の方にもそれなりの量がある。
レグはというと。
「レグ、それ一本だけ?」
人の姿になり、両手で一本の太い枝を抱えていた。
「おおきい」
「確かに大きいけど」
「おもい」
「じゃあもっと細いの何本か持てよ」
「これがいい」
「なんで?」
レグは少し考えてから答えた。
「つよそう」
薪に強さを求めるな。
俺が笑うと、レグは不満そうに眉を寄せる。
人の姿にもだいぶ慣れたらしく、最近は表情が以前より分かりやすくなってきた。
見た目だけなら小柄な若い女性。
それなのに中身は、やっぱりレグだ。
「ハヤト」
「ん?」
「もって」
「嫌だよ」
「おもい」
「自分で選んだんだろ」
「……」
こちらを見る。
じーっと。
「その顔しても駄目」
「ハヤト、つめたい」
「甘やかしすぎないようにしてるんだよ」
横を歩くセラが笑った。
「もう十分甘いと思うけど」
「どこが?」
「ほとんど全部」
「そんなことないだろ」
「レグの服、誰の荷物に入ってるの?」
「俺」
「食べ物持ち歩いてるのは?」
「俺」
「頭の上で寝かせてるのは?」
「……俺」
「ほら」
言われてみれば、かなり面倒を見ている。
「でもそれは仕方ないだろ」
「うんうん」
「その納得してない顔やめろ」
セラが笑う。
その横で、レグが枝をこちらへ差し出した。
「ハヤト」
「持たないぞ」
「ちょっとだけ」
「どこで覚えた、その言い方」
レグの視線がセラへ向く。
俺も見る。
「……何よ?」
「犯人いたな」
「私、そんなこと教えてない!」
結局。
俺が持った。
◇
野営地へ戻った頃には、夕食の準備が始まっていた。
大きな鍋から湯気が上がっている。
その匂いを嗅いだ瞬間。
レグが走った。
「おい!」
「ごはん!」
「まだだって!」
さっきまで重い重いと言っていた奴とは思えない速度だ。
セラが苦笑する。
「本当に食べ物だけは全力ね」
「ある意味才能だな」
集めた薪を渡し、俺たちも座る場所を確保する。
しばらくすると夕食が配られた。
野菜と干し肉の入ったスープ。
硬めのパン。
簡単な食事だが、一日歩いたあとなら十分ありがたい。
「うまいな」
「ほんと」
セラも嬉しそうに食べている。
レグは。
「……」
無言だった。
ものすごい勢いで食べている。
「レグ」
「ん」
「ちゃんと噛め」
「かんでる」
「もっとゆっくり」
「おいしい」
「会話になってないぞ」
数分後。
器が空になる。
レグが俺を見る。
「おかわり」
「早いな!」
「おかわり」
「俺に言っても仕方ないだろ」
レグは鍋の方を見る。
それから俺を見る。
「いってきていい?」
「わざわざ許可取らなくてもいいよ」
「いってくる」
嬉しそうに立ち上がった。
セラがその背中を見ながら、ぽつりと言う。
「なんか……変わったわよね」
「レグが?」
「うん」
俺もレグを見る。
最初に出会った頃と比べれば、確かにそうかもしれない。
「喋るのも上手くなったしな」
「それもあるけど」
セラが少しだけ笑う。
「最初より、ずっと楽しそう」
そう言われて、少し考える。
レグはもともと表情が豊かな方ではなかった。
腹が減った。
眠い。
嫌だ。
そのくらいは分かったが、今みたいに笑ったり、拗ねたり、妙な言葉を覚えて使ったりすることは少なかった。
「そうかもな」
「ハヤトといるからじゃない?」
「なんで俺限定なんだよ」
「一番くっついてるから」
「俺の頭に乗ってるだけだろ」
「人の姿でもくっついてるじゃない」
「それは――」
言い返そうとして。
少し離れたところからレグがこちらへ走ってきた。
両手で器を持っている。
「ハヤト!」
「なんだ?」
「おにく、ふえた」
「良かったな」
満面の笑みだ。
……まあ。
楽しそうなら、それでいいか。
◇
夕食を終えたあと。
空はすっかり暗くなっていた。
街の明かりがないせいか、星がやけに多く見える。
焚き火を囲む人間たちの話し声も、少しずつ小さくなっていく。
護衛は交代で見張りをするらしい。
俺たちの担当は夜中より少し前。
それまでは休んでいていいと言われた。
「野宿って、もっと大変なのかと思ってた」
セラが毛布を広げながら言う。
「今日は天気いいからじゃないか?」
「雨だったら最悪ね」
「考えたくないな」
地面は思っていたより硬い。
宿のベッドが恋しくなる。
「ハヤト」
レグが人の姿のまま近づいてきた。
「どうした?」
「どこでねる?」
「あっち」
俺は少し離れたところに敷いたレグ用の毛布を指差す。
「……」
レグがそれを見る。
次に俺の毛布を見る。
そして俺を見る。
嫌な予感がした。
「レグ」
「ん」
「自分のところで寝ろよ」
「なんで?」
「なんでって……」
「ここ、あいてる」
俺の横を指差す。
「空けてるんだよ」
「じゃあねれる」
「そういう意味じゃない」
セラが後ろで笑っている。
「いいじゃない。寝かせてあげれば」
「人の姿だぞ」
「竜ならいいの?」
「竜ならいつも頭とか肩にいるからな」
「じゃあ竜になればいいのね」
「そういう話でも……」
俺が言い終わる前に。
淡い光がレグを包んだ。
次の瞬間、小さな竜に戻ったレグが俺の毛布の上に飛び乗る。
そのまま丸くなった。
「……」
「解決したわね」
セラが言う。
「そうなのか?」
レグはもう目を閉じている。
早い。
「こいつ、絶対分かっててやってるだろ」
「どうかしらね」
セラも自分の毛布に入る。
俺も諦めて横になった。
夜空を見上げる。
風が少し冷たい。
焚き火の音。
馬の息遣い。
遠くで鳴いている虫の声。
ラーデンにいたときとは、まるで違う夜だった。
「ねえ、ハヤト」
隣からセラの声がする。
「ん?」
「起きてる?」
「今寝たところ」
「起きてるじゃない」
「なんだよ」
少し間が空く。
「……私、本当に王都に行くんだね」
昼間より静かな声だった。
俺は空を見たまま答える。
「そうだな」
「治癒術院に入って、ちゃんとやっていけるかな」
珍しい。
セラがこんなことを言うのは。
「怖くなった?」
「少しだけ」
「じゃあやめる?」
「やめない」
即答だった。
俺は笑う。
「なら大丈夫だろ」
「何それ」
「やめたくないなら行けばいい。無理だったら、そのとき考えればいい」
「簡単に言うわね」
「難しく考えても結果は変わらないだろ」
俺自身、そうやってここまで来た。
できるかどうか分からない。
それでもやりたいなら、とりあえずやってみる。
「それに」
「何?」
「一人で行くわけじゃないしな」
セラが黙る。
「俺もいるし、レグもいる」
「……レグは治癒術院に入れないと思うけど」
「外で待たせとけばいい」
俺の横で丸まっていたレグが目を開いた。
「やだ」
「起きてたのかよ」
「いっしょにいく」
「ほら」
「何が、ほら、なのよ」
セラが笑った。
さっきまで少し硬かった声が、いつもの調子に戻っている。
「ありがと」
小さな声だった。
「何が?」
「別に」
「なんだよ、それ」
「おやすみ」
「はいはい。おやすみ」
レグもまた目を閉じる。
「おやすみ」
「ああ」
しばらくして、二人の声が聞こえなくなった。
俺も目を閉じる。
――その直前。
ふと、五日前に見た男の姿が頭をよぎった。
灰色の外套。
レグを見ていた男。
今日一日、姿は見なかった。
やっぱり気のせいだったのかもしれない。
そう思いながら。
俺は眠りについた。
◇
どれくらい経っただろう。
「……ハヤト」
声がした。
小さい。
でも、すぐ近くから。
目を開く。
レグが起きていた。
「どうした?」
身体を起こす。
焚き火はまだ残っている。
見張りの冒険者もいる。
何か起きた様子はない。
だが。
レグは林の方を見ていた。
「レグ?」
呼んでもこちらを見ない。
金色の目が、暗闇の奥へ向いている。
「いる」
「何が?」
数秒。
レグの鼻先がわずかに動いた。
「ひと」
眠気が一気に消えた。
俺も林へ目を向ける。
何も見えない。
木々の間には暗闇が広がっているだけだ。
「どこ?」
レグが前足を上げる。
林の奥。
「ずっといる」
「ずっと?」
「ん」
俺は剣に手を伸ばした。
「今日から?」
レグは首を横に振る。
そして。
「ラーデンから」
俺の手が止まった。
頭に浮かんだのは、一人しかいなかった。
灰色の外套の男。
林の奥で。
ほんの一瞬。
何かが動いたように見えた。




